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戦艦「伊勢」慰霊祭~いざ乗艦

2015-01-09 | 自衛隊

「護衛艦『いせ』での艦上慰霊祭に参加しませんか」

このブログをするようになって、海自の情報を交換するようになった
ある友人から耳を疑うようなお知らせをいただいたのは去年の晩秋。

わたしも旧軍自衛隊関係イベントにはよく出かける方ですが、
そのわたしが「この熱意には勝てん」と思うくらい全国にイベントを求めて
東奔西走しているのがこの人です。

「昨日は北海道にいました~。寒さが違いますよね」

呉のホテルで慰霊祭の前日にお会いしたとき、
陸自の恵庭基地に行っていたというのでまず驚いたのですが、
さらにすごいのはこの方、移動を時々とはいえ夜行バスで行うということ。
あちこちに行く交通費を節約するためだと思うのですが、よく体が持つなあと
一回夜行電車に乗った時一睡もできず死ぬほど辛かったヘタレのわたしは
つくづくとその情熱と行動力に感心するのでした。

彼女はその前の日から所用で呉入りしていたため、その日
わたしたちは「歴史の見える丘」の見学の後ゆっくり語り、
あらためて同好の士同士のニッチな会話を楽しんで、
翌日のイベントに備え英気を養いました。

「明日雨らしいですよ」
「え・・・どうしよう」
「きっと大丈夫ですよ」

何が大丈夫なのかわかりませんが、わたしが参加するイベントが
結構な確率で大雨に見舞われるということに最近気付いてしまい、

「わたしのせいで雨になったのかもしれない」

と割とマジで気に病みつつ・・・開けて次の日。

・・・・雨です。orz

なんとなく甘く見て雨具を何一つ持っていなかったわたし、
ホテルの近くのコンビニで傘とレインコートを買いました。

 早起きしたのでゆっくり朝ごはんを食べ、宿泊していたホテルのロビーで
同行することになっていた一団と待ち合わせてから現地に行きます。

この一団というのは私を誘ってくれた方が所属するもので、
今回の「いせ」艦上での「伊勢慰霊祭」に招待された人々。
歴史学者あり、歴史ナビゲーターと称する郷土史家あり、
護衛艦の後援会(というものがあるとは今まで知りませんでした)
の会員あり・・・・。
わたしのようにブログを主催していてそこで政治問題や歴史を
語っている、という人、艦艇の写真をアップしているという人、
とにかく「お好きな方」ばかりです。

それが最初にわかったのが、ロビーでの出発までの時間、
ある女性が、お爺さんが伊勢に乗っていた海軍さんで、
秘蔵のアルバムをわざわざ持ってきてくれたと知った時です。

ロビーで立ったまま目を輝かせて黄ばんだアルバムをめくる一団。
わたしももちろん横ににじり寄って行って覗き込んだのですが、
 
「これはすごいよ!」

一人が感嘆した一枚の写真。

「これ、観艦式の写真じゃない?」 




「あ、本当だ」

皆がわらわらと寄ってきて、写真を撮り出したので、
わたしもわからないながらに一枚(笑)

ちなみに上のセーラー服を指して別の人が、

「おじいさん彫りが深いねえ」
「これ祖父じゃないんです。観艦式のときにいた外国の水兵さんで」
「そういえば軍服が違うな」


当時の観艦式も今と同じように外国の海軍を招待していたんですね。

「そりゃそうですよ。我が海軍の力を外に見せないといけないもの」



主砲の上に立ってそこから観閲のため編隊を組む
後続の艦隊を写しているんですね。

空には3機の複葉機が飛行しています。

「これは・・・貴重な写真だねえ」

このあとも護衛艦に乗り込んでからこのアルバムが散々話題になったのですが、
とにかくわたしはここでこのグループのヲタ度に気がつきました。

まるで、このブログにコメントくださる方が集まっているみたいです。
もしこのブログのオフ会をやったらこうなるに違いありません。
各々が知識に基づいて語り、疑問もすぐさま誰かが解決してくれ・・。

これはとんでもないメンバーだぞ、とわたしは内心狂喜したのですが、
そこで時間となり、岸壁まで移動することになりました。



女性軍に置いて行かれたわたしは、比較的体の大きな男性ばかり
三人とタクシーに乗ることになりました。

「ぼく体大きいから前に乗せてね」

と誰かが言っていたような気がしますが()初対面の男性と
後部座席でぎうぎうになるのはさすがに遠慮したかったので、
わたしはこの際前席に滑り込ませていただきました。

しかし初対面とはいえ皆興味を持っている方向が同じ、
となれば車の中でも話が弾む弾む(笑)
参院選の後だったので、
あの結果はおかしい!という話で盛り上がりました。

「あちらこちらで無効票になってたしねえ」
「田母神閣下の得票数と比例の得票数が合わないし」
「僕のブログでもかなり反応があったのですがねえ」

お一人は田母神氏と実際にお会いになる立場の方のようでした。



あっという間に岸壁に到着。

雨なのにバイクが多いのは、自衛官の通勤用だから?
立て札には「くろべ駐輪場」とあります。
「くろべ」は訓練支援艦で、ここ呉に配備されています。

タクシーから降りて岸壁を歩いていくのですが、
ここが結構長いので、傘を買ってよかったと思いました。

グループは別地方から来た人が多く、何人かは
艦に乗り込むまでの辛抱、と思ったのか傘なしで歩いていました。

ごめんね・・・わたしのせいで。(と真剣に思っているエリス中尉)





岸壁では輸送艦「くにさき」が積み込み作業をしていました。

おお、また会えたね、「くにさき」。
観艦式で「ひゅうが」に乗ったとき、隣に停泊していたので、
先に出航していくのを見送ったということがありました。

「くにさき」はあの映画「聯合艦隊司令長官山本五十六ー太平洋戦争
70年目の真実ー」(長いんだよこのタイトル)の撮影に使われ、
それについて当ブログでも一度お話ししたことがあります。

また昨年5月から
カンボジア、フィリピン、ベトナムで医療活動を行い、
文化交流も行い、7月に帰ってきたのだそうです。

お疲れ様でした。


バケツリレー方式で積み込んでいるのは、



お弁当には見えないなあ。
この緑の作業合羽を着ているのは自衛官でですよね?

まあ、輸送艦だからいろいろ運ぶものもあるのでしょう。


 

大八車を二台引っ張っている人がかわいい。
護衛艦の朝は本当にいろんな作業があるようです。



「いせ」登場~~!

「おおすみ」と一緒に台風被害を受けたフィリピンに
「サンカイ(現地語で友情の意)作戦」に従事し、

70年目のレイテ突入

が人命救助であったということについて、わたしは偶々

「戦艦伊勢の物語」

というエントリでお話ししたところだったんですね。
「あの」!「いせ」にこんな早く乗艦することができるとは。



ふと隣にドック入りしている護衛艦を発見。
意味もなく末尾の番号を消してみました。
「むらさめ型」の駆逐艦なんですが、わたし、この艦も
大変馴染みが深いというか、実際に乗ったことがあるんですよね。

修理中の護衛艦を見るのは初めてですが、
マストのてっぺんまで綺麗に覆ってしまうのね。 

護衛艦は1年に必ず1度、定期点検でドックに入るそうですが、
このむらさめ型の補修はわりと大々的で、定期点検には見えません。
4年に一度くらいの「大補修」なのかもしれません。
どなたかご存知の方、教えて下さい。 



兵装という兵装は皆取り外されていますし、このように
立入りさえできないくらいあちこちが作業中です。

こういうとき、この艦の乗員はどこで何をしているんだろう、
とふと心配になってしまうのですが、このあと「いせ」で聞いたら
ドック入りしている間も普通に「艦隊勤務」は行われるそうです。
海保ではドック入りすると完全休養なのだそうですが、
艦は乗員の「オフィス」なので、いつもと変わることなく、
定時に「出勤」してきて、任務につくということです。

部署にもよりますが、この間は訓練よりデスクワークなどをするので、
休みの日に休みを取れるという公務員のような(公務員ですが)
勤務体制で、少しはみなさん楽な模様。(たぶん)





うむ、この角度から見る「いせ」が一番かっこいいかも。
停泊中なので艦首旗が上がっていますよ。



錨はもうすでに上げられた状態。
航行するときにはもっとぴったりとなるはずなので、
これは「半揚げ」状態?



真横から一枚撮ってみました。



昨日「歴史の見える丘公園」から眼下に臨んだ
ジャパン・マリンユナイテッドの「大和」ドックのある方向です。
向こうに停泊している大きな船はクレーンを積んでいますから、
車などを運ぶものでしょうか。

手前の小さなタグボートらしいのが出動中。
色がグレーではないので民間用だと思いますが。



「いせ」の向かいには「うみぎり」が停泊中。
「うみぎり」といえば!
護衛艦カレー対決のあの日、売店でなぜか「うみぎり」の
パッチを買って帰ったという因縁。

自衛隊なのにドクロのマークを使っているのが頼もしく?
しかもそれがとても可愛らしいという・・。

第9次ソマリア派遣 うみぎり パッチ

大した縁ではないとはいえ、こう周りに縁のあるフネが
勢ぞろいしているとなんだか嬉しくなるではないですか。

「あ、あれも知ってる」「あ、これはあのときに」

などと言いながら護衛艦を見るのは、まるで百人一首で
下の句がすらりと出てきたような達成感があります。



「ひゅうが型」のラッタルは低いところから入っていくので
傾斜があまりなく、大変楽です。
上がっていくと、そこには自衛官が何人か立っていて、
一人一人に

「おはようございます!」

と爽やかに挨拶をしてくれます。
いつも思うのですが、自衛官の挨拶というのはどうしていつも
こう人の気持ちをほっとさせるというか、和ませてくれるのでしょうか。

その様子にはマニュアルでそうなっているから、だけではない
日頃の鍛錬が彼らの背筋を一本線で通したような折り目正しさと、
いい意味で個人をなくしたプロフェッショナルが醸し出す
「おもてなしの心」が感じられます。


中ではいろいろあるとかいろんな人がいるさとか、
誹謗中傷や個人の噂をわざわざ某大型掲示板などで
自衛隊のイメージを悪くするために書き込む人もいるでしょうが、
少なくともそんなことは一般人には全く感じられません。

どんな組織にも内部に問題点はあるものですが(いじめや自殺など)
対外的にこれだけ印象がよいのならそれは「内部の問題」に過ぎません。

今まで縁あってお話ししたり案内して頂いたりした自衛官たちは
陸海問わず(空自は残念ながらまだ知り合いなし)掛け値なしに
素晴らしい人たちばかりでしたし、いずれの出会いもそのあとは
自衛隊という組織を前より好きになっているというくらいでした。

自衛隊を嫌う人は自衛隊を知らない。

わたしはこのように断言するものです。



一度お話しした、伊勢神宮大宮司の揮毫による銘板。
ひらがなのせいか、温かみのある筆致に大宮司の
お人柄さえ見えてきそうです。



ラッタルを上がったところ、舷門の奥にありました。
艦歴を記すところには、まだこれだけしか記述がなく、
館長の名を記すプレートにはまだ三人の名前しかありません。

艦歴の最新情報は去年の6月行われたRIMPACへの参加、
そしてその上にはこうあります。

平成25年11月18日~平成25年12月20日

フィリピン共和国台風(ハイエン)災害
国際緊急援助活動に従事
(オペレーション SANGKAY)

 
あのとき、フィリピンに援助活動に行った「いせ」そして
隣に停泊していた「くにさき」らは日本の誇りでした。
その「いせ」にこれから乗り込んでいくのです。いざ。


続く。