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集団的自衛権と「国を護ること」について~ある元自衛官の話

2014-07-23 | 日本のこと

左翼と呼ぶのもおこがましい、ただの反日売国政党、社民党の

「集団自衛権反対ポスター」

パパが北のお国に拉致されてしまい、その返還を
社民党があの手この手で邪魔をしたから、ってことでしょうか。

違いますね。

モデルとなった子供は社民党員の息子なのだそうですが、
彼は自衛隊員の息子、という設定です。
集団的自衛権のせいで戦争に行かされ戦死した自衛隊員の息子が、
帰らぬ父を思って泣いているのです。

なんて悲しい・・・・・

・・・・って、あほか~い!

もしかして社民党って、集団的自衛権がなんなのか未だに理解できてないの?
個別的自衛権行使可能の現在でも,万が一の事態になった場合には

「パパが帰って来なくなる」

可能性はあるんですが。
自衛隊というのは、もともとそういうときに「帰って来られなくなる」
危険も顧みず、ママとボクを守るために日本に存在しているのであり、
そのために日頃厳しい訓練をしているわけなんですが。

そもそも、集団的自衛権を

「同盟国のために戦争しなくてはいけない」

義務、ということばかり強調して、根本の

「他国や兵だけど、守らなければうちの国民や防衛に害があるから守る」

ってところをまるまる無視してますね。

わかっていないのか、分からないふりをして馬鹿な国民を
ミスリードできると思っているのか、さあどっち?

それから、このポスターで最も不愉快なのは、社民党の
自衛隊に対するダブルスタンダードです。

民主党もそうですが、この件を反対するのに自衛隊員をダシにして
いつもは人殺しだの存在そのものをなくせだの、
散々その存在を否定し非難しているとは思えないくらいすりより、
ひどいのになると、自衛隊員のためのホットラインを設けて

「匿名でいいから自衛隊員の不安な気持ちを吐き出せ」

などと、本物かどうかわからない自衛隊員の反対意見を集めて、
それを反対の補強に利用しようと企んだり。

こういう野党の卑怯さに対して、自衛官出身の議員である
宇土隆史氏がこのようなことを言っています。



衆議院の野党、特に民主党の集団的自衛権の質問で
腹が立っていることがあります。
自衛隊員が大変だ、リスクが多くなる、隊員のご家族は不安に思っているなどと
いかにも隊員のことを思っているようなふりをして政争の手段にする。

自衛隊の現場は任務が遂行できるように目的に向かって
持てる範囲の装備品と練度でそれを確実に達成できるように
日々訓練をしています。
現場で

「集団的自衛権だからこれはできない」

とか、

「これは個別的自衛権だからやる」

とか、

「宣誓はしたけど集団的自衛権については適応外だから、
自衛官をやめます」


とか、そんな自衛官はいません。

皆真剣にこの国を愛し、自分たちの護るべき両親、恋人、妻、子供、
に何か起こったそのときには俺がやるんだ、命がけでもやるんだ、
そんな気持ちで現場は頑張っているんです。

給料だっていいわけではない、定年も早くて曹以下は54歳、幹部は56歳、
一番トップの階級に行かないと60歳まで務めることは出来ません。
定年後彼らは民間の職場に務めながら外から自衛隊を支え、応援し、
そうやって絆をつないできたんです。

そこに土足で入り込んできて、いかにも現場の自衛官が可哀想だ、
集団的自衛権には反対だ、なんて勝手なことを言わないでほしい。

我々が現場でいつも歯がゆく、また悔しく思っていたのは・・・、
自民党だってそうだったんです。

現在の防衛に関する法体系では、いざとなったとき国民を護ることができない
抜け穴がたくさんあることを認識していたはずなのに、
選挙に勝って政権を取り、大臣の椅子に座ってしまえば
一日でも長くそこに座っていたい指導者ばっかりだったのです。

でもわたしは初めて見ました。

自衛隊の最高指揮官として、この本質的な問題について、
選挙前からそれを訴え、憲法の改正も、集団的自衛権の行使もできなくては
国が護れないということをちゃんと言って当選し、
総理の椅子に座ってもそれを忘れずにきっちりやろうとしている政治家を。

安倍総理私は稀代のリーダーだと思います。



これとは反対に、こともあろうに現場の自衛官を政争の具にして、

国民の世論を釣るような野党の質疑を腹立たしく聞いていました。

現在集団的自衛権をめぐっていろんな極論が流布しています。

「このままでは戦争になるんじゃないか」?

どうやったら戦争になるんですか。

集団的自衛権を認めたら急に戦争になるんですか。
違いますよね。
我が国への明確な侵害があればそのときは自動的に
自衛のための戦争になるんです。

今回の集団的自衛権を限定的に認めているのは、
それを放置しておいたらそのうちこちらが火の粉を被ることになる、
それから動き出していては大変なことになってしまう、
そういうときに、限定的にでも行えること、たとえば米国の警護とか、
機雷の除去、不審船の立ち入り検査などをするべきなんです。

しかし、これまでこれらは全て集団的自衛権に觝触してしまっていた。

自分たちの国内法でそれを縛ってしまって全く手を出せない状況のまま、
何か攻撃を受けてからでないと何も出来ないのが今の日本です。
それでいいんでしょうか。

専守防衛というのは勿論「日本を守ること」です。

野党の連中は

「集団的自衛権の行使は自衛官が人を殺すということじゃないか。
自衛官が殺されるってことじゃないか」

なんて馬鹿なことをいっていますが、それは個別的自衛権の
行使範囲内でも十分同じことが起こる可能性があるのです。
我が国に対する侵略があれば個別だけしか行使できなかったとしても同じことなんです。

そのときにはどこかが攻撃を受け、誰かが死んでいる、ということです。

わたしたちが現場の自衛官に強要してきたのはこういうことなのです。
反撃する前に何人かの自衛官が死ななければいけない、
反撃する前に必ず何人かの国民が死ななければいけない。
それからでないと自衛隊は動いちゃいけない、なんてことを
言っているのが愚かな日本人なんです。

我が国に火の粉が及ぶ前に状況が不穏になる、あるいは
明確な侵害はないにしても、同盟国が動き出したときに何をするか。
というとそれは備えです。


攻撃をするのではなく、集団的自衛権の範疇の中で備える。
そういうことを今までしなかったのがおかしいのです。

初めてそのことが今国会の中で議論されていることがどうしてマイナスなのか。
どうしてアンケートを取ったら約半数が集団的自衛権に対し
いまだに否定的な答えをするのか。
皮相的な拒否反応からただ反対するのではなく、真剣に考えてほしいのです。

わけのわからない漫画家が国家間の戦争を身内の喧嘩になぞらえて

「そんなものに首を突っ込まず警察に逃げ込む」

なんて馬鹿なことをいったそうです。
国際社会でそれが通用するんでしょうか。
いざ我が国が戦争に巻き込まれたときに、一体どこに逃げるつもりなんですか。
国破れて海外に逃げたらそれは難民です。

自分たちを生み育て育んでくれた国土、祖先、自然、国柄、
そういうものに対する愛着をもって、それらを自分たちの手で
護らなくてはいけないと思えないような人間は、もう海外にでも行けばいい。

日本を護る気概の無い人間に日本国民を名乗る資格は無い。


そのために22万の現職の自衛官は、自分たちが盾になろうとしているんです。
政府の人間が彼らを後押しし護ってやれなくてどうやって国が守れますか。

戦争はある日突然起こるわけではありません。
平和もある日突然なくなるわけではありません。
平和から徐々に事態がエスカレートして戦争になるんです。
今はどの段階ですか。

7年前の平成19年、年間のスクランブル回数はたった300回です。
昨年それは850回を超えました。
事態は進行していると思われませんか。

そういうことが自分に見えないからといって平和だと思っていませんか?

水面下の、わたしたち国民の目の届かないところで実は
いろんな国家間のぶつかり合いがすでに始まっているのです。
軍事だけの話ではありません。
経済的なぶつかり合い、技術に関するぶつかり合い、また
エネルギーをめぐるぶつかり合い、歴史認識をめぐるぶつかり合い、
いろんなところで現実的にぶつかり合いが始まっているじゃないですか。

自分は安全なところにいて、そういう現実からは目を背けたまま
そう言った国とと仲良くしたい、

そんなことをいうような人間はどこかよその星にでも行ってほしい。


他国とも仲良くするためには、国際社会の一員として認められるには、
そのためには努力もしないといけない。
自分たちもまたリスクを負わないといけないんです。

わたしは日本を守りたい。



以上、ビデオレターを聞き書きして分かりやすく構成してみました