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艦長として観艦式に参加すること〜2019年度観艦式中止に伴う一般公開

2019-10-18 | 自衛隊

観艦式中止に伴う艦艇一般公開の様子をお伝えしています。

艦橋を見学し、上甲板階に降りてくるとおなじみ艦長以下幹部の写真。
ところで先任伍長のバックは旭日旗のどの部分?

外国海軍の記念盾コーナーらしく、アメリカ、インドネシア、カナダ、
それからインド海軍の艦艇や都市から贈られたものが並んでいます。

左上の記念銘板は空母「セオドア・ルーズベルト」のものです。
この空母の形のプレートは米海軍の空母のスタンダードで、
「ミッドウェイ」艦内でも見たことがあります。

金属プレートのしたに書かれた「ルーズベルト」のモットーは、

”Speak Softly and Carry α Big Stick"

「大きな棍棒を携えて穏やかに話す」

これはもともと艦名となった大統領セオドア・ルーズベルトの

「棍棒外交」

と呼ばれる当時の外交方針を表した言葉です。

ルーズヴェルト政権ではこの政策に基づいて、カリブ海域の
「慢性的な不正と無能」に対してアメリカの武力干渉を正当化し、
海上兵力を背景に南米地域での権益を確保し、
ヨーロッパ諸国の干渉を排除するというアメリカ帝国主義を実行しました。

というわけで、どこかの国なら軍靴の足音が聴こえる的な
今時穏やかでない文言ですが、この名前を戴く空母は
アメリカにとって

「大きな棍棒」

であることに違いはないので、モットーとしてはありかもしれません。

そういえば、わたくしこの「ふゆづき」が引渡しされ、
自衛艦として誕生した瞬間を目撃しているんですよね。

忘れもしないあれは三井造船玉野、大変な豪雨の日でした。

あの時に雨に打たれていた「ふゆづき」初代艦長や初代副長、
乗員の皆さんの様子はまだはっきりと覚えています。

海上自衛隊儀礼曲 「海のさきもり」 護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式

この歴代艦長を記したパネルの前を通りかかったとき、
その日付を確認したら、2014年3月、なんと5年も前のことでした。

この時に副長だった方はその後呉で陸上勤務をしておられましたが、
今年の練習艦隊で飛行学生を乗せた練習艦の艦長となられ、
中国で行われた観艦式に参加しておられました。

艤装艦長、初代艦長は調べたところ現在ここ横須賀の
実験艦「あすか」の艦長をしておられます。

5年という月日は自衛官の配置にとっても大きな変化があります。
5年前と同じところで同じことをしている、という自衛官は
特に幹部ではあり得ないといっていいでしょう。

「ふゆづき」甲板から海を眺めると、何隻もの釣船が浮かんでいました。
連休ということで、どの船からも釣り人が糸を垂らしています。

「ジャマーランチャーとは投射型静止式ジャマーを
目的場所に投射する装置です」

ジャマーとは定位置で音を発し続け、海中で
音響探知型の魚雷を妨害する装置のことです。

ジャマー(jammer)はジャミングするものの意で、
文字通り「邪魔するもの」です。

「邪魔」の語源は邪な悪魔のことですが、
「ありがとう=オブリガード」のように、意味が一緒で
発音も似ている偶然の一致ってあるもんなんですね。

観艦式が行我たらここについ座ってしまう人もいるに違いない、
という予想のもとにわざわざ舫の籠に張られた注意書き。

舫も籠も観艦式に備えて新調したらしく、ピッカピカです。

それにしてもバランスボールのような絶妙のこの形と大きさ、
艦内で落ち着く場所がなければ、つい座ってみたくなる人はいると思う。

ところでいつの間にか「ふゆづき」から「さみだれ」に移っていました。
「さみだれ」はわたしが初めて個人的に艦艇見学をさせてもらった
思い出の護衛艦です。

艦内を回っていたとき、オトーメララの発射速度
(55-65発/分)を聞いて、何も考えずに

「さみだれ撃ちですね!」

と脊髄反射でツッコンでしまい、案内してくれていた艦長に
聴こえないフリをされたというほろ苦い思い出のある艦でもあります。

というわけで「さみだれ」から隣の「ありあけ」に移動です。
「さみだれ」のマークは「Mighty Pegasus」

「ありあけ」も艦橋はじめ艦内を公開していました。

雨が降っているので見学者にもしもの事故が起こらないように、
艦橋内は分刻みで床を掃除していました。

例えば艦内各部の出っ張りに黄色と黒のテープを貼ったり、
赤いリボンを結んだりするなど、目に見えている以上に
自衛隊という組織がどれほど一般人の安全に配慮しているか、
そんなことを知ることができるのも一般公開ならではです。


三連メザシの端っこの「ありあけ」艦橋から見た前甲板。
ちなみに今回の観閲式で、彼女らは受閲艦隊として参加する予定でした。

先導艦「あさひ」受閲部隊旗艦「かが」につづき、護衛艦群は

「はるさめ」「さみだれ」「ありあけ」「あたご」「ふゆづき」

「ちくま」「やまゆき」「はたかぜ」「しまかぜ」

続いて補給艦などが航行します。

「ありあけ」の艦橋横のデッキにあった見張要表なるマニュアルです。
こんなパネルがデッキにあるのを初めて見たような気がします。

右下の、「艦型の距離に対する分画表」というのは、
自衛艦の型(つまり大きさですね)によって「分画」が変わってくる、
と理解すれば良いのだと思いますが、それにしても分画って何?

この日いくつか艦艇の内部を見学しましたが、
艦長室を公開していたのは「ありあけ」だけでした。

ベッド毛布のたたみ方まで見られてしまうので、
艦長によっては公開を嫌がる人もいるかもしれません。

自衛艦で唯一、一人でお風呂にゆっくり浸かれるのが艦長です。
この感じだと手足を伸ばしてのびのびというわけにはいきませんが、
それでも船の上でこの空間はとんでもない贅沢。

あまり奥まで見るのは憚られたので確認しなかったのですが、
身体は右側の簀子の上で洗うんでしょうか。

艦長室は自由にものを置くことができるので、そこには
おのずと艦長のご趣味とか人柄みたいなものが透けて見えます。

この部屋のポイントは、艦長さんがこれまで交流した
国内外のネイビーとの間で交換されたチャレンジコイン。

チャレンジコイン、わたしもこれまで交流した日米海軍関係者から
それなりにいただいてコレクションしていますが、さすが
艦長ともなると所蔵の数は比較になりません。

チャレンジコインは各々の部隊章やモットーなどが刻印されており、
ごく親しい友人や部隊を訪問したVIP等に手渡されます。

わたしがもらう場合は後者の条件に当てはまりますが、
コインの正式な渡し方、

「握手をする右手に隠し持ち、握手をした瞬間相手の掌中に渡す」

というサプライズ演出で渡されたことは、残念ですが
今まで一度もありません。

実際に目の前でこれを見たのは、練習艦隊の艦上レセプションで
当時の練習艦隊司令官だった真鍋海将が下艦の際挨拶した
unknownさんに握手のついでに渡したときです。

片方に全くその予想がないと、このサプライズはしばしば
失敗し、コインが転がり落ちることもこのとき知りました(笑)

チャレンジコインの大きさは大体直径4センチくらいですが、
手渡しの時手からはみ出るような大きさのものもあります。
(この写真では前の方に並べられていますね)

なぜ「チャレンジ」と呼ぶかというと、兵士たちがチャレンジと称して
バーなどで仲間同士でコインを持っているかチェックしあい、
持っていないと罰としてその場にいる全員に酒をおごる風習からです。

河野防衛大臣は就任してすぐ在沖アメリカ軍のクラーディ4軍調整官と面会し、
そのときにチャレンジコインを渡されています。

艦橋から降りてくると、幹部の写真コーナーが。
なるほど、先ほどの寝室の主がこの方ね、と思い写真を撮って
その後甲板に出ると、そこには・・・・

ご本人がおられました。

一緒にいた知り合いとしばしお話しさせていただいたのですが、
興味深かったのは、艦長が、今回観艦式が中止になったことを
ても残念がっておられたことです。

「艦長として観艦式に出る機会は、自衛官にとっても
一生に一度あるかないかなんですよ」

海軍では海軍兵学校1号(最高学年)とともに艦長は
「夢の配置」と言われたそうですが、海上自衛隊でも
楽しいこれらの配置、(防大4年が楽しいかどうかは知りませんが)
艦長職の任期はせいぜい1年間です。

その間に三年に一度の観艦式が巡ってきて、しかも、
自分の乗っている艦が観艦式の参加部隊に選ばれる、という
大変低い確率を経て初めて、艦長として観艦式に出られるのです。

わたしたちは今回のように天候で中止になったとしても、
生きてさえいれば()次の観艦式に参加することができますが、
各参加艦艇艦長にとっては、最初で最後かもしれない機会が
今回天候不順によって奪われてしまったということになります。

ただ、朗報は、外国艦艇も参加しての事前訓練だけは
無事に行われ、海上自衛隊に経験値がまた蓄積されたことでしょう。

さて、船越で公開されている艦艇の見学が全て終わりました。
出口に向かう途中で「ちよだ」の前を通りかかると、
先ほどは閉ざされていた扉が開けられて、中から
DSRV(しんかい救難艇)が頭を見せていました。

開発群の建物の前には、初代システム艦である
「たちかぜ」の錨が展示されています。

「たちかぜ」は2007年に退役し、標的艦となって八丈島海域に沈みました。

反対側には海上自衛隊初の試験艦「くりはま」の錨。
現行試験艦「あすか」の前級となります。

多用途支援艦「えんしゅう」を見ながら船越の岸壁を後にする頃には
雨はなんとか止んでいました。

この後わたしは逸見岸壁の見学に向かいました。

 

続く。

 

 



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3 Comments

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システム艦 (Unknown)
2019-10-19 07:15:40
「システム艦」なんて、すごい言葉をご存知ですね(驚)

「たちかぜ」が出来た頃(昭和46年度建造)は、今で言うイージス。当時のターター艦だけが「システム艦」でした。護衛艦隊の編成は「はるな」型「たかつき」型に「くも」クラス、先代の「あめ」「なみ」クラス。先代の「あめ」「なみ」クラスなんて、海軍の特型駆逐艦にソーナーやヘッジホッグが付いたくらいの旧式艦でした。

システム艦というのは極論すると、ディジタルコンピューターで武器を制御する船です。当時は64KのRAMで、今で言えばおもちゃ以下のスペックですが、それでも冷蔵庫二個くらいの大きさでした。とは言え、大勢でわさわさ言いながら主砲を動かしていたのが、ボタン操作になったのはビックリ仰天でした。

「はつゆき」型(昭和52年度建造)以降、すべてシステム艦になり、今ではもう「システム艦」なんていう言葉そのものなくなってしまったんだろうと思います。

「たちかぜ」もそうですが、その前の最初のターター艦である「あまつかぜ」は乗員も、ちょうど海軍でいう「大和」乗員のように、最新鋭艦であるという「誇り」がありました。ちょうど、この特別公開の前の夜に昔の仲間と反省会をやっていて「あまつかぜ」の話が出ました。

艦長室ですが「一般公開」モードだと思います。当たり前ですが、航海中は動揺するので、ほとんどのものは片付けます。チャレンジコイン等寄贈されたものはいわば船の歴史なので、異動の際には船に置いて行きます。なので、段々と貯まって行きます。

分角なんて、コアなところに目が行きましたね。分角というのは1キロ先にある高さ1メートルのものを見る角度で、ざっくり言うと、360度を6400で割った角度(0.056度)になります。

自衛隊の双眼鏡には、この分角の目盛が切ってあります。自衛隊の船であれば、マストのヤードや艦橋の高さがわかるので、海面から何分角に見えるかを双眼鏡の目盛で測れば、距離が計算出来ます。レーダーがない時代には、これしか距離を測る術はありませんでした。

「ありあけ」の艦橋の高さは14.6メートルなので、14.6分角の高さに見えるものは、ちょうど1キロ先にあることになります。

編隊航行、特に単縦陣の場合、前の船との距離は大事なので、操艦者はレーダーを一々見に行くと手間隙が掛るので、双眼鏡で前の船を見て、自分が早過ぎるのか遅いのか見当をつけ、速力を増減(赤黒)します。

釣り船にはビックリです。あの向こうは弾薬庫です。米軍基地でやると機銃付の警戒船が出て来るので、釣り船も近付きませんが、自衛隊は追い払わないので(怒)
試験艦「くりはま」 (お節介船屋)
2019-10-19 10:26:16
昭和53年度計画で、技術研究本部予算で建造された初の専用試験艦でした。魚雷等の研究開発のため静粛性を要求され、ガスタービン発電機で低速航行が可能な補助電動推進装置が装備されていました。艦型が小さく能力的に限界がありましたがさまざまな試験に従事しました。佐世保重工業で昭和55年4月8日就役、平成24年4月6日除籍
要目基準排水量950トン、全長68.0m、幅11.6m、吃水3.0m、主機デイーゼル2基、2軸、2,600馬力、15kt、乗員40名
参照海人社「世界の艦船」No869

佐世保重工業ですが駆潜艇、輸送艦等を建造しました。佐世保市の大産業会社であり、ほぼ施設等は海軍工廠のままで経営陣も旧海軍が色濃く反映していたことや労働組合も会社と共にあり、数度倒産の危機がありましたが、ちょうど「くりはま」建造時、オイルショックで造船受注が激減し、当時の辻一三市長が福田首相や経団連に陳情して、来島ドックの坪内寿夫社長に経営される事となり、リストラ、賃金カット、残業カット、来島グループの人員導入、幹部来島方式教育等矢継ぎ早の経営刷新がなされ、労働争議も頻発していました。この辺の事情は小説「会社再建」の題材のもなり、映画化もされました。
大変な改革でした。原子力船「むつ」の改造等も絡み政治的と批判されましたが、この坪内グループの改革がなければ倒産していたとも言われています。
その後来島ドックも停滞し、その傘下から離れましたが補助金不正受給事件等も起こして、現在は名村造船所傘下となっています。佐世保市の大企業であり、佐世保市の命運を握っている企業でしょう。
海自の艦艇の建造は輸送艇2号を平成4年に就役させて以降ありませんが、海自、米海軍の母港造船所として修理、検査実施をしているものと思います。海自にとっても重要な造船所ですが現在三菱造船、川崎重工業、三井E&S造船等も造船受注が著しく減少し、四苦八苦の状態となっており、韓国の造船所の過大な政府援助での低価格受注をWTOに提訴して数年、将来が見えない状況と思います。
Unknown (tekkaojous)
2019-10-19 11:30:44
通常の公開に比べて人が少なく、のんびり見られるので、各艦でついつい長居をして、船越だけで時間切れになったのですが、あちこちでプレゼントを頂いて(ふゆづき艦長に乗艦券にサインをお願いしたら、御礼どころかさらにファイルや写真を頂き)各艦で三次元バーコード付きのトレーディングカードのような物を配っていましたが、そのチャレンジコイン……以前かしま先任伍長から頂いて、先任伍長バージョンもあるのだと知りましたが、ありあけで立ち話した先任伍長が「予告サプライズ」でコイン入り握手をして下さいました。これは最大級のご厚意だと有り難く思いましたが、幹部の方々はそれなりに切り替えてにこやかでしたが、海曹君たちに「お早うございます」と目を見ながら声をかけると、常なら皆さん威勢よい返事が返るのに、少し声が細くて合った目の視線がポトンと落ちる人がちらほらいたんですよ。疲労ばかりじゃなくて(疲れだけとは表情が違う)やはり準備に長いこと精根込めて、あれだけ頑張って帰ってきたのに、致し方ない事情とはいえ中止は寂しくて凹んでるのか………と切なくなり、自分の悔しさはその分薄れていきましたね。
艦長歴の長い方でも、不思議と観艦式に縁のない方はいますね。かと思うと黒木1佐みたいに先導艦(ゆうだち)艦長の次は祝砲(しまかぜ)艦長と、美味しいスポットライトを連続ゲットした方も。

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