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映画「燃ゆる大空」~日本戦争映画の「ドラマツルギー」

2013-12-14 | 映画

先日、加藤隼戦闘隊の映画「あゝ陸軍隼戦闘隊」について書いたとき、
劇中使用された「燃ゆる大空」という曲が、戦中陸軍省の公認で作られた、
同タイトルの映画の挿入歌であり、なんとあの作曲界の大物、
山田耕作大先生によって作曲されたということを知ったわけですが、
それを知ったついでにアマゾンでこの映画のDVDを購入いたしました。

そのとき「あゝ陸軍」の音楽担当者はこの映画の存在を知らなかったのではないか、
と書いてみたわけですが、(多分そんなことはないと思いますが)もしそうだったとしても、
情報が今ほど簡単に手に入れることのできるわけでもなければ致し方なかったかもしれません。
現代のように汗一つ書かず一歩も外に出ることもなく、このような映画を手に入れることができる、
これを当たり前としてつい過去に対して傲慢になってはいけませんね。


そして例によって最初はもう一台のパソコンで(最近MacをTOからもらった)
流れているのをちらちら見ながら作業をする、という観かたをしていたのですが、
この映画、いつもと違って、劇中、音声が全く聞こえない部分が異常に多い。
しばらく何も聞こえてこないのでふと画面を見ると、役者は静の演技の真っ最中。
セリフがない部分をBGMで埋め尽くすということをしない、省エネ映画です。

戦時中の映画とはおおむねこのような「す」を多用することが多く、
こういった時代による表現法の違いを知るのもまた一興です。


さて、この「燃ゆる大空」、陸軍省・陸軍航空本部の全面協力のもと、
皇紀2600年記念作品として制作されました。
もちろん国策映画というわけですが、国策映画にしては、内容が暗い。
同じ国策映画の「雷撃隊出動」もそうですが、日本の国策映画というのは、
華々しく敵をやっつけてその成果を誇るというより、むしろ戦闘で死んでいく仲間を惜しみ、
後に続くことを誓う、という悲劇調が基本となっている気がします。


この映画でも、主人公となる飛行学校の少年飛行兵仲良し4人組が一人減り二人減り、
三人目がいまわの際に「軍人勅諭」を唱えて死ぬ、というシーンがクライマックスとなっており、
これを観てはたして国民の戦意が高揚するのか?と思わず心配してしまうほどです。

戦後の戦争映画というのは、ことごとく「人命が失われる悲劇」というドラマにフォーカスを当てて、
戦争そのものを描くことから逃げている、とわたしはかねがね思ってきたのですが、
何のことはない、戦中の国策映画さえこの照準の当て方に大した違いはなかったということです。

ただ、大きな違いは登場人物たちが仲間の死に痛烈な悲しみを受けても、
それを押し隠し、

「立派に死ねて羨ましい」

と口を揃えて言うことと「天皇陛下万歳」という言葉がタブーになっていないあたりでしょうか。
(当然ですが)

映画は、陸軍航空飛行学校の訓示シーンから始まります。
これがまた、ご丁寧にも、大隊整列の号令と番号点呼を全部やるのよ。
それがなぜか実に本当っぽい。
番号の言い方がとても俳優がやっているとは思えないくらい「何を言っているかわからない」、
つまり日常的にこれをやっている人たちのそれなわけ。

「これは絶対本物の陸軍航空兵たちに違いない」

とこのシーンから思ったのですが、やはりこの映画、陸軍の全面協力で撮影され、
現役空中勤務者が撮影に参加していることがわかりました。
この映画は、少年航空兵たちの日常をリアルに描くことによって、少飛の宣伝もかねています。

つまり、「空の航空兵」と同じく、陸軍の「リクルート映画」でもあるわけです。
ところが、繰り返しになりますが、劇中、少飛の仲間が次々と戦いに死んでいく。
その死を嘆く。「しっかりやるぞ」と出撃してまた一人やられる。

それでも「宣伝になる」と陸軍省が判断したのが当時の国情というか世相でしょうか。


こういう映画によってあらためて考えさせられるのですが、もしかしたら、
戦前と戦後、全く戦争に対する立ち位置は変わっているのに、
日本映画というのはドラマツルギーの基本において変わっていないのではありますまいか。
つまりどういうことかというと、戦争によって失われる命への哀悼であるとか、
戦争そのものが悲劇であるということは、戦前においてもドラマの大前提として成立しているということです。


両者の大きな違いはその悲劇たる戦争に対して「しかし誰かがそれをやらねばならぬ」とするか、
「絶対こんなことをやってはいけません」とするか、というベクトルの向きだけなのです。

もっとも、戦前の映画が明確に国民の「行くべき道」を示しているのに対し、
戦後戦争映画の主張する「絶対にこんなことがあってはいけない」は、じゃあそのためにはどうするんですか、
ということになると、そこは皆さんでお考えください、というものばかりなんですけどね。

「連合艦隊司令長官山本五十六」「男たちの大和」
まだ公開されていませんが「永遠の0」などもどうやらその典型の模様。
いや、別にそれが悪いとは言いませんが。


ただわたしがここで言いたいのは、仲間の死に奮い立って我もいざ戦わん、というメンタリティが
「正しいかかどうか別にして」、
こういう戦中の映画を見る限り、これが当時の日本軍人の戦争に対する普遍的な在り方であり、
これを理想として日本軍というのは成立していたことは紛れもない事実であるということです。

問題は、どうしてその「事実」を「事実」として描くことができなくなったかということなのです。

死ぬのはいやだと泣く軍人(ex.男たちの大和)や戦争に反対する軍人(ex.山本五十六)
ばかりを描いて、
太字で大書きするように「戦争は悲惨だ」と言わないと、
それでは戦争の悲惨は観ている者に伝わらないのか。


決してそうではないとわたしは思うのですよ。



「天皇陛下万歳」「靖国で逢おう」と多くの軍人がそういって死んでいった、
これは事実なのですし、昨今の映画のようにそういった部分を避けて描くより、
そのままを描き、
観る者に戦争が悲惨かどうか、
戦争はするべきかどうかの判断くらい観るものに任せるべきだと思うんですがね。


まあ、そういう描き方をしたが最後「戦争讃美だ」と怒鳴り込んでくる厄介な人たちがいる以上、
現代の映像制作者は、現実としてディフェンシブな表現に逃げざるを得ないわけで、
これは同情します。


いや、同情はしませんが、理解は出来ます。




話がそれましたが、ようやく映画の説明に入ります。



タイトルの後、陸軍省検閲済み、さらに陸軍航空部協力、という字幕が出て、
次ぎにくるのがこれ。
皆さん、ちゃんと最後まで音読できますね?

内容といい、この字幕といい、戦意高揚というよりは、
我が国のために戦って死んだ者への鎮魂がテーマであることが確認できます。



この、前に立っているのは主役の大日向伝であろうと思われますが、
もしかしたら後ろの将校は本物かもしれません。
そして、先ほども言いましたが、整列している生徒たちはきっと本物。

こういう昔の、しかも若い軍人の写真ではなく映像を見ると、
この若々しい肉体の持ち主が、今はおそらくほぼ全員がこの世に無いことや、
この映像が撮られてから後、どんな場所でどんな死に方をしたのだろう、
などということをつい考えてしまいます。

出演した俳優ですら全員鬼籍に入っているのですからね。

全員が番号による号令をかけた後、英霊に対する黙祷が行われています。
こういうところで、先日お話しした「ああ陸軍隼戦闘隊」だと、
既成のクラシックなんぞを引っ張ってくる訳ですが、
この場面では実に荘重な式典風のBGMが流れます。

むむ、できる!

音楽担当の名前を見たわたしはただちに膝を打ちました。(比喩表現)

早坂文雄

クラシック関係者なら誰でも知っている純音楽の大御所であり、また、
黒沢、溝口という大物監督に気に入られて、「生きる」「七人の侍」、
「野良犬」「細雪」「羅生門」「酔いどれ天使」・・・・、
日本映画の名作の数々の音楽を手がけてきた、映画音楽界の巨匠ではないですか。

挿入歌の「燃ゆる大空」はこれも巨匠の山田耕筰の手のよるもの。
さすがは皇紀2600年記念作品、陸軍お金かけてます。




さて、その後は、少年飛行兵たちの描写が始まります。
洗面に始まって食事、



銃の手入れ、洗濯など。
もちろん昼間は航空訓練もあるはずですが、それより先に
日常生活をリアルに描いています。

自習したり、休暇の外出を誘い合ったり。



手紙が来たら、教官の前で開封して

「異常ありません!」

と報告しなかればなりません。しかも女名前だと、

「その女の人は誰だ」

と聞かれてしまいます。

「おばあさんです」
「そうか、おばあさんか」

兵学校でも検閲があったといいますから、ここでも当然中身を読まれている訳で、
おばあさんか若い女性かくらいは内容でわかるような気がしますが。

この少飛の生活描写の部分は、出来るだけ後半と対比を持たせ、
できるだけユーモアを交えて語ろうとしている様子が見えます。

 

仲間同士で髪をバリカンで刈り合うのですが、消灯ラッパが鳴ってしまい、
トラ刈りのまま終わってしまって慌てるシーン。

このトラ刈りされている方が、あの、歌手灰田克彦
もしかしたら、「野球小僧」「恋は銀座の柳から」「鈴懸の道」
こんな歌をご存知の方もおられるでしょうか。

軍歌は「ラバウル海軍航空隊」「加藤隼戦闘隊」などをレコーディングしています。

灰田は26歳のとき、招集されて中国戦線に従軍しています。
しかし、重傷の黄疸を患い、陸軍病院に入院しただけで軍生活が終わりました。
この映画は、応召が解除になった彼が歌手に戻ってからすぐ撮られた映画で、
このとき灰田はすでに 29歳になっています。

バリカンを持っているのが、彼と同期の飛行兵という設定、月田一郎。
この役者さんは食中毒のため36歳で若死にしてしまったのですが、このとき31歳。

灰田は若作りなのでそれなりですが、こちらはどう見ても「少年」には見えないのが辛いところ。



左から、35歳、29歳、31歳、不明。
この老けた4人の少年兵たちが、映画の主人公です。

左端が、ヘンリー大川こと大川平八郎
この人のことだけで一つエントリが出来そうなくらいの俳優です。
本題ではないのでざっと駆け足で紹介すると、草加の名家に生まれ、
実業家になるために渡米して、皿洗いをしながら好奇心で俳優学校に入り、
俳優学校が閉鎖したので、元の目的だったコロンビア大学で経済学を勉強したという人物。

その後ハリウッドに行き、曲芸スタントパイロットとして何本かの映画に出ました。
先日お話しした、女性スタントパイロットのパンチョ・バーンズがハリウッドで組合を作ったのが
1930年のことで、大川は33年までここで映画に出演していますから、
お互いを知っていたことはほぼ確実だと思われます。

ですから、この「飛行兵役」は、飛行つながりで思い入れもあったはず。
クレジットされた大川の出演映画の数は膨大で、中でも「戦場に架ける橋」が有名です。

彼も戦中にフィリピンに応召されていましたが、その間、「あの旗を撃て」という、
フィリピンを舞台にした国策映画が作られたためこれに出演しています。
しかし、日本映画が当時、戦地に行ってまで創られていたは知りませんでした。

彼がフィリピン駐留中に終戦となったため、バイリンガルの彼は、
山下奉文司令官が投降するとき、
通訳として抜擢されたということです。

そして、一番右。
Wikipediaの映画クレジットにすら名前が残っていない俳優で、伊東薫という俳優です。

この人は、なぜかデビューしたばかりの池辺良に喧嘩をふっかけてきて、
そのことを池辺が本に書いてしまったので名前がかろうじて残っているという程度の無名俳優なのですが、
この映画ではその無名度を反映して、4人の中で真っ先に殺されてしまいます。

しかも、少飛の場面が変わって、彼らが中国戦線に移った二年後にはもう死んでいたという設定。
どんな死に方をしたのかさえ語られないまま、お墓だけが写されます。(合掌)

伊東薫自身もこの二年後応召され、この四人の中で唯一実際に戦死したそうです。(合掌)


さて、この4人がどうして雁首そろえているのかというと・・・。



この、特務少尉が彼らの金銭チェックで、
アンパンを一人20個食べたことをがみがみ起こっているの図。

「せめて10個で我慢しておけ!」

この特務少尉のおじさんが、最後までいい味出してます。
今なら、片岡鶴太郎の役どころでしょうか。

さて、というわけで、少年飛行兵の生活編、終わり。
ここからは訓練のシーンになります。



うおおお~!

出ました。大日向伝

「上海陸戦隊」では、ひげ面の指揮官を演じていましたが、

ここではこざっぱりした中隊長役。
しかし、この映画の隊長役、非常によろしいんですよ。
確かに何というか、昔の俳優さんなので、体全体のバランスが、という気もしますが、
そういうことをふまえてなお、この二枚目ぶりはイケる。

単にエリス中尉の好みなんじゃないか、と思われた方、あなたは鋭い。
この映画には、大して重要な役でない飛行隊附きの軍医に、
長谷川一夫が出演していて、これは女性客へのサービスだと言われているのですが、
この「眼千両」といわれた稀代の二枚目スタアよりも、
個人的にはこちらの方が好感持てるなあ、と思ってしまいました。

単にさっぱりした顔が好き、ってだけなんですけどね。

余談ついでに、長谷川一夫の旧芸名は「林一夫」というのですが、

つまめとやしかずおが好き」

ここから転じて「ミーハー」という言葉が出来たのだそうですよ。



後ろにずらりとならぶ陸軍の実機の数々。
この映画のすごいところは、特撮が殆どなく、
(一応円谷英二の名前も見えるんですが)
訓練射撃など、実際にコクピットからのカメラで撮られていることで、
しかも、敵の中国機に扮するためにペイントを塗り替えた日本機が登場している、
という今ではありえない贅沢な撮影であることです。

海軍の「雷撃隊出動」が、戦況も不利を隠せない1944年に撮られたのと違い、
この頃は日本も切羽詰まっていませんから、何かとゴージャスです。
フィルムや音声すら、こちらの方がかなり「上等」な感じを受けます。

同じ国策映画でも、撮られた時期によってずいぶん趣が違うのが感慨深いですが、
先ほども言ったように、どちらも「戦争の悲惨」を核にしているという点は同じなのです。


さて、次回は、この映画に出演した陸軍機に触れながら、話を進めて参りましょう。