IKKO氏が韓国名誉観光大使に。

2009-02-28 08:26:37 | ■だらだら。
猫+猫+カワイイ日の丸大使よりはすてきなかんじだ。
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雑誌の写真その2。

2009-02-27 23:12:56 | memo。
R国とC国との内情リポートに添えられた写真にひとこと・おしゃれじゃん。
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白椿の寂寥。

2009-02-23 09:30:20 | ■だらだら。
オチャと同時に音訳もとうぶん休むことにした。広報類はともかく資料(書籍類のこと)としては2冊目にしてとりあえずの最後となったのが白洲正子のエッセイだった。数冊がランダムに置かれている中から選んだ理由は、ほかのものが英文解説本や図説多載本などで初心者には難しそうだったから。

彼女のエッセイを読んだことがある。あまりにも造詣に遠い私だからこそ、さっと読めたのである。それ一冊のみだった。ずいぶん昔だ。

調べる単語の数に際限のなさを覚えるものしらずがやっとたどり着いた録音では一文ごとに録り直し、情けないし仕事を侵すし返上しようか今さらと数度迷った「エッセイ」。校正は重鎮にご担当いただき、厳しく正しい指摘もいただきながら、大変難しい本を御苦労様でございましたとの最初の言葉に、音訳対象として難しいと言ってモラエル本であーよかったとほっとする気持ちが次回に続かぬ身には勝つ。


昨夜録画した教育テレビの番組を先ほど見た。選んで使われた白洲正子の写真は、それだけで言葉にできないちからを放つ。テレビの向こうにあるオキーフの写真に一瞬目が動いた。

エッセイのなかで印象に残ったのが自分が女を舞うことについてだった。彼女は能を舞う男に、まずなる。その男が女を演ずる。それは、そのときにもすっと入り得なかったし手元に既に本もなく再現できないが、簡潔な字面で複雑なその綾を表していた。

ドキュメンタリーの主人公と正子はだれよりも生きながらそれぞれに死の世界と向き合っていた。彼は彼女の両性具有を言う。それは魂の交流を感じたひとの確かな視座においてのことではあるだろう。

私は少なくともそのエッセイに女性を強く感じていた。ひとつのことを掘り下げる思いは袂に込めひとつから永遠へ咲きほころんでゆく。知か生か。随所に炯眼を閃かせながらふと気づいたように収束していく各段は謙虚とも曖昧とも詩的ともちがう。
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0<-≒すまいる。

2009-02-22 22:17:07 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
数年前、おかねがないってことがわからないひとがいる。と、さる場所に書いたときYさんはコメント欄におかねがないってことはないってこと以外に何か意味があるかという旨の一文だけ残した。

明日はあっても今日はない場合
投資した億の金の配当が僅少の場合
そんなものにおかねを使いたく・ない場合
その他いろんな意味でひとはおかねがないと言うことをYさんは知らないひとではないと思う。

ただ、そう書く私の心ばえに不快感を覚えたのだろうと私はそのとき理解したが、また、Yさんは百円硬貨1枚でもおかねが実際あるのにないとは決して言わない数少ない人ではあるのだ多分。

おかねがないってことはないってことだということがわからないひとは意外に大勢いることに私は近年気づいたのである。そういうひとたちは自分の財布の中身は変わらないのに自分の不景気分析不安を仲間とその他に煽りたて不景気を加速させる・その目的は。なんて思う。

最初に書いたおかねがないってことがわからないひとにとって、ほんとうにおかねがないひとなんて殆どおとぎばなしの中のことであって、そういうひと(前者)がうつくしい世界をつくっているのは否めないのである。

最初に書いたおかねがない云々の話は私の知り合いのことを説明していたときだ。そのひとは実はおかねが「ない」のではない。毎月利子を払い続けるマイナス生活である。払ってもマイナスは増える。

それでもいまだに・というのもなんであるが・そのひとのカードは1枚ではある。

リーフレットを開くと花が開く。使えるおかねは無限にある。不安が身を隠す。こっちで有限を見たらあっちのカードを使う。別の花を開く。

スマイルポイントを「ためる」ことをがんがん勧めるリーフレット。ポイントの「使いかた」がぱっと見には見当たらないが、使えるほどたまっちゃったら生きているのか。それはそうさ、ためちゃった客に責任がある。
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かけがいのないくらしを。

2009-02-19 08:09:27 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
■掛け買いの。


──────
【2009-03-03 08:21】
じょおくにならん
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おうち。

2009-02-18 23:48:53 | memo。
おうちの中におとなはいるかな。子供のお部屋はやたらな区分で追い立てられておそとのカメラは防犯凌駕。

各自ときどき過ごすおうちではおとなとこどもが教示確執慰撫戦いあれこれとお手伝いもし合うけど、ふだんはそれぞれ同士で忙しい。そういうのがいいなあ。


──────
おうちにもシゴトにもおそとがある。よそゆきの顔は要る。政治の場にはおそとはあるかな。自分のおうちのようにそこを感じているひと たち のおそととか公はどこにあるのだろう。
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一瞬。

2009-02-13 19:02:44 | ・ことばの尻尾踏み。
ふんだりけったりやまぬ揺れ。
常ならとまらぬ人生訓な活字が誘う。
それでわたしは街角でオレンジピンクの花を買い
あらありがとうと不思議な顔をひとにさせ
それからわたしは帰り道せぶんいれぶんばれんたいん
淡いピンクの小箱380円でごみ集め中の破顔をもらう。
だって人生訓な活字は言ったスペインの諺
花を贈るのではないその一瞬を贈るのだ。
それでわたしは言う。
贈るのだその一瞬が包む一瞬をわたしに。
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てつづき。

2009-02-10 23:36:20 | ・本・記事。
半年以上前かラフな鼎談番組で滋賀県知事が「私が決めたんじゃありませんて議会で言っちゃったんですよね、言っちゃいけないことを」と言い、高知県前知事が「え゛、言っちゃったんですかァ」と笑う場面があった。変革子でも執行部に入れば既成の過去を我が事として対処する。長い手続きの末端に私その他はいる。

錯誤を笑い糾弾する者界も含め、ここ十余年の公言者の語彙力の低下はひとりの話ではなく、ミゾウユウごときを連呼する芸のなさが未曾有な現象に映る。きょう待合室で見た週刊誌(1月末発売の先週号)で麻生内閣の評価を問われて「それだけが悪いのか。総理大臣のために周りが協力すればいい」というようなことを答えていた17歳のミス日本も私と似たものを抱くだろうか。 釈明はあったが、今回の郵政に関する首相発言で印象づけられる現国政執行者→←界の体質。
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