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初めての集団的自衛権の行使

2014年07月15日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。

日本の戦争と言えば日清、日露、太平洋戦争が有名ですが、実は、第一次大戦にも参戦していて、それは今話題の「集団的自衛権」によるものです。外国からの要請で日本海軍を最初に派遣したのは1917年、ドイツ潜水艦に困った英国からの要請で巡洋艦「明石」と8隻の駆逐艦が地中海に、その他インド洋、太平洋にも3艦隊が派遣されたのです。日英同盟【1902年~1927年】を結んでいる英国からの要求に応じて海外派兵を行った最初のケースです。中でも、地中海での戦いなど日本には直接関係しないでしょうが、これが大活躍であったのです。

陸軍にも派遣要請がありましたが、「日本の国益に関与しない外征は行わない」ということで、拒否し続けました。日本陸軍は、第二次大戦の後はまるで悪役扱いですが、この時の判断は立派です。平和憲法、憲法第9条など無い時代にも筋を通したのです。これで分かるように集団的自衛権の行使は単なる権利であり、これがそのまま戦争参加にはならないという良い前例があるのです。海軍が応じたのは、ドイツを打ち負かした後、ドイツの有するアジアでの権益を受け継ぐという密約で参戦したとのことです。

派遣された日本海軍の任務は輸送船団の護衛でした。日本海軍に護衛され、連合国側はアフリカにいた兵員をエジプトからフランスに送り込むことに成功し、西部戦線での劣勢を挽回できました。映画「西部戦線異状なし」での膠着状態を破った陰に日本海軍がいたのです。

地中海に派遣された日本海軍はマルタ島を基地に地中海での護衛に当たり、Uボートの犠牲になった船舶の多くの乗組員を救助したそうです。当時、護衛はするが救助はしないのが欧州での常識でした。たとえUボートに沈められ救助を待つ乗組員がいても、救助していては自分が次の犠牲になるので救助はしないのです。しかし、日本海軍は自らの危険を省みず決死の救助活動を行い、これで日本海軍への評価は高まり、日本海軍への護衛依頼が殺到したそうです。日本海軍の士官は、イギリス国王ジョージ5世から叙勲までされています。

しかし、この勇猛果敢な活動の結果、78名の戦没者を出しました。戦没者のための慰霊碑が、マルタの当時のイギリス海軍墓地の中の一等地に建立されました。イギリス海軍は、日本海軍の活躍を非常に感謝していたのです。この慰霊碑は、第二次世界大戦時のドイツ軍によるマルタ包囲作戦で爆撃を受けて壊れてしまいましたが、1974年新しく慰霊碑を作り直して復元されたそうです。こういう立派な御先祖様の話は代々伝えていくべきです。第二次大戦以前のものはすべからく悪であると言う認識は間違いです。

日本に直接の影響があっても無くても、同盟の下の約束はキチンと果たす。あるいは、国益に益とならないことには関与しない。どちらにしてもこの頃の日本は立派でした。

最近の集団的自衛権に対する議論、日本に直接的な影響が及ぶ場合とか及ばない場合とか、重箱の隅をほじくり返すような小粒な議論ばかりです。条約で約束すれば当たり前のことを何を身勝手なことを議論しているのでしょう?日本海軍の派遣は、海軍省が独自に決めたのでしょうが、この頃は議論が少なすぎ、現在は無駄な議論が多すぎのように見えます。今回の集団的自衛権の議論の中で、このような過去の例にも学ぶべきです。

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