悪人の春が来る。

2010-01-26 19:40:13 | ・本・記事。
古い人間にとって文芸的ピエロといえば気狂いが頭につく。気狂いと重力じゃ対比できないなあと思いつつ文庫重力ピエロをアンダンテアレグロなプロコフィェフに惑わされながらめくっているとときどきうんざり素人のブログじゃあるまいしその辺でやめといてと思うとやめるしときどきうれしい。
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自分の手で文字を書く。

2010-01-23 14:26:02 | ■だらだら。
パフィーのヒット曲で始まった百歳バンザイ!という番組。10メートルの電柱に上って照明灯を交換するひとり暮らしの男性。彼はその請求書をも自分で書く。

ナレーターは彼が眼鏡なしでそれを書くと述べた。眼鏡を要さない高齢者は意外に多い。私が目を凝らしたのは、くっきりとしたその筆跡、運筆だった。

私の母はもともと決して能筆ではなかったが70歳前後から文字の震えや乱れが目につくようになり、70代後半にはいわゆる普通の会話が成り立たなくなった。私は今、どんなに丁寧に書こうと思ってもムカシのような文字を書くことができない。それが文字キーを打ち始めて20年以上というせいなのか、それともウロの浸蝕のせいなのか。数秒映じた100歳の確かな文字にひやりとする。

文字すらもキーで覚えていくのかもしれないコドモたちを思えば、書き文字とアタマの関係をましてや問うことはできないけれど。
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コドモへ。

2010-01-22 06:58:58 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
みずからのどこかから出しようもない、忌避かあるいは不可能とする判断を時としてくだすちから。場面場面で天をみずからのものとするそれか。ちかごろ他人のいくつかのことがそのようにふとふつりと符合することがあった。

その顕れの差は大小あるにせよ少なくも大抵はひとが思い込んでいるよりもひとを彼女は思っている。ひとはその母親を他人の母親はむろんのこと自分の実の兄弟の母親とも較べるべきではない。かつ当のおやこに一般論は何も為さない

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スリーサイズと屋根が手を振る。

2010-01-19 19:19:13 | ■だらだら。
昨夕届いたメールの冒頭、冬の夜に近所で起こった火災の描写が静かに鮮やかだった。火事というと私は幼時の隣家を思い出す。夜空を黒く押しやる炎と火の粉は類焼を免れたのが奇跡のようだった。

地震ほどに戦争を忌まぬ人が多いこともよくわからずハイチも長田区も遠く私には「被災」に関して我が事のごとく心傷める感受性と誰かのために自分が役立つことへの想像力とが大きく欠けている。

大友良英の音をきくために録った「その街のこども」が、思いのほかおもしろく、3倍録画が残念だった。この手のものはいかにクサみを手玉にとるかでしょう。あなたも見なはれ午前5時44分へ夜のうォーきんぐろーどむーヴぃ。
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「こんにちは」というタイトルの自分が暮れに出したメールの意味不明。

2010-01-19 00:00:00 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
それぞれの思いの重さはやはりはかり知れないので、

だからこそ言葉を送りもしますし省いてしまうこともあります。

それぞれにどこかで傷つく相手を見失っていることもありましょう。

それを超える糧を知っているのでまた挨拶をし合うのでしょう。
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ぼけ真理。

2010-01-15 22:09:31 | ・おもに音楽。
もう15年以上も前のことマドンナとヒラリー・クリントンをアイドルとしていた4歳年下の東條サンが酔っぱらうのにつき合う席で「あんたって何聴くのォ」と聞かれて思いつき程度にボーカルならリッキー・リー・ジョーンズとかトム・ウェイツとかと口走ると向き直ってあれそれともそれからついでにそういえばとでらでらとタイトルを並べて「であんた何が一番好きなわけ」と締める。私は目をしばたたくのみ。オンガクシリマシェ~ン♪

きょう昼ごろラジオから流れた曲は聞き覚え度の強いものだったが文字も像も浮かばない。こんな浪花節的なのだれだったっけ、ミスチルじゃなくてなんて何でミスチルが出てくるんだとかもやもやしまくって稲葉びーずと気づいたとき、妙になるほどと思った。
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一般論 < ぢぶん。

2010-01-08 02:21:10 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
うらなきに依りうらはらな
うろんなうろにうろうろと

ウリウリガウリウリニキテ
ウリノコサレシウリヒトツ

うらはずかしやうらうらと
ほころぶひかり生きめやも
きみとぼくとのうらあわせ

格差以前に同一志向。障害健常個体差まとめて格差を受容せよ
もとい させられたまえ となるならばかなしき哉すでに神の領域。

金銭補償だけが保護申請や疾病認定を受ける理由のすべてでは
ない。顔を見るだけで気に入らないと言われなければ必要としない
者の数は生活保護のタダドリをも減らすだろうなどと思いつきで想
い顔つきだけで無視される私こそコワいろだけでひとを判断する者。
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テレビを召し上がれ。

2010-01-08 00:46:25 | ・ことばの尻尾踏み。
再生したら大学生男子と障害者の弟のドラマだった。おまえさえいなければと長らくしまい込んでいたひとりごとを男子が声にしたとき、私は義姉の言葉を思い出して義姉の心に涙した。

次に入っていたインディゴの夜第1回を見ようとしたら零時をとうに回っていたのに気づいてやめた。この週5日予約録画を始めたのはその前のXマスの奇跡で予告編を見たためである。高橋かおりは子役のときから気になるひとだった。次が森口瑤子でちょっとうれしい。

しばらくNHKの朝ドラを相当つまらないと思うときも録画し続けていたが現在進行中のは最初のころ私の嫌いな「は?」「はァ?」「はぁぁぁっ?」というその言葉のような顔をして言葉を排する非難が歪ませた顔とともに連発されるのでやめた。 

気に入らないからといったらバラエティーを見られなくなるのが、必要以上に敬い遜って描写していた相手が何か食べるシーンになると突然相手の立場に立って「いただく」になるヤツ。食べ物自体や生産者や提供者に対する敬語と勘違いさせていただくのはクルシイ。

【0109 07:08 視聴後加筆/ インディゴで森口が口を歪ませて「は?」「はァ?」を連発・・・。】
【カシツ/ 勘違いかどうかはともかく、生産者や提供者に対するものではなく、万物の神に対して。と、ナカジマさんに指摘された】 
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続・愛のごいんきょかたぎ。

2010-01-06 21:10:56 | ・本・記事。
愛国軍国少年が終戦時を涙が出るほどうれしく迎えたと連載コラムが書いた2日後琵琶湖畔の世界を世界に敷衍させようとする(なんて言ってないけど)人のコラムが始まった。

大きな気は気の小さいひと弱いひとに見えるもんじゃないかなんてそのとき思ったことってそれとは直接関係ないと思うんだけど。私はどうしてここに住んでいるんだろうなあ。思い出し加筆。文春でイチハシタツヤの相似形を足利尊氏としているそうだ。私なら通天閣のビリケンだなあ。って前ここに書いた気がして探したけどないので書いてみた。
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昨日の日記。

2010-01-05 23:11:45 | memo。
川越で紫いも餃子。ニンニクの入ったあぶらのお菓子って感じかな。帰り際地元駅で寒風のなかビッグイシュー購入。やっと戻れたみたいな。バイニンは一年以上変わらない。これからも変われないのか変わらないのか。そりゃ私か。少し立ち話をしたが噛み合わなかった。互いに耳と頭が少しずつずれているせいかと思う。当方だけか。

世界各地の砂漠化を示す地図を見ることがある。その多くは温暖化に関連する文章に添えられている。少なくとも今号で扱われる砂漠化地域の取材文に温暖化の文字はない。全部読んでないけど。
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