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バーキン片手に靖國神社

台湾を行く~蒋介石と忠烈祠

2013-02-11 | 日本のこと

台湾旅行を機に台湾の歴史について調べるうち、
台湾が親日であることに始まって、日本が統治時代にしたことの数々、
たとえばこのブログでもお話しした八田ダムなどのインフラ建設や、
教育、そして社会基盤を整えたことなどを挙げるブログをいくつも発見しました。
わたしのように台湾旅行をきっかけにそのようなことを知った、というブロガーも
かなりいるように見受けられました。

しかし、彼らの記述を見て気になったことがあります。

日本が統治時代に台湾にしたことのいろいろを挙げ、だからこそ台湾は親日なのだ、
と書きながら、最後に言い訳のように

「しかし、日本が台湾を植民地にしたことは決して許されることではないが」
「統治したことを正しいというわけではないが」

などと、お約束のように付け足している言論が非常に多いことです。

いつも思うのですが、日本人には、どういうわけか歴史を自分のことのように捉え、
かつそれに対して罪悪感を感じ、ときとして謝罪までしてしまう「善人」が多すぎます。
それが日本人らしい美点と言えば美点でもあるのですが。

二国間の間に支配、被支配の関係が生じるとき、そこにあるのはパワーバランスの不均衡、
強いものが支配し、弱いものが支配されるという事象があるだけで、
何度も言うようですが、それは善と悪という関係ではなかったのです。
しかも支配した側でありながら統治を悪であると反省してしまうような民族は、
世界広しと言えども日本人だけです。

中国や韓国がそれをいまだに善悪で語り「謝罪と賠償」を要求するのも、
日本が戦後、前代未聞の自虐史観によりそれを自ら認めてしまったからなのです。

そもそも、歴史上支配側が支配したことを悪と考え、支配された民族に謝罪する、
こんな例は古今東西探してもどこにもありません。
(ドイツの首相の謝罪は言っておきますがノーカウントですから念のため)

ただ日本だけが、GHQに与えられた自虐史観を拗らせた「謝罪マゾヒスト」、
(ある種の人たちは懺悔によってアドレナリンが出て、陶酔するという心理に至るらしい)
またはその揚げ足を取って政治利用しようとする政治家などによって、
「被支配側」あるいはさらに謝罪の必要などない戦争相手に遡及のすきを与え、
それを政治カードに取られてしまったというだけのことです。

NHKの「Japanデビュー集団訴訟問題」でNHKを訴えた台湾人たちは、
統治していた日本を恨んでいるわけでも、全面的に肯定しているわけでもなく、

「統治にはいろんな面があった。
しかし、少なくともNHKの捏造したような、
一方的な弾圧や差別を含む
過酷なものなどではなかった」

という主張のもとに訴訟を起こしたわけです。
(いえーい、NHKの人見てる?)

戦後日本には、お人好しで根が善人の日本人が、自分の歴史に対し、
「いいこともしたけど、やっぱり植民地化はよくない」と―善良な市井の人までが、
なんとなく言い訳しないといけない気になってしまう土壌が築かれてしまいました。
もちろんこれはNHKや朝日毎日の日々の刷り込みによるところが大です。

その昔台湾や朝鮮がどんな国で、なぜ彼らが日本政府の治世を受け入れたかとか
台湾では日本統治の後、国民党によって殺戮や弾圧が起き、皆統治時代を懐かしんだとか、
こんなことをほとんど知りもしないのに、なんとなく日本を「悪者」にしてしまう。

メディアと左翼の刷り込みによって今日「愛国者」=「右翼」と思い込む日本人のなんと多いことか。


もう半年以上前になりますが、台湾の高砂族部隊について書いた稿に、
予科練にもおられたという戦中派の読者の方がコメントを下さっていました。
その方が30年前、この忠烈祠を見学した時の話で、

館内の資料ケースの中に敗戦後、復員する日本兵の船上の写真が有りました。
そこには「以恩報怨」 と書かれてました。
蒋介石が過去の事を忘れて日本軍を早く帰国させる為に取った措置だそうです。
中共やソ連と雲泥の差があり感心しました。

というものでした。

一方、今回忠烈祠の見学を薦めてくださった読者の方は

「抗日関係の展示物には凄まじい”モノ”が有った印象があります。
怨念というか・・・」

と書いておられました。
これでわざわざ見なくても忠烈祠の展示内容がわかってしまいました(笑)


当時、蒋介石の国民党は、毛沢東率いる共産党に対する
「自由主義陣営」という位置にありました。
言わば日本にとっては「仲間」というわけです、

そして特に戦中派、大陸から引き揚げてきた日本人は

「蒋介石は以徳報怨といって、復讐をしないように中国の民衆に呼びかけた。
しかも、日本に対して賠償を放棄して一銭も求めなかった」

などといって、蒋介石を尊敬したりこれに感謝したりしたのだそうです。
しかし、わたしが台北で今回お会いした「元日本人」蔡焜燦(さい・こんさん)氏は、
こういう日本人を、このように評します。

「日本人は律儀すぎるほど律儀なのだ」

戦後の日本が外交政策として自由主義陣営とされる国民党と手を組むのは、
中国共産党への対抗上仕方のないことであったと言えます。
そもそも日本人は、当時台湾が凄惨な虐殺を伴う戒厳令下にあることなど、
全く知る由もありませんでした。
表面的な賠償放棄と「以徳報怨」ですっかり騙されたのも致し方なかったといえます。

・「戦後賠償放棄」の真実

そこで改めて、この冒頭の絵をご覧ください。
蒋介石とその妻、宋美齢の仲睦まじい様子ですが、
注目していただきたいのは、宋美齢の写真に見られるいでたちです。
まあ、趣味がいいかどうか、というのは読者の個人的な見解に任せるとして、
チャイナドレスの上に洋風のジャケットを羽織り、大きな指輪をはめ、
全く必要もなさそうなポーズのためだけの皮手袋を、気取った様子で持っています。

この宋美齢が中国4大財閥のご令嬢で、幼き日からアメリカに留学し、
アメリカで抗日を訴え、反日の象徴としてマドンナのようになっていた、ということは
もしかしたらみなさんも「宗家の三姉妹」などという映画でご存知かもしれません。
彼女はこの写真からも覗えるように、非常に自分の容姿に自信を持っており、
さらに自他ともに認めるお洒落番長(笑)だったので、何しろその維持が大変。

アメリカで抗日を訴えてアメリカ人から集めた寄付金は、
全て彼女の滞在した高級ホテルや衣装宝石自家用車お化粧代に消えてしまったそうです。
まあ要するに、この彼女のお衣装にも途方もないお金がかかっていたわけですね。
趣味はともかくね。
さてそこで質問です。
この妻を満足させるだけのお金を、蒋介石は戦後どうやって捻出したと思います?

戦争が終わり、日本の台湾統治も終わりました。
実は、日本が台湾に施したインフラは勿論、台湾に残された「日産」(日本の資産)及び、
日本人の私有財産、これを蒋介石は、日本が持ち帰ることを一切許しませんでした。

台湾にいた日本人が国に持ち帰るのを許されたのは手荷物だけ。
国家予算の5パーセントに当たるこの巨額の資産を、国民党は実質
「賠償金」として全て私的に(つまり国としてではなく党として)接収してしまったのです。

ちなみに、日本はこの残した資産を清算するように国民党に何度も要求しています。

さらに、国民党政府は、日本が残していった事業を設備から何からそのまま引き継ぎ、
安定した利益をすぐさま上げることができたのです。
戦後内戦に敗れて大陸から無一文で逃げ込んだも同然の国民党は、
これら日本人の残した財産によって肥え太り「世界一の金持ち政党」となったのです。

しかも蒋介石は、戒厳令によって台湾人を弾圧し、表向きは日本と自由主義陣営同士の
連携を謳いながら、実は国内では強烈な反日教育を推し進めていたのです。
「東洋鬼」
「小日本」
と日本をあざけることを教え、同時に統治時代の痕跡を尽く破壊していきました。
利用できる堅牢な日本の建築物はちゃっかり残して。




現在この忠烈祠の在る場所には、昔、日本の護国神社がありました。
日本の英霊を祀る場であるからこそ、蒋介石はこれをあえて潰して、
抗日戦争で亡くなった中国人の魂を顕彰する祠を作ったのです。

 

自分の神格化も勿論のことしっかりと行っております。

 

そしてこれ。
台湾に行ったことのある方は、この非常に目立つ、
とても趣味がいいとは言えないこの巨大な中華風建築の建物が、
宋美齢が日本の神社を潰して作った超高級ホテル」という事をご存知でしたか?

ここには、隣の護国神社と寄り添うように「台湾神社」がありました。
それを宋美齢は壊して、国有地にわざわざホテルを作り、それで私腹を肥やし、
さらになんだかんだ言い訳をして税金すら払わなかったというのですから畏れ入ります。
この目障りで風情もくそもない醜悪な建物は、空港からも非常によく見え、
そんな彼女の極道ぶりを今に伝える立派な証拠となっております。



一度ここが火事で焼けたとき、蔡さんら「トウサン世代」の台湾人は皆
「ざまあみろ!」
と快哉を叫んだというくらい、評判の悪い建物でした。

蒋介石と宋美齢はたった半世紀の間に15億ドルもの蓄財を為しています。

蒋介石は、狭い台湾に40箇所もの「行宮」(あんぐう)という豪華な別荘を建て、
視察に泊まるときだけ利用しました。
日月潭も、日本から取り上げた宿泊施設を行宮にしたものです。
夫妻のためだけに造られたこの行宮は、夫妻が一度泊まると、
そのたびに浴槽と便器を壊して取り替えたと言われています。

ちなみにこの行宮は「あんぐう」を変換すると出てくる単語ですが、
中国の「皇帝」の別荘のことを言うのです。
まさに、この二人は自分たちが「皇帝、皇后」になったつもりだったのでしょう。
宋美齢はかつて
「私が”中華民国”だ」
と言い放ちました。

「宗家の三姉妹」の宣伝文句によると、
「一人は金と、一人は国家と、そしてもう一人は権力と結婚した」。
実業家と結婚した長女、中国革命の父孫文と結婚した次女、
そして三女の美齢は国民党の首領であるこの蒋介石と。

「権力と結婚した女」
これは、絶大な権力をほしいままにした宋美齢を何よりも表しています。


・「以徳報怨」

これについても少し。
蒋介石に対する評価は政治家ですから毀誉褒貶はなはだしいのも当然ですが、
もちろんのこと評価する声は今日もあります。(昔ほどではありませんが)
この人物に対するわたし個人の評価はやはり「日本の台湾統治」と同じ。
良くも悪くも政治家である限り、善悪ではくくれないとしか言いようがありません。
ただし、日本人がこの人物をやたら評価していることに対しては、
228事件の痕跡などを今回見る限り、疑問を持たずにはいられないのも事実です。

まず、好評価の一つとして蒋介石が「陸軍士官学校に学んだ」と言う経歴があります。
実際本人にとってもこれが「売り」で、また彼個人は日本で結婚式を挙げたがったほど。
日本と日本の文化に傾倒していたというのはどうやら事実だったようです。

しかし蒋介石が留学していたのは「振武学校」といういわば陸士の予備校でした。
つまり「士官学校卒」は思いっきり経歴詐称だったのです。


一個人として蒋介石が日本に対してどう思っていたかはともかく、政治家としての彼が
在日中の経験から学んだのは要するに「美辞麗句に騙されやすい日本人の性質」と
それに基づく「日本人のあしらい方」であった、というのは少し言いすぎでしょうか。

表向きは「戦後賠償放棄」「以徳報怨」などとぶてば、日本人は単純に感激する。
実は戦後補償どころではない資産を没収されたとも知らず。

これが政治家蒋介石の日本分析であり、それに基づき日本にしたことであったとも言えます。

・蒋介石と金

政治家蒋介石が、いわば中国の腐敗体質を象徴するような「金に汚い男」
であることを、実はアメリカですら苦々しく思っていたようです。
涙ながらに反日を訴え、アメリカの要人に取り入った宋美齢には、
彼女をいわば利用したアメリカ男たちも非常に甘かったようですが・・・・・。

たとえば「フライングタイガース」の結成の時、カーチスのP-40を一機購入するたび、
当時で一万ドルが蒋介石の懐に不正操作されて入っていましたし、
日中戦争の際にはアメリカは支援物資を送りましたが、それは必ずと言っていいほど
途中で行方不明になり現地に届いたためしはありませんでした。
つまり、それらは横流しされて、お金はこれも蒋介石のポケットに、というわけです。

トルーマンはそのことを知っており、

「もうあんな国に誰が援助金を送るか!
あの国に金を送っても、ただアメリカの土地が高くなるだけだ」

と怒りをあらわにしたと言われています。

しかし、わたしは蒋介石を「悪」だと決めつけるつもりはありません。
日本統治が台湾にとって「善でも悪でもなかった」と評価するのと同じで、
蒋介石に対しても単にそういう歴史上の人物がいたと評価するのみです。


ただ、このことから言えることは、
「統治したことは決していいことじゃない」
なんて言い訳をわれわれ日本人がする必要もなければ、
ましてや戦後の賠償放棄や「以徳報恩」を恩義に思う必要もないということです。

その時日本はそこで「日本」を作ろうとした。
ダムを造り、鉄道を敷いて学校を作り、道徳と秩序ある、日本と同じような、
いや、日本そのものを台湾に造ろうとした。
そこには抵抗するものや差別される者も、敵対する勢力もあった。
感謝する者も恨みに思うものも、どんな体制にもあるように一定数いた。

どこの世界にも普通にある社会の構図。歴史という事象。
真実はそれだけなのです。

蒋介石の言葉を借りるならば
「以史知実」・・・・・うーん、もう一つかな(照れ)