ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

第65回掃海殉職者追悼式に出席(式予行演習)

2016-05-30 | 自衛隊

毎年5月の最終土曜日、終戦直後から数年間の航路啓開の殉職者への
追悼式が、香川県琴平の金刀比羅神社境内にある
掃海殉職者顕彰碑の前で行われます。

去年から今年にかけて、

「掃海部隊の機雷戦訓練・掃海特別訓練・潜水訓練(日向灘)」
「掃海部隊の機雷戦(伊勢湾)」

に連続して参加し、その任務の一端をこの目で確認したわたしですが、そのことで
改めて戦後の機雷除去に携わった掃海殉職者の尊い犠牲を思うようになり、

毎年行われる金刀比羅神社での慰霊式にも出席したいものだと考えるようになりました。

たまたまそんな折、地球防衛会(仮名)の代表で参列するという話があり、
前日の艦上レセプションも込みでご招待をいただきました。

本来であればその艦上レセプションに間に合うように前日の昼間の飛行機に乗るのですが、
このときにはわたしの「掃海部隊のグル(指導者)」であるところのカメラマン、
ふりかけさん(仮名) のご指導により、式前日の予行演習と設営から見学することにしました。



というわけで、雨もようの羽田空港を発ったのは朝9時半。
後から思えば、これは天佑とも言える英断だったのです。
といいますのは、その日の12時過ぎ、大韓航空の飛行機が羽田で事故を起こし、
空港が閉鎖になってしまったからです。

翌日、わたしは前々掃海隊群司令に式典会場でご挨拶しましたが、その方は
1時半の飛行機が欠航となったため、陸路に変えてようやく8時(レセプション終了後)
に到着したということでした。

というわけで、何も知らずに無事高松に到着。
今回はわけあってレンタカーを借りました。

うどん屋ばかりが連なる幹線を走ること40分で金刀比羅神社に到着し、
まずはお昼ご飯を食べようとふりかけさんに連絡をすると、

「海の科学館っていう、まるで秘宝館みたいな雰囲気の博物館がありますから、
そこの駐車場に車を止めてタクシーで”神椿”まで来てください」



これが「海の秘宝館」か・・・。
いつかとてつもなく時間を持てあましたら観てみようっと。

そして、タクシーに乗り、運転手さんに

「玉椿お願いします!」

「神椿」を勝手に脳内変換して玉椿だと思い込んでいたのですが、
運転手さんは、日頃その手の脳内変換性ボケ老人を散々相手にしているので、
わかりましたとだけ言って、訂正もせず「神椿」に連れて行ってくれました。

わたしが脳内変換したのにも一応理由があって、この「神椿」、
実際に資生堂の経営によるパーラーなのです。



よくまあこんな、途中一車線しか通れないような山道を登りつめた
山のてっぺんにぽつんとこんなカフェを作ったものだといぶかしむレベル。

調べてみると、香川県は戦前の資生堂第二代社長から戦後にも
同県出身の社長を輩出している土地柄だそうで、この話も、

資生堂の歴代社長と、フランスの礼拝堂再生事業などを通じて親交のあった
金比羅宮文化顧問という方が、協力を仰いだというきっかけだそうです。


 
カフェは金比羅宮本殿まで500段目のところにあります。
ここは上の階の軽食喫茶のコーナー。
素晴らしい眺めで、こんなところに本格的なパーラーがあるのが
(大抵こういうところの飲食業はぼったくり系でイマイチ)
まるで奇跡のようです。

ところでなぜふりかけさんがここでのランチを指定したかといいますと、



下のレストラン階では慰霊式に出席する 海自の幹部たちが
会食を行っていたのでした。
彼らはこの前に自衛隊全員での参拝を済ませたばかりだそうです。
ということは、これだけの人々が皆で石段を登って行ったのか・・・。



彼らが何を食べているのか、望遠レンズで盗撮したいくらいでしたが、
残念ながらわたしが到着したときにはみなさま食後のコーヒーをお楽しみでしたので、
代わりに撮った荷物置き場の帽子。

密度の濃いスクランブルエッグ(あ、海自ではカレーでしたか)の付いた
正帽が椅子の上にきっちりと並べてあります。

こういうとき、副官の帽子の上にボスの帽子を乗っけるらしいですね。
子供用椅子の上と下を利用している人もいます(笑)



さて、このあとは神椿のある500段目から140段下の、
慰霊碑のあるところまで下りていくことになりました。
登るより楽とはいえ急な石段をパンプスで降りていくのはかなり大変でした。 



御書院。
社務所を除くすべての建物が重要文化財に指定されています。 




寄進した者の名前を刻む欄干は、時代を経てもうすでに解読不能なものも。
森千蔵さんほど大きな名前で書かれていればこれからも残るのでしょうけど。




これを大門といい、これより内が境内です。
「琴平山」の額が掲げられており、門をくぐると特別に境内での営業を許された
「五人百姓」が加美代飴を売っています。
五人百姓は全員が女性で、お互いに世間話をしていました。



この大門を何段か降りて左に入っていくと(下からだと右です)、
奥に掃海殉職者碑があることを示すような大きな錨があります。

これを見ながらさらに進んでいくと、



このように開けた部分があり、ここで追悼式が毎年行われるのです。



わたしたちが到着したとき、ちょうどリハーサルが始まろうとしていました。
来賓や司令などの札をつけてその人の役を演じるエキストラに説明が行われています。



国旗掲揚台の下では、掲揚の際の綱の引き方指導が行われています。



エキストラ以外は先ほどの自衛官だけの参拝に参加したあとなので、
半袖の白い制服着用。




慰霊碑に使われた石は4トンあるそうです。
このあと広報の方にお聞きしたところ、あまりにも大きな石だったので、
選定してからここに運搬するのが一苦労で、吉田茂首相が参列した
第1回慰霊式にはどうしても石碑の設置が間に合わなかったということでした。



次の日の本番、わたしはこの椅子席から式典に臨むことになり、
つまり全く写真は撮れないということがこのときにわかりました。

前日のリハーサルにお誘いくださったふりかけさんには感謝です。



呉音楽隊の面々とももうすっかり顔なじみのふりかけさん。
ロングスカートに遠目にもまぶしい金髪、サングラスがトレードマーク。
隊員たちは入港したときに彼女が港にいることが一目でわかるのだそうです。



慰霊碑前では儀仗隊の打ち合わせが始まりました。



整列の仕方からちゃんとやります。



ご遺族のエキストラも遺族席で待機。



慰霊碑の反対側はこんな感じ。
奥に儀仗隊などが控えるスペースを設けてあります。



奥から呉地方総監登場。



まず国旗掲揚のために儀仗隊が入場です。
彼らの歩き方は小刻みに早く、「儀仗隊の歩くテンポ」があるのだと知りました。
普通の行進が「アンダンテ」だとすれば、(アンダンテの定義は人の歩く速さ)
儀仗隊の行進は「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」といった感じ。



儀仗隊長は幹部なので靴の色は白です。
何年か前、女性隊員がこの慰霊式で儀仗隊長を務めたことがあったそうです。



セーラー服の行進というのは、ことにわたしのような人間にとっては
リハーサルであっても胸がきゅーんとなるくらい惚れ惚れするものです。
その心理の中には「写真で見た旧海軍の水兵と寸分変わらず同じ姿」というのが
とても大きいと思うんですが。



位置について整列。
本番では椅子から離れることなどとうていできなかったので、
もちろんこんな写真はこのときしか撮れませんでした。



整列してから隊長の号令によって銃に着剣が行われます。



ここからは読みにくいですが、海士つまり水兵さんたちの帽子には
「護衛艦ぶんご」のリボンが付けられています。



国旗掲揚。
音楽隊による君が代演奏が行われます。



国旗掲揚の間全ての自衛官(奥の人のぞく)は敬礼します。
儀仗隊は「捧げ銃」をおこない頭中(かしらなか)。



皆そうですが、自衛官の姿勢はこういうとき特に美しいですね。
これも日常のたゆまぬ訓練の賜物だと、彼らはどのくらい自覚しているでしょうか。



体の反り方まで完璧にシンクロしている・・・。



国旗掲揚のち、またしてもアレグロ・マ・ノン・トロッポで引き上げます。
実はこの慰霊式においてもっとも活躍?するのがこの儀仗隊(と音楽隊)です。



戦後の海を啓開するために命を捧げた殉職者の霊名簿が奉安されます。



この顕彰碑の揮毫を行ったのは、当時(昭和27年)の内閣総理大臣、
吉田茂でした。



そのあとは、水交会会長や地元町長、国会議員などの弔辞。
これもいちいち代理の隊員によって行われます。



再び儀仗隊入場。



まず捧げ銃で霊前に挨拶。これは「敬礼」です。



しかるのち弔銃発射。
わたしはこのときの写真をストップモーションで撮影したのですが、
銃から硝煙が立ち上っているのは一番右の人だけでした。
もしかしたらリハーサルだったからでしょうか。



弔銃発射は全部で3回、一発撃つと音楽隊が短いフレーズを演奏、
また発射、演奏、発射、演奏というふうに行われます。



儀仗隊退場。



続いて参列者による献花が行われます。
本番ではわたしも地球防衛会の会長とともにこれを行いました。

本番でもこの二人の女子隊員が献花の花を渡す役目をします。
二人の顔にマスクをしたのは、女性自衛官ばかりを追いかけて撮っているという
「マニア」が何かのはずみで彼女らに目をつけるようなことがあってはいけないので。

ふりかけさんの話によると、女性自衛官の写真を撮ってツィッターにあげるために
イベントに行くといった種類のマニアがいるらしいです。
 
話は少し逸れますが、マニアといえば、以前、自衛隊の艦船に信号を送ってくる
厄介なマニア(もちろん素人)がいるという話をここで書いたことがありますが、
この慰霊祭でお近づきになったある自衛官の母上の談によると、こういう行為は

「懐中電灯でチカチカやるので危なくてしょうがない」

と艦乗りの間で大変顰蹙を買っているということです。
まさかとは思いますが、もしこれを読んでいるなかで、胸に手を当ててみて
このような行為に覚えのある方は、即刻やめてくださいね。



幹部、海曹、海士の代表も3人揃って献花します。
これも本番とは違う人が行いました。



こちら本物。
霊名簿を降納する呉地方総監。



そして国旗が降下されます。



儀仗隊隊長の腰右後ろの白いホルダーは短銃?



儀仗隊、又しても退場。
呉地方総監が彼らの動きをスルドい目で見ていますが、これはリハーサルなので、
呉総監は「ダメだし」するという役回りでもあるのです。


この日はさしたる問題点もなかったようで平穏に終了したそうですが、
ただ、霊名簿降納のときに、テントにいる幹部が帽子を取るかどうかで
だいぶ紛糾?していたという噂です。(ふりかけさんによる)

こういう儀式のときにどのように所作を行い、いつ帽子を取るとかとらないとかも
全部海軍儀礼によりキッチリ決まっているわけですが、
かといって文書にかいてあるわけではないので、いざとなると


「あれ、これ去年はどうしたっけ」

みたいになることもあるのか、とおかしく思った次第です。



リハーサル終了後、広報の方が、

「明日になったらもう見られませんから」

とおっしゃるので
巨大な石碑の裏にある碑文を見せてもらいました。
当時の海保長官による顕彰碑文と各市町村の市長が名前を並べた発起人名簿です。



そして七十九柱の掃海殉職者名。

明日はこの方々の遺族13名をこの場に迎え、その魂を鎮めるための
追悼式が厳粛に執り行われます。



続く。