ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

戦艦「伊勢」慰霊祭~着岸

2015-01-29 | 自衛隊

慰霊祭の報告と言いながら全く慰霊祭だけを飛ばしてどんどんと先に行ってしまっていますが、
メインイベントは最後のお楽しみにしていただこうと思いまして。

ってあんまり意味がないですかね。




甲板の見学を終え、再び艦橋に上がってみました。

相変わらずウィングには見学者が溢れ、自衛隊でなければとっくに
「作業の進行の妨げになりますので」
とかなんとか言って立ち入りを禁止してしまうところですが、そこは皆様の自衛隊、
こんな人大杉状態でも相変わらず淡々と任務以外は
何も見えぬ!聞こえぬ!といった
クールな態度で作業をしています。


ちなみにこの後、わたしは同行者に艦長をご紹介していただきました。



「働く男の背中」

という題名を(ダサい?)付けたいこの写真。
船のスリットの前で腰に手を当てて立つのはIHIジャパンマリンユナイテッドの社員です。

ずっと自衛官ではない制服の人がウィングに立っていたので、まだ何もしていないときに素性を伺ってみました。
なぜここに船屋さんがいるかというと、この後の着岸作業を見守るため。
着岸させるのが補修ドックであるため、出港から乗り込んでいて作業を上から見守る時間まで待機してたようです。



ほとんど体を乗り出すようにこれから行われる作業を見守ります。

作業をするタグボートが二隻待機しています。



ここから岸壁に接岸するまでが長くて長くて(笑)


こんな巨大な艦をピタリと岸壁に着けるのですから、
それはそれは慎重に、センチ単位(ミリミリ?)で調整をしていくからだと思いますが。

というわけで、時間を持て余した周りの人たちは測距儀を覗いたりしていました。
写真を見て気づいたのですが、紐でマニュアルみたいなのが下げてあります。
これを見てみればよかったなあ。

ご存知ない方のために説明しておくと、これにはストラップが付いていますが、
首から下げて持って歩くものではなく(多分)洗眼器みたいなところを覗きます。

測距儀(レンジ=距離 ファインダー=知る物)の仕組みを簡単に言うと、
この筒の両端にある二つのレンズが取り込んだ映像が画像に結ばれた点から対象までの距離を測ります。
ファインダーの筒が長ければ長いほど、計測は正確になります。

戦艦「大和」の測距儀(日本光学製)は15mありました。





測距儀の下部に、このようなボックス発見。



航行中これに気付いていれば舵角とか速度とか、速度指示がわかったのに・・・。

このときは完璧に「停止」状態。
停止を中心にすると指示速力の目盛りは後進からいくと

一杯<原速<半速<微速<最微速<

停止

<最微速<微速<半速<原速<強速
<一戦速<二戦速<三戦速<四戦速<五戦速
<最大戦速<一杯

という段階があります。
「一杯」が最大戦速より上っていうのがなんというかファジー。
もはやここは「不可能な速さで」みたいなニュアンスだと見た。

皆旧軍から受け継がれた名称です。



こちら探照灯。
探照灯を英語で言うと「サーチライト」ですが、なぜかこれをサーチライトと言わず
「探照灯」と言ってしまいます。

これも海軍から受け継ぐ名称で、陸では「照空灯」といいました。
現在陸自が照空灯と言っているかどうかはしりません。

探照灯の光の強烈なことは、昔も同じで、あの「雪風」は、マリアナ沖海戦で探照灯で敵艦載機を照らし、
目をくらませて
それだけで3機を撃墜したという話もあります。

確認したことはないですが、これ内側には絶対に光線を向けることができないようになってると思います。
直視したら目が潰れてしまいそう。(小並感?) 




後甲板にはもう誰もいません。

艦尾に、二人の海曹(作業着)がおそらく停泊の瞬間に備えて護衛艦旗を掲揚するために控えており、
両舷と中央に一人ずつ、
計3人が見張りを行っています。



岸壁には本当にミリミリと近づいていく感じ。



ふと向こうに目をやれば、朝方沖にいた大型船が停泊していました。

ドック入りするところだったんですね。 



ボートに注目。
ぶつかった時のために毛布を三枚艦首にかけているのでタグボートかと思ったのですが、
「いせ」の艦体から出されたワイヤを、陸上から伸ばされているオレンジ色のロープとつないでいるように見えます。



そのロープはどこから来ているかというと・・、
人が4人立っている岸壁のあたり。
これはもし一般の船と同じ名称であれば

ヒービング・ライン(heaving line)

と呼ばれるロープで、陸から太いロープを出し、
それにつなぎます。

このオレンジ色のが、

 ホーサー(hawser)、ヘッドライン(head line)、スターンライン(stern line)、スプリング(spring)

といった係船用のロープのどれか(わかりませんでした)だと思われます。



ロープは二本係留に使われました。
ところでこの船ですが、船体に「サルベージ」とあります。
船の名前は「くぬぎ」。可愛らしいですね(^O^)/ 



ロープが張られてピンとなったところでくぬぎは離脱。



くぬぎ、経過観察です。
われわれはどうやらポンツーンから上陸することになりそうです。



真下を見ているともうこれだけ接岸完了。あと一息です。



そのとき艦橋の階段を駆け降りてきた海曹。
着岸した瞬間信号旗を下ろして持ってきたらしいですね。
艦尾ではこの瞬間護衛艦旗が揚がったのでしょう。



さあ、というわけで、わたしたちはこの日乗り込んだ
「いせ」から下船することになりました。
荷物を持ち士官室から出て格納庫前のラッタルが開くのを待ちます。
館内見学の一団が乗るのに艦載ヘリが一機も無かったのも、このあとドック入りするからだったようですね。



自衛官に混じって造船会社の社員もいる模様。
ブルーシートは作業の準備でしょうか。



ハッチが開けられ、下船となりました。
見送りの隊員が全員に「ありがとうございました」と声をかける中、ハッチを降ります。



降りたらまた雨が降り出していました。
「いせ」が着岸した岸壁には向こう側で造船しているらしい船の部品が積まれている
『いかにも造船所!』な岸壁には、白い線で囲まれたグリーンラインがあり、
そこから出ないように言われて皆はバスの止まっているところまで歩きました。

そこからは警衛のいるゲートまで、マイクロバスの移動です。



どこの部分か全くわからないけどとりあえず船の一部。



歩きながら「いせ」を振り返りました。
この角度からは艦尾の「いせ」という字が目立ちます。

反対側からは大きなタグボートが押していたことがわかりました。

「いせ」は海自有数の対空・対潜水艦戦闘能力を誇り、
日本周辺海域の防衛やシーレーンの安全確保を図るため、「ひゅうが」型2番艦として投入されました。
大規模災害時の救助活動はもちろん、陸上自衛隊の人員やヘリ(陸自の)の輸送も可能であるため、
複数の軍種を
一体的に運用する統合運用において中核の役割を担うことになります。


平成23年3月16日、すなわち震災の5日後に就役した「いせ」。
就役直後は乗組員の慣熟訓練を行う必要があるため、災害派遣に赴くことはありませんでした。

しかし、その能力を発揮したのが、わたしも当ブログで触れたことのある
2013年11月のフィリピンの台風災害に向けた国際緊急援助活動です。
1180人体制での派遣は海外の被災地活動としては過去最大規模。
それも「いせ」だからこそ可能となったのです。

ちなみに統合任務部隊が海外の被災地救援任務に就くのはこれが初めてのことで、運んだ陸自隊員は200名。
わたしが乗組員から聞いた

「全員が船酔いで倒れてまるでガス室」

という陸自にとっての修羅場もあったということのようです。
本当にお疲れ様、といって差し上げたい。(特に陸自の人)

「いせ」から飛び立ったヘリはセブ島で医療活動に従事しました。
現地では日本の医療技術に期待する地元の人々が長い列を作ったそうです。

このとき連絡・調整のために「いせ」にはイギリス海軍の少佐が乗艦していましたが、

「伝統と儀礼を重視する点が英海軍の非常に似ていると明確にわかった」

とその感想を述べたそうです。
イギリス人がそういうからには()激賞されたと思っていいと思うのですが、
元々儀礼に関しては帝国海軍はイギリス海軍をお手本にしてその部分を作り上げていますから、
これも当然のことなのかもしれません。



続く。