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朝霞駐屯地訪問記~殉職隊員慰霊碑

2014-07-09 | 自衛隊

わたしが車を運転してK1佐が助手席に乗り、
朝霞駐屯地内のざっとした見学が始まりました。
輸送学校の前を通り過ぎたとたん、話が集団的自衛権になってしまい、
そこで終わってしまったわけですが、続きと参ります。



建物の周りをパイプがぐるりと取り囲んでいる実用的すぎるデザイン。
これは給水パイプで、この建物には浴室があるそうです。
たかが浴室と言ってもこの朝霞駐屯地に勤務する全隊員(3924人)が利用する施設、
25mプールみたいな浴槽があるのではないでしょうか。予想ですが。

手前に立っている鍵型の道路標識には

「メディカル朝霞」

という表示と赤十字が書かれています。



と思ったら、東部方面衛生隊の建物がありました。
衛生隊、というのは英語だと「メディカルサービス」で、
いきなりカジュアルな感じになるわけですが(印象です)
つまり医療部隊のことです。

 方面隊直轄部隊の衛生業務を任務とするほか、災害派遣や民生協力、
国際貢献活動も行っています。

海外派遣で、現地の人々の医療に当たる医療隊の姿を見ると
わたしなどつい涙をこらえるくらい感動するのですが、
こういった医療貢献はもとより、たとえば「イラク以前」「イラク以降」
で、それまでの日本に対する国際的な評価が180度と言っていいほど
大きく変わったということを国民のどれほどが認識しているでしょうか。

イラク派遣のときも、左翼はマスコミなどを巻き込んで
大変な反対をしていましたね。
当時の学者が書いた反対声明文の一部です。

「 自衛隊はイラク国民の切望する平和や復興のためよりも、
アメリカ軍によるイラク支配を支援しに行くことも明白である。
このまま自衛隊が派遣されれば、それはアメリカ軍と一体の
軍事組織とみなされることは不可避である。
そして、自衛隊はアメリカ軍支配に反発するさまざまな勢力による
武力攻撃の標的となる危険性はきわめて高い。
また、それに対する自衛手段とはいえ、
自衛隊が現地の人々を殺傷する可能性も大きい。

日本国憲法制定以来、憲法第9条のもと、国家の行為として
他国民を殺傷したことがなかったことこそ、日本人の誇りだったはずである。
この誇りがいまや打ち捨てられようとしている。
小泉政権は、国民の反対を無視し、国民に対する十分な説明もなしに、
憲法を踏みにじろうとしているのである」



んー、なんだか集団的自衛権の反対派と全く同じ論調ですね。
こういう人たちは、イラク派遣において自衛隊が現地の人々を殺傷どころか、
「帰らないでくれと請願するデモ」
まで起こされたほど感謝されたことについて今どう思っているのでしょうか。

なにより、「イラク以前」「イラク以降」で、日本に対する
国際評価が全く変わったという厳然たる事実をどう見るのでしょうか。

現在の集団的自衛権についても、反対しているのは2カ国だけで、
世界中が賛成しているのをどう思っているのでしょうか。

いや、わたしにいわせれば賛成じゃないですね。
世界中の二カ国以外と日本のマスゴミ以外は

「日本ほどの大国が、そんなもん当たり前のことだろJK
(常識的に考えて)」


って論調ですよ。


朝日新聞始め、「徴兵ガー」「戦争ガー」と不要のアジテーションで不安を煽り
反対している論陣を見ていつも思うのですが、

「もし何かあったときにはアメリカ人の若者が血を流し、そして
日本国民を守るため敵国民を殺してくれるだろう。
だが自分は手を汚したくない。絶対にだ」

って言っているだけで、ゴミ集積所が自宅の近くにあるのを

「臭いし汚い!どこでもいいからここ以外の別の場所に移せ」

とゴネる人を見ているような気がするのですよ。
どうして自分の国を自分で守るという基本的な「国際常識」についてだけは
全く知らん顔で触れもしないのか、そっちがフシギ。





話を衛生隊に戻します。

この衛生隊の隊長は医官たる1等陸佐ですが、
歴代衛生隊長の前歴を見たところ、防衛医大出身が
2002年の編成以降7人中2人しかいません。

ときどき、防衛医大卒の医師ばかりが勤務する医院があり、
これは退官後の受け皿として防衛医大卒医師が開業したらしい、
とわかるのですが、逆に、衛生隊の医官になるのには
防衛医大を出ていないといけないと思っていました。



広々とした敷地にさらに広大な緑のグラウンドが広がっていました。
ほぼ全員お揃いの体操服を着た一団がサッカーをしています。

「これは自衛隊体育学校です」

おお、これがオリンピックのレスリングでメダリストを産んだ
自衛隊体育学校でしたか。
でも、自衛隊体育学校って陸自にしかないんですか?

「陸海空の共同組織です」

所属を問わずここで一緒に訓練を受けるということですか。
しかし、学校長等指揮統制は陸自が受け持っているようです。

自衛隊体育学校出身の選手は、

マラソン・ゴルフ・重量挙げ・レスリング・射撃
ボクシング・近代五種・柔道・水泳・アーチェリー 

などの分野に有名選手を輩出していますが、中でも
最近最も話題になったのは、ロンドンオリンピックで金メダルに輝いた
米満達弘3等陸尉でしょうか。



室内で撮ったため画像がブレてしまいましたが、
これは世界選手権にむけた国内予選で、自衛隊体育学校が
4階級を制覇したというお知らせ。


音楽隊の存在は

「音楽によって自衛隊員の士気高揚を図る」

というのが目的の一つになっていますが、この体育学校もまた
自衛隊員の士気高揚が目的となっています。
オリンピック出場は体育学校の最終目標です。

米満三曹は、オリンピックで金メダルを取ったとき、
それが日本がこれまで取って来た金メダルの通算400個目だったことや
現役の自衛官で初めて紫綬褒章を授与されたことで、
自衛隊の士気は勿論のこと、自衛隊のイメージアップにも貢献しました。

体育学校には教員課程、スポーツ科学課程などがありますが、
いわゆるオリンピックに出られるような選手を育成するのは

第2教育課 特別体育課程

というコースです。


ところで、体育学校で給料をもらいながらスポーツをする限りは、
「プロ」のようなものだとお思いでしょうか。

実は違うのです。

彼らの身分はあくまでも自衛官であり、スポーツはアマチュア、
(でないとオリンピックに出られませんから)
となっていますから、彼らはまず教育隊を終えて自衛官になってから
初めて入校を許されるのです。

入校志望者は陸海空全てでこの自衛官の身分となり、
その中から集められて選抜されてのち、
初めて体育学校の生徒となることが出来ます。

元自衛官である作家が描いた漫画「ライジング・サン」では、
自候生仲間の一人が体育学校志望で、選手(ボクシング)になりたいのに
自衛官の訓練をせねばならない焦りと苛立ちから、
周囲に溶け込むのを拒否し孤立する、というストーリーを展開しています。

しかし、これも「ライジング・サン」で語られていましたが、
体育学校に入れたからといってその中で一流選手になれるのは一握り。

「ライジング・サン」によると

「壊れるか 強くなるか どちらかで
 ほとんどは 壊れる」

ということになります。

オリンピックで優勝し、栄光を手にしたのにもかかわらず
その後、国民の過剰な期待に押しつぶされ自ら命を絶った
円谷幸吉選手も、ここ自衛隊体育学校の出身でした。

いずれにしても厳しい世界ですが、自衛隊が
そういう可能性のある若者を育てる組織を有しており、
元々優れた能力の選手が国家公務員として生活を保障され、
その上で練習に励むことが出来るということでもあります。

現在の「国や企業がスポーツにお金を出さなくなった」日本においては

日本のスポーツ界にとって得難い存在であるとも言えるでしょう。




車の中から撮ったので分かりにくいですが、この
駐屯地内にある池を「琵琶湖」といいます。
実際の琵琶湖に形状が似ていることから付けられたそうです。

朝霞駐屯地は、もともと「東京ゴルフ倶楽部」というゴルフ場でした。
駒沢にあったのが土地問題でこの地に移転してきたのが昭和5年。
以来10年間ゴルフ場として使われ、昭和15年になって陸軍省が買い上げ、
陸軍予科士官学校(蒋介石がいた、あれですね)が置かれました。


この池は人造湖で、三番ショートホールの池越えのために造られ、
現在その唯一の遺構として姿をとどめています。

K1佐によると、たまに底をさらったりすると、
今でもときどきゴルフボールが出てくるのだそうです。

勿論昭和5年からの10年間にゴルファーが池越え失敗し
水中に没したものですよね。
これはある意味大変貴重な歴史的資料ではないかと思うのですが、
朝霞駐屯地としてはこのボールをどう扱っているのでしょうか。
気になります。



冒頭写真は「振武台記念館」
こういうところに展示すればいいんじゃないかな(提案)

振武台記念館は1978年(昭和53年)陸軍士官学校跡から
旧皇族舎を移築して、予科士官学校時代から伝わる資料を
展示・保管している建物です。

ぜひ中を見学してみたいものだけど、今日はダメみたい。
年に何回か一般公開の機会があるそうなので、
まめにHPをチェックして今度行ってみましょうかね。

馬も見たいし。
この日は見られませんでしたが、体育学校には厩舎もあって、
近代五種の乗馬のために馬が飼育されているそうです。

ところで近代5種って、一人の人間が

射撃(エアピストル) フェンシング 水泳(200m)
障害馬術 3キロランニング

をやってその総合点を競うという競技。
自衛官くらいしかこんなのできる人っていないんじゃないか?
障害馬術だけで十分特殊な競技なのに・・・。



さらにグラウンドの横を走っていくと、でた!
芝生の上とはいえ、地味に地面を這っている一団が。

勿論レンジャーや第一空挺団ほどではないにせよ、
このような訓練を毎日毎日毎日毎日、朝日が昇ってから落ちるまで
倦まず弛まず(倦んでるかどうかは個人の感想だけど)
続けているのが自衛隊。

遠くにまるで景色の一部のように見えていたので、
激しさのようなものは全く感じませんでしたが、もしかして
近くに行ったら班長の怒号が飛び交っていたんでしょうか。 


さて、そして車はこの碑の前に差し掛かりました。 



埼玉県、つまりこの朝霞駐屯地も含み、この一帯の
基地駐屯地(陸空海問わず)の所属で、殉職した自衛隊員の慰霊碑です。

朝霞駐屯地で殉職した、と言えば有名な

「自衛隊員殺害事件」

で、警備に立っていた21歳の士長が、幹部自衛官に変装し
駐屯地内に侵入した左翼の大学生によって刺殺された事件を思い浮かべます。

この事件ではマスコミの人間が犯人に協力し、逃走資金を渡していました。
現在に至るマスコミと左翼のなれ合いというか癒着が
最も先鋭化したといえる経緯だったのですね。

もしこの事件が
現代に起こっていたら、おそらくマスコミはあの手この手で
犯人を庇ったり、共犯となった記者の正当性をでっちあげたと思われます。


「車を停めてもいいですか」

わたしはそのまま通過することができず、車を降りて
石碑の正面に立ちました。

「一番最近の殉職隊員は、大宮駐屯地のタイヤの爆発事故で亡くなった
女性の隊員です」

K1佐の言葉。
わたしは即座にその事故を思い出しました。


20歳の女性1等陸士が、ダンプから外した直径1メートル20、
重さ約100kgのタイヤに空気を補充していたところ、チューブが突然破裂し、
作業中の隊員2人の頭などを直撃したという事故で、このうち、
女性隊員が事故による「外傷性くも膜下出血」で亡くなったというもの。

20歳。

刺殺事件の士長は入隊して2年目だったそうですが、彼女も
ちょうどそれくらいでしょうか。
希望に燃えて自衛隊に入隊し、すべてこれからというときに・・。

どんなにか無念だったことでしょう。

朝霞駐屯地では毎年10月に駐屯地司令が執行者となって

殉職隊員のための慰霊祭を行っています。
平成25年8月現在、ここに顕彰されている御霊は79柱。

この中には1999年、入間基地を飛び立った後操縦不能となった練習機を誘導し、
河原に墜落させ自分の命を犠牲にして住民を守った、航空自衛隊のパイロット
2人の名前も刻まれています。
(航空自衛隊の開隊以来の殉職者は400名を超える)


わたしもTOも、どちらからともなく碑に向かって手を合わせ、
そして、志半ばに愛する人たちを残し斃れた殉職自衛官たちの
尊い犠牲の上に現在の日本の平穏は守られているということに
深く感謝し、彼らの霊のやすらかなることを願って祈りを捧げたのでした。




続く。