シコウ。

2005-07-29 02:24:22 | ■だらだら。
ナシ♪
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夜のあおぞら。

2005-07-26 23:50:45 | ・ことばの尻尾踏み。
あらゆるというほどの形の雲が
bowlの裏面をかたちづくっている。

ときどき

月影や星が雲間にこぼれる。

疎らに落ちる雨粒のいんりょくを揺らす強さで風は





撫でてゆく。

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こちら、書き捨てブログでございます。

2005-07-26 14:35:01 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
往路の降りはやや強めだったが、帰路は意外に穏やかだった。台風接近。今、再びやや雨足が強くなってきた。
16日の日焼け跡の皮が剥け出した。相変わらず痒い。

薬の禁断症状がすこし出ている。きのうも寝起きからかなり不安感が強かったが、とりあえず動くことが多かったのでやり過ごせた。昨夜遅く兄嫁からの電話。久しぶりのせいか、声もテンションも殊に高く、あたしも引っ張られ、知人宅で仕入れたネタで兄嫁の意見を否定したりもしたので、切った後で「切ろう切ろうと思っても切らせてくれない」と言うと、あいのりの音声が聞き取りづらかった家人は「そっちが切らせないんだろ」と珍しくキレた。2時間ぐらいか。なぜか高揚したぶん、今朝は落差がキタ。親しくない人との約束がなかったら、何もできず、眠ることもできず、つらかっただろう。

最近、神経系の症例数が看過できない状況があるらしく、理解を示すように、とにかく病院とか静養を勧める風潮があるが、十把一絡げに言っていいものかと疑問符が浮かぶ。

医者によって対応はかなり違う。そして、認識の統一を図るのは難しいだろう。

あたしの内職のもともとは、社員をやめてからも親会社や現場に出ることも多かったとはいえ、基本的には拠点が自宅だったため、今やぐうたらとだらしなさの区別がつかなくなっているが、はい同じですねというかむにゃむにゃむにゃ、あたしがひとりぐらしの通勤者で発症し、もし静養に入ったりしたら、いずれは生活保護を受けることになっているかもしれない。もしどうにかなるのであれば、とりあえず自分のデスクを守るために通ってほしい。その仕事自体が症例を生み出す一因だったとしても、通えばそこに仕事がある、というのは、微かな一線を守れるという気がする。その気は大切な気がする。

自宅・単なるぐうたらもんのたわごとか。
しかし、やはり医者だな。信頼せずには通えないところだ。そこで余計な薬を処方されると、あとがつらい。

あたしはやはり20年ぐらい先に老いている。同世代の筆跡や老眼度と自分を比較すると、思わず腰が曲がる。
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カラオケと『希望のヒロシマ』(平岡敬)。

2005-07-23 00:01:29 | ・本・記事。
いつも見ていたヒロシマ(吉田拓郎)

八月の光がオレを照らし コンクリートジャングル
焼けつく暑さがオレの心をいらつかせる 
いやせない みたせない なぐさめもない
深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて 
オレはどこへ行こう 君はどこへ行く
時はおし流す 幾千の悲しみを 
時は苦しめる 幾千の思い出を
焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる
子供らに オレ達が与えるものはあるか 
安らかに笑う家はいつまであるか
いつもいつも遠くから遠くから 見ていたヒロシマ

* 写真は、カラオケ『白い骨』(黄金井脩)。吉田の歌はカラオケにない。どっちもカラオケで歌えるほどに知らない……。

膨大に存在するであろうゲンバクに言及する本の中で、あくまでもひとりの、それも市長在職時の戦いが主に著される。被害者にこそ対面の被害者の意識がわかる、そこをてこに思想にしていこうとする。また、家族や隣人が被害者であるとともに加害者であるという意識。

──沖縄県民の戦争体験は単純ではない。最初に敵として現われたのは米軍である。ところが、米軍に追いつめられ壕の中で抗戦を許さず自決を強いる日本軍は敵となった。その日本軍が敗れることによって命を永らえることができた住民には、米軍は解放者であった。しかし、解放者は戦後、占領軍として住民を抑圧する存在となり、/

──自分の体験を的確に表現することのできぬいらだちに身もだえするのだった。そして、言い合いのすえ、「もういっぺん原爆が落ちりゃあ、ようわかるんよ」と言ってしまわざるをえない被爆者の絶望感/

──「核兵器は直接軍事目標に向けることができるから、無差別に使用されることはあっても、もともとも無差別なものではない」(95年6月、国際司法裁判所に提出された米国政府の陳述書から)

核を通常兵器とは異なる視点で訴えるのがヒロシマ思想の原点だったわけだが、上梓から既に十年が経過し、さらに兵器の一つでしかない固定状の意識。日本政府が核への態度を明確にしないまま、戦前のにおいをかぐ識者がふえている。

「唯一の被爆国」であり続けるために。 ──この言葉すら恐るべき。

          * セミパラチンスク、ネバダ、ムルロア、チェルノブイリ、東海村。えーと。 
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生きている。ゆえに老いる。

2005-07-10 20:42:45 | ■だらだら。
昨日は月例の会でした。日例的な落チが特に険シクて、しかしどおにかおさぼりせずにすみました。ぼおおおおっと人前で声を出したり嗤ったりしていましたがあまり現実味はありませんでした。
ちなみに、テーマは「老い」でした。質問タイム、(54歳と初めて明言した)Yさんに向かって、たぶん勝手に老いた者と自覚する推定70歳男性は笑いました。まるごとわかってほしい気持ちが、てめえなんぞにわかるかという形であらわれるわけですね。

きょう、マドモワゼルMが紹介したじいちゃんの言葉。

(ちなみに、ご闘病中の方に失礼なきように付言すれば、マドモワゼルMは、あたしもあんまりよく知らないのですが、病で生死の淵を綱渡りしたかたであります。)



「長生きするから、病気になるんだよ」

実用新案特許皆伝。なんだそりゃ。
ときどき、忘れるのですよあたし、ジブン、長生きしちゃってるってことを。

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