ホトケ。

2021-08-31 06:42:19 | ■だらだら。




ちょっとひさしぶりに田無神社へ。
すまほのすきまから百円玉をこぼしとり
賽銭箱へぽとりころころ。



私をやさしいひとにしてください



と、お願いひとつ。



佐藤二朗はめをぱちぱちさせていろんな顔をしながら天空、あーっ えーとー それはねー んむふっ瞬消え。





ここ神社ですからー




かえりみちゆうびんきょく裏、オールナイトの店から黄金のホトケが飛び出してきて踊った。若い客らからありがとござぃまーすおやすみなさーぃの声。マスクないよね浄土なんだね。







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角田光男のことば。

2021-08-26 11:36:28 | memo。



「満足感を常に持て」
     (NHKファミリーヒストリー所ジョージより)

言葉そのものより、その達筆度と、息子さんの体現度とのズレ感が、いいなあと思って。







きょう、健康診断用の書類の所要事項がどうしても思い出せず、心当たりのある5年前のメモを見つけてもなぜか当該事項の記載はない。モノハタメシとgooブログを遡ってみたら、直接的な表現はありませんでしたが、自分にはどんぴしゃっ的な記述を見つけましてですね。はい、助かりました。


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端抜き  (ちからとしあわせの融合)。

2021-08-22 15:18:06 | memo。



〔 質疑にて 〕

殆どの場合やっぱりいろんな国の税金でこういう基礎科学の研究が行われているので、もちろんいただいたお金があるということは、それについて責任もあるし、その価値をちゃんと説明していかないといけないと思います。
 日本て、そもそもすごく不思議な国だと思うんですよ。何でかというと、全然資源がない ── 二百ヵ国ぐらいありますよね世界に。で、日本のところを見るとどう書いてあるかというと "negligible mineral resources"、無視できるほどの鉱物資源。(会場笑)
 二百ヵ国見ても「無視できるほどの」って表現は日本しかないんです。それぐらい資源がない。どういうことかというと、〔写真〕イラクに行くと油田てのはこんな感じですけど、日本も油田ていうのがあって、秋田の油田てのは〔写真〕こんな感じですね。無視できるほどの鉱物資源。
 こんな資源がない国がふつう成功するわけがない。だから、特に日本みたいに資源のない国っていうのは、いつもそういう、柔軟にものを考える力ってのを育てていないと逆に危ないんじゃないかというのが私の個人的な考えなんです。



 暗黒物質がこういうものじゃないかという、きょう私の言った説であれ、別に、間違ってるかもしれないわけですよね。もちろんいろんな実験や観測で確かに正しかったって証明されたら、それはすごくうれしいですけども、でも間違ってたってわかるのもやっぱりそれは進歩で、わからないよりも、間違ってたってわかるほうがはるかにうれしいです。
 だから、自分が正しいことを証明するためにやってるわけじゃなくて、人生の中で答えが出るかどうかすらわからないことをやってるわけじゃないですか。ちょっとでも答えがわかったっていうだけでもすごいことだと思うんですよ。しかもこんだけいろんなことがわかってきてる時代ってのはめったになかったので、それだけでもものすごくやっぱりうれしいですね。

《 NHK「 最後の講義 村山 斉 」》


加筆:8/30朝刊より




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gooブログ愚痴。

2021-08-16 20:54:12 | memo。


「アピールチャンス(旧みんなのブログ)」の表示がほぼもとに戻ってよかったです。きっと私と同じ意見が多かったのでしょうね。きょうのこれも、結果にかかわらずいずれ削除することになると思いますが。


私は新型コロナで発症したかたがgooブログを書かれていたら拝読したいと思いました。

ブログのトップページで紹介するのは専属のスタッフさんの選択及びアクセス数などによるかと思います。
ハッシュタグに関しても「人気のあるハッシュタグ」だけです。

それぞれのブログの右上にある検索では「ウェブ」と「このブログ内で」という選択肢があります。広告効果のない自分用ブログ利用をさせていただいている者にとって後者はありがたい機能です。でも、ウェブ全体ではない、自分のではない、まじめなかたの多い気のするgooブログ内で検索したくても、そりゃできない。(ついでに言えば、ちょいちょい「チャットで相談」とか何とかが顔を出しますが、ほんとのチャットじゃないから役に立たない。)


トップページで、ハッシュタグ(でも何でもいいけど)の項目を検索できるとか、それぞれのブログの右上にある検索で「ウェブ」と「このブログ内で」という選択肢にプラスして「gooブログ内で」というのがあるといいのになあ。








コメント (4)
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小三治さんの貌のおもいで。    (味わうっつーには長すぎの件も含めて)

2021-08-07 22:26:31 | memo。

NHK「噺(はなし)家 柳家小三治 コロナと闘う」
 5月か6月、途中から録った録画を途中まで見て、チケットサイトで公演情報をチェックした。抽選だったから申し込んだんだ。当たらないと思っていると当たる。近づくに連れて感染症の状況は悪化するが、昨年と違って販売元に揺らぎはない。演者に、ない、のか。コロナ禍下、医療と付き合いながら地方を移動する。

 楽しみだった。
 昨夜、6日夕方に家人発熱。7日朝38℃、検査へ。とりあえず私自身ではない。どれだけの無症状陽性者が闊歩していることだろう。でも陽性の可能性の高さを自覚しながら多くの人と接触したくない。行きたくても入手できない人がたくさんいるのに無駄にしたくない。狭い中あちこち消毒して歩きながら、あーどーすべーと思うところへ、まち歩き型文人女子からご機嫌伺いのメールが。
本文も読まずに電話し、即決。はるばると当方の最寄り駅。手渡しし、立ち話で別れた。私より噺のわかる観客が行く。見逃しの惜しさよりとんとん拍子の爽快。



数えて驚く、そのほぼ40年前に、34歳の社長に彼女の住まいの近く、南池袋の緩い坂の途中だったような、ガラスの向こうに明るい緑がよく見える店に連れられて行った。ときどき来るのよと。
角度のあるカウンターに座り、小三治さんがたまに来るのバイクで、と社長が言って暫くすると、実にご本人が数メートルも離れていないカウンターの向こうの端に、慣れた様子で座る。社長は小三治さ~んと声を飛ばすが、小三治氏は「他人」に笑顔を返したりはしない(のだろう)。

落語、をほぼ知らない。ただ、社長の声でこちらに向けた顔は、あの熊本のうつくしい同期生の顔と同じように脳裏に張り付く静止写真だ。尖ったひと。




 大久保の理髪店、理容師である女性の風貌は実に私の母を思わせる。母よりややふくよかで、このかたにお似合いの赤いマニキュアを母がつけていたら驚天動地というものだが。貌が似ているというのは、なんというか、ふしぎなものだね。
 革ジャンのイメージのあった小三治氏の尖った貌をいま包むものは、この録画内で愛用を見せる、やわらかなシルクの風呂敷のような大きなストールに似ている、とかかもしれない意味ない。



(大久保の理髪店にて)

や、さっき鏡見てね、ああ老人だなあと思ったの。

老人だなと思ったってしょうがないよ老人なんだからな。
でもね、ちっとも老人なんて思ってねえよ。



ここでナレーションが入る。「十代目柳家小三治さん81歳」。この声で混乱する。これは昭和の映像か。
いや、私の知る昭和の小三治さんは年寄り顔ではない。映像はクリアだ。リモコンを掴みナレーターを知りたくて番組情報を見る。
宇田川清江さん。この声、現役。その響きを味わいながら、私は言葉をあそぼうとする。
自我のうちにそとに沿い逸れる人生とか時間とかをあの口元で、畏れ多いよと口には入れずに咀嚼するよなしないよな。そんなどんな姿、眺めるばかり。



開演前。
マネージャー : きょう80歳最後ですから高座上がるのね。
小三治氏 : 信じらんないねえ。
マネージャー : ねー、ほんとにねー。
小三治氏 : 自分が80歳なんて信じらんねえよ。
 だましてんだろお前。
マネージャー : え?
小三治氏 : だましてんじゃねえの?
マネージャー : いや、だませるものならだましたいですよね。でも80歳らしいんですよ。
小三治氏 : ぼう然とするねえ。うそだろって思っちゃう。
 もう寝るしかないね。(と、卓上の腕に伏す)
マネージャー : あのモニター見てもらうとわかるんですけども、きょうはソーシャルディスタンスで半分のお客さまを入れてやるんですって。
小三治氏 : 頑張って。
マネージャー : 頑張ります。師匠も頑張ってください。
小三治氏 : (返事のかわりに、目を閉じたまま眉を上げて舌打ちのように口を短く開閉し、小さく毛振りのようにかしらを回した)



こんなときにでもわざわざ出てこようってのはまた、何かしなくちゃいられない心に人々がなってるとも言えるねえ。
 小さい自分がどれだけのものを皆さんにお返しできるか 
     (拍手、着座、お辞儀と拍手)
 新しい年になりました。えー、なかなかどうして世間は、というより世界じゅうが騒がしいようですが、ま、これを災難と、思うしかないんですけど、考えてみるってえと、どうですかねえ、長い目で見て、こういう年は滅多にある年じゃありませんから、じっくりと味わって、お過ごしいただきたい。
 どうにも我慢ができなくなって (「粗忽長屋」へ)







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ふしぎなかんじオリンピック。

2021-08-02 09:13:15 | memo。


J-WAVEの少なくとも交通情報ではTOKYO2020と言う。2020か2021かの問題はおいといて、なんでふつーにオリンピックと言えないのか。といちいち気に障るがまあたいしたことではない。



あとだし印象ばかりなのはあいかわらず ─────
まいにちふしぎなかんじがついて回るオリンピック。


コロナ以前、酷暑の国際運動会はよくなくなくなくないぐらいの印象で、もちろん私には大抵の華やかな世界は遠い世界で 反対も同意もなにもなかった。


ただ、開催はあり得ないと言われたりしていたその土壇場にも、どこの国からも選手を派遣しませんというメッセージが届かないことに心底驚いて、それは、強行突破のIOCやサスガ首相への驚きをオブラートでくるむようだった。



コロナ禍下での、が加わって意地でもオリンピック放映を見ないという投稿も多いが、私は開会式を、見るともなく見ていた。200を超える国・地域(など)から、ひとが海を渡ってきている。集まってきている。こりゃなんだ。去年から天変地異事象と報じていたワールドニュースはどこの世界か。



夜9時前にNHK総合に合わせることが多い。天気予報を見る。つもりで。これがないんだね。すごいなあと思う。
なんでもかんでもなにがなんでも忘れろ楽しめ、今そこにあるのはコロナではなくすばらしいスポーツ、一極集中の顔、顔、顔、我を忘れるわざ。



せかいじゅうからひとがあつまっている。

どうせイレギュラーなら今回こそパラリンピックを先にやるべきだった。(ブログ内検索オリンピック)






ふしぎ といえば
不思議の国のアリス
不思議の国のトムキンス
すてきなふしぎにまよいこめ。





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