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「伊勢」慰霊祭~「伊勢」と「いせ」

2015-01-12 | 自衛隊

というわけで、「いせ」艦上での戦艦「伊勢」慰霊祭に
参加し、いよいよ「いせ」に乗り込みました。



さすがに就役してまだ三年未満というだけあって、

艦内はまだピカピカした感じです。
それでなくても「清潔・整理・整頓」の海自ですからね。
いうまでもありませんが、この3Sは海軍からの伝統です。
(伏線)

艦内に通されたわれわれは、信じられないくらい狭い階段を
それこそ何段も上がり、士官室へと通されました。



これからの予定を説明する1等海尉。(たぶん)



席に着くなり待機していた乗員が熱いコーヒーを持ってきてくれました。
カーテンの向こうは何かわかりませんでした。
簡易キッチンとか?
それより、入ったところにある鏡にご注目!

沈みゆく「音戸」のガンルームから、士官が鏡を持ち出し、
それが大和ミュージアムに展示してあったのを見ましたが、
旧軍の昔から鏡はかならず士官室の入り口にあるものです。

海軍士官たるもの、常に自分の姿を鏡に映して点検する、
これもまた海軍時代からの伝統です。(伏線)



命名書が金縁の額に入れられてかけてありました。
浜田靖一議員が防衛大臣だった時代というのは
麻生内閣のことですね。
護衛艦に命名がされるのは進水式の時ですから。

今艦歴を見て驚いたのですが、「いせ」の就役は2011年3月16日、
なんと東日本大震災の5日後のことです。

あの未曾有の大災害の直後でも予定は延期されなかったようですが、
当初四月に行われるはずであった一般公開の行事は、
呉地方総監部が被災地支援に忙殺されたため、7ヶ月遅れました。




これは・・・たぶん伝統ではないと思いますが、
幹部の奥さんともなると、同僚に差し入れなどの
気遣いもしてしまうものなのですね。

「整備士官Bの奥さま」とありますが、この”B”って仮名ですか?
それともアルファ・ブラボーのB?



今まで見てきた日米海軍の()公的部分には、このような

心理カウンセリングを呼びかけるポスターがどこにもありました。

このポスターはそのものズバリ、「自殺防止」が目的の
カウンセリングのサポートダイヤルです。
24時間対応しているというのが、アメリカで見た

「スイサイド・ホットライン」

と同じです。
むしろ夜にこそ需要があるものなのでしょうしね。
で、ポスターの絵柄がかなりやっつけなのですが、
なぜ招き猫?という疑問はさておき、頭を抱えて
悩んでいる猫の耳が寝ている(猫は不快な時に耳を伏せる)
のがなんとなくそこだけリアル・・・。



さて、慰霊祭まで時間があるので艦内をグループで

案内していただきました。
エスコート係も最初から決まっているらしく、
お誘いくださった方が「イケメン士官です」と
予告してくださっていた通り、まるで洗濯したばかりのような
爽やかな幹部自衛官が先頭に立って説明をしながら歩いてくれました。

最初はいきなり艦の動力を司る機関室です。



見よこれが最新鋭護衛艦の機関室である。
モニターに映っているのは艦橋ですかね。

観艦式の時には「ひゅうが」の機関室に入れましたが、
データの書かれた部分にちゃんと紙が貼られていました。
今回はそれほどの人数ではなく、おそらく乗艦する人員の
素性が確かであることから、そこまでの警戒はしていない模様。



隊員食堂を通り抜けました。
柱に巻いてある激突防止&掴まり用の何本もの柱は、
広い空間でたとえば食器を持って歩いているときに
ぐらりと揺れた場合を想定してあります。



椅子は床面に置きません。
アメリカの空母などだと、これが作り付けというか、
机と一体になっていて引き出すような形のものでしたが、
日本の場合は収納してしまうことにしています。



親子三人が熱心に?テレビを見ていました。



部屋の隅にあった冷凍ケース。
何も入っていないのはシーズンオフだからと思ったのですが、
「完売」のお知らせが貼られています。

「アイスクリームは完売いたしました。
お買い上げどうもありがとうございました。
 専任海曹室 厚生係(アイス担当)

そんな部署本当にあるんですか。
と一応真面目に突っ込んでみる。




テーブルの一つに置いてあった三宝。
これはもしかして慰霊祭で使う・・・・?




10時までの乗艦が義務付けられていましたが、
ここでふと時計に目をやると10時過ぎでした。
もちろん出航はまだまだ先です。
壁がことごとくクッション性のある材質で覆われているのに注意。



なんだかすごく大事そうな一角に注目。

国旗と自衛艦旗の下に、最高指揮官である安倍晋三の名、
続いて防衛大臣、海幕長、自衛艦隊司令官。

自衛艦隊司令官は昔の聯合艦隊司令長官ですね。
ん?だとしたら海幕長は軍令部総長?

続いて護衛艦隊司令官・第4護衛隊群司令・護衛隊司令・艦長。
藤原秀幸一佐は三代目の「いせ」艦長です。

ついでに(なんて言っちゃいけないか)指導方針を書いておくと、

「精強・即応」「伝統の継承」

伝統の継承ですよ伝統の。(伏線)

艦隊司令官の指導方針はそれに加えて

「日米共同・統合運用の進化」

と妙に具体的です。
同盟国であるとか以前に、日米海軍って仲良いですよね。
ガチでやりあった相手とは友情が芽生えるというあれなのか。 

ちなみに第4護衛隊(これは第四艦隊ね)群指導方針は 、

「伝統の継承・変化への挑戦」

ふむ、ちょっと一捻りしてきましたね。
伝統墨守だけが海自ではないぞ、ってとこでしょうか。 
そして第四護衛隊司令のは

「誠実・柔軟」

アングルバーよりフレキシブルワイヤたれ、というアレですね。
というか、こういうのも結局昔から変わりばえしていない気が。

良き伝統の継承、しかしフレキシブルに変化、米海軍と仲良く。

みんなまとめてこれで統一すればいいんでない?(適当) 
唯一艦長の指導方針だけがちょっと異色で、

”強い「いせ」”

「強い」のひとことにあらゆる意味が込められていると見た。


ところで、海上自衛隊の任務の三本柱は

国防・海外協力・災害派遣

であることは説明するまでもないことと思います。
それらを骨子に、輸送、教育、そして不発弾の処理にいたるまで、
任務の全ては「国を守る」ということにつながっていくわけですが、
もう一つ、大事な任務として「礼式の実地」があります。

これは防衛省のHPによると「国家的行事の礼式」。
このカテゴリに含まれる自衛隊の大切な任務に

「慰霊」

があることを、我々はあまり知らされていません。

陸自の朝霞駐屯地を訪ねた時、朝霞周辺の基地で殉職した
隊員の慰霊碑を見せていただきましたが駐屯地だけでなく

防衛省の市ヶ谷庁舎敷地にも、こちらは全体での殉職慰霊碑があり、
欠かさぬ顕彰が続けられています。

「年に一人や二人ではない」

と言われる自衛隊の殉職者が、組織によって祀られるのは当然ですが、
自衛隊は近年のものにとどまらず、旧軍の将兵の霊をも
途絶えることなく顕彰し続けているのです。

たとえば毎年行われている初級幹部のための遠洋航海。

昨年の遠洋航海出航と帰国行事に立ち会わせていただき、
特に今回は南洋で遺骨収集団が採取した旧日本軍将兵のご遺骨を
現地から日本に送り戻すという、歴史的な任務を負った練習艦隊を
晴海埠頭に迎えたという身にあまる光栄でしたが、
こういう特別な任務が行われる前にも、練習艦隊は必ず
大東亜戦争の激戦地海面では「慰霊行事」を行うのです。

たとえば2008年度の練習艦隊では太平洋上で一度、地中海で一度、
合計二度の慰霊祭を行っています。

また、たとえば愛媛県の三机には真珠湾攻撃の際
特殊潜航艇で突入した
「九軍神」の碑があります。

これは、真珠湾の地形に似通っていたここ三机で、

開戦前特殊潜航艇での訓練が行われていたことからだそうですが、
海上自衛隊には練習艦隊が寄港した時には、幹部たちが
碑を訪れ、慰霊を行うという習慣があります。




ところでたまたま見つけたこのユーチューブに、

こんなコメントが寄せられているのでご紹介します。


私も海上自衛隊のファンですが、率直に申し上げまして

この種の行事は不適切であると思います。
このような事がなされている、ということも今回初めて知りました。
今さら申し上げるまでもございませんが、
組織上現自衛隊は旧軍とは何の関係もありません。
心情的には大いに理解するところですが「有志」の形が
望ましいのではないでしょうか?

言葉は丁寧で「心情的には理解」と言っている割には、
この人物は実は海上自衛隊についてほとんど何も知らないし、
知ろうともしておらず、反感を買われないために
とりあえずお追従のように海上自衛隊のファンといっているだけ、
ということがよく分かる文章ですね。

要するにこの投稿者は、

戦後の自衛隊が第二次世界大戦で戦死した旧軍軍人を慰霊する、
イコール旧軍回顧である。ゆえに不適切だ。

といいたいのでしょう。
今回同行された歴史学者久野潤氏の著書に書いてあった

「護衛艦に神社を”祭る”(ママ)のは政教分離がフンダララ」

と、支那の新聞、じゃなくて信濃新聞に寄稿していた学者と
全く同類の匂いがします。


「海上自衛隊は旧軍と何の関係もありません」

たまたまですが、先日コメント欄でこういったことが話題になりました。
この人が言う通り、確かに

「海自と海軍は別組織」

であることは明白です。

しかし、敗戦によって海軍が消滅した後も戦後掃海部隊の活動、
警察予備隊の創建と、海上自衛隊は、バックボーン、シーマンシップ、
実際には操艦の際の掛け声から指揮系統から習慣から呼称から、
全てを海軍のそれを基に成り立っているわけです。

つまり海自は自らが海軍とは別の組織でありながら
血統は色濃く受け継いでいるということになろうかと思います。



この人も「旧軍の慰霊をすること」が気にくわないのなら、
別の組織だのなんだの、もってまわった言い方をせず
ただそれだけを非難すればいいのです。


あまり多くの人に見られている動画ではないらしく、
この意見に対する反論を寄せたのは二人だけでしたが、
そのうちの一人はぼかしているもののどうやら自衛隊関係者のようです。

「今日、海上自衛隊で行われている様々な訓練や行事は、
そのほとんどが旧海軍のすばらしい伝統を相続しているのです。
呼称や制服は違ってもその中身には、
脈々と海軍の伝統が今も息づいているのです。
ですから、
旧海軍の偉大な先輩方に敬意を表するのは当然であります。
今後も継続していただきたいと切実に願っております。」



ところでね。
士官室(っていうのかどうか知りませんが状況的に)
の壁にこんな絵がかけてあったんですよみなさん。

 

 

それが冒頭の絵。

波を切って進む海上自衛隊の護衛艦「いせ」。
その艦尾からVLSが発射された瞬間なのですが、
まるで「いせ」を護るかのように背後に浮かび上がるのは
戦艦「伊勢」の姿なのです。

わたしは比喩でもなんでもなく、この絵の前に立ったとき、
思わず鼻の奥がツンとして涙が滲みました。

この絵を「いせ」に贈ってくれたのはロッキード・マーティン社

現代の護衛艦「いせ」が帝国海軍の戦艦「伊勢」の継承者であることを
かつて日本と戦った敵国の兵器会社がこうやって
デディケートしてくれているのです。

これは”どんな国の軍隊でも先達に敬意を表すのが当たり前”という
この点健全な考えを持っているアメリカ企業ならではで、
自衛艦は旧軍の戦艦とは何の関係もありません!
などと言いだす上の投稿者のような一部の人間に配慮する日本企業では、
おそらくですが、このようなオトコマエはやってくれないでしょう。



さて、海上自衛隊の護衛艦が、呉の音戸町坪井沖に
終戦の年の7月24日、浮砲台になっているところを空襲され
大破着底した戦艦「伊勢」の慰霊行事をすることになったのは、
「いせ」が就役してから以降のことだそうです。

いかなる事情でこのような行事が慣習化したのかは、
少し内部の事情もあって、ここでは説明できないのですが、
戦後初めて「伊勢」の名を引き継いだ「いせ」としては、
546名もの乗員が戦死したその現場で慰霊を行うことは、
その名の継承者として、当然のことなのです。



ところで、なぜロッキード・マーティン社が「いせ」に
この絵をプレゼントしてくれたのかというと、
「いせ」がロ社の「クライアント」だったからですが、
一体どこの部分を購入したのかご存知ですか?

そう、発射しているVLSを見ればお分かりかと思いますが、
この絵は「海上自衛隊様当社製品ご使用中の図」なんですね。
そもそも護衛艦のイージスシステムは、RCA社という
ロッキード・マーティン社の前身が開発したものなのです。

かつての戦争で自分の国が屠ったその同名艦に、戦後の友好関係のうちに
「護りの盾」という名を持つイージスシステムを装備する。

アメリカ人たちのこういうちょっとした「感慨」が、
この絵の意匠に繋がったのでは、というのはわたしの考えすぎでしょうか。


続く。