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映画「燃ゆる大空」~陸軍航空機総出演

2013-12-16 | 陸軍

この映画は、皇紀2600年記念に陸軍省が協賛して制作したため、
陸軍航空部の全面協力により、陸軍機がこれでもかと出てきます。

主人公の少年飛行兵の訓練シーンから、次々とそれが現れるのですが、
今日は登場した飛行機を紹介しながらストーリーを進めていきましょう。

 

訓練がどのように行われるか、整列からシーンは始まります。



まず、訓練性の点呼と、本日の訓練目標の確認。



とても少年飛行兵に見えない一番機、行本生徒。
こりゃーどう見ても大尉の貫禄です。



一斉に編隊を組んで飛び立つのは、

九五式一型練習機

練習機としての性能の高さを評価され、飛行学校で広く使用されていた
陸軍の主力練習機です。
骨組みは主翼に木材、胴体に金属を使い、羽布張りの外皮を持ちます。

 

白黒なのでわかりにくいですが、実は色は赤。
「赤とんぼ」という名称で呼ばれていました。
米軍のコードネームは「スプルース」。
もみの木のことで、前にも一度書きましたが、米軍は練習機全般に木の名前を付けていました。
「立ったまま」つまり攻撃してこない、という意味ではないかと推測してみたのですが、
本当のところはわかりません。

しかし、大戦末期に250キロ爆弾を搭載した九五式で特攻が行われたこともあり、
これを「赤とんぼ特攻」と言います。

 

キ1九三式重爆撃機

飛行訓練のシーンですから、爆撃機も練習機が登場。
この九三式は、ユンカースK−37双発軽爆撃機をモデルに作られました。
その特徴は外板が波型であることで、これはユンカースと同じです。
日中戦争で初陣を迎えましたが、エンジントラブルが多く、また出力が少ないので、
双発機にもかかわらずいざとなると片舷飛行が出来ないなどの問題多発のため、
実戦部隊からは大変評判が悪かったそうです。

それもこれも、新型爆撃機導入が急務だったことから、飛行審査で指摘された
問題点を解決しないまま実用に踏み切ったからだということです。

急がば回れを絵に描いたような教訓ですね。

ちなみに、この重爆撃機には、歌手の灰田克彦演じる佐藤生徒が乗務しています。




上級練習機として登場した

九一式戦闘機

陸軍初の国産戦闘機で、中島、川崎、三菱、石川島の4社に競合させ、
その結果中島の試作機が採用されたものです。
複葉機甲式四型戦闘機の後継機として、フランス人技師を招聘して設計されました。

採用されたのが満州事変の最中で、しかも参戦してすぐに停戦になってしまい、
敵機との交戦記録はなく、「実戦未参加」扱いとなっています。

この機体はたった一機が現存しており、それは現在所沢航空発祥記念館に展示されています。
なお、この機体は航空遺産一号機指定となっているそうです。



速度、運動性能、操縦性すべてがバランスがとれていたそうで、
これといった性能の証明をせず消えてしまったのは残念というか。




訓練後講評する飛行学校教官の山本大尉。(大日向伝)
一人一人に注意点を指示します。

とつとつとした演技が、やたら本物らしい。



講評の後は、機銃掃射演習。



曳航機に引かせた射的を狙います。
これがまた本物っぽい、と思ったら、九七戦のコクピットに実際にカメラを据えたのだとか。
これすなわち、パイロットの視線でもあると思えば実に感慨深いシーンです。



このシーンは思わず食い入るように見てしまったんですが、海の上に
座布団のような浮かぶ射撃の的が三枚あり、それを狙って機銃掃射する九七戦を、
真後ろから追いかけて掃射の瞬間を何度も撮影しています。
そして、最後にはカメラを設置した機が銃撃。

カメラにアガッてしまって失敗した射撃のフィルムは採用されなかっただけかもしれませんが、
百発百中です。


さて、この訓練が終わった後、山本大尉がいきなり、

「近頃お前たちの訓練を見ておると、熱意と信念が欠如しておる。
焦燥の様子が見える」

と説教をします。
まったく真面目に百発百中の射撃訓練をしているのに、どのあたりが焦燥なのか、
話がすっ飛んでいてわからないのですが、この理由は後に判明します。
ともかくもこのお説教が、

「人間が立派に死ぬということは立派に生きるということだ。
これこそ日本武士道の精神であり、宗教で言う生死一如の信念である。
その精神が神の心である」

という訓示につながる訳です。
そして最後に 

(精神の動揺に直面したときには)
「謹んで御勅諭を拝誦し、日本武士道の精神を高揚するように」

と、つまり物語のラストシーンの伏線ともなる台詞が出てきます。



そしてあっという間に二年が経ちました。
この字幕が絵画の上に書かれているのがなんとも時代を感じさせます。

 

中国戦線の仁礼部隊に山本大尉が到着しました。

着任の挨拶のため大股で司令室に向かう山本大尉。
皮の長靴に陸軍マントをなびかせて颯爽と登場です。



着任の報告を受ける部隊長。

高田稔が演じています。
1953年の映画「戦艦大和」では、伊藤整一中将を演じていましたし、
「潜水艦イー57浮上せず」「明治天皇と日露大戦争」(山県有朋役)
若大将シリーズにも出演した大物俳優です。

2~3シーンしか出番がないのにこんな大物を使うとは、さすが陸軍協賛作品。



山本大尉は今や一人前となって前線で戦っている元教え子たちと再会します。
しかし、早くも元教え子の一人、田中生徒は戦死してしまっていました。


「教官殿がきたら鬼に金棒だな!」
「明日から気合い入れてやろうぜ!」

と、元教官を迎えてやる気を出す飛行兵たち。

 



九七式中爆撃機

佐藤生徒、いやすでに兵曹長となった佐藤が乗っています。


この九七重は、完成度が低かった九三式重爆の後継機として開発されました。
三菱製で、米軍コードネームは「サリー」。

その日高性能から日中戦争時には各爆撃隊に配備され活躍しました。
大東亜戦争初中期までは陸軍の主力重爆でした。






九七式戦闘機


陸軍最初の低翼単葉戦闘機。
海軍の九六式艦上戦闘機を手本にして中島飛行機が開発しました。
軽量化と抵抗現象を徹底した結果、本家九六戦をしのぐほどの運動性能を獲得し、
海軍の搭乗員にはしばしば羨ましがられたほど。
特に水平面での格闘戦では能力を発揮したと言われています。

日中戦争時の陸軍主力戦闘機として、多くの戦闘隊で活躍しました。
ちなみに、この飛行機が競合試作の結果中島飛行機に決まったことで、
以降「海軍三菱、陸軍中島」の緒となったとも言われています。
この映画には本物の整備員も出演しています。(上写真)



この映画のタイトルロールには円谷英二の名前があり、特撮が採用されているはずなのですが、
実際には実機が多く使用されていて、一体どこに特撮が?と思ったら、このシーンでした。
この上画像は模型じゃないんですが、この一連の空戦シーンはどうやら実機と特撮の混合だったようです。


しかし、特撮がうまいせいか、そもそも画質そのものがあまりよくないせいか(笑)
実写の多いこの映画に挿入しても違和感がないというか、
何となく見ていると本物だと思ってしまう程度によく出来ています。

これは、最初のヤマ場である、中国軍の地上部隊を攻撃したあと、
燃料漏れで山村(ヘンリー大川)の飛行機が不時着するシーンです。



油を頭からかぶって不時着させた飛行機を呆然と眺めていると・・・



銃声が聞こえて思わず地面に伏せる山村。
びびっていると、戦友の行本が戦闘機を着陸させて救助にやってきます。
 




銃声の中、二人で地面を這いずりながら近づいて、
伏せている間地面に置いていた煙草を拾って二人で回し飲みします。
ここ、何でもないシーンなんですけど、ぐっときました。

かれらにとってのタバコというのは、特別な意味を持っているのだなあと。

 

せっかく描いたのでいじましくもう一度出してくるタイトル画。
実は、一番印象に残ったのがこのシーンでした。 



飛行機を置いていかねばならない二人、
焼却処分することにして、機体を銃で撃ち燃料を撒いてから、
翼の下に火をつけて戦闘機を燃やします。



「地獄の一丁目からかえってきた顔を見せてくれ!」

そういわれて照れる山村。
生きて帰ってきた彼のために急遽部隊では祝賀会が開かれました。

「ああ、今夜は愉快だった」

そんなことをいいながら星空の下、腕を組んで夜道を歩く三人。
ところが!

「よし、もういい、もうここまでで送らんでいい」
「大丈夫か貴様」
「佐藤は絶対大丈夫だ。絶対不時着はしやせんぞ」

うわああああ、なにこの思いっきり不吉なセリフ。
なぜここで不時着した山川じゃなくて佐藤が?




夜道を歩きながら美声で(灰田克彦ですから)、

「夕空晴れて秋風吹き~」

と「故郷の空」を歌いながら歩いていく佐藤。
笑いながらそれを見送る山村と行本。

これは、あまりにもわかりやすい戦死フラグではありませんか。




続きます。