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バーキン片手に靖國神社

開設1000日記念 人物ギャラリー第一弾

2013-02-07 | つれづれなるままに

1000日記念ギャラリー、第三弾は人物です。
といいながら今日で1011日が経ったわけですが。
年が明けたと思ったらもう2月も上旬です。
まったく時の過ぎるのは早いものです。

スティーブ・ジョブズ





「追悼 スティーブ・ジョブズ」

ジョブズが死んだ日、アップルのHPのトップにこの写真があったので、
鎮魂の意味を込めて描きました。
その後、ジョブズの若き日を描いた映画を観て、
この天才がいわゆる「紙一重」の鬼畜だったことがわかったのですが、
そういったことが世間に明らかになっても、アップルの人気にはあまり陰らなかったような。

マイケル・ジャクソンがたとえどんな性癖を持って何をしていようと、
その「キング・オブ・ポップス」の地位に何の揺るぎもないというようなものですね。

アップルさんについては、むしろ最近の「ipad mini」の失敗のほうが
言っちゃあなんですが、ダメージが大きかったのではないかしら。

映画では若き日のビルゲイツとの関係が描かれていましたが、
昨夏に訪れたスタンフォードショッピングセンターには、
アップルの一軒となりに、なんと「ウィンドウズショップ」がありました。
アップルはどこのアップルもそうであるようにいつも人でにぎわっていましたが、
ウィンドウズショップはいつ見ても森閑としていました。

なぜあんな罰ゲームのようなところにマイクロソフトがショップを構えて
公開処刑のような不人気ぶりをさらしているのか、いまだに謎です。
というか、ウィンドウズ使用者は、わざわざショップに行かないような・・・。

ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、クリストフ・プロープスト
  

映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル 最後の日々」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/aa32ce56775f1bd445e5b55d3b77c320

このドイツ映画を観て、改めてナチス政権下の異常な言論統制について、
深く考えさせられました。

ハンス、そしてゾフィーのショル兄妹。
若い父親であったクリストフ・プロープスト。
学生が、大学でナチス政府を批判するビラを撒いただけで、
裁判で完膚なきまでに人格を辱められたうえ、その日のうちに斬首による処刑。
そして、映画で強調されていたナチス讃美の「殺人裁判官」、
ローラント・フライスラーの存在には、慄然ととする思いでした。

ゾフィーには婚約者がいて、戦争を生き延びた彼はゾフィーの姉と結婚し、
彼らと同じミュンヘン大学を卒業後裁判官となり、一生を平和運動に捧げました。

彼らの遺体はミュンヘンの墓所に三人並んで埋葬されているということです。

斉藤博


「重巡洋艦アストリアの運んだもの」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e63d6ae116ea0722e0b847878b78fef0

開戦前、駐米大使を務めた斉藤博。
評論家で暗殺された犬養毅首相の孫である道子さんの叔父さんです。

ハーバードに留学しF・D・R(ルーズベルト)とは「俺お前」の仲であったという知米で、
何より日本とアメリカが戦争に突入することを何とか回避しようと、
大使という立場で文字通り体を張って闘いました。

無理がたたって血を吐き、アメリカで客死した時に、その亡骸を
丁重に日本に送り届けたのが、重巡洋艦アストリア号でした。
国民はみなこのアメリカの礼を尽くした葬礼に感動し、アストリア号の乗員は、
日本国民に各地で大歓迎を受けました。

こわばった日米関係が斉藤大使の死によって一時和らいだのでしたが、
ご存知のようにその後両国は戦火にあいまみえる敵同士となります。

そして、斉藤大使の棺を横須賀に送り届け、桜の日本を感動とともに満喫した
アストリア号の乗員たちは、その後サポー沖の海戦で海軍の攻撃により
海の藻屑と消えたのでした。

このことを書いた「重巡洋艦アストリア号の運んだもの」という稿は、
斉藤大使の姪であった道子さんの証言、そして捕虜第一号として、
アメリカの刑務所で終戦までを過ごした甲標的乗員の酒巻和男氏が、
捕虜収容所の所長から聞いたという話を交えて構成してみました。

ところで。

大使と言えば(笑)、このブログでさんざんやり玉に挙げたBKD前中国大使ですが、
失うものが無くなってから連日のように「中国様」のスポークスマンとなって、
商売人の立場に立ったBK発言をいまだに繰り返しています。
昨日の「レイテストBKD発言」によると、

「中国が一番望んでいるのは国有化の棚上げ化取り消しです。
頭を冷静にするために、中国が領海侵犯をそたときは
日本は海保の船をここまで出すとか、戦争に至らないよう事前に暗黙のルールを作る。
決して戦争はしないと約束して、両国で話し合いを始めるんです。
解決なんてしなくていいんですよ。どうせ解決できないんだから。
100年でも何年でも永久に話し合えばいい。
そのうち、尖閣諸島近海に眠る石油についても、良い知恵が出てくるでしょう」

要するに、国有化をとりあえず撤回しろと言いたいのですかね。
そういえばそんなことをこのブログへのコメントで言っていた方もいましたね。

いい知恵が出るどころか、向こうは射撃レーダー照射してきたんですけど。
「永遠に話し合う」というのは、

「中国様が空海軍を増強するからそれまで何もするな」

って意味でOK?

何がいいたいかというと、同じ大使という職にある者で、どちらも
「戦争を避けたい」ということをその使命と心得ながら、
両者の「国体」に対する考え方が真逆となっているということ。

その昔、日露戦争に満足な賠償金が取れなかったといって、当時の小村寿太郎内閣に
不満を持った民衆が暴徒化し、「日比谷焼打ち事件」が起こりました。
日本人というのはこういう面も持っていた、ということなのですが、
開戦前、「海軍パネー号事件」
で、海軍機が米軍艦船を攻撃沈没させた事件の時、この斉藤大使は、
独断でラジオ放送の時間を買い取り、誠意溢れる謝罪を米国民に対して行いました。
大きな開戦への流れを阻止することはできなかったとはいえ、この果断によって、
事件は一応の収束を見せ、しかも国民は斉藤大使に対し、決して
「売国奴」などとは言わなかった、ということを改めて書いておきたいと思います。

当時インターネット言論があったとしても、おそらくほとんどの日本人は
斉藤博大使を高く評価したのではないでしょうか。



加藤セチ


「秋水」と美人過ぎる科学者」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/4a3b93ba495ce654d1af13a40ab461a6

名古屋の三菱航空博物館に展示されていたロケット戦闘機秋水。
そこには復元された零戦もあったのですが、ついついこちらの可愛さに、
すっかり悩殺されてしまったエリス中尉。

秋水について調べていて、その燃料の開発したのが、理研の俊秀女性科学者、
加藤セチ博士であったことがわかりました。
「美人だからきっと学者としては大成しないだろう」
こんな反対意見が教授会の入学審査で出されたという、この「美人過ぎる科学者」は、
結婚し子供を二人設け、一般的な「女の幸福」も、そして科学者としての栄光も、
どちらもあきらめることなく追求し、手に入れた幸運でしかも強い女性でした。

セチ博士が海軍にかかわったのは、ドイツから送られてきた設計図を基にエンジンと
機体をつくったものの、特殊な燃料であるため開発できなかった部分を補うためです。
彼女の提案で燃料の内容物の割合を変えることが決定され、燃料問題は解決しました。

そのテスト飛行は別の原因で失敗に終わり、一か月後には終戦になったため、
秋水は未完のままその歴史を閉じてしまうのですが・・・。

セチ博士と秋水の関係について考察しているの今のところどうやら当ブログだけらしく、
「加藤セチ」で検索すると、この記事がウィキの次に出てきます。


1000日記念ギャラリーは、何日かに分けて、また後日続きをお送りします。