またテレビとか似てるシリーズとか。

2006-01-31 22:20:27 | ■だらだら。





ぽんが来てヘビースモーカーになって以来初の音訳録音作業でした。ふぅぅぅやはり声は嗄れますな。昨年秋から新規のかたがたが研修がてら参加しておりまして、きょうご一緒したヤマダハナコさん(仮名)を勝手に20代だろうと決めてかかっていましたが、シジュウだそうです。


私も36までは若く見られましたが、それでもせいぜい10歳ぐらいでしたね。30ぐらいのとき成人式振袖営業に何度かひっかかってうれしいことはございませんでしたが、昨夜のテレビでアース・ウインド・アンド・ファイヤーのメンバーは23歳と言われて喜んでましたね。若く見られるのも年寄りに見られるのも5歳ぐらいマデがテキトーな気分ですが他人の勝手です。


そういえばとはいまさらながらシジュウダイ半ばで成人式によばれそうなヒトもいましたな。



いろんなひとがいます。みんなイイヒトです。勝手にウタレてウナダレてはいけません。





こそこそと東京圏に棲んでいて地方というか東京外ということに時々袖を引かれる。例によってかい摘まみイメージだけ。特にいまさらということでもないと思いながらも特にいまさらながら自分がちょっと気になる人間の出身地で多いのは九州と山陽と宮城県あたりって気がする。それはともかくいまは青森と九州だな。県と地方名を一緒に言うなと。


ミレナリオ最初の日が見に行った最初で最後、イブでしたね、隣の女の子のきれいだったこと。会話の中で熊本だと言ってました。派遣でご一緒したミネコちゃん(鹿児島)はさやかにうつくしくチヨちゃん(熊本)もかわいかった。


ええそういう話ですよ。


いや今回の騒ぎまでホリエモンサンのことは忘れてましたがそれにしてもこれだけ東京に来ちゃってていいのかとか思うがとりあえずミネコちゃんは離婚したあと一軒家を買っちゃった。


先週のそらみみアワーはリアルタイムで見たが、昨日はダメダメで昨夜早寝する前に録画予約したのをまた忘れていた。テレメンタリー2006


駒場あごら劇場まだあったのですね。昔なにを見たのかは、例によって忘れてますが。長谷川さんという人は桜井センリ(ロンドン出身)と小林薫(京都出身)と寺山修司と太宰治(無理矢理)を足したような顔である。弘前劇場、3月に阿佐ヶ谷でやるそうだ……。


NHKプロフェッショナル。シカオちゃんの歌声以外あまり気になりませんでしたが、きょうは佐藤さんをすこしちゃんと見ました。宮藤官九郎とムラカミリュウを足したような顔をしていますが東京出身だそうです。ホストがちょっとヤです。トップランナー+オシャレかんけいなのにホストがヤだとヤだな。


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きのうのガラス。

2006-01-28 19:21:27 | ■だらだら。
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すごい水とおいしい水。

2006-01-24 19:42:10 | ■だらだら。


今朝の夢を思い出した。昨日何かで静さんのことを思い出したのだろうかもう10年以上会っていない。どういう経過でそんな本を開いているのか絵本のような上質紙多色刷りの雑誌で何とかのしずかというかわいげ知性なコーナーが数ページを占めており担当者名などどこにも書いてないのにあら静さんだご活躍だわやっぱりねえメールしちゃおうかしらそんなミーハーおばかだろう、など。

それで思い出した。グループ魂を見たせいなのか元日か次の日かの夢は、何かの行列をつくっている沿道を歩いていたら、ふと、今ほど目の端に映ったのは宮藤官九郎の子どもだったよねと道を戻ればやはり宮藤官九郎が子どもを抱いていたのだったがその宮藤官九郎は後ろ向きで顔は見えず宮藤官九郎の子どもの顔など知るよしもない私。

先日これは珍しくはっきり自信を持って私はそんなこと聞いていないと主張したら、どっこいこぞって聞いていないはずはないと言われたものだ。

book-off行きコーナーにsakanaのCDを見つけて流したらハマッたので、それではこちらにもハマろうではないかと同じコーナーにあった村上ポンタ秀一のCDパッケージから取り出したらそのディスクは先日聴いていたラカトシュだった大体このコーナーをいじったことはsakanaまでは久しくなかったのにそれっていったい。

これから夢を超えて実害がいよいよ自覚されてくるのだろうか。めーわくかけても責任のとりようがないからカナシイで済むように祈るばかりだ。

──────────
自信のない人間というのは影響されやすい。自信がないからマネできないのが幸いとゆうかカナシイというばかりである。

それで思い出した防災リュックなんてものをこの私が購入するなんて。横浜のイツコさんだ。粋な人間性はマネなどあり得ないが防災グッズは当然常備の言葉に動く。そうだったかなはてさて。阪神・淡路大震災後だ11年だぐうたらな私がラーメン以外を交換するなら水ぐらいで、それもほとんどかえずに済んでいるのは、たまたま近所の自然食品店にあった水の賞味期限が5年だったのさ。既にお店は消えている。今あるのは2008年。えらいぞ2003年。

ぐぐりました。
スゴイオイシイ
「すごい水」と「おいしい水」はパッケージが違うだけだそうです。何じゃそりゃ。お味に関しては例によって私にはわかりません。
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おそねはやおき。

2006-01-24 08:26:21 | ・ことばの尻尾踏み。





宇宙だなんてワカタさんも知らないはなしでなく
せいぜいシャシンの地平線で三井タワーはちっぽけだけど

ちっぽけに巻き起こされる風や景色のそのなかで
わたあめの棒はきれいになめ尽くしてください

天蓋は反響装置あなくろに伸縮自在なあなたとわたし
中空の透明ハニーをわたあめ棒で梳かすのさ

ミキサーはきぶんしだいなあなたとわたしの
堀切駅前とロスアラモスではちがうよ風がだから歌もちがうのだ

上海タワーをきららきらアイルランドのじゃがいもに
透明ハニーが巻き起こり深い雪を巻き起こし地球はおまつり

そらだよそらだよ冬のかなた。


────────

去年の或る日のウチのまえ


 
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ボブ・ディラン210分。

2006-01-20 19:29:04 | ・おもに音楽。



ぼけ写真はバウスシアター駐輪所。210分+10分て知らなんだ帰りは寒かった。(T-T)

今朝のJ-WAVEのニュースクリックで睡眠不足が記憶力を低下させるというのが上位になっていて、それは意味がある人にはあるのだろう。昔、睡眠4時間でも不足ではないという感じの一線の人たちが何の資料も持たずに自脳のデータベースから単語の渦を流し出すのを目の当たりにしているし、楽曲をレコード店の試聴一、二回で覚えたというディランの能力が睡眠量でもし変わっても大した差はなさそうだ。

スコセッシの音楽ドキュメントは可能なら見逃したくなくないものでどうにもあかん状態のときにヒルズなんぞにも行った。そのもとはリアルタイムで2回見た「ラスト・ワルツ」だったが、そんな遥かな昔に解散の感慨を語った皺っちロビー・ロバートソンがきょうの映像ではこれから始めようとするつるりんとした若造だったときつるりんな大スターだったのがディランなのだと。

答えは風の中にあったのかどうか、サマワの日本兵はきょうも劣化ウラン弾の脅威に曝されているらしい。ジューイッシュなその風貌をぼんやり見ていたら、あのキリストという人も鼻につく野心いっぱいの抜け目ないつるりんだったのかもしれないなあなどと思われた。

彼の記憶と背景として、見せてもらってまるで見たかったと思っていたかのようにうれしい声やら顔やらが映じられる。「人物」は偉大だが映画は大したことはないというレビューが幾つか目についた。映画を見る前と後で評者にとっての偉大さは些かも変わらなかったのか。私のほうはその「人物」にスコセッシを充ててもいいなど思う。

バウスさいとから。


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惰性する。

2006-01-13 10:25:30 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。






そういうわけで、思いもしないようなと言ったらウソになりますが飛び跳ねた偽悪名詞が口を突き破っても平然と見送り、暮れにあんなにコマッたのに12月からゲンキかもなどとのほほんと笑ったり、納品したばかりのモノに関する確認電話にわが忘却力逞しきこと恐るべしと感動しながら呆然と答えられず、バス停では大人なんだからちゃんとしなさいと同い年のひとに言われながらもヘラヘラとウロウロな雲海をタノシミながら通常随意とされる自己の言動の不随意なるをカナしむのでした。

 
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日本橋大増弁当「大人の休日」は一宮庵テイスト。

2006-01-09 22:44:53 | おちゃ。

一宮庵は齋藤寅次郎監督のお宅でありました。映画見たことないけどエノケンロッパ他。浅草むぎとろのおかみさんが乾杯の音頭をとる一宮庵新年会初釜は私たちだけが他人サマでありましてそれもまたよし縁の年。


堆雪耐雪とつながる空か、弥生会館はガラス越しの日差しにアツイなどという言葉も漏れます。おとといも私たちの分までお伊勢様でお祈りをしてきてくださったとのことでしたが、会の始まる前に御主人の御主人である神官様に神前で御祓いを受けまして、名古屋出身風鱗さんの講談「真柄のお秀」の前口上にて、金シャチをおろした後には大事が起こるとのこと、金シャチおろした愛・地球博明けのことし、田無神社とお伊勢様と根津の神様であたしゃ安泰でありましょう。


上野駅への帰り道、鷗外荘をしまってあるホテルの喫茶でおいしいコーヒーをいただきました。

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としと思い出と一宮庵。

2006-01-07 22:30:20 | おちゃ。


福田九右衛門(ふくだきゅうえもん:74歳)の犯行に関してより名前と年齢に反応する。私は昔からひとにとしを聞けない。自分が言わないから(嘘はつかない)。

大晦日のテレビで私は二葉百合子のとしを知り、その見事な艶に、私は初めて彼女の瞼の母を丸々聴い(見)た。それは無意識に74歳の基準になり、妙に生き生きとした九右衛門像を結ぶ。


21のころ溝の口駅前の弁兵という割烹でバイトをしていた。割烹という名の定食屋ではあったが、守谷九兵衛さんもしくは守屋久兵衛さんは日本橋だか銀座だかの老舗にいたという。「あたしはねぇ」と喋るその「た」は正確な【ta】ではなく、田舎者の私にとっては江戸弁そのものだったが地方出身者だった。

板前ってのはモテちゃうのよ、女の人が表で待ち伏せしてるからあたしは裏からこそこそ帰ったりね。あたしはほら弱虫だから、だから弁兵なんて強そうな名前にしたの。ごま塩の角刈り頭を少し揺らしながら喋る。

私はレジも少しやったから売上は見えていたが、知り合いだという大家は売上以前の滅法な家賃を要求し、ついには閉めることになった。「一緒に帰ろうよ」。最後の仕舞いをして、ゆっくりと歩き出す。別れ道でキュウベイさんは自転車をとめて、両手を腰で拭いて、「握手」と、右手を差し出した。「今夜は洗わないでおこうかな」。

お元気でいたら米寿を超えているのかなあ。記憶力の薄い私のなかにキュウベイさんの姿は月明かりのように優しい。

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今夜、土鍋で御飯を炊いてみました。ちょっとおこげができました。でも残念ながらおいしかったのかどうかはわかりません。でもね、昼間、成城の一宮庵(おいしく御飯がたけておつゆがつくれれば料理は皆伝との教え)で皆さんが口々に褒めそやすその白い御飯のおいしさが私だけはわからなかったのですから、うん、きっとあれと同じようにわからないからあれと同じようにおいしいんだなどということにしたのでした。


 
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