とりあえず似てるシリーズとしようか な …。

2021-05-29 08:30:34 | ■だらだら。
森山未來は踊れるだけでなくよく喋れる鳥獣に我が肉体を捧ぐ九相図ばーさすウランの要素が加味されたいのち立ち上がる






《本文》

近田春夫の「調子悪くて当たり前」という至言は何となくおぼえがある。それを言っていたのが50代のころからだというのを、みうらじゅんとリリー・フランキーの対談本で見たような気がするけれど違うかもしれない。

アラウンド55歳のネット知人が健康不安を話題(メールのね)にしていた。返信時に上記の件を思い出して書きながら、

近田春夫のことは昔から知っているけどなんにも知らないな、タモリ俱楽部とか文春コラムぐらいで主軸の音楽は聴いたことがないわけではないという程度だ。
とか
なんとか
思っているうちに、近田春夫と楳図かずお が かぶってきた。
それはないだろう(近田)
どういう意味だ(楳図)










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アサんぽ。

2021-05-14 07:34:04 | memo。




おげんきぶりが日々ちがう
というか、しょんぼりぶりというか、
おひさしぶりにアサんぽに出た。

昨日はたいそうこまっておりまして。
アブナイ。
何もできない。何もと言うならウソではあるがくどいけれど何もできない。
歩く。
傘をさして歩く。別に気は晴れないが歩く。





日課のようにアサ歩いていた夏は何年前だったか。
午前5時45分に東に向かう
うつくしい雨上がりの朝だ。


雨上がりの朝とこころで呟く途端
招んではいない昭和のメロディー。
あな恐ろしや積む年波寄るツムジ。

まさか今日のリフレインはだかーぽかほんだるつこか?
昨日はおだかずまさのサヨナラサヨナラサヨナラだった。




 ↓ 田無神社。昨日も夕方行った。





 ↓ キンプリのなんとかさんも掘ったという新しい由緒。





滅多に利用されない巨大歩道橋。だと思ってきた。滅多に利用しないのは私だ。使われない歩道橋は死角が多いというか誰も見ない。一度は、ココでナニをナサっていたの?というらしきものが落ちていたことがある。歩道橋とぺですとりあんでっきはちがう。
 ↓ 朝はまとめて数人という大人数が利用するのだとけさ認識した歩道橋。







いぜん削除しようとしていたこのブログをここんとこ毎日のように更新している。
驚くまいことか、通知がいまだ届かない。月曜日の夜、圧倒的につながらない問い合わせ電話を経てやっと来たマスクなしの使者は謝罪的挨拶はなくただ24時間以内に結果が出ますとのみ言って去ったが、今は何時間後なのか義務教育修了とともに得意だったさんすうができなくなってはやなんねんなのか計算できません。

もとい、ブログですが、先日、編集トップというところから訪ねたブログさんのカレンダーを見ると、私よりずっと前からgooブログを続けておられ、その文体というか、感じられる人となりが最古記事と最新記事とで大きく違うことがおもしろかったこと。そのかたの最新記事に出ているソファーがうらやましかったこと。昔、ターコイズブルーがだいすきだった一時期があって。思い出した二、三度しか使用していない大きなトルコ石のイヤリング。だれか買ってくれ。
次々とどうでもいい連想を書いていけば時間は過ぎるが。




ただいまJ-waveでカビラさんが喋っています。カビラさんこのごろ避けていたのでおひさしぶりです。これをアップしたら消します。いっぱんにおげんきなのを避けてますかね。でも、他曜日の別所さん、こちらも避けがちですが、の至言は、至言だと思っております。



ごきげんはじぶんでつくるものだよっ






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おやすみ。 (加重筆)

2021-05-06 14:50:16 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。



さっきテレビ見てました録画ね。
さまぁ~ず論(バラバラ大作戦内)りんご娘の回おもしろい。
流し見/ぼっちキャンプ、いつの間にシーズン3。
なぜひまか。休んだからだ。時給制だから休みたくはない。
昨日終日倦怠感にうずくまっていた。熱はない。食欲はある。
一昨日職場内ヘルパーPCR検査実施のお知らせがあった。
なぜいまごろかと思ったがその1/しないよりはいい。

と思ったがその2/遡っての無症状感染加害者の可能性はこわい。
ただしいことよりヒトがこわい。

もとい
たまたまその1/支援依頼が激減して明日から5日間休みである。
昨日の症状と検査お知らせがこれまたたまたまその2/重なり、
どうせ的なきぶん含みで大事をとったためのおやすみプラスである。





自分を褒めてあげようよ。
自信を持とう。
合い言葉。
励ます。
歌う。


ほんとかい。
ひとりだったらみんなできてるかもしれない。
3日前の「理由」の一部はそこにある。


のではないのか。
自分を信じている。
ときには褒めてもいる。
けれどヒトを信じていない。
世間のヒトをまわりのヒトを家族を仲間を。


シンジテルサ
ジブンニジシンガナインダソレダケサ。

ほんとかい。








─────
(2021-05-10)


ある日のテレビ。例によって、確かな記憶ではない。
かなり不便な山の中でほぼ自給自足のひとりぐらしをする女性。落ち着いた、賢げな、穏やかな、懐の深そうな、などという私の印象の間に、それ以前は多くの人と交わり子育てをし云々というプロフィールも短く語られる。いまがいちばんいい。きっぱりと言う。





今朝の私の覚醒直前の夢記憶。
だれかのためになにかやるたびに、これ見ていてくれたかな、と思っている、そのことがごく強くそのときの自分に刻印される。
寝覚めはよろしくなかった。





理由タマネギ

剥いても剥いてもタマネギで
剥いて果てたら何もなかった
あらタマネギなら切るものよ
切ったら切るだけ増えていく






むかしむかしのある日ガイアックスのきがるブログで玉ねぎがどうしたこうしたというのを書いた。すこし気に入っていたがブログ閉鎖時バックアップは一切しなかった。
リズミカルでそれほど暗い文字列ではなかった気がする。思い出せるのは、半螺旋で緩やかに潜っていく岩の階段。暗いのか明るいのかわからない。階段が岩というのではなく、岩の世界。やや湿っている。
ブログ画面は単色(もしかしたら水色系か)背景で文字だけだった。残っているイメージはなんなのだろうわけがわからない。

し思い
出した。あ
のころはとくに、
文字数で何か形を描
くようなこと
を好んでい
た。関係
あるか
な。




──────
(2022-02-12)

フツーボーダー。

みえないふつうのきわふつうのぼうだ。


普通際
不通
滂沱





ないな滂沱は。佇立でもない。わけわからない。ひとがわからない。

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sumire。

2021-05-06 01:11:45 | ・ことばの尻尾踏み。





車道と歩道のすきまに
柵と柵のあいだに
揺れもせずスミレ


スミレの花
地に開く葉
景色を透過するスミレひとり
生きて死ぬ等価


だれやかれやの記憶を
もしや託され
ある朝ジョアンに手を振り
ある日ハルカに貫かれ
終わりの見えない痛み
了りを告げられた痛み
空腹
ぬくもり
歓喜
はじけるこころ
はりさけるこころ
星空青空
生きて
死ぬ
ひとり
スミレ知らず
だれも知らぬ
包み込むブラックホール


地中に根
歳月を駕する瞬き



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数人の役者の名だけで録画しておいた「聖の青春」で死を貼りつけられた若い男がそうでもないような若い男に答える「そんなことよりも」。+殆ど飛ばし読みした本で理由の無意味を知る。

2021-05-03 15:09:43 | memo。






「だあいじょぶですよにんげんだれでもいつかはしにますから

 そんなことよりも

 いまぼくたちがかんがえなきゃいけないのはめのまえのいってです」








写真は、背中を見せて立つ羽生に村山が添うように並び立ち、視線の先、雪の庭にあらわれた猫が消える前の場面。




 ────




識者とかコメンテーターとかの区別はともかく、高いところから「なぜ国民は黙っているのか」と(それを言う本人は何をなさっているのか顕らかにされず)言い放たれ続けてきた私(国民)。





驚いた。2008年11月の講演録という。
その前段で、イラク戦争に抗議する巨大なデモがヨーロッパ各国、アジア諸国、韓国やインドでもあったが、日本にはほとんどなかった──「外からはまったく目立たない程度の規模でした」と述べ、(写真の部分 p.168で、今から90年以上前の和辻哲郎の文章を引いて)柄谷行人が「驚く」。




続けて和辻「前者においては公共的なるものへの無関心をともなった忍従が発達し、後者においては公共的なるものへの強い関心関与とともに自己の主張の尊重が発達した。デモクラシーは後者において真に可能となる」を引き、柄谷は書く。「日本ではよく、個性を尊重せよといわれますが、それは私的なものを重視するという意味です。したがって、個人としては弱い。そこで、自由都市とか市民社会とかいうと、私的個人から考えることになりがちです。しかし、ヨーロッパの都市は、ギルドや同業組合のような集団から成り立っています。要するに、都市というのは、たくさんの個人の集まりではなく、同業組合のような集団の連合体としてあったのです。そのような連合体、ネットワークの総体が都市である。個人はその中に育つ。だから、公共性に対して無関心な個人などありえないのです」



「私がデモについて語るのは、もちろん、デモによって革命を起こせとか、デモによって社会を変えよ、というためではありません。デモそのものに意味があるのです。デモの存在は、その国が専制国家でなく民主的であるということを端的に証明するものです」
「議会もアセンブリなのです。 アセンブリとは 「集まり」であり、日本語でいえば「寄り合い」です。 近代以前からそれはあっ た。日本だけではない。 どんな社会にも古来、寄り合いのようなものがあった。それが議会(アセンブリ)に発展したのです。 だから、デモ・集会と議会は同根です。 ルソーはいう。《人民はアセンブリにおいてだけ、主権者として行動しうるだろう〉(『社会契約論』)。この場合、アセンブリは、代議制の議会ではありえません。そこでは、「寄り合い」にあった直接民主主義的な要素は失われてしまうからです。 代議制では、人民が主権者となるのは投票するときだけで、そのあとは奴隷となってし まう、とルソーはいう。《代表という考えは近代のものである。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった》。
 先にいったように、代議制は貴族政的なものです。では、ルソーがいうような、人民が主権者とし て登場するアセンブリ、直接民主主義はどこにあるでしょうか。それを古代アテネの民会のようなものだと考えるのは、まちがいです。 あれは少数の市民だけが参加するものです。多数を占める女性や奴隷、外国人、子供は締め出されている。ついでにいうと、ソクラテスはダイモン(霊)にいわれて、民会には行かず、広場(アゴラ)で議論をした。むしろ、そこに真の民会、真の直接民主主義があったのです」



メモでしかありません。
コメント (3)
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