藤森建築と路上観察展。

2007-05-18 23:39:43 | ■おもに建物。
チョーナ。そんな名前のものが存在することなら知っていたけれど。
シンプルでおもしろい。 かたち。見える感触。

くるまにある顔はわかりやすい。
家の顔はわかりにくいから、藤森さんの家でも探さないが、藤森さんの家はどれも笑っている。

藤森さんの笑顔と真顔はどこにも印刷されてはいない。


たのしい。

すきだなあ。

赤瀬川さんも伸坊さんも遊んでいるがそれが仕事だ。

野心もないし殿様もどうでもいいが藤森さん作品で過ごせる細川さんは少し羨ましい。東北大学卒論の広瀬川にかかる橋も、東京タワーは海中に斃れ再び生まれゆく東京もまじめな遊びです。熊本県立農業大学校学生寮もいいです。

数年前近隣国分寺市のタンポポハウスを見に行ったきっかけの、すぐ休刊しちゃった雑誌の編集者の名前に覚えがあった。

しばらく行くと、現物が一冊、壁にあった。
あーすっきり。
『頓智』。

関係あるよでないだら-1
関係あるよでないだら-2
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学校に行けない行かない。

2007-05-18 02:47:19 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
のんちゃんは22歳。PTSDにより中学校も一日しか行っていない。キーボードも英語も独学でマスターした。独学といっても母親の力が大きいことは想像に難くないが。この春、学歴を問わないIT企業をネットで探し就職した。

今、1日7行ぐらいという超スピードアップ(やれやれ…)でなるちゃんの一冊を読了して譲ろうとしている。譲られても困っちゃうわん、かもねという不安はあるが。


のんちゃんの引っ越しまでに読了しそうもないから安心だ。(タイトな生活観ゆえ新品進呈はなし)

大多数の日本少年少女、学校生活被体験者が得る情報の、量も質も、学校へ行かなければ得られない。学校へ行けばもしかすると独特でステキな先生と相まみえるラッキーに遭えるかもしれない。


独特でステキな先生と数十人との関係の中で自分の位置が、というアンラッキーもあるし、話を戻せば、独特でステキな先生なんてそう多くはない。

んなこと言ってりゃなにごともきりないし。てなことなんだけどさ。


それはネットや書籍、TV、そこらへんの母親だけで補えるものではないと思う。と思うが、日常のどこかに、例えばときどき見かけるきりっとしたお姉さんのイメージとか隣の道楽おじさんの存在とか、自分を俯瞰させる位置からの指針とかがあれば、まあ、学校なんか行かなくたって、ネットや書籍、TV、そこらへんの母親などからの情報で、人間関係を含めた生きる知恵は得られると思う。

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森山直太朗と好戦感。

2007-05-03 08:39:57 | ■だらだら。
あるコミュニティーの中にまた幾多のコミュニティーがあって、そのひとつに「朝日新聞が嫌いです」というのがあった。その嫌いですは、何に対するかについてたぶん変遷していた。

現在は、例えば(クリックすると私は何か戦慄を覚える)あるリンクが書き込まれ、引用の引用の引用あるいは記事の引用は感情の引用で、若い人たちは激してそのリンクをまた別の箇所にコピーアンドペーストする。

それらの書き込み方は2ちゃんねるふうで、というのは別に2ちゃんねる批判ではなく、2ちゃんねるをあまり見なくても検索時代にはいやでも目にする一部の傾向を言うわけだが、何かとリンクが張られ、引用を重ねる下地をつくっている。

リンクの一例。

私が戦慄を覚えたこのリンクを、たまたま、平和を謳うブログで見つけ、そういう受け取り方もあるのかと逆に驚いたりして、これを書いている。

国の交戦権は、これを認めない。しかし、好戦感の波及は、認められた思想の自由の範囲だ。森山親子は知っているだろうか。


コメント (2)
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