ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成28年度自衛隊遠洋練習艦隊出港

2016-05-23 | 自衛隊

練習艦隊とは、帝国海軍の昔から初任幹部の訓練のために、
江田島卒業後約半年の遠洋航海にでる艦隊を称します。

この練習艦隊を英語で言うとTraining Squadron、つまり「練習戦隊」
ということになるのですが、日本では昔からこれを「艦隊」と訳します。

海軍の昔から同じく、江田島の幹部候補生学校の過程を終了し
帽振れで送られた初級幹部たちは、まず近海練習航海によって
大阪、佐世保、鳥羽沖(伊勢神宮がある)、大湊、舞鶴と
旧鎮守府のあった基地に投錨しながら、各地での寄港・歓迎行事と訓練を
重ねて遠洋航海に必要な基礎と礼式、マナーなど、幹部として必要な
素養の数々とシーマンシップを身につけていきます。

水交会で行われる壮行会は、それらがすべてすんで、遠洋航海への
出港地である晴海や横須賀において行われる最後の激励行事の一つです。
初級幹部たちは、まず水交会の敷地内にある東郷神社に拝礼を行い、
遠洋航海の無事と目標の達成をを祈念するのです。



壮行会には水交会の会員と自衛隊の司令官等高級幹部が出席します。
水交会の主催ですので、会員は会費を払って参加する形です。

車を敷地内に停めて時間ちょうどに会場入りしますと、
会場はこんな状態。
ガラガラのように見えますが、ここに実習幹部たちが入ってくると
立錐の余地もなくなるのです。

開始時間になりましたが、実習幹部は東郷神社の参拝を行っている
ということで、少し待つようにというアナウンスがありました。



暇なので廊下のポスターを見たりして時間を潰します(笑)

「水交会は海上自衛隊の支援が第一です」

そうだったのか・・・・って当然そうですよね。
水交会は明治年間に海軍省の外郭団体としてできた「水交社」が
戦後名前を変えたもので、当時は旧陸海軍の残務整理を管轄していた
厚生省所管による財団法人「水交会」として設立されました。

ここ原宿の東郷神社境内の水交会館に本部が移ったのは1969(昭和44年)です。



 「我軍占領栄城湾上陸之図」

明治28年(1895年)1月20日、前年の11月に旅順を占領していた日本軍は、
清国艦隊(北洋艦隊)の拠点である威海衛の攻撃を行うために
海路山東半島に進み、栄城湾からの上陸を行いました。

軍艦からボートに乗り換えて上陸を行う日本軍兵士たちの様子が描かれており、
右下の岩礁と波間には中国兵のものらしい屍体が見えます。
当時何枚か発行された錦絵の一つです。
これが現物なのか複製なのかはわかりません。



程なく練習艦隊司令官岩崎秀俊(防大31期)海将補を先頭に、
実習幹部が入場してきました。
入場音楽は「海をゆく」、退場は「軍艦」と決まっているようです。



まだ全員の入場が終わっていない段階で、
肩章の金線も真新しい新少尉たちがイモ洗いです。



水交会会長のあいさつ、練習艦隊司令官の決意表明が行われております。



場内の来賓及び自衛隊幹部の紹介。
武居海幕長は名前が呼ばれて皆が振り向き拍手をすると、
「あ、もういいです前見てください」というように手を振られました。
 


そして乾杯。
用意されていた飲み物のための氷はなんと南極の氷!
これでオンザロックなど飲んだらさぞ美味しいのであろう、
と全く飲めないわたしはウーロン茶を飲んでひとり頷くのでした。



そして歓談・会食の時間・・・・・・・
となったとたん、テーブルを囲んでいた新少尉たちが食べ物に殺到。
当分テーブルに近づくことはできないとあきらめ・・・、



例の海軍カレー本舗、調味商事が開発した「水交会オリジナルカレー」。
単に海軍カレーをここではそう称しているだけなのではないか?
といううっすらとした疑惑も感じないでもありませんが、
それはともかく、せめてこれだけでも食べて帰ることにしました。


 
結局このカレー一皿とウーロン茶2杯が、わたしがここで口にしたものの全てでした。
念のため帰る前に見てみたら、全ての食べ物が綺麗になくなっていました。
青少年の食欲恐るべし。 

余談ですが、わたしがここで実習幹部の行く末を励ます会に参加していたとき、
後から思えば横須賀の料亭「小松」はまさに火事によってその姿を永遠に
この世から消そうとしていたのでした。



そしてその週末の朝、わたしは横須賀駅にいました。
今回の練習艦隊出港には正式なご招待をいただいていたわけではないので、
水交会の壮行会だけ参加して彼らをお見送りする予定だったのですが、
急遽横須賀基地での出港行事(自主)参加のお誘いが入ったのです。



例年晴海埠頭で行われる練習艦隊の出港ですが、今年は横須賀地方総監の
速水岸壁からの出港です。
この変更にも色々と理由があるようですが、昔は横須賀出港が基本だったそうです。

おなじみ「かしま」以外に練習艦隊を組むのは
TV-3518 せとゆき・DD-151 あさぎり。
「かしま」のうしろにひっそりと繋留されているのは「せとゆき」です。 


わたしたちが到着した時には「かしま」には実習幹部たちの家族の姿が見えました。
出港前に実習幹部が家族や恋人に艦内ツァーを行うのも恒例です。

なかには地方から来て荷物を預けることができなかったのか、「かしま」甲板を
大きなキャリーバッグを引っぱりながら歩いているお父さんがいました。
あれでは艦橋に上がることはできなかったと思われます。

かしまの前では式典が行われるので人がいっぱいでしたが、
「あさぎり」の前には乗員の家族だけなのでこの通り。

艦尾の自衛艦旗が綺麗になびいていますが、この日は風が強く、
曇りがちで肌寒い天気となりました。
一緒にいた人たちが半袖なので寒くないですか、と聞いたところ、
やっぱり寒かったそうです。



最初、「かしま」艦尾側から見ていたのですが、防衛副大臣のヘリが着陸するため、
その辺りの人々は艦首がわに「運動一旒」で案内されていきました。

このあたりは家族章をつけた人たちがいましたが、その一団の中に
海自の白とは違うクリームの制服を着た人を発見。



同行者と「海保かな」「海保でしょうね」とひそひそ言っていたのですが、
そのとき近くに来られたのでわたしが直接「海保の方ですか」と
声をかけてみました。

式典に海保から海将クラスに相当する一等海上保安監が賓客として出席しており、
その随伴で来られてカメラ係もしているのだそうです。
この海保職員の階級は三等海佐に相当する三等海上保安正ということでした。



そして式典が始まり、防衛副大臣の挨拶、海幕長の激励の辞、
練習艦隊司令の決意表明などがいろいろ行われたのですが、
なぜか(なぜかじゃないんだけど)いきなりこのシーンに。

自衛隊幹部の向こうには陸空の幹部、そして在日外国武官。
一番先に出向していく「あさぎり」はもう岸壁を離れています。

なぜか。

実は、二台のカメラの一つに入れていたSDカードが読み込めないのに
それに気づかずずっと撮っていたのでしたorz
なぜそのカードが読み込めなかったかは謎。(ロックではありません)


望遠レンズで実習幹部の行進の様子や舷側に並ぶ一人ひとりの表情、
ことにわたしたちの近くにいたおばあちゃまが、嬉しくてたまらない様子で、

「あの、一番端に立ってるのが孫なんですよ!」

と指差した青年のアップもしっかりカメラに収めたはずだったのに・・・。

ちなみにこのおばあちゃまは、「かしま」が岸壁を離れていくと、
孫をできるだけ近くで見るために、慌てて移動していかれました。

今あの女性の様子を思い出しただけで、わたしは心が温かくなると同時に
泣きたくなるような切ない気持ちがこみ上げてきます。



赤絨毯にはちゃんとそこに立つ人のポジションのシールが貼られています。
わたしたちの前は幹部学校長とSBF司令官でした。



そのとき「あさぎり」に「帽ふれ」がかかりました。
やはり陸空外国武官は皆がやっているのを見てから振るので
海自のひとたちよりワンテンポ遅いですね。



手前三人の制服の白が微妙に違うのがわかりますね。
海自の制服は基本特別誂えしてもかまわないので、仕立てによって
生地もずいぶん違ってくるということを以前書いたことがあります。

ただ、さきほどの海保の制服について同行者と話題になったときに
聞いた話ですが、こういう儀式のときには、今写っているクラスはともかく、
その他の隊員たちは官品を着るようにと最近ではお達しがでているとかなんとか。
特に夏服の白の違いは大きいので、見た目を統一するためなんだと思います。



自衛艦の出港を何度となく見ていると、出港作業までは長いですが、
一度出港ラッパが鳴った後岸壁を離れるのはあっという間です。



陸空の自衛官たちは海の行事に呼ばれたとき、色々と段取りが違うので
慣れないと結構ドギマギするものらしいということを、陸自の方から聞きました。

前列にいて、後ろを見たら皆敬礼していたのであわてて自分もした、
というトホホな話も結構あるようです。



そして、「かしま」が岸壁を離れていきます。



せめてものアップ。
あのおばあちゃまの自慢の孫はこの一番左です。
って全く顔がわかりませんが。



練習艦隊は今年「世界一周」の年です。
北米・欧州・インド洋・東南アジアと、6ヶ月弱で寄港します。
いやでも潮気がつきそうですし、これだけを回れば、人生観も変わりそうです。




参加人数は約700名。
実習幹部の中には海外からもタイ王国留学生、東ティモール共和国留学生が
それぞれ1名ずつ乗り組んでいます。

留学生は毎年1〜2人必ず乗り組むようです。




かしまに乗り込む実習幹部の表情をカメラに残すことができなかったのは残念ですが、
こうやって出港していく艦の姿とその礼式を見ることができたのは幸いでした。
お誘いを受けなかったらおそらく見ることのなかった
これらの光景に立ち会えただけで満足です。



行事が終わり、防衛副大臣の若宮 健嗣氏が退場。



さて、このあとわたしは誘われて艦艇見学を行い、12時に横須賀を立ちました。
実はこの日、午後から地球防衛協会の総会がありまして、防衛部長という
たいそうな肩書きを持つわたしは出席しないわけにはいかなかったのです。
桟橋から基地の外に出るまでにたっぷり時間がかかってしまいましたが、
渋滞していなかったので、湾岸線を飛ばして1時間で市ヶ谷に到着しました。

朝は横須賀、そのあと市ヶ谷で会議って、こいついったい何者?



面白くない会計監査報告が一通り済んだあと、100歳の名誉会長という方が
挨拶をされ、英霊の遺骨収集がやっと法案化されたことについて、自民党の宇土議員を
「何も知らないところから勉強してここまでよくやってくれた」
と褒めておられました。
そして、「来年はもうここにいられるかどうかはわからないので遺言だと思って」

「草生す屍、水漬く屍となって散っていった人々のご遺骨をなんとかして
日本に帰してあげてください」

と最後におっしゃいました。
2年前の練習艦隊は、南方からの遺骨帰還事業に参加し、
ご遺骨を「かしま」に乗せて日本に連れて帰るということが行われました。
ちょうどそのとき、宇土議員や佐藤議員が取り組んでいた法案が
ようやく今年になって法制化されたということになります。

「これで安心してはいけない」

とこの方もおっしゃっていましたが、まだ緒に就いたばかりの
この事業を、なんとか未来に繋げていかなければなりません。




総会のあとの来賓にはいつものように政治家の面々が顔を出しました。
後ろで顔を掻いているのは佐藤議員ですがこの人も佐藤議員。



ヒゲの隊長の方の佐藤議員は挨拶のあとすぐに退去されました。
とにかくお忙しいようです。

この総会には顔見知りの元将官の方がおられまして、
水交会壮行会に続きご挨拶させていただいたのですが、
朝練習艦隊を見送ってきたと申し上げると、

「わたしは今回は行けなかったのでどうもありがとうございました」

とお礼を言われてしまいました。

「で、今日はどの肩書きで参加されたんですか」

「えー、今日は(艦艇見学に誘われた)ひとりのファンとして・・・」

それは肩書きではない(笑)