ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

開設1000日記念 人物ギャラリー第三弾

2013-02-09 | つれづれなるままに

三島由紀夫
  

映画「Mishima―A Life In Four Chapters」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/8b0bad8656081d713cc3bc737e1794e4

絶対に笑ってはいけない行進曲「軍艦」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/1b191176da22bfd6c53ff39081a20442

三島由紀夫が世間でどう言われていようと、わたし個人が持つ彼への評価は
「太宰と同類のナルシスト」。
その生涯を知るにつけ、なんだかその自意識のありように一種いたたまれないような、
目を覆った掌の隙間から見なくてはいけないような「恥ずかしさ」を感じずにはいられません。

「恥の多い生涯を送ってきました」

というのは三島が大嫌いだった太宰の「人間失格」ですが、わたしに言わせると、
もし三島自身が自分の人生を振り返ることがあっても、同じように言ったのではないか。

そして、あたかも自分の美意識と現身の自分との乖離を埋めるためにあがくような、
三島の行動のあれこれ・・・、マスコミを利用した自己演出、たとえばテレビで
行進曲「軍艦」を指揮してみたり、私設の軍隊を組織しておそろいの制服を特注し、
そのメンバーで歌を吹き込んでみたり、映画でチンピラや死体を演じたり・・・・、

そういう自分をもし三島が俯瞰で眺めることがあったら、彼もまた唾棄していた太宰のように
「わあっ」と叫びたいような「恥」を感じたのではないだろうか。

彼の太宰に対する嫌悪は「近親憎悪」のようなものではなかったか。


そんな、わたし個人の三島に対する勝手な「思い入れ」を、いくつかの稿で語ってみました。

誤解のないように書いておきますが、わたしは三島由紀夫の作品は
(少なくとも大江健三郎などより)
日本を代表する文学作品として、世界的に評価されるべきだと思っています。
現に「ミシマ」文学の汎世界的美学は、いまや「日本」を象徴するものとなっており、
その死の伝説と相まってその存在は神格化すらされています。
わたしもまた、その文学の価値には何の曇りもないと考えるものです。

インターネット時代になって、いろんな―時として昔なら封殺されたような―情報が、
世界を駆け巡るようになりました。
たとえば、手塚治虫という人物について実に狭量で嫉妬深い面があった、
なんてことが「伝説」としてばらまかれてしまっているわけですが、
手塚が漫画の神様であり、その業績の偉大さには毫も疑いを差し挟む余地はない
ことを誰も疑わないのと同じです。

三島については、アメリカで上記の「MISHIMA」と「憂国」を手に入れ、
一時は三島の世界に集中してのめりこみました。

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/a328135978a50b794f58672324abef39

市谷での切腹のとき、三島が「作家の目」を以て、
わが身の苦痛の瞬間を見届けたかったのではないか、という仮説に基づき、
この稿を書いてみました。

あるいは三島の「恥の多い人生」の部分に光を当てて

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/acec195f7b5fc384d275e7a78da3adf9

三島由紀夫の「悪趣味」という考察をしてみました。

いずれにせよ、三島を絵に描くのは非常に楽しい、というか胸躍る作業で、
これらのどの絵も結構ノリノリで描いた覚えがあります。


日系部隊の兵士たち





「アメリカ陸軍第442戦闘部隊」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/f36950a552a89d522e3d818bdde28089
「GO FOR BROKE!~陸軍第442連隊戦闘団」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/0f1fb95131b02518e3a0a93b8b404b4c

アメリカと日本が戦争に突入したとき、日系人たちがどのようにそれを捉えたか。

彼等は日本人の顔をして日本語をしゃべりながらも、彼らはアメリカに忠誠を誓い、
アメリカのために戦いました。
今日、そのことを以て「裏切り者」だと彼らを非難する言論もないではありません。

しかしこの稿で書いたように、

日本人は「武士」であり、武士というものは

血よりも君主と国家に忠誠を示すものである

こういった考えを日本人であればどこにその住処があろうと持っていたのです。
当時日系人社会に宛てて書かれた東条英機の手紙にもそれが表されていました。


全世界に、祖国を捨てて移民をし、移民先で自分権利を主張するだけの中国人、
移民先でなぜか過去の怨念を晴らすべく、反日の政治活動する韓国人、

これらの「武士道を持たない国」の移民たちには決して与えられない尊敬と称賛が
彼ら442部隊の命を捨てた働きゆえに日系アメリカ人には与えられています。
日系政治家は、その公正さゆえ、アメリカ社会で尊敬される存在でした。
その代表が、先日亡くなった上院議員ダン・イノウエです。

上段右側のダニエル・ケン・イノウエ少尉は、ご存知かもしれませんが、
日本名井上健といい、2012年12月17日に亡くなりました。
オバマ大統領、クリントン国務長官もその死を悼む声明をだし、
「彼は真の英雄だった」とイノウエ議員を称揚しました。

当時の民主党政権からは、藤村官房長官の
「在米日系人社会の結束を強化するなど、日系関係の発展に尽力され」
などという談話が出されたと言います。

官房長官はおそらくこの英雄について何も知らなかったのではないでしょうか。
イノウエ議員は決して日系人のために議員として働いたのではなく、
純粋にアメリカ市民の代表としてアメリカのために政治をしてきました。
自民族への利益誘導などは決して行わないその公正さが、
中国や韓国系の政治家とは大きく違い、
「武士たる日本人」イノウエ氏がアメリカで高く評価された点だったと思います。

イノウエ氏は死に臨んで

「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ、できたと思う」

という言葉を残しています。
この言葉のどこに、日系人や日系社会のために利益誘導したり、
その立場を利用して日系人を結束したり発展させたりしたなどということが
読めるのでしょうか。

(さすがは、日本社会に入り込み、自分達や祖国の利益を
かすめ取ろうとする帰化議員が多数在籍してた民主党の声明ですね)

戦線で右腕をうしなったイノウエ氏は、志していた医学の道をあきらめ、
祖国アメリカのために政治家としてその一生を捧げました。

最後の言葉は「アロハ」だったそうです。

かつてヨーロッパ戦線でアメリカのために米軍将校として戦い、
腕を失った痛みに耐えながらも小隊を指揮し続け戦線を確保した往年の英雄は、
この世を去るときもまったく見事だったのでした。


ラダ・ビノッド・パル



パル博士の「日本無罪論」と映画「プライド」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/6d6f78e243d55d5b6c0780f10708b0f8


今度、東京裁判の行われた市谷法廷跡を見ることになりました。
またそのあとにでもその感想を書かせていただきます。

ラダ・ビノード・パル博士のおかげで、わたしはアメリカで会う多数のインド人に対し、
なぜかとても好感を持つに至っております(笑)
偉大な恩人のいる国に対して、人は無条件でこのようなシンパシーを感じるものだ、
ということをわたしはアメリカで(やたらインド人のITエンジニアが多い)実感しました。

今回、安倍政権の「中国包囲網」においてもお互い協力連携が進みそうですし、
インドとは「敵の敵は味方」の構図からだけでなく、パル博士の国、
つまり日本の恩人の国として友好を深めて欲しいと、個人的に熱く願っています。