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京都の街並みはナスカの地上絵にも負けない?

2023年04月26日 09時00分00秒 | 雷日記

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 先日、京都に行った時に土産に「伊勢源六たちばなや」さんの「きんつば」を買いました。買って良かった!と思ったのは包装紙が京都の古地図であったのです。この「たちばなや」さん、1708年の宝永五年の創業だそうで、1007年の富士山 宝永火口の噴火の翌年です。この古地図に現在の地図記号でいえば、JRの線路のような交互に白黒に塗られた線が京都の中心部を囲っているのです。思い付くのは「万里の長城」のような「土塁」かと思って、「京都 土塁」で検索しても答えは出ず、たちばなや屋さんに電話をして尋ねると、「御土居」と言う囲いだそうで、京都市情報館によると次のように紹介されています。

「御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。」

 京都に住む方なら常識でしょうが、流石、京都であると、その歴史に驚きました。 また、この地図では碁盤の目のような区画がしっかりと記され、今でこそ建物があるので道路など当たり前のように見えますが、現在のようにレーザーを用いた測量機器も無かった時代に、このような平行線とそれに直角に交差する道路を一体どのように作ったのか? 建物を消去して上空から見たら、この街並は、ナスカの地上絵にも負けないでしょう。

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