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コードネーム「ミッキー」ブラインド爆撃作戦〜国立アメリカ空軍博物館

2024-05-23 | 航空機

appleTV制作の「マスター・オブ・ザ・エアー」劇中、
バーで一緒になったアメリカ航空隊とRAFの隊員の間で
アメリカの白昼攻撃を巡りちょっとした言い合いが起こるシーンがあります。

搭乗員が足りない、というアメリカ軍クルーに対し、RAFクルーは、

『それは君らが馬鹿みたいに昼間攻撃するからだ』

と半ば揶揄するかのように返すのですが、
その言葉は、アメリカ軍搭乗員たちがただでさえ持っていた

危険な昼間の攻撃に対する不安をドンピシャで言い当てたものだったので、
彼らはそれに対し猛烈に反発を始めるのでした。

そこで、すかさずナレーションが入ります。

RAFの夜間爆撃は民間人相手の無差別攻撃であるのに対し、
アメリカの白昼細密攻撃は軍事施設だけを狙ったものだった。


お決まりの「正義のアメリカ」礼賛です。

2000年代になってもアメリカ人がそう思いたいのは勝手ですが、
それでは、夜間の無差別爆撃で何万人という民間人を殺戮した
あの東京大空襲はなんだったのか。
市民を無差別に虐殺した2発の原爆はなんだったのか。


実際のところ、アメリカとイギリスは連合国同士で打ち合わせた上で、
昼の軍事施設爆撃(米)と夜の無差別爆撃(英)で切れ目なく相手を攻め、
ピンポイントで生産を遅らせつつ、民衆の戦意を削ぐということを
二交代制でやっていたというだけにすぎないのです。

ノルデン照準器を持っていたアメリカが細密攻撃を行い、
そうでないRAFがそれ以外を請け負った。
つまり役割分担の違いというだけのことではないですか。

昔から、日本の戦争映画は果てしなく自虐、
アメリカの戦争映画は果てしなく自画自賛というのが相場ですが、
この最新の映画においてもその傾向は健在ということが確認できました。

ちなみに、映画では、RAFグループの嫌味な態度に
アメリカ人たちはすっかり腹を立てて、別れてから

「チッ・・・だいたいRAFってなんなんだよ」

「Riffraff(役に立たない人、ゴミ)だろ」

と悪口を叩くのですが、実際に白昼攻撃に向かう前に
彼らの言ってることは正しい、とうなだれるのでした。

責めるなら交代制で苦労する方を選んだ上層部を責めるんだな。



 ブラインド攻撃 「ミッキー」



俺ら軍事施設を細密攻撃するぜ人道的に!とドヤったアメリカですが、
目視ではさすがに細密攻撃が功を奏するわけではありません。

概してヨーロッパ上空は曇りがちで、そうなると
アメリカ軍の爆撃隊はほとんど目視できなくなるわけです。

そこで、重爆撃機はH2Xと呼ばれるレーダーシステムを使用し、
雲の上からブラインド攻撃を行いました。

その名も、

コードネーム"ミッキー "Mickey"

上の写真は1944年10月25日、ドイツ・ハンブルクの石油精製工場上空。
「歩けそうな」くらい厚い雲が立ち込めていますが、
何ヶ所か真っ黒い部分が見えています。

これは第8空軍の爆撃を受けた地面から立ち昇る黒煙です。

それにしてもなんでミッキーなのか。
やっぱりアメリカでミッキーときたら・・・あのネズミよね?

■ H2X "ミッキー "の名前の由来



H2Xは、正式にはAN/APS-15として知られ、
第二次世界大戦中にブラインド爆撃に使用された
アメリカの地上走査レーダーシステムです。


B-17パスファインダー 通称「ミッキーステーション」

中央の円形スコープが表示画面です。
H2Xは空軍の夜間爆撃システムから開発され、
1944年初めに米空軍で初めて使用されました。

米空軍の「H2X」はレーダー・プラットフォームの代名詞であり、
マサチューセッツ工科大学放射線研究所で開発されました。
アメリカ初の空対地レーダー搭載航空機のための極秘プロジェクトです。

第8空軍の最大の功績のひとつは、敵戦闘機、敵対空砲火の前にも
一度も作戦を後退させなかったことらしいですが、
ヒットラーがロシアの冬将軍に勝てなかったように、
同じことがヨーロッパの天候には言えませんでした。

実際多くの任務が、ルート上や目標地域上空の悪天候のために、
中止、中断、回収されています。

この事態を打開しようとしたミッションが、「ミッキー」でした。

「ミッキー」という名前を生み出したのは、第812爆撃中隊長で、
第482パスファインダー爆撃群配備の中心人物の一人であった
フレッド・ラボ中佐です。

Major Fred A. Rabo 

1942年と1943年、ヨーロッパでの爆撃隊の任務を成功させる上で
大きな問題となるのが冬季の天候不順であることは
第二次世界大戦が始まる前からアメリカ空軍の共通認識でした。

RAFは、以前から同じような天候の問題に対処するため、
航法補助として電波ビームとレーダーを開発していました。

そこで爆撃隊の中の人がパスファインダー・グループの計画を打ち出し、
その後1943年8月20日、第482爆撃群(パスファインダー)が、
電波ビームとレーダー装置を使用する爆撃隊として組織されます。

ラボ中佐は、パスファインダー・グループ設立のため米国に戻り、

M.I.T.放射線研究所で開発されたレーダーを装備したB-17を入手しました。

レーダー付きB-17

M.I.T.レーダーはH2Xとして知られていました。
機首の下に格納式H2Xユニットを装備したB-17を初めて見たフレッドが、

「あのレドーム、ミッキーマウスみたいだな」



といったことから、このニックネームは定着し、
その後「ミッキー」と短縮されて作戦名になりました。


せっかくパスファインダー(開拓者)というかっこいい名前があったのに、
このおかげで、第二次世界大戦の残りの期間中、
H2Xレーダーユニットは「ミッキー・ユニット」、
オペレーターは「ミッキー・オペレーター」と呼ばれることになります。

アメリカ人だからこっちの方が本人たちも嬉しかったかもしれませんが。



■ H2Xパスファインダー


H2Xを使えば、夜であろうと昼であろうと、雲に覆われていようといまいと、
同じ精度で都市の位置を特定し、大まかな地域を標的にすることができます。


ロッテルダム南西のオランダ沿岸を示すH2Xスクリーン。 

この時攻撃したオランダ沿岸の地図。

ミッキーは目視爆撃ほど正確ではありませんでしたが、
悪天候でも中止せずに戦略攻撃を続けることができました。

最初のH2Xを搭載したB-17は1943年11月3日、第8爆撃機部隊が
ヴィルヘルムスハーフェン港を攻撃したときに初めて実戦で使用され、
この時の任務は最初のことだったので「パスファインダー・ミッション」、
搭乗員はまだ「パスファインダー・クルー」と呼ばれていました。

攻撃方法は、以下の通り。

アメリカ陸軍航空隊のパスファインダークルーと、

RAFのパスファインダークルー(どちらもアメリカで訓練を受けている)
を乗せたレーダー装備パスファインダー機が編隊の先に飛び、
レーダーによって目的をマーキングしたときに爆弾投下します。

それを見た全ての爆撃機が、続いて爆弾を投下します。


ベルリンに目標を定め、到着したらどこに爆撃すべきか、
レーダーによってわかるというわけです。



なぜかフランス語説明による「ミッキーセット」に必要な道具。
左端のアンテナですが、これ、何かの形に似ていませんか?

そう、ボール・ターレットです。

この設置のために、のちに第91爆撃群がボール・ターレットの場所に
H2Xの回転アンテナ用腹側半球レドームを設置するようになり、
後のB-24リベレーターに搭載されたH2Xもターレットに取って代わり、
ボールターレットは格納式に変えられました。

ボールターレットをレーダーレドームに改造したB-24「パスファインダー」

胴体着陸したら砲塔ごと潰れて死ぬしかなかったB-17のボール砲塔砲手は、
これを聞いて微妙な気持ちになったかもしれません。

「ミッキー・セット」は副操縦士の後方(無線オペレーターの位置)
の飛行甲板に設置され、戦闘地域にさしかかると、
ミッキー・オペレーターがパイロットに進路を指示し、
爆弾投下時には爆撃兵と連携して指揮を行いました。



ミッキーが最初に使用されたのは1944年4月5日の
プロイエシュティ攻撃(タイダルウェーブ作戦)でした。

その結果については、もうみなさんご存知の通り。

以前同作戦について説明したように、この作戦は対費用効果で言うと、
アメリカ軍の損失多すぎと言うことで結論づけられていましたよね。

このとき新兵器であるレーダーは確かに正しく機能したのですが、
いかんせん、ドイツ軍の防空陣地上空をまともに通過する経路だったため、
激しい対空砲火と迎撃で多数の損害と犠牲を出してしまいました。

攻撃そのものの被害が多すぎたので、「ミッキー作戦」も、
それに見合うだけの戦果だったかというと、微妙だったということです。


続く。





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1 Comments

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2024-05-23 05:27:14
>アメリカの白昼細密攻撃は軍事施設だけを狙ったものだった。

これは人道的だったと言いたいのではなくて、命懸けでドイツまで往復するので、正確に目標を攻撃したかったということなんじゃないかと思います。ドイツの戦闘機や高射砲の迎撃を避け、ようやく爆弾を投下出来ても、攻撃したのが駐車場だったら、泣くに泣けません。そういうことがないように、精密爆撃を行いたかったのでは。

対日戦では、我が国の防空能力が低下してからは、軍事目標を叩くと言うよりも、むしろ、民間の施設を狙って、えん戦気分を盛り上げ、早期の終戦に持ち込もうとしていたと考えられます。なので、木造家屋が多い我が国向けに、通常爆弾ではなく、わざわざ焼夷弾を開発した訳で。人道的だとか非人道的だというよりも、むしろ、目的指向で戦い方を考えていたと思います。
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