(沈黙)
映画を見たいと思うことがなくなっていた。これからもそうだろうって気がする(対象は映画だけではないから)。
日本人役者、男たちを見たかった。3時間どころか20分で溺睡てのも覚悟していたら、あら終わっちゃうのね、だ。どんな出方をするのか考えもしなかったから、まずその一人が出てきたときは、早すぎるだろと思った。
というか、開幕パードレの一人が窪塚を間延びさせたような貌に私には見えてしかたなかった。
次いで幾度か出てくるイコン画のようなキリストのかおが、また私にはだが、窪塚に似て見えてしかたなかった。
おまけにこいつ──どのこいつだ?──は思いがけず、(原作は昔読んだが覚えているはずがない私。)まさかここに出てこないよね、というところで必ず出てくる。
たしか太陽とか何とかという映画で天皇を演じた役者のイノウエは口調もかおも勝手に浮かぶのであまり見たくなかったがそんなに悪くなかった。
加瀬亮が短かった。浅野忠信の昔の風貌だけが好きで遥か経ってのALIFE存在感で見直したが通詞役はいまいちだった。塚本晋也はNHKで宮沢賢治を朗読していたのもオーバーラップして聖人すぎた。ほかにもいろいろいたが忘れた。長すぎる映画がみじかすぎた。
書いているうちに何が書きたかったのかわからなくなる。いつものこと。
でも何か書きたかったのさ。
朝刊に、明るい日記を書いていた尼僧たちは暗い日記を書いた尼僧たちより10年長生きしたと書かれていた。その新聞は、放射能なんか気にせず笑っている人にそれは及ばないと言ったお偉いさんを揶揄する。私が書きたくなるとき、明るいことはほとんどない。明るいときはただ明るくしときゃいいんだ。
暗いことしか書けない人が長生きできないのは、事実なの、かもしれない。だからといってその人がウソ明るい日記を無理に書いたらもっとずっと早く死ぬか無意味かだ。と思う。
明るいほうが楽しいのだろうさ。
ポジティブシンキング、できればそれにこしたことはない。
ポジティブシンキングと映画は関係ありませんべつだん。
私は間違ってくだらないレビューを三つ続けて見てしまったのでそれ以上見ていない。プログラムも買わない。窪塚がメタファー。
映画のラストにスコセッシ名義で──忘れたけどたぶん日本のクリスチャンに向けての言葉があった。クリスチャンに向けてではあったが、これからの日本に生きるひとに向けられたように感じて微かに竦む身があった。
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BS録画で彼に心動かされた団員たちの言葉に心動かされているなかに
… 佐渡さん ABさんに似てる
がちらつく。
自分たち(団員それぞれの自分)がこの音世界をつくりあげていると感じさせるという(←オモイダセマセンガタブン)、日本人コンマスの感想もしくは評価に、ばかばかしくもつい、国とか宰相とかへの思いがダブってしまう。