さらばはさらばなびょうへき。(似てるシリーズ?)

2017-04-28 06:09:52 | ・本・記事。


読むのが苦手だからだ。まずはそれだ。それにしても残念だ。一主要人物の一視点が自分の裏返し近似値で気にはなっているのに読み進めなくなった。いっそのこと村上春樹の本だと思えればよかったがそれもまた、まったく無理だ。

はやりうたで他曲のフレーズや歌い手の何かと似ているとその印象が妙に気になって耳にするたびにそこに思いが行ってしまうことはとてもよくあるのだが、うたは勝手にどんどん往ってしまう。本はそうはいかない。別の世界だと言い聞かせるほど似ていることが気になってくる。はじめてのことだけどたぶんびょうへき。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傷つけなきゃいいんだ。

2017-04-27 07:38:35 | ・ことばの尻尾踏み。


いまむらさんのコトバはもっともですが
傷つけちゃあいけないなと言うAB首相
なんだってそうなんだよ傷つけたら駄目
傷つけなきゃいいんだよソンタクしろよ

ありもしないこくみんかんじょう捏造し
あまいあまい憂い顔でソンタク尻尾切り
報道者も同情するのさ傷つけるのは酷い
傷つくなんてあまいあまい幸せなあなた

怒ってる戸を叩いてる生きてる死んでる
事実は事実であるからソンタクに値せず
コクゴは既に道徳なのにコトバを毀して
コクゴをあそんでつくる道徳傷つく明日





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なけてうれしいようなときがある。

2017-04-13 06:41:56 | ・本・記事。





おもしろいから見たいなと片手間に見るTVドラマが主要人物の多さで見続けられなかったことがある。「狗賓童子の島」で人名の波にひょろっと流され、「こんにちは、さようなら」に座礁した。昨日のしごとの余韻を思い出した。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017-04-12 21:41

2017-04-12 21:44:42 | ・ことばの尻尾踏み。




しぬほどあふれることば
ことばが「しぬほどな」のか
「ことばがしぬ」ほどなのか
ほとばしらぬことば
うらがうらにうらがえる
しにゃしにぇえしにゃしにぇえ
いま音が降り出した
ほんとかいなと窓をあけると
雨のように
風かいな
巨大なカエルが対角線を跳んだ翔んだ幻

せんそうをするというのをかんがえる
出かけることだ
むかっていくんだ
ぼんやりあんぜん列島の
カイリだそらだ海岸線だと

ふりおちるとは考えまい
そこにどこにまさかここに
まさかあそこに







───

無関係告知・劇団もっきりや今月公演






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「国民を不幸にするオリンピックはせぬがええぢゃろ」とは。

2017-04-07 08:39:53 | ■だらだら。



よく知らないが立候補ロビーイング時点から、憂慮はまさか的に自沈した。「オリンピック」はまさにAB手法。祝祭圧力。
国政の本末転倒の本がたぶんすでに違うから違うのが正しい。言えないことは、正しくない。
なぜ正しいABしかいないのかまさかだれも知らないのかだれもが知っているのか。


えええっ そおなの?そおなのおおおお
ってキモチでSはひさびさの荘厳2行メールを私にとばしたのだろう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

似てるでシリーズ。   加筆(写真も加筆時添付)

2017-04-01 17:58:51 | ■だらだら。
(沈黙)

映画を見たいと思うことがなくなっていた。これからもそうだろうって気がする(対象は映画だけではないから)。
日本人役者、男たちを見たかった。3時間どころか20分で溺睡てのも覚悟していたら、あら終わっちゃうのね、だ。どんな出方をするのか考えもしなかったから、まずその一人が出てきたときは、早すぎるだろと思った。
というか、開幕パードレの一人が窪塚を間延びさせたような貌に私には見えてしかたなかった。
次いで幾度か出てくるイコン画のようなキリストのかおが、また私にはだが、窪塚に似て見えてしかたなかった。
おまけにこいつ──どのこいつだ?──は思いがけず、(原作は昔読んだが覚えているはずがない私。)まさかここに出てこないよね、というところで必ず出てくる。

たしか太陽とか何とかという映画で天皇を演じた役者のイノウエは口調もかおも勝手に浮かぶのであまり見たくなかったがそんなに悪くなかった。
加瀬亮が短かった。浅野忠信の昔の風貌だけが好きで遥か経ってのALIFE存在感で見直したが通詞役はいまいちだった。塚本晋也はNHKで宮沢賢治を朗読していたのもオーバーラップして聖人すぎた。ほかにもいろいろいたが忘れた。長すぎる映画がみじかすぎた。

書いているうちに何が書きたかったのかわからなくなる。いつものこと。
でも何か書きたかったのさ。
朝刊に、明るい日記を書いていた尼僧たちは暗い日記を書いた尼僧たちより10年長生きしたと書かれていた。その新聞は、放射能なんか気にせず笑っている人にそれは及ばないと言ったお偉いさんを揶揄する。私が書きたくなるとき、明るいことはほとんどない。明るいときはただ明るくしときゃいいんだ。

暗いことしか書けない人が長生きできないのは、事実なの、かもしれない。だからといってその人がウソ明るい日記を無理に書いたらもっとずっと早く死ぬか無意味かだ。と思う。

明るいほうが楽しいのだろうさ。
ポジティブシンキング、できればそれにこしたことはない。



ポジティブシンキングと映画は関係ありませんべつだん。




私は間違ってくだらないレビューを三つ続けて見てしまったのでそれ以上見ていない。プログラムも買わない。窪塚がメタファー。


映画のラストにスコセッシ名義で──忘れたけどたぶん日本のクリスチャンに向けての言葉があった。クリスチャンに向けてではあったが、これからの日本に生きるひとに向けられたように感じて微かに竦む身があった。






─── ↓↓2019-03-01↓↓ ───

BS録画で彼に心動かされた団員たちの言葉に心動かされているなかに

 … 佐渡さん ABさんに似てる

がちらつく。
自分たち(団員それぞれの自分)がこの音世界をつくりあげていると感じさせるという(←オモイダセマセンガタブン)、日本人コンマスの感想もしくは評価に、ばかばかしくもつい、国とか宰相とかへの思いがダブってしまう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする