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横須賀米軍基地~防空識別圏問題と民主党政権

2013-12-02 | 日本のこと

この基地見学ツァーに参加したのはもう一ヶ月近く前のことになるのですが、
ご報告すべきイベントが目白押しで、こんな時期にエントリをアップすることになってしまいました 。

いやこれね。

もしツァーが先週だったら、中止になってたんではないかしら。
というのも、こんな出来事がありましたからね。

中国「防空識別圏決めたからこっから入って来たらお前ら撃墜アル」
日本「何それこわい」
米軍「B52二機飛ばしたが何か」
中国「え・・・・・」
空自「黙ってたけどその前にF15飛ばしてたよ」
中国「・・・・な・・・・」
海自・米海軍「♪合同演習♪合同演習」
人民軍「こ・・・こっちは皆把握していたアルよ!スクランブルかけたアル!」
防衛省「中国機が接近する等の動きは全くありませんでしたー」
日米「『エアー』・フォースかw」「ぷークスクス」
世界「調子こいてるんじゃねーぞ中国」
中国「・・・・ぐぬぬぬ」
韓国「・・・・・防空識別圏拡大したニダ
日本「どさくさにまぎれてうちの識別圏に来てんじゃねーかコラ♯
オーストラリア「次はうちも行っちゃおうかな。中国の抗議うざいし」
中国「 ・・・・」

ええ、すっかり度胸試しの場と化している東シナ海でございますが、
中国が防空識別圏設定を言い出した日はさすがに緊張が走りましたからね。
その後の沖縄での日米合同演習をどうするかなど、
米海軍としてはやはり「基地見学ツァーどころではない」
となっていた可能性もあったのではないか、と今にして思います。




さて、見学ツァーにからめて時事ワンポイント解説ができたので、

一石二鳥の有効な出だしとなりましたが、前回、
横須賀駅を10人単位の小グループに分かれて、観光しながら
ヴェルニー公演からドブ板通りを抜け、海軍基地の前までやってきたところ、
正面の陸橋から「写真禁止」を言い渡されたところまでお話ししました。

なぜ陸橋までが写真撮影禁止なのかというと、そもそもこの陸橋は
同時多発テロのあとできた「バリケード代わり」だから。
ここに陸橋があることでどういう想定に対し防御となるのか、
軍事の素人であるエリス中尉にはさっぱり分かりませんでしたが。


陸橋を渡ったところには団体が溜まれるほどのスペースがあり、

グループはここに集合して、全員でまず挨拶をかわします。
ここで、まず行程1の「セレモニー」が行われるのです。
セレモニーといっても、海軍儀仗隊の栄誉礼とか国旗掲揚とか、
そう言ったものではなく、基地司令の挨拶がメインです。
お忙しい中基地司令が時間を割いてやってきて、
歓迎の挨拶の辞を述べる、というものなのですが、その前に

「司令は日本語を勉強しておられる段階なので、
たとえ変に聞こえたりしてもくれぐれも笑ったりしないでください」

という、まるで小中学生に向かってするような注意を受けます。
だれもそんなことで笑ったりしませんよ~。

というか、今までそんな失礼な日本人がいたのかしら。

待つことしばし、やっと出て来たのは、在日米海軍司令。
紙を出して、おそらく英語で読みを振り、日本語がわかるスタッフ相手に
何度か練習したらしい日本語で、このツァーで米海軍を理解していただき、
日米の友好を深めたい、というようなことを挨拶しました。

そしてその後は全員が点呼を受け、名簿順に列を作り、
パスポート等の身分証明書を確認してから、出発。
ゲートは、団体見学用に開けてもらったところをできるだけ列をつめ通過。
ここで米兵によるチェックはしません。



かなりの樹齢を経ていると思われるイチョウの大木が目を引きます。
ゲートを入ってすぐに見える景色です。



意外なくらい手つかずで残されている自然の部分に少し驚きます。
しかし、この中の歴史的建造物はほとんどが旧海軍の横須賀鎮守府時代のものなのです。
ただ「米軍基地を見学」するのではなく、日本人が昔建造し、
実際に海軍が使っていた建築物を見る
歴史ツァーも兼ねているからこそ、
人気なのですね。


「日本人の歴史的遺産が日本人に公開されないのは
いくら米軍基地内とはいえ昔と違って占領しているわけでもないのだしおかしい」

というような意見が出た結果生まれたツァーかもしれません。



基地内の行動は全て規制され、例えば道を渡るのも皆一緒。
見学行程の2番であるこの「関東大震災の碑」ですが、
このときには近くに行くことすら許されませんでした。

遠くて分かりませんが、この球体の部分は正面に時計が刻まれ、
地震発生の11時58分を針が指しています。



アメリカ国内と全く同じ仕様の通りを書いた表示板。
アメリカというところは住所をブロックではなくストリートで表示します。
それはいたってわかりやすく、道路の一方に偶数、反対側に奇数のナンバーの家があるので、
全く初めての場所でも簡単に住所から場所が確定できるのです。

どんな小さな私道にも名前がついていて、一つのシティに同じ名前の通りは二つありません。

向こうに見えているのは、第七艦隊のレーダーとアンテナ塔で、
アンテナ塔の立っている建物は窓がないそうです。



そうかと思えば、こんなバス停も。
なぜ日本語なのかもなぞですが、それよりこの
「定期バス停」とは何なのか。






ここにもあったよ。鳥居代わりの道路標示が。

アメリカ軍がこれをやるのは単に

「ここは日本だから、日本文化の雰囲気をちょっぴり拝借してみました」

といったリスペクトアピールを兼ねて便宜上使っているだけで、

実質深い意味があってのことではないのは明らかなのですが、
日本人としても、そんなことに目くじらを立てるような大人げないことはしません。

しかし今回、横須賀海軍基地のことを調べていて、こんな不愉快な記事を見つけてしまいました。

”横須賀基地見学記 米軍の意外な日本への軽蔑的態度”

これは、中国環球時報の記者が、

日本の国会議員の協力のもと←注意

ジョージワシントンに乗り、基地を見学し書いたある記事のタイトルです。
ちょっと面白いので、それを全文掲載します。
(URLを貼るのはなんか怖いからやめます)



日本の議員の協力の下、環球時報の記者は8月28日に横須賀基地訪問を申請、

同月31日に許可が下り、中国に最も近い米軍空母「ジョージ・ワシントン」に乗船した。

◇日本を象徴する神社は米軍にとって飾り

在日米海軍が直轄する6つの基地のひとつである横須賀海軍司令部の建物は
かつての旧日本海軍の「横須賀鎮守府」の所在地だ。
建物のロビーには両国の重要な海軍将校の肖像画が掛けられている。

ネイランド事務官は19世紀の日本海軍の肖像画を指差し、
「彼らは友だちだ」とし、その横の太平洋戦争時代の日本海軍の将校は「悪人」扱いした。


基地の食堂の前には1941年の皇太后の基地訪問を記念する記念碑と、
日本海軍が東京の方角を確認し、皇居に向かって敬礼するのに使った羅針盤があった。

これらの歴史がつまった遺物はすでに米軍施設の飾りとなっていた。

日本人にとって非常に神聖な神社でさえそれは同じだった。
佐世保基地の入り口や横須賀基地の一部の門は神社の鳥居の形になっている。

記者がネイランド事務官に何か特殊な意義があるのか聞くと、
いや、何も。ただの装飾品だ」との答えが返ってきた。


記者は横須賀基地入りする前、沖縄のバーにいる在日米軍と接触、
彼は意外にも日本に対して軽蔑的な態度を示した。

スティーブンというこの若い軍官は、

「日本の自衛隊の実力なんてたかが知れている。沖縄の8%の経済は米軍基地に関係している」

と指摘、

「数年前に米兵が沖縄の少女を暴行してから、彼らは我々を追い出そうとしているが、
本当にいなくなったら誰も物を買わなくなる。

そのときになって我々の前に跪いて、早く戻ってきてくださいと懇願するだろう」と語った。


「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年9月5日


いやいやいやいや(笑)。

日本のメディアというのも大概だと思いますが、
中国の記者って言うのは、
さらにどうしようもないですね。
明確な日米離反工作を行うという目的があるわけですからね、


そもそもこの記者、横須賀にわざわざ取材に行って、
ジョージワシントンにも乗ったのに、
そのことには一言も触れず、
鵜の目鷹の目でただひたすら

「在日米軍の日本に対する悪感情の発露」を探してるんですから。

しかも、横須賀基地を取材したと言いながら、最後の
「日本に対して軽蔑的な米兵」
というのは沖縄基地所属で、しかも「バーでの取材」(笑)
まあ、こんな風にクダを巻くアホなアメリカ兵もバーならいるでしょうけどね。


鳥居がアメリカ人にとって「ただの飾りだ」というのは日本人が良く知っているわけで、
そう言ったネイランド事務官の意図も、それ以上でもそれ以下でもなく、
別に「軽蔑している」ということではないと思いますよ?

それと、沖縄の酔っぱらった若い兵隊スティーブンの意見がなんで米軍の総意になってるの?

確かに、沖縄の米軍基地では、過激派の左翼が(ポスターはハングルらしいです)
米軍軍人に酷い嫌がらせをしている、というのが最近ニュースになったけど、
その糸を後ろで引いているのは、沖縄から米軍を追い出したい中国共産党だと
かねてからわたしは思ってるんですけどね?

まあ要は、この記事も、日米安保を破棄させ米軍を日本から追い出す、
という共産党から指示された工作の一環だとわたしは思います。

それよりも、冒頭の一文ですが、

「日本の議員の協力のもと」

って、何なのこれ?
日本の議員って誰なの?

記事の書かれた日付をみると、

2011年9月5日

ああ、民主党政権下ですね。納得。
民主党の議員が中国の新聞記者を米軍基地に手引きしたってことですね。

もちろん自民の議員である可能性だってないではありませんが、
民主党には当時帰化人政治家が半数くらいいたという噂もありますし、

今から考えると信じられないことですが、もっと見えないところでは
いろいろ手引きや情報の垂れ流し、売り渡しなんかがあったんでしょうね。



ここで冒頭の話に戻るのですが、皆さん、今回の防空識別圏問題、

もし民主党政権下で起こっていたらどうなっていたと思います?

そう、まず間違いなく身内が中国に権益を持つイオン岡田が、
中国の防空識別圏には絶対に入らないことを自衛隊、海保に求め、
民間航空会社には航行計画を提出させ・・・・。

要するに中国のやりたい放題にさせていたことは火を見るより明らかです。


本人は否定していましたが、この男には尖閣での中国船衝突事件の後、
中国側に異常な「配慮」をした前科がありますからね。

当時、民主党は米軍と自衛隊とで行われるはずの離島奪還訓練を中止させましたが、
その提言をしたのは当時の副総理であった岡田克也であり、
それは中国でのAEONの収益を見据えてのことであったと言われています。
さらに、
『民主党政権下で海上自衛隊の艦船と中国軍艦の間に十五海里、
28キロの距離を置くことを決めていた』

と、産經新聞に記事を書かれたわけですが、当時の国会答弁によると

(当ブログでは『ブーメラン戦隊ジミンガー』というタイトルで記事にしました)
安倍首相に、

「政権交代後、事務方から聞いた『ファクト・事実』である」

と言われて岡田は沈黙してしまいましたっけ。(捨て台詞付きで)

その後、岡田が産經新聞を訴えた様子もないし、これやっぱり本当だったんですね。
あのとき、民主党政権は、日本は殴られても蹴られても「中国様」に叩頭します、
というサインを中国に対して出してしまったのです。

中国は次はより強硬な策に出て来るだろうと思わせるに十分な売国行為でしたが、

案の定今回のような事態になりました。

(まあ、結果として中国は今回盛大に自爆してしまったという気はしますが)


中国をここまでの「モンスター国家」にしてしまったのは、
丹羽元中国大使や岡田克也のような
親中侮日の商売人や政治家であり、
さらに現下の危機を招いたのは、
この国が戦後七十年間、
自らで国家の独立や安全を維持すると言う事を考えず、

軍事的にはアメリカの完全な属国として生き続けてきてきたことのツケが、
一挙に回ったためであると言わざるを得ません。


そして、日米同盟を破棄させたい中国さんの策略というのは、
逆に日本を覚醒させ自衛を強化させることにしかならないとわたしは思います。

今回のことでもわかるように、同盟の有る無しに関わらず、
アメリカは日本のためではなく自国の利益のために列島線を死守するわけですから。

あの地域で日本を叩けば、アメリカがもれなく出てくるってことを、
近平ちゃんは想定していなかったんでしょうか。



というわけで、案の定時事問題になだれ込んでしまい、どこが基地ツァーだ、
という内容になってしまいましたが、長くなったので今日はここまで。