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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

エリス中尉名誉の負傷により一時前線撤退

2014-02-08 | つれづれなるままに

当ブログ読者の皆様方へ

 

本人事故による負傷につきブログ更新を暫くお休みさせていただきます。

二階級特進には至りませんでしたがタイピングに支障をきたす程度には重傷でした。

音声入力か左手だけのタイプしかできないため一ヶ月くらいはエントリ製作できませんが、

その間書き溜めてあったエントリを少しずつアップしていきます。

コメントへのお返事は滞るかもしれませんがなにとぞご了承ください。

事故についての詳細は前線復帰のあかつきにさせていただきますので、

どうぞお楽しみに(自虐?)お待ち下さい。

エリス中尉 拝


長野県松本~レトロとモダンと虫食と

2014-01-01 | つれづれなるままに

皆様、明けましておめでとうございます。

我が家は一足お先にお正月気分を満喫してきました。
今回の旅は、長野県松本市。

松本というところは、昔家族旅行で善光寺とか青木湖に
来たことがあるような気もしますし、冬には何回かスキーに来たことが
あるような気がする、というくらいで、
わたしにとって「かすかな観光の想い出」しかない県なのですが、
今回ご縁があって、松本にある温泉旅館とその系列のレストランを訪ねてまいりました。

土地のおいしい料理と上質な温泉、洗練されたお・も・て・な・しを楽しむ旅。



朝8時に家を出て、お昼前には松本駅に到着。
松本駅の駅舎はすでにこのような超モダンなものになっていました。
というか、前にはどんな駅だったのか全く記憶がありません。



長野県の観光資源というのは「日本アルプス」でもあるんですね。
駅前からタクシーで、お昼ご飯をいただくレストランに移動します。



松本市というのは、いまだにこのような旧家屋がたくさんあります。
地震もなく、戦災にも遭わなかったからでしょうね。

このレストランも、このような商家だったらしき家をそのまま、
ただし水回りなどは超モダンにしてそのまま利用しています。



お店の看板も、いかにも今風。
こういう、「和と最新モダンの融合」みたいなお店が、
今地方都市にも現れているんですね。

地元の農家を通じて手に入れた新鮮な食材を、一流のシェフが料理し、
日本の古い家屋をそのまま利用したインテリアの雰囲気を楽しみながら
お料理を楽しむ。

このレストランも、そういったフュージョンを取り入れた話題のお店です。





唐傘の隣にある振り子の時計は、百年以上経っているとのこと。
百年の間時を刻み続けていた時計。



お昼は和食をいただきました。
わたしが選んだのはそば。
ただ「そば」を頼んだだけなのに、いろいろとお惣菜がついてきます。
天ぷら、刺身、そして・・・・・



こ、この、顔を隠して横たわっているお方は・・・・!

そう、ここは長野県。
日本でも特に昆虫を食する文化のあるお土地柄。
あまり何も考えずに「佃煮だ~」と思って一口。(というか一体)
甘くて歯触りはカリカリ、決して悪いものではありませんでしたが、
こうやって写真に撮ったりしていると、やはりなんといいましょうか、
少し食べるのに勇気がいるような気がしてきてしまいました。

「こういうのって皆好きで食べているのかな」
「好きとか嫌いとかじゃないんじゃない?長野では普通に食卓に乗ってるもので」
「はあ、お正月の昆布の煮しめみたいなもんですかね」
「その心は」
「好きな人なんていないけど、そういうことになっているから食べる」

食卓に乗っていれば食べるかもしれないけど、長野の主婦はわざわざ
イナゴだのザザムシだのの死んだのを買って来て煮付けたりするんだろうか。
もしかしたら、長野県人は総じて虫には耐性があって、台所に何か出て来ても、
他府県の主婦のようにキャーキャー騒いだりパニクったりしないのだろうか。

狭い日本と言えども、こういうときはいろんな文化があるなあと考えてしまいます。



ご飯がすんだ後は、今夜泊まるホテルに移動。
東京の丸の内ホテルと系列なのかと思ったら、全く無関係で、
「お城があるところはどこでも丸ノ内っていうんだよ」
そういえば名古屋にも丸ノ内ってあったような気がするな。



ホテルからの眺め。
町並みの向こうに連なる山々が、ここは盆地であることを改めて感じさせます。

ところで、ここに着いたときから、わたしと息子はわたしの持っているwifiが、
大変つながり難くなったことに閉口していました。
さらに、ホテルの部屋のインターネット回線は有線で、macは使用不可能。
わたしの場合、一日1エントリをアップするという使命があるので、
貯め置いたエントリが一ヶ月分あるとはいえども、こういう時間のあるときに
インターネットが使えないというのは辛い。

「うーん・・・遅い」
「ママ、iPhoneのテザリング申し込まなかったの?」
「しなかった。auの人がいつでも出来るっていうから」

そこでふと「いつでもってことは今できるってこと?」と思い立ち、
ホテルの部屋でパスワードを思い出しながら苦労してテザリング機能を追加申し込み。
あっという間に機能は追加され、試してみると全てのデバイスがするっとつながります。

「やったー早い」
「最初から申し込んでおけば良かったね」

しかし、この後訪れる山間の温泉はwifiどころか電話すら通じない閉ざされた空間であるということを
このとき喜んでいる二人は知る由もなかったのである。
おそるべし長野。

そんなことをしているうちに、夜の食事の予約時間となりました。



本日のディナー会場でございます。

なんだか昼の和食レストランと似ているなと思った方、あなたは鋭い。
このレストラン、昼間の和食レストランの隣にあり、同じお店。
地元の素材(イナゴ含む)を使った伝統的な和食を出し、
この隣では、新進気鋭のフレンチキュイジーヌのシェフが、創作料理の腕を奮うのです。



フレンチキュイジーヌのエントランス。
偽物の電気暖炉などではなく、本物の練炭が燃えています。



なぜか黒板に書かれた謎の文章。



エントランスを抜けると、中庭を敷石を渡りながら歩いていきます。
この蔵は、無形文化財に指定されています。





同じように旧家を使っていますが、この建物は昼間のレストランの、
庭を挟んで向かいに建つ別の家屋です。



ふと上を見上げれば、柱にはこの建築を請け負った大工の棟梁の名前が、
墨痕も鮮やかに黒々と書かれています。

この署名は、上棟式という建物の無事を祈って行われる祭祀で行われるもの。

この梁(うつばり)は、このように改築される前はおそらく天井裏にあり、
従ってこの棟梁のサインも人の目に触れることはなかったに違いありません。
おそらく百年は経過していると思われるこの墨が全く色あせていないのは、
陽の当たらない闇に長らくあったからではないかと思われます。

百年後、日本人の建築に対する意識が変わり、よりによってインテリアとして
自分の名前が人目にに晒されるとは、伊太郎棟梁も夢にも思っていなかったに違いありません。



食事の始まる前に、お店からシャンパンのプレゼントが。
この日はクリスマスの特別ディナーだったのです。
なんと、皇室御用達のシャンパンだそうです。

我が家は示し合わせたようにわたしもTOもお酒が飲めず、
一口でも飲むと、TOは眠くなり、わたしは顔が真っ赤、という下戸夫婦。
フランス人は、ワインも飲まずに料理を食べるということが信じられないらしく、
オーダーのとき「お酒飲めないから水」と言おうものなら
「カエルかよ」
と陰口を叩くらしいのですが、「下戸」というのが蛙の鳴き声と同じというのは
何とよくできた話なのでしょうかげこげこ。



しかし、お店(というかこの会社の一番偉い人)の好意を
「飲めませんからげこ」
と断る勇気を、わたしもTOも、日本人として持ち合わせておりません。
今宵はクリスマス、飲めないなりに飲んだふりをして、
この上等のシャンパンの「ずっと消えない」という泡を目で楽しもうではないか。

因みにわたしはシャンパンの味は大好きで、
このグラスで2センチ水位が減るくらいは飲んでみました。
飲んだってより啜った、という方が正しいですが。

そのおかげで、食事中、ずっと赤い顔をしていました。
おまけに自覚はないままに会話の内容が明らかに酔った人のそれになっていて、
家族に「飲み過ぎ」と注意されてしまいました。



二皿目のプラチナサーモン。
泡は、それそのものがゆずの味で、ドレッシングのようになっています。



フォアグラのポワレ。

付け合わせは大根。
フォアグラというものはそのまま出されると苦手なのですが、
あの独特の「肝臭さ」が、ソースによって絶妙の旨味に昇格していました。



スズキの真空料理。
スズキというのもヘタな料理人にかかると、パサパサしたものになって、
せっかくのディナーが文字通り味気ないものになってしまうのですが、
この、真空パックによって魚身の旨味を閉じ込め、外側をパリッと焼いて、
香ばしさで蓋をするというお料理は絶品でした。 




伊達鴨のロースト。
我が家は全員牛より豚、豚より鶏、鶏より鴨、という順で鴨が好きです。

チキンも地鶏なら身が締まった美味しいものもありますが、それより
脂肪がすくなく、身に旨味がぎゅっと詰まっているからです。

またしても泡が料理を覆っていますが、これもソースの役目。



デザートはフレンチトースト。

この日は地元のミュージシャン(ヴォーカルとギターのデュオ)の楽しいライブが入っていて、
クリスマス気分を満喫しました。



明けて次の日。
ホテルをチェックアウトしたあと、ランチまでの時間、
少し松本の町を歩いてみることにしました。

敷石がきれいに舗装されている、ここは門前町で、
お正月の注連縄を売る店や、土産物屋が立ち並んでいました。



思わず「おお」と見とれてしまったレトロな珈琲店。
時間があれば入ってみたかったです。
まるも、というのは、この家のもとの印から取っている店名のよう。

こういった家屋が普通に観られるので、観光客は町歩きをするだけで
十分な旅行情緒を味わえます。
わたしは昔ここに来たことがあるはずなのですが、こんな家屋に全く記憶がありません。
子供でその風情が理解できなかったせいでしょうか。

この辺りには、外国人観光客の姿が目につきました。
見た目外国人とわからない外国人も結構いると思われます。
古い家屋なのに、英語の看板をあげている宿屋もあり、
外国から来た観光客にはこういう情緒が非常に喜ばれるのでしょう。




このお店は、佃煮屋さん。
長野の主婦は自分で虫類を調理せずとも、このようなお店で
売っているお惣菜を買ってくる人が殆どだと見た。

ここは佃煮の他、やまめやイワナの甘露煮、そしてワインも扱っており、
地ワイン、ボジョレーヌーボーの貼り紙もあります。 

そして気になる「虫系の佃煮」は、

さなぎ
いなご
ざざむし
はちのこ

うーん・・・ざざむしって何かしら。

フランツ・カフカの「変身」で、主人公がある日目覚めたら
変身してしまっていたというあの虫のことかしら。

節子それざざむしちゃう、グレゴール・ザムザや。←自己ツッコミ

ざざむしの正体がわからんので、取りあえずwikiってみました。
ざざむし、という虫はおらず、



カワゲラ



トビゲラ



蛇蜻蛉(ヘビトンボ)

の幼虫のことを、「ザーザーした水にいるから」ということで
ざざむしと総称しているそうです。

「気色の悪いもの見せるな!モノ食べてるのに」

と思われた他府県の皆様、これは「食べ物」ですからね。

まあ、虫は良質のタンパク源で、海無し県の長野人に取っては、
貴重な栄養であったことは重々理解しますが、それにしても
最初に食べることを考えた人はチャレンジャーだよなあ・・・。

「普通に蛇の生裂きを食べてますが何か」

節子それチャレンジャーちゃう。レンジャー隊員や。



と新春早々くだらんシャレと閲覧注意画像が炸裂してしまい、
まことに今後に不安を感じる当ブログでございますが、次参ります。

このざざむし屋の向かいには、薬屋さん。

「いいねいいね~」
「まるで黒井健の『手袋を買ひに』みたい」

代々薬局を営んでいる家らしく、軒には「薬」と書かれています。
この他、写真は撮れませんでしたが、まるで

「イシャはどこだ!」

のつげ義春「ねじ式」に出てきそうな眼の看板の眼科もありました。

そうやって時間を潰し、昨日のレストランと同じ会社がやっている
創作和食のお店に、昼食をとりに参りました。

ここで丼ものを頼んだら、その後仲居さんが来て、

「当店の板長が、もし差し支えなければお任せいただきたいと申しております」

昨夜のワインといい、お昼なのにお任せといい、
それもこれも我が家とここがちょっとしたご縁があることから、
計らって下さっているわけですが、ありがたいことです。
謹んでお受けしたところ、



馬刺しがでてきました。

「なにこれ」(息子)
「馬」
「馬?」
「だからホース」

そこで、博学のわたしが、昔文禄、慶長の役当時、
補給線を絶たれ食料が底をついた加藤清正軍がやむを得ず軍馬を食したのが
馬食の始まりであることを説明してやりました。

ついでに、当時全く反響のなかった渾身の写真馬漫画、
「チッチとサリーの物語」
を読んで下さると嬉しいです。

 

そしておつゆと焼き物。
量も多すぎず、大変結構なお昼ご飯でした。

このあと、このビルの向かいにある丸善の「軍ものコーナー」が、
異常なくらいの充実ぶりだったのでついかぶりつき、
移動の途中だというのに本をしこたま買い込んで、夜の目的地、
山間の温泉に向かいました。



タクシーでわずか20分。
そこにはまたもや「つげ義春」のような世界が?


続く。
 




クリスマスのターキー・レシピ

2013-12-24 | つれづれなるままに

少し画像が大きすぎましたかね。

というわけで、今年もクリスマスにターキーを焼きました。
去年、mizukiさんのレシピに忠実にやってみようとして、
そんなつもりはないのに、結果、抱腹絶倒のドタバタ劇となってしまったわけですが、
今年は、去年の轍を踏むことなく、慎重にことを運んだつもりです。

その甲斐あって、冒頭画像のような素晴らしいクリスマスのごちそうに!
先に結果からご報告しますと、お味も大成功でした。

今年は、去年いただいたmizukiさんのレシピと並行して、
その過程をご報告していきます。





まず、去年のコメント欄でmizukiさんのレシピの部分を出して来て、
キッチンにセット。 
慎重でしょ? 


●実家のレシピをご紹介いたします。
ターキーは冷蔵庫で一週間くらいかけてラッピングのまま解凍します。



今年も紀伊国屋で、一週間前にターキーを買っておきました。
紀伊国屋はアメリカ産の大きいのと、このフランス産の小さいの、
二種類を仕入れていて、去年と同じく小さい方を選びました。
気になるお値段ですが、この大きさで2800円。
家族三人で食卓を囲み、スープに、残りをチャーハンにと三食分は活躍するので、
このお値段は決して高いものではありません。

小さいので、解凍時間は冷蔵庫に三日で十分でした。

●前日にラッピングを開き、ドリップを捨ててペーパータオルでよく水分をふき取ります。
中の水分も良く拭いて、ペーパータオルで覆ってラップをかけて再び冷蔵庫に。



解凍時間が短かったので、この過程はさっくり省略しました。(てへぺろ)
朝、こういうところに置いて血が滴らなくなるまで放置。
その後、ペーパータオルで丁寧に表面を拭います。

というところで、いきなり気分転換に一息ついて休憩。



考えたら朝ご飯も食べてなかったんだわ。
いつも朝ご飯代わりの紅茶をここでようやく淹れることにしました。
今日はマリアージュ・フレールの「ウェディング・インペリアル」にします。



卵形のストレーナーに茶葉半分。



いつもは甘み無しですが、今日はマヌカハニーを入れることにしました。



アメリカでも愛飲しているイーデン社の豆乳を投入。
カップはこの夏アップルの本社で買ったものです。
あまりちゃんとした品質ではないらしく(中国製ではないけど)、
リンゴに早くもヒビが入っています。



●さて、いよいよロースト当日ですが、焼く1時間くらい前に冷蔵庫から出して室温に慣らします。
岩塩とブラックペパーをまぶし、中にもしっかりと。



こういうのを見ると、Mr.ビーンをやっぱり思い出してしまうのだった(笑)
たっぷりと塩胡椒を振りかけます。

ところで、料理開始前、キッチンのストックにこんなものを見つけました。




無印良品のローストチキンソース。
本来、チキンとこのソースに漬け込んで焼くもので、
無印良品というのは最近こういった「お料理便利シリーズ」を次々と出しており、
わたしは取りあえず新しいのを見るとどれも試してみます。
ここの食品には、「アミノ酸等」がないので、その点安心。

今日のターキーにはこの市販のソースを使ってみることにしました。



刷毛でペタペタ。
まんべんなくカバーし、残りは全部内部に塗り塗り。

さて、塩こしょうに加え、ニンニクベースのこのソース。
今年はどんなお味になりますことやら。



背中が上でよかったんだっけ。



それともこっちだったかな。

去年は、デロンギのピザオーブンに入れようとしたら小さくて入らないことに

直前に気づいて、急遽家に備え付けてあった古いオーブンを使いました。


「あたかも戦艦ミズーリを使うことを決意した『バトルシップ』の主人公のように」


とそのとき表現したくらい、古色蒼然たるオーブンでしたが、この夏、
戦艦ミズーリのドアがついに外れてしまい、退役。
買い替えを余儀なくされた我が家は、
「ヘルシオ」というウォーターオーブンを購入。
前のオーブンがミズーリなら、こちらは最新鋭イージス艦みたいなものです。

しかし、オーブンを使うような凝った料理をせずに日々の料理をてきとーに作っている
「手抜き主婦」のエリス中尉、オーブンとして使用するのはこれが初めて。

「失敗するとしたらオーブンの使い方だと思う」

とmizukiさんには一応言い訳をして予防線を張っていたつもりですが、なんとびっくり。




科学の進歩とはなんて素晴らしいのでしょうか。
このオーブンのメニューにはちゃんと

「ごちそう焼き物」

というメニューの火加減がインプットされておりました。
ごちそう焼き物、それはまさに「鶏の丸焼き」のことなのです。 
オーブンを前もって暖める必要もなく、ただタンクに水を入れ、
時間をセットして(22分だった)トリを放り込むだけ。

この「ヘルシオ」ですが、「ヘルシー」、つまり減脂、ビタミン保持、
あらゆるパターンを想定してメニューがインプットされています。
「減る塩」というその名の通り、どういう仕組みか分からねど減塩する機能もあるというのですが、 
必要最小限の料理しかしないエリス中尉にとってはわりと猫に小判。
機能のほとんどを使うことなく今日まできたわけです。

なんと勿体ない・・・・・。


でも、たぶんこれからもそんなに使わないんだろうなわたし。





いよいよ焼きます。




首っ引きになるとおもわれたオーブンの解説書(ドアに映り込んでる)は、
メニューを設定する方法を確認するだけに終わりました。

まるでSFものの未来の家庭で料理をしているシーンみたいです。
ぴぴぴ、とボタンを押せば、もうオーブンは仕事を始めていました。

mizukiさんのレシピには

●天板にお湯を張り、ブレストを上にしてターキーがぬれないように網に載せ、
ついでにポテトも周りにずらりと。
溶かしバターを万遍なくかけて、余熱で暖めたオーブンに!


●ターキーは、途中で何度か溶かしバターをかけてあげます。
大きさにもよりますが、1時間ほど焼いたら、裏返して40分、また裏返して20分、
大体2時間くらいで焼きあがります。

とあるわけですが、そもそもこのオーブン、ロックがかかり途中でドアを開けることができません。
わずか22分の間、ひたすらオーブンが仕事をし続けるためです。
勿論、完璧にこげないような「火加減」がセットされていて、途中でひっくり返す必要もありません。


●ターキーの中に、ネック、砂肝、レバー、ハートが処理されて入っていますので、
これらを出してグレービーに使います。
焼けるまでの間にグレービー作りです^^玉ねぎ、セロリ、ニンジンを小さく切り、

とっておいたネック、レバー、砂肝、ハートと一緒にバターで焦げないように炒めます。


 

ネックは固くて刻むことは出来ませんが、煮込むと跡形もなくなります。




グレービーの野菜はタマネギと人参。

セロリは買うのを忘れました。 

お湯を注ぎ、コトコトと煮ていきます。



ここで、相変わらず手抜きに走るエリス中尉。
圧力鍋で否が応でも食材を短時間で煮込んでしまうという暴挙に出ます。
ターキー本体がたった30分ほどで焼けることが分かったので、
こちらも時間を短縮する必要があると思ったからです。


ターキーがオーブンの中、ソースは圧力鍋にお任せ。

●そうそう、ターキーに刺さっているターキーピンはあてになりませんので、

はじめに抜いておきましょう。
ピンが飛び出すまで焼くと、とても悲しいターキーになります^^;

最初のパッケージの写真の横にピンが写っていますが、これは最初から使えませんでした。
一応ちょっと刺してみることも考えたのですが、そもそも

どこに刺していいかわからなかったのです。


●腿の内側にお箸をさして、透き通ったジュースが出てくれば出来上がり。


・・・・腿の内側?
腿って・・・・



ここかな?
何か脇の下みたいに見えるけど・・・。

うん、一応焼けたみたい。



完成じゃあ!

左手・・・じゃなくて左の手羽がなんか怖いことになっている・・・。

そしてジャガイモが殆ど生のように写っていますが、生です。
ジャガイモを最初に入れるのを忘れていて、今置いたばかりだからです(爆)

ターキーはこの時点でしっかり焼けていたので、ジャガイモは
グリルオーブンの方に移動願いそこで焼くことにしました。

●できあがったターキーはホイルで覆って10分ほど休ませると、
切っても肉汁が流れずにジューシーです。


この過程もするのを忘れました。
しかし身を切っても肉汁は全く流れなかったので、このターキーには必要なかったと思います。
去年も思いましたが、アメリカのターキーよりこれは脂肪分がさらに少ないみたいなんですよね。


●さてさて、天板にはバターとターキーのジュースがたっぷり!

これをネックたちを取り出したストックに混ぜ、バーミックスでギュンギュンとすりつぶしていきます。
ニンジンや野菜がちょうどいいつなぎになりますが、
とろみが足りないときは水どきのコーンスターチを加えます。

塩で味を調えますが、お醤油を数滴混ぜるのが母の裏技^^
あっという間にグレービーの完成です!



バーミックス(もどき)ですりつぶし中。


水分を多めにしたのですが、これはこれで大変美味しかったので、
つなぎは無しでこのままかけることにしました。



フランス産のターキーはあまりぼてっとしていないせいか、
こういう風に置くと、いかにも

「よーい、ドン!」

で駆け出して行ってしまいそうですね。



グレービーも出来上がり。
さあ、いよいよ切り分けていただきます。

●さあ、ここからはTOさんの出番です!^^



はい、ちゃんとTOが切り分けてくれましたよ!
付け合わせはなんとか間に合った(というか少し焦げた)ポテトと、アリコベール。
グレービーの味付けは殆ど何もせず、塩こしょうだけでしたが絶品となりました。

 

オーブンの使いかたも、簡単で間違えようもなく、あっという間に美味しいターキーローストの出来上がり。
去年のクリスマス、春先に一度チャレンジしましたが、
間違いなく今回のターキーが一番美味しく出来ました。

・・・まあ、わたしがやった、というよりオーブンがやってくれた、って感じですが。



食後の紅茶は、戴きものの「梅の紅茶」を淹れます。



クリスマスケーキをデザートに戴きました。
ケーキの土台の色が濃いのは、小麦粉が「全粒粉」だからです。
漂白していない小麦粉でケーキを作ってくれるのは、今のところここしか知りません。

口の中で雪のように溶けてしまう軽いクリーム、そして、
小麦の味わいのあるスポンジケーキ。
クリスマスにしか手に入らないのですが、このケーキが好きで、
ここ数年、毎年ここに注文しています。

そして、その日の夕食は、



残ったターキーの身を全て剥がし、刻んでナシゴレンを作ることにしました。
ちなみにエリス中尉、手抜き主婦なりにこだわっているのが「ご飯」。
うちには電気釜はなく、胚芽米を土鍋で炊きます。
画像の発芽玄米は圧力釜に水を張り、そこに小さな土鍋釜を入れて蒸気で炊いたもの。
こうして玄米を炊くと柔らかく、モッチリとした食感になります。



スープは勿論、ターキーのガラで出したものです。

ターキーならずとも、チキンでも、丸焼きというのは意外と簡単にできるものです。

なんといっても皆で囲む「ごちそう焼き物」の食卓は、話題も弾み、
美味しいだけでなく、とても楽しいものですよ。
 




 


乗馬試合結果報告

2013-12-15 | つれづれなるままに

誰も気にしていないと思いますが、一応いろんなことのいいわけに
「乗馬の試合の準備で忙しかった」
と書いたりしたので、その試合結果を、エントリとエントリの合間にこそっと報告しておきます。
 
「趣味の道具はいいものを買うとモチベーションも上がる」

という一読者の悪魔のささやきに耳を貸した(失礼)エリス中尉、

「そうよね~。一回いいのを買っておけば体型が変わらない限り一生使えるし」

などと自分で自分に言い聞かせつつ、わざわざ商品を取り寄せて下さったと連絡をくれた
某百貨店の売り場に(しかも試合の前日に)試合用ジャケットを買いに参りました。
しかし、行ってみるとお店にあったのはたった三着。
はっきりいって「わざわざ取り寄せたと言えるだろうか」という気もしましたが、
その中で「ピンときた」一着をお買い上げ。

冒頭写真のジャケットがそれで、腰をぐっと絞って、ウエストで切り替え、
さらにジャケットの裾をペプラムに仕上げたものです。

「そう言えばバロン西も、騎乗用の軍服は思いっきりウェスト部分を絞っていたではないか!」

畏れ多くも伝説の馬術家の逸話に無理矢理こじつけて悦に入るエリス中尉。
着てみると馬子にも衣装、大変良く似合うではないですか。



まあ、こんなぼかした写真を出されても判断の仕様がないと思うので、
そこのところは自己申告と言うことでよろしくお願いします。

ともかく意気揚々と次の日それを着用して馬場に乗り込んだエリス中尉、
たちどころに「ちゃんとしたのを買っておいてよかった」と
胸を撫で下ろしたのでございます。



いつも実用的な格好で練習しているクラブの面々が、
どの人もどの人も正式な試合用のスタイルをしています。



UKから日本に赴任して来ている家族は、母娘で参加。



アメリカはオレゴンから赴任中の家族は、本人は勿論、
娘三人も全員衣装を揃えています。



一番上の娘さんは風邪を引いたらしく、試合中も咳をしていました。
わたしも実は今咳のでる風邪真っ最中ですが、
試合中はまったく出ませんでした。

そして、子供の部に出るお子様たちも・・・・。



子供軍団の一部。(全体でこの二倍くらいいた)
日、米、英、仏、蘭の連合軍です。
この中で日本人は一番前の、洋服が人間を着て歩いている状態の女の子のみ。
まだ5歳で乗馬を始めてしまうんですねえ・・・。



かれはちゃんとベルベットの猟騎帽も持っていました。
子供なんて一年も経てば全くサイズが変わってしまうのに・・・。
この親の熱心さにかなりびっくりです。

うしろの妖精さんは、馬子のPちゃん。
ちなみにこの乗馬クラブ、公用語が英語で、英語でレッスンが行われます。



馬もおめかしして、Pちゃんのショーが行われました。
美しい・・・。
というわけで、意味なくセピア色に加工してみました。
馬子にも衣装と申しますが、当クラブの場合、馬子が全員こういうレベルなので、
むしろ衣装でかさ上げされるのは、お客であるところの騎手たちであるという
逆転現象が起こるのでございます。

それにしても、ヨーロッパから来ている彼女らは、選手でもあるわけで、

こういう機会にその腕前を見ると、その巧さ優雅さにうっとりです。

わたしの今の先生(南アフリカ出身)も小さいときから馬に乗っていて、

「最初は鐙も鞍も手綱も使わずにしばらく乗った」
とのことですが、乗馬家になるような人は歩くと同時に馬に乗っていたようなのばかり。


というわけで、人の写真はさんざん撮りましたが、自分が乗っている間人に撮ってもらう、
ということをまったく思いつかなかったため、わたしの写真はありません。(爆)

が、冒頭写真でもお分かりのように、



ドレサージュ初級の部で一位になりました!


上級者の皆様方が、何の音楽も選ばずにやってらっしゃるので、気合いを入れて
「スピットファイア」を選んだエリス中尉、
「なんかこの程度なのに音楽だけかっこいいのを流しても・・・」
と、少し恥ずかしかったのですが、促されてCDをかけてもらい、スタート。

やりながら何を考えていたと思います?

「この部分で曲のここにきたから、ヤマ場で最後の直線にいけるかも」
「ちょうど最後の敬礼で曲の最後のファンファーレがくるかも」

つまり、演技のことより、「音楽といかに合わせるか」を気にしていたのです。
しかし、これは後から考えたら、一挙一動に集中しすぎることなく、
肩の力を抜くことにもなり、悪くなかったような気がします。

終わって引き上げるときにPちゃんが

「すごくよかったわよ!」

と言い、先生が「良かったですよ!」とほめてくれ、
そんなものだったかしら、と首を傾げていたのですが、結果発表で
一位になっていたと聞いて、正直なところ、

「へーあれが」

夜の懇親会のときに、参加していた審査員の方が声をかけて下さり、

「エリスさん(仮名)ですね?とってもスムーズでよかったですよ」

とわざわざおほめ下さったので、どうも悪くなかったらしいと思った次第です。

講評によると、ストレイトネスの正確さとコーナーのベンドで少し課題があるものの、

馬の動きに良くついてこれているので点数が良くなった、とのことです。

一位のメダル、リボンと、一等賞品に、スワロフスキーのついた鞭を頂き、
ちょっと今後にやる気がでてきました。
先生(クラブオーナー)は、勝ったのを誉め称えたついでに、

「もうそろそろ、自分の馬が欲しくなって来たですねえ」
「ご自分の馬は、本当にいいですよ~」

と熱ーくセールス?してこられました。
いやまあ、馬可愛いし、自分の馬だったらもっと愛着がわくだろうし、

今までにも「もし自分の馬ならなんて名前を付けるか」なんて、
遊び半分で考えたことはあるのですが・・・。

しかし、馬を持つってことは、今みたいな「夏の暑い間は自主的に休会」
という不真面目な態度ではきっと許されないことだと思うの。
だいたい、今のこの生活でどうやって自分の馬を持つっていうの?

(車を買いかえるのがやっとだというのに・・・)

しかし、先生、わたしが一位に気を良くしている、つまり鉄が熱いうちに打てとばかリ


「今からだってオリンピックを狙える競技ですよ、馬術は。
フケツさんだって、(ロンドンオリンピックに馬術で出た最高齢選手)
あの年でお出になったんですから。
どうせやるならオリンピックを目指しましょうよ」

・・・・いやいやいやいや(笑)




 


 


開設1000日記念ギャラリー~挿絵編

2013-10-10 | つれづれなるままに



義烈空挺隊強行着陸せり

特攻記念館では、ある意味よく知っていた陸軍特攻そのものより、
パネルにおいてひっそりと展示されていた義烈空挺隊の敵中着陸作戦に
非常な衝撃を受け、帰ってきてから一気にこのことを集中して調べました。

その過程で、相変わらず記録に残る事実を無視してまで、彼らを「被害者」、
この作戦による戦果が全くなかったような印象で「無駄死に」と位置付ける、
マスゴミ制作の不愉快なドキュメンタリーを告発する羽目になってしまいましたが(笑)

このシリーズで、彼らがいかに長期間、空挺による決死作戦を下命されながら
何度もその意思をくじくような作戦中止によって翻弄され続けてきたかについても
一稿を投じて調べたことを書きました。

あまり有名でないため、義烈について書いたものは他にはそうないらしく、
いまだに毎日のように閲覧数が上位に挙がってくるエントリの一つです。

この絵における奥山大尉と諏訪部大尉の握手しながらの微笑みは、
「あと数時間以内に自分の肉体が作戦に殉じてこの世から消滅する」
ということを覚悟してのものです。
そしてやはりつりこまれて笑っている周りの隊員たちも、もしかしたら同じように
この後両大尉と運命を共にしたのです。

そんな彼らの姿を永遠にとどめた瞬間を描いてみました。


昭和天皇と或る少尉候補生




日航機墜落事故があったとき、災害現場となった御巣鷹山のあった群馬県は上野村の
村長であったのが、かつて零戦搭乗員であった元海軍軍人、黒澤丈雄氏でした。

黒澤氏が少尉候補生であったころ、大演習で昭和天皇の拝謁を受けたのですが、
その50年後、この大事故が起こり、上野村に激励を賜るために御行啓あらせられたとき、
なんと陛下は50年前の少尉候補生の顔をご記憶あそばされていたという・・・。

穿った考えをここで述べますが、ご行幸の際、宮内庁は勿論そこの関係者、
ことに天皇陛下と接触する人々についての調査を、当然ですが厳密に行うはずです。
この場合も、前もって黒澤氏の来歴なども陛下のお目に留まっていたと思われます。
「海軍兵学校卒」というその経歴を事前に基礎知識として周知あそばされていた故、
直接黒澤氏の顔を見たときに「海軍大演習」という記憶が蘇ったのではないでしょうか。

勿論、そういう「範囲の絞り込み」があったとしても、たくさん居並ぶ軍服の群れの中の、
しかもミシップマンの面影を覚えておられたことが驚くべきであることに間違いはありません。

一人一人の軍人の顔を当時陛下はきっちりとご覧あそばされていたということで、
記憶力というよりそのお心にむしろ感動する逸話といえます。



嗚呼陸軍潜水艦~戦艦大和の答舷礼



「嗚呼陸軍潜水艦」シリーズは、これもいまだに時々閲覧数が上位に挙がってくる
人気エントリでもあるのですが、そのなかではこのエントリは、
思い入れの割には(笑)あまり見られていないようです。

何の因果か、陸軍に入ったのに潜水艦勤務を割り当てられた陸軍士官。
ある日、訓練中に巨大な「山のような」大和とすれ違います。

ほとんどの海軍艦艇から馬鹿にされたり攻撃を受けたり、その秘匿性と
「陸軍が作った」ということから完成以来苦渋と辛酸をなめてきた小さな潜水艦。

そんな彼らに向かって、「大和」は見事な答舷礼式を送ってきます。
感激した陸軍士官でしたが、のちに、それが特攻に赴かんとする大和の「最後の姿」だと知るのでした。


海軍短刀

 

或るサイトでこのエントリを取り上げていただいていたようですが、
その際「この写真も美しいがこの文章も美しい」
とお褒めを戴き、大いに照れました。
この場でお礼を申し上げます。

ところで、この写真がまったく逆向き、つまりネガが裏返されているのを
見たことがあるのですが、こちらが正しいことは、
まさに海軍短刀の佩されている方向で明らかですね。

この美青年は71期の西田潤生徒。
任官後艦艇乗り組みとなり、その後戦死したということです。


「母のロマンス」



身内の話で後から自分で見ると非常に照れくさいエントリをつい制作してしまいました。
まあどこの家庭にもある「娘が聞いたお父さんとお母さんの結婚前の話」です。
(観られるのが恥ずかしいのでULRを貼らない)


或る陸軍軍人の見た終戦




建築界の大物で陸軍士官学校卒。

そんな方と一時お話させていただく僥倖に恵まれ、その時に伺った
「士官学校生徒として見た終戦のこと」
を書かせていただきました。

この方の設計した横浜のみなとみらいにある超高層ビルについても
「或る陸軍軍人の戦後」(建築家編)で説明させていただきましたが、
豪華客船あすかIIなどもこの方の手によるものです。

最近ではヘリ搭載型護衛艦の設計も「この方の所属会社が」したということで、
また機会があればお話を伺いたいのですが。


或る陸軍軍人のこと(士官学校編)



この建築家の大物氏から伺った話で、あとから間違いを発見しました。
氏が陸士で同期であり、かつご本人曰く

「ブラジルに行って帰って来なかった」

と云っていた「殿下」ですが、「東久慈宮稔彦王」と書いてしまっています。
この方は「東久慈」としかおっしゃらなかったのですが、
正しくは「東久慈野宮俊彦王」でした。

謹んでここに訂正申し上げお詫びいたします。

この俊彦王は戦後民間人の養子となり、建築家氏がおっしゃるように
ブラジルに移住してコーヒー園を経営し、日系ブラジル人社会の中で
現在も活躍しておられるということです。

ところで、話が逸脱しますが、この(最初間違えていた)稔彦王は、
若き日にフランスに留学していたことがあり、そのときにあまりにも自由主義者で、
「愛人との生活に耽溺し帰国を拒み続けた」
という方ですが・・・・まあその話はともかく、フランスで画家のクロード・モネから
なんと直々に(当たり前か)絵を習っていたというのです。

そして、モネの紹介で、クレマンソーと知己を得た稔彦王は、驚くべき情報を得ます。
クレマンソーというのは、「戦争は軍人がするにはあまりにも・・・」の、
五百籏頭先生お気に入りの政治家でありジャーナリストですが、そのクレマンソーから

「アメリカが日本を撃つ用意をしている」

との忠言を受けているんですね。
「日本の侵略戦争」なんていうとんでもない自虐をあの戦争に対していまだにする人たち、
ぜひどういう感想をお持ちか聞いてみたいですね。
アメリカの野望については世界の情報通のあいだで知るところとなっていたってことですよ。


帰国後、稔彦王はこれを受け止めたうえ、各方面に日米戦争はすべきでないと説いて回ります。
しかし、この話に西園寺公望以外は誰も耳を傾ける者はいなかったというのです。

そして、事態は最悪の道を辿っていくわけですが、日米交渉も大詰めを迎えた1941年(昭和16年)、
近衛内閣で陸軍大臣の地位にあった東条英機に、稔彦王はこのクレマンソーの忠言を披露します。
そして陸軍も日米交渉に協力すべきと説いたのですが、東条は

「自分は陸軍大臣として、責任上アメリカの案を飲むわけにはゆかない」

と応答しています。



歴史にもしもはありませんが、もしここで稔彦王にもう少し力があったら、あるいは
力のある人物を掌握していたら、開戦を忌避する可能性もあったということなのでしょうか。
しかし実際は、まったくそれは小さな板切れで大海の流れをせき止めようとするようなものでした。

今回この話を知って、やはり歴史の流れは決まっているのだということをあらためて実感しました。



「課業始め」



築地にあった海軍経理学校での課業行進の様子を描いてみました。

このエントリで江田島の幹部候補生学校の生活についても触れましたが、
基本的には当時とあまり変わらない厳しさであるということを、
以前お話を伺った元海幕長はおっしゃっていました。

ただ、「本当に厳しい」のはここに在籍している間だけで、あとは
勤務先の「体質」による厳しさによるのだそうです。


天佑神助の離着艦




このシリーズでは、母艦パイロットであった日高少佐の手記から、
母艦パイロットの訓練を詳細にかいたものを見つけたのでご紹介しました。

戦後、自分のことをあれこれ書かれるのが嫌で、取材をほとんど受けたことがないという
日高氏でしたが、その手記(兵学校の同窓生に向けたもの)では実に生き生きと、
パイロットの訓練課程について活写しておられます。

この絵は、ラバウルで撮られた、シルエットの向こうが山本五十六大将、
こちらが草鹿仁一中将、そして搭乗員の真ん中にいるのが日高守康少佐、
という歴史的なショットですが、それを切り取って描いてみました。







開設1000日記念シネマギャラリー(一般映画編)

2013-09-30 | つれづれなるままに

当初この1000日記念シリーズは、去年の年末の企画で「年忘れシリーズ」の
一環のつもりだったのですが、なんやかんやで後回しになってしまい、
きりのいい日にちの時に小出しにすることにした結果、
1000日記念と言いながらもう1260日になろうというところです。

そこまでして出してくるのは、せっかく一生懸命描いた絵を再利用しようという
浅ましい思いがこめられているのです。

心して見よ。じゃなくて見てください。お願いします。




「点の記」

エリート登山家、小島鳥雨を演じた中村トオル。
かれの登山スタイルがなんとも素晴らしいコーディネートです。
この映画の衣装担当に敬意を表して。

ひたすら映像を楽しむ「山岳映画」。
音楽もビバルディの「四季」はじめクラシックを使って良し。
フジテレビ的「んなあほな」というような詰めの甘さは残りましたが、
あわや遭難という過酷な環境の中で映画を撮影したスタッフに敢闘賞の映画。




今年の三月閉館したテアトル銀座で最後に観た映画、
「サラの鍵」。主人公を演じたメリュジューヌ・マヤンス。
超絶美少女でした。

強制収容所という体験を経て成長した彼女の選んだ悲しい道。
そして「何のために知るのか」と真実を追うことの苦しみを
自分に問いかけるジャーナリストの姿を描いた秀作。

衝撃と感動のラストはぜひ観て確かめてください。(宣伝風)




これもどういうわけか毎日のようにヒットする人気ページ。(なんで?)
「クヒオ大佐」における堺雅人。
最近、この堺雅人さんが半沢直樹で大人気だからかしら。

以前、「中年以降の白洲次郎が演じられる俳優」をあれこれコメント欄で想像して
楽しんだことがあり、そのときにちらっと、この人はどうかな・・・・・と思ったのですが、
あの顔で

「日本人は戦争は負けたが奴隷になったわけではない!」

とか言われてもねえ・・・、ってことで推薦取り消し。



「戦火の馬」モブシーン。

この絵を描いていた時のことですが、この画像のほぼ三倍の大きさのものが
ほとんど仕上がっていた段階で無慈悲にもブルースクリーンになり、
数時間の努力が一瞬にして消えたという悲劇がありました。

虫の知らせか、このときかろうじて保存していたこの部分に手を加え仕上げました。
この事件がきっかけになってパソコンを買い替えたという、
エリス中尉にとって記念ともいえる作品。

って、全然映画と関係ないし。



この原作が舞台演劇にもなっていると聞いて、
このようなシーンを想像してしまいました。
実際は「作り物の馬」でやったというのですが・・・。
しかもこの作り物の馬、演技をしたそうなんですよ。
観てみたかったかも。

この記事を書いたときには、自分が数か月後乗馬を始めているとは
夢にも思っていませんでした。
なんとなく流れと勢いで始めてしまい、今日に至ります。

一番大きな原因は、「バロン西」のコメント欄なんですよね。

って、これも映画と関係ないし。



The Iron Lady 「鉄の女の涙」

マーガレット・サッチャーを演じるメリル・ストリープ。
あのサッチャーがボケ老人になってしまっていたのもショックですが、
それよりこの日本タイトルは何とかならんのか、と思いました。

その後サッチャーは亡くなり、例によってその日だけこのエントリに
アクセスが集中して「ああ、亡くなったんだな」と実感することになりました。

イギリスでは何でもサッチャーが亡くなって喜ぶ人たちがデモをしたとか。

日本ではどんな国賊でも「死ねば神様」になってしまうので、
このようなことは起こりません。





絵を作成する過程をアップした、
「ナポラ」
竹宮恵子やら萩尾望都の世界か?とこれを観て思う向きもありましょうが、
その辺は「話の成り行き上」どうしても絡まってきた、という感あり。

むしろ、時代に蹂躙された青年たちの純粋な魂の蹉跌を描くのに、
彼らの疑似恋愛を語らない方が不自然、と思われました。
個人的には非常に評価したい映画です。




「善き人のためのソナタ」

ドイツ映画で、原題は「他人の生活」と言います。
こういうのを観ると、「アメリカ人にはこういう映画は作れない」
と思ってしまいますね。
ましてや日本人においておや。

自国の歴史、しかも黒歴史を描きつつそこに起こった限りなく美しい
魂の救済を語るなんて芸当、やはりヨーロッパ人にしかできないのか、
と少し考えさせられてしまいました。
何と言っても「哲学」が精神史を作ってきた場所ですからね。

日本人はねえ・・・。

アメリカ人などにも典型的ですが、「全くの空想世界」の中では
いかようにも精神性を語れるんですが「実の歴史」を突っ放すには、
あまりにもメンタルが全体的にマチュアでないというか、幼い気がするの。

偏見?

本日挙げた映画の中で、エリス中尉が個人的に一番お勧めしたいのが、この映画です。



「9日間」

この映画でも思いましたね。
日本人にはこういう映画は作れない!
若いナチスの少尉(元宗教家志望)のアイデアで、ある大司教が行っている
ナチスへのレジスタンスをやめさせる説得を命令され、
その間収容所から一時自宅に戻ることを許されるユダヤ人司祭。

彼らの間に行われる心理戦ともいうべき宗教論は、その善悪の彼岸や人間の業、
さらには宗教家の心にすら潜む生への欲望とそれに執着する弱さ、
そんなものとともに、実に深い部分を描き出して息詰まるようなスリルを感じました。

しかし、この稿で述べたのはなんのことはない、

「どうして世間はナチスに異常なほどの美を感じるのか」

皆さんの心に潜む「制服フェチ」っぽいものについての考察だったりします(笑)






「レッド・バロン」。

震災でしばらくブログをお休みしていたのですが、再開に当たって
久しぶりに筆を取って描いたのがリヒトホーフェンを演じた
マティアス・シュバイクへーファー。
ドイツ青年らしい硬質の美貌が実にリヒトホーフェンぽくてよかったです。

この映画は一応戦争映画なのですが、一般映画編に入れました。


しかしこうしてみると、一般映画の並びもなんとなく傾向が「戦争」ですね。
「点の記」ですら主人公は陸軍だし、「アイアンレディ」も、
クライマックスはフォークランド島への出兵の決定だったりする。


どんな映画を観るか、というのはその人の嗜好性癖を見事に表すのです。

あ、でも「話題の新作」はとりあえず別ですよ。
「ウルヴァリン・サムライ」(日本編)面白かったです!

芝の増上寺を走り出たらすぐに新宿で、次の瞬間上野にトリップして、
九州に向かう東北新幹線の屋根の上にナイフを立ててしがみつき乱闘、
というようなところがとても楽しめました。

これから観に行く方は、エンドロールの最後まで席を立たないようにね。






開設1000日記念漫画ギャラリー第四弾

2013-09-11 | つれづれなるままに


陸戦の「神様」中村虎彦




海軍陸戦隊で、陸軍が手をこまねいていた適地を攻略し、
あっぱれ陸戦の神様と称えられた海軍将校がいました。

日中戦争のおり、蒋介石軍に届く物資の流れを阻止するために
日本軍は南シナ海の要所を占領する作戦に出ました。

その陸戦に駆り出されたのが陸軍三個師団と海軍一個師団。
おそらく陸海軍間の、たぶん

陸「今回の作戦はフネ使わないんだから海軍からも陸戦隊出せ」
海「なにおーぅ」

みたいなやり取りののち、(たぶんですよ)
陸戦隊を出すことになった帝国海軍。
こんなときの常としてノーと言えない若い大尉に指揮が任されました。

これは漫画としてストーリーを勝手に弄ったものではなく全くの実話で、
中村大尉が
「(この命令を受ける代わりに)司令部の名刀を貸せ」
と条件を付けて背中にこの大刀を指揮刀代わりに背負っていたのが、
幸いしたと言えば幸いしたのでした。

馬鹿でかい真剣を目の前ですらりと抜かれた日には、
命令をよく聞かずに飛び出してしまっても仕方ないかもしれません。

「人の命令最後まで聞けよ!」

と可愛い部下の身を案じて後を追った中村大尉が振り向くと
残り全員必死の形相でついてきていたので、そのまま突撃し、
めでたく敵基地を攻略してしまったと。

中村大尉はこの大戦果を以て「神様」にまつりあげられたのだそうですが、
これだけなら神様とは少し違うんじゃないか?
部下の勘違いが一番の要因だし、と思ったあなた。
確かにわたしもそう思いました。

しかし、中村少佐(のち)は実はその人格を部下に慕われる名隊長でもあったのです。
なので、これらの人物評価も相まって「神様」といっても誰からも文句が出なかった、
というところではないかと解釈しています。




「海軍望楼vs.都留大佐」




都留大佐は海軍内のいわゆる名物男でした。
日露戦争のときこの人物、陸海軍が合同で当たった作戦中、
陸軍軍人に対してあまりにえらそうなので、陸軍さんたちは
この人物を偉いのかそうでないのか判じかねて「上官待遇」していたら、
式典のときに階級章を見たらなんと中尉。

「あんにゃろー!中尉の分際でエラそうにしよって」

陸軍の中尉以上の軍人さんたちは皆心の中で地団駄踏んだのですが、
実は都留中尉が中尉に昇進したのはその一週間前。

中尉ではなく、少尉だったんですねー。
もしそれを知っていたら陸軍さんたちの怒りは倍増したでしょう。


そんな都留大佐、海軍時代の逸話は数知れず。
今日に残っているだけでも結構ありますから、さぞ現役時代は
何かと言うと酒の肴にその武勇伝が語られたのに違いありません。

勿論ヘル談(ヘル=ヘルプ=助=助平、つまり猥談)にも事欠かないのですが、
そこは海軍、「面白い」のポイントがなかなか上品なものが多い。

この漫画に描いた逸話も、ただの会話なら面白くもおかしくもないのですが、
このやりとりを海軍の公務として通信手にやらせると言うあたりがウケたのでしょう。


ちなみに望楼とは、海峡などに設けられた「見張り所」です。



「オペラ格下指揮者事件」




たまたまこの頃観に行ったオペラの主演歌手が当日キャンセル、
しかも、代理の歌手が一幕で崩壊してしまった事件に立ち会い、
「こんな場合に訴える人っているのかしら」
と調べてみたところ、法律関係者の間では有名な
「オペラ格下指揮者事件」
という案件があることがわかりました。

代理でドタキャンした指揮者の代わりに振ったのが「格下」だったから、
というのがその訴因だった、という案件です。


少し説明すると、わたしが観に行ったこの日、主演が
娘の病気で講演をキャンセル。
ところが代打で登場した歌手は、
おそらくプレッシャーで崩壊ともいえるミスをやらかしてしまいました。

しかし(笑)

その歌手の間違いにほとんどのこの日のNHKホールの客は
気付いていなかったのでございます。

この聴衆の音楽レベルの悲しい現実を見たエリス中尉は、

「こういう場合はコンマスが指揮者の代理をするから、
もしそうと通告されなかったらたとえ前に掃除のおじさんを立たせても、
観客のほとんどはわからなかったのではないか」

と、「訴える人」をちょい皮肉ってみました。
ちなみに「格下識者事件」ですが、この裁判は原告敗訴となりました。

というか、よくこれ不起訴処分にならなかったなあ。




「取り締まられ」





たまたま二回立て続けに「取り締まられ」たので、
うっぷん晴らしに(←嘘)漫画にしてみました。

丁度この頃APECがあって、首都圏を他府県ナンバーの
パトカーが走り回っていました。

皆パトカーを見ると急にスピードを落とし、
追い越さないように左車線にはいったりしてやり過ごすのですが、
そのとき見たパトカーが沖縄県警だったので
安心して追い越しました。

追い越す瞬間、上のような妄想をしてしまったので
それをそのまま描きました。


「善行賞」




まだ海軍の階級にあまり詳しくなかった頃、
善行章について調べたことをそのまま書いております。

軍隊ってのは階級社会ですからね。

しかも、その階級も単純に年功序列だけでもない、
だからといって、「何年海軍の釜の飯食ってるか」
みたいなことが実はモノを言ったりする社会なわけですから、
そのヒエラルキーの中で兵隊さんたちはさぞかし
現実の厳しさみたいなものを思い知ったのではないでしょうか。

まあ、階級社会の厳しさを言うなら
戦前の軍隊に限ったことではありませんが。

この漫画は、特別善行賞(何か表彰の対象になることをした)
一本の下級兵、つまり目下に向かって、
しなくてもいい敬礼をしてしまったいかつい兵隊さんの
悔しさを表現してみました。

何がそんなに悔しいのか、と傍から見ると思いますけど、
軍人さんにとってはとても大事なことだったんですよ。たぶん。










2013年大曲花火大会に行った(教訓付き)

2013-08-26 | つれづれなるままに

引き剥がされる思いで先日アメリカから帰国しました。
息子の学校が始まるぎりぎりまで快適なスタンフォードでリスを撮りながら
暮らしていたいのはやまやまですが、わたしには日本に帰らねばならぬ
大事なイベントが待っていたのでございます。

それがこの秋田県大曲で行われる年に一度の花火大会。

花火というものは 日本が世界に誇る音と光の芸術であり、
花火師というのは芸術家であり真に憧れているいうくらい花火を愛するわたしにとって、
「日本一の花火大会」であるところのこの大曲花火は即ち

「世界一の花火大会」。

きっちりとこの花火大会に間に合うように飛行機を定め、
まだ地獄のような暑さの羽田空港に降り立ったのでございます。

その荷を解く間もないまま花火大会当日となり、飛行機は羽田発10時35分。

少し早目に家を出て高速に乗った途端、目を疑いました。
そこには渋滞でうんともすんとも動かないクルマの群れが。

「しまったあああああ!」

どこかの馬鹿者が(非情と言われようが言わせてもらいますよわたしは)事故を起こし、
空港の手前にそのための渋滞がきっちりとできていたのです。

窓ガラスが割れ、車体がぐちゃぐちゃになるほどの大事故で、
ちょうど事故処理に入ったばかりだったため、渋滞の列は「歩くより遅く」
ほとんどセンチ刻みの進行。

チェックインの期限は出発15分前です。

じりじりしながらやっと事故現場を通過した時には10時ちょうど。
空港までの距離は飛ばせば10分少しの地点です。

走行車線と追い抜き車線を華麗にクリアしながら、空港に近づいたとき
わたしは家族にきっぱりとこう言いました。

「わたしはもう乗れないから二人で行って!後の飛行機で追いかける!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ちょっと待て。

確か去年の大曲花火大会の記事で全く同じことを書いてなかったか?



そう思われた昨年以来の読者の方々、あなたは正しい。

そう、去年は駐車場が満杯という理由の違いこそあれ、車を運転している
わたしだけが乗り遅れ、二人が予約の飛行機に乗るという、
まったく同じ轍を、学習しないわたしどもは 見事に踏んでしまったのでございます。

しかも今年は去年のように一時間遅れなどではなく、空席があったのは4時近く。

もうどうにでもして、な気分で家に帰り、前日雷のせいでいきなり切断された
インターネットの回復をしてから「えきねっと」で新幹線「こまち」を予約し直し、
洗濯などして虚しい時間をつぶしました。


教訓その1:夏休み期間の土日に車で空港に行くのはやめましょう。 




ともあれ、すでピークを過ぎてガラガラの秋田行きに乗って現地に近づきます。
昼花火を見るための人々はすでに移動も終わり、秋田駅も人はまばら。
とはいえ新幹線は結構な混雑でした。
暑い昼花火はあきらめて夕方から行く人も多いのかと思われます。



この日東京はうだるような暑さだったのに、秋田は涼しく秋の気配が感じられました。
ほっと一息つく気分です。



ああ・・・・日が暮れていく・・・・。
今頃会場では昼花火とともにみんなお弁当食べたりしてるんだろうなあ・・・。



皆が写真を撮りまくっていた新幹線「こまち」。
名前もいいですが、このカラーがいいですね。
ポスターによると「ジャパン・レッド」。
新幹線に関してはなんでも絶賛するファンのわたしにも大納得のネーミングです。

そして、大曲駅に到着。

TOが迎えに来てくれていたのですが、途中までタクシーに乗れることが判明し、
行きから体力消耗することなく会場にたどり着きました。
ちょうど升席に向かうときに夜花火が始まり、結局、わたしは完璧に間に合ったのでした。



今年のお席は、審査員席の並び。
つまり、去年に引き続き特等席です。
それもこれも予約してくださった地元企業が大スポンサーであったからこそ。

というわけで、今年の主眼は去年のデジカメではない、ニコン1で花火を撮る、
ということに集約されていたわけですが、どうですか。冒頭写真の出来は?

こういうのを見ると、「どうやってこうなるように仕込むんだろう」と、
心から絶賛するとともに不思議で仕方ないのですが、それはともかく、
去年とは格段の違いがあると思われませんか?

その理由は・・・・・


三脚を使ったからです(爆)


「花火を撮るのに三脚なしとはな」

と去年アップしたブレブレの各画像を観てこのように思った常識のある方も多かったと存じますが、
今年はこの基本中の基本を押さえるため、わざわざサンフランシスコで
軽量かつ平衡目盛のついている秘密兵器を購入しておいたのです。

しかし好事魔多し。

到着したのが暗くなってきたところだったため、三脚を組み立てるのに
どこがどうなっているかわからず悪戦苦闘。
買ってきたときに一度取り付け方を確かめただけだったので、
取り外しレバーの位置が分からないという・・・・・撮影以前の問題ですね。

教訓その2:機材は事前に使い方を確かめて暗闇でも扱えるようにしておきましょう。


ともかく、出遅れたもののその中のまともな写真を淡々と挙げつつお話しします。





花火撮影の基本は、新幹線「こまち」の中でインターネットのサイトを見ながら
頭に叩きこみ車内でカメラの設定したという、つまり付け焼刃もいいところです。

しかも、花火の撮影って「練習」ができません。



何かの意匠になる仕掛けも多く、これは「ピースマーク」。



なんだっけ・・・・金太郎は足柄山だし・・・・。
座敷童?



こういう、どちらかというと幻想的な印象画のようなものが多く撮れました。






これは三脚を動かしてしまったため、このような「立体的」な物体に。

 

着物の模様のようです。







 










花火を観る楽しみは、どんなイメージを花火師が持っているか、
音楽によって知ることです。

その時その時で選曲には「傾向」があるようですが、定番は

「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」
「誰も寝てはならぬ」
「YOU RISE UP」 


で、かならずどこか一チームが使用します。



今年はNHKのあの似非応援ソングであるところのあれ、が
「花」をテーマにしたあるチームによって使われていました。

で、改めて聴くと、いい曲なんですよねこれが。
いや、わたしもあの曲そのものに文句をつけているわけでは・・・・
つけてましたねすみません。

でも、あの曲への批判分析をお願いします、と言ってこられた方だって、
「似非応援ソング」と言いながらしっかりご自分の楽器(フルート)で
演奏するつもりで練習しているとおっしゃっていましたし。

ふと、先日のこのブログ上での「紅の豚は好きだが映画製作者の意図はうざい」
という話を思い出してしまいました。

芸術は結果良ければすべてよし。
感覚的な好き嫌いは、また別の次元の話です。




音楽の問題点があるとすれば、これは競技大会なので、
各花火会社には既定の時間が決められているということ。

自由演技の時使う音楽がいいところでぶつっと終わってしまうのです。

というかそれがほとんどなんですが、曲によっては
「これからいいところなのに」とそれが気になってしまうのです。

「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」のときに、わたしも
「ああ、ここで終わるかな~」
と残念な気分になったのですが、その時絶妙のタイミングで息子が

「終わろうよ・・・・」

と言ったので周りが爆笑しました。
皆同じように感じていたのかと思われます。



このジレンマを克服するために「手作り」した曲を使用しているチームがありました。

バッハの「イタリア協奏曲」の第一楽章を、おそらくピアニストに電子ピアノの
チェンバロモードで、しかも途中省略して演奏させたもので、花火終了とともに
ちゃんと終止和音が来たので、これは気持ちよかったです。

花火の技術そのものがどんな評価だったのかはわたしにはわかりませんでしたが。



同行の方々はもう数年来の常連なので、観方も通のそれです。

「ここはいつもうまいねえ」
「真ん丸にきれいに上がるけど危なげないねえ」

回を重ねて観ていると自然と評論家のようになってしまうようです。



四角や三角の形になるように上げることももちろん可能。

観て「きれい」かどうかは別の話ですが、「面白い」というポイントもあります。

 

こういった「小花模様」も規定にあるのですが、ここのはうまいと思われます。
乱れ咲く菊の風情が見事に表現されている一発。



花束。
花火、というのは昔から「花」を表現してきたのだと改めて感じます。
この花束が投げられて・・・・・



散っていきます。

この演技だったと思うのですが、「男たちの大和」のエンディングテーマ、
長淵剛の「クローズ・ユア・アイズ」を使用したチームがいて、このタイトルが
「英霊たちへの挽歌」(確か)でした。







「あのテーマ」とともに始まった「ミッション・あ」。

「秋田の魅力を解説するのが君の使命だ。
例によって君のメンバーがこの任務により死亡あるいは負傷しても
当局は一切感知しないから
そのつもりで。
なおこの録音は自動的に消滅する」


同時に花火開始、という意匠のチームは受けていました。
翌日の秋田の新聞の一面も、この解説による写真だったかと思います。

写真は「なまはげ」。
あとは「秋田杉」「秋田犬」などなど、ご当地の名物をそれぞれ形に打ち上げる趣向です。

確かに楽しめましたが、

「花火として綺麗かどうかはまた別」

とは息子の辛辣な一言。



消えかかっていて済みませんが、これが秋田犬(多分)



われわれをご招待くださった企業は、大スポンサーの一つで、
去年の優勝チームに「企業花火」を上げさせていました。

ライバル会社と呉越同舟での共同出資です。

なぜこういうことにするかというと(たぶん)張り合うことを防ぐため?
花火師さんたちにすれば「張り合わせてほしい」というところかもしれませんけど。

ちなみに去年やたら威勢の良かった「ド●モ」さんですが、いろいろと反映してか、
去年の大量じゅうたん爆撃のような無茶苦茶な勢いは全くなりをひそめ、
むしろ去年圧倒されたわれわれ企業に後れを取っている感がありました。

その年の企業の勢いが花火の内容で窺い知れる。
変な観点ですが、花火にはこういう楽しみ方もあります。
ここだけの話ですが、同行の方が

「組んだ相手が悪かったかなあ」

とつぶやいたのが印象的でした。





去年この大曲花火のエントリをご覧下さった方の中にはもしかしたら

「カールツァイスレンズ搭載とはいえ、デジカメの花火モードで撮ったものと
今年のカメラの画像にはかなりの違いがみられるではないか」

と思ってくださる方もおられるかもしれません(だといいな)。

取りあえずこのニコン1には花火モードなんちゅうお手軽なものはついていないので、
マニュアル撮影にすべてプログラムしておかなくてはいけませんが、
全てにおいてぎりぎりまで何もしない傾向のあるエリス中尉、なにしろ
秋田駅から大曲に向かう「こまち」の30分の間にすべてを叩き込み、
絞り値もシャッタースピードも、シャッターの押し方すら文字通りの付け焼刃で臨んだわけです。

しかも現場が真っ暗で、カメラのダイヤルを合わせるのも一苦労。
まあ、レンズをのぞいていればわかるんですけどね。

それでもなんとか去年よりましな画像が撮れたのは、
これもひとえにミラーレス、じゃなくてレンズ交換式アドバンスドカメラ、ニコン1の実力。
(ステマ)

決してわたし自身の技術ではないということだけ宣言しておきます。

ちなみに設定ですが、絞り値はf/11~14までをうろうろ、
シャッタースピードは1/1.3~1/2で、この値は「サイレント撮影」のモードにしていないと
得られないため、シャッターを押したときのあの「パシャ」っという音が全くなく、
非常に気持ち悪かったです(笑)

カメラに詳しい方は笑止かもしれませんが、連写は全くダメでした。

あとは長秒時のノイズ低減モードはオフ。(取り込みに時間がかかるため)
手ブレ補正もしない方がいいということでオフにしました。



確かこれがわが桟敷の「大スポンサー様」の出資した企業花火だった(気がする)。
ところで、写真を見て初めて気づいた趣向もありました。



これ、薄の野を表現しているのですが、この草むらの丸い光をご覧ください。



ほら、次の瞬間立ち上っていきます。

これ、蛍だったんですね。

観ていた時には全く気付かなかったのですが、後で画像をチェックして、
この表現に気が付いたとき思わず感動してしまいました。

すごい。
やっぱり日本の花火は真の芸術です。



ところで、この日大曲に行かれた方、読んでらっしゃいますか?

大変でしたよね?あの、雨(笑)

いやもう、会場に向かう途中で雨粒が二三滴あり、「あれ?」と思った瞬間、
わきにある露店に雨合羽と雨傘が売られているのに気づいたんですよ。

そのときにふと「もしかしたら、今日夕立の予報でもあったのかしら」
と感じた嫌な予感は花火の中盤で見事にあたり、バラバラっと来たと思うと
いきなり集中豪雨になってしまったのです。

しかし誰も座を立つ人はいません。当たり前ですが。

ここであわてても雨を防ぐ場所など会場を出なくてはないし、
立ち上がったところでパニックになるだけです。

皆我々と違って予想していたのか、キャーキャー言いながらも粛々と傘を広げ、
ある者は傘を差し、合羽を着て、行われる花火を観ています。

気の毒だったのは豪雨の中のコンテスタントで、
雨が降っても花火というのはちゃんと上がるのだということはわかりましたが、
なにしろ観客の集中が全くない状態だったので、おそらくそれは審査員にとっても同じで、
かなり出来が良くても賞を取れるほどの感動を与えられたかどうかは疑問です。

「勝負は時の運」

という言葉が浮かびましたが、この大曲花火、今まで一度だけ天候を理由に中止されたそうです。
この一年のために存在するこの大曲という町が、その中止(延期なし)によってその年
どれだけの損害を被ったのかは想像に余りあります。


被害と言えばわたくしごとですが、わたしは現地に遅れて到着したため、
ホテルですべての準備を整える時間がなく、なんと、わたし以外にはどうでもいいことですが、
現地にエルメスのバッグを携え、布のトートで外側を覆っていました。

全ての形あるものはいずれ朽ちる運命と言えども、エルメスを豪雨に晒して尚泰然としていられるほど
わたしはまだまだ現世の物欲から解脱しても悟りきってもおりません。

取りあえず雨が降り出したときに、わたしは後ろから神の恵みのように渡された
主催者の傘でとりあえず自分の頭とカメラを守り、日除けの帽子、シート、その他
あらゆる「雨よけ」になると思われるものをバッグの上に幾重にもかけました。

その甲斐あって豪雨が嘘のように過ぎ去ったのち、シートすら水が溜まっている悲惨な状況でも、
バッグだけは一滴の水も吸わず、その周りだけは完璧に乾燥した状態で、
つまりエルメスのバッグだけは守り切ったのです・・・・・・・・

・・・・・・・まあ、こんなもの花火会場に持ってくるのが間違っていますが、
全ては飛行機に乗り遅れてバッグをホテルに置いてくる時間がなかったからです。


教訓その3:花火会場に濡れて困るものは持っていかない






花弁の角度が皆違うのですが、ちゃんと「咲いている」ように見える。



これなど、まるで絵に描いたようです。
ちゃんと花芯の花粉まで表現されています。



これは、右下に陰影が来るように仕込まれているのですね。



地味ですが、花の角度が気に入って。

ところで、わたしがニコン1で激写している間、息子はすべての花火を
ipod touchで動画に収めていました。

そして後から動画再生し、それを止めてキャプチャしてそこそこの画像を撮り、
まわりの大人に感心されて得意満面です。

まったく、下手なカメラよりずっとこっちの方が性能がいいんじゃないかと思います。
わたしが撮り損ねたものも即座にメールで送ってもらいました。



かえる。



さる。
BGMは「アイアイ」でした。

まあ、こうして見ると、やはり画質はニコン1の足元にも及びませんけどね。
(と思いたい)





わざとぼうっとぼかす表現もあるようです。




歪まない画像が撮れただけでも進歩したといえましょう。
三脚のおかげですがね。





たった一輪の花。
こういう趣向も粋ですね。



左は消えかけていますがなんか動物だったような。
猫かな?



ネズミ。



右下に猫らしき影。

というわけで、大会終了。
終了と同時に何万人もの人が同じ方向(駅)に向かいなだれのように進みます。



大曲駅まで帰ってきましたが、花火のモードのまま撮るとこの通り。

明石の将棋倒し事故なども階段でのことでしたが、大曲はこの日警察を総動員して
警備に当たり、階段の前では交通整理して一時せき止めたりして、
事故が起こらないように細心の注意を払って人員整理をしていました。

なんと、始まって以来、この大曲花火競技会は一度も大事故が起きたことがないそうです。
素晴らしい。



去年も書きましたが、この駅前の「ホテル・ルートイン」。
この週末の二日だけ一泊10万円になります。
ホテル・ルートインなのに。

そして、宿泊客はそのまま一年後の予約をして帰るため、すでに来年は満室。



この町ははっきり言って「花火だけの町」ですので、この大会にかける意気込みは大変なものです。
「事故を起こさない」
というのは簡単なことではありませんが、今まで無事故という結果は何よりもその表れで、
この町の人々の運営にかける努力は賞賛に値します。



新幹線も夜中まで何本も臨時停車しますが、ホームで事故が起こらないように、
外で乗客は待機。
アナウンスがあればその時に列のままホームに上がっていきます。



「こまち」以外の臨時列車にはそれぞれ

「スターマイン」「ナイアガラ」

など、花火の名前が付けられています。
そして、「こまち」車内。



全席指定ですが、この日は特別なので立って帰ろうとする人を乗せます。
30分くらいは通勤で慣れている方も多いのでしょうが、
席に着くなりがっくりと眠ってしまう人がほとんどで、皆疲れ切っているのに、
立ったままは大変だなあ、と思いながら見ていました。
かなりの人たちが立ったまま寝ていましたが、これもすごい。

ところで、この日の花火、上席で観られたのですが、上席ならではの「被害」が。
風があり、しかも河原からこちらに向かう風だったので、花火の燃えカスが
いちいちバラバラと頭の上に落ちてくるのです。

わたしなど遅れて暗い中到着したため、用意していただいていたホテルの会席弁当を
「何を食べているのか口に入れるまで分からない」
闇鍋状態で、ときおりスダチやレモンをかじってしまったりしながらいただいたのですが、
この消し炭の雨のたびにお弁当に蓋をせねばなりませんでした。

しかも、雨でぬれた衣服の上にかかりますから、明るくなってお互いを見ると、
いたるところ消し炭の炭が点々と洋服に・・・・。

「相撲の砂被りと一緒で、花火の『消し炭被り』もいい席で観た証拠」

つまり名誉の被害です。
しかし、今日洗濯しても、消えないんだ。消し炭。

教訓4:花火会場にいい服は着ていかない



息子の頭に落ちてきた大きなスターマインの残骸。
6センチ×9センチの大物です。

疲れ切ってホテルに到着し、シャワーを浴びて倒れるように全員討ち死に。
次の日目覚めたら12時半でした。(もちろん昼の)

一度も起きずに昼まで寝たなど、高校生の時以来かもしれません。

空港で主催の方にお礼の電話をしたところ

「もし来年も、というご希望でもあればご主人にお伝えくだされば・・・」
そのお申し出に

「いえ、今ここで希望を出させていただきます。
ぜひぜひ来年も参加させてください!」

と言下に口が動いてそう答えていたわたしでした。







フランク・ロイド・ライトに捧げる歌

2013-06-19 | つれづれなるままに

今現在(フォーシーズンズホテル314号室のデスク)で、
せっせとこんなものを造っている息子です。

 じを

声をかけて今までの「作品」を出してもらいました。
これは「マインクラフト」というゲームで、自分で建造物をバーチャル世界に建てるもの。
部屋の中のキッチンや寝室、暖炉を造ったり絵をかけたり、
ときどき迷い込んでくるヒツジやニワトリに餌をやったり?と、
なかなか(よくわからないのですが)楽しそうです。

そんなゲームが好きな息子は当然フランクロイドライトの大ファン。



わたしも、サイモンとガーファンクルの
「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」
So Long, Frank Lloyd Wrightという歌が大好きです。

さようなら、フランクロイドライト
あなたの歌がこんなに早く消えてしまうなんて
あなたの偉大さがやっと少しわかってきたかなってとこだったのに

早すぎる
早すぎるよ


忘れないよ フランク・ロイド・ライト
明け方までお互いが完璧にハーモニーを奏でたすべての夜を
あれ以来僕はずっと笑っていない

ずっと ずっと


多くの建築家たちがう生まれ、そして去っていく
しかしあなたのまなざしは決して変わらない
いろいろな曲が生まれては消えていく
でも僕の音楽は決して変わらない

僕がこの道で行き詰るようなことになったら
その時は
少しだけ立ち止まり、
そしてあなたのことを考えるよ


さようなら フランク・ロイド・ライト
あなたの作品と毎晩溶け合った日々を思う
建築と音楽の美しさの接点を探して

あれ以来僕は笑えなくなってしまったよ


さようなら  さようなら

(エリス中尉 超意訳)




息子が明治村でライト建築の帝国ホテルを見て非常に感銘を受けたようなので、
先日レゴシリーズの「帝国ホテル」を買ってやりました。

 

あっという間に土台を作り、本体を組み立てています。
息子は一時「大きくなったらレゴを作る人になる」
と言い切り、部屋の棚と言う棚に自分の作品を飾り、
いまだにレゴに囲まれて寝ています。
最近はコンピュータのゲームでチャットをしながら遊ぶのが面白いらしく、
レゴ製作からは遠ざかっていましたが、やはり相変わらず作るのは早い。

 

少し写真を撮らないでいると、あっという間にここまで進んでしまいました。



もう屋根が半分付きました。

完成。

 パッケージと並べてみました。

 入口の噴水もちゃんとあります。

 背面部分。

 

ちゃんと彫刻も再現されています。

 

ロイド独特のモニュメント。

 

できた作品を今までの建築シリーズと並べてみました。
左からシアーズタワー、シアトル・スペースニードル、
帝国ホテル、エンパイア・ステートビル、ジョン・ハンコックセンター、
グッゲンハイム美術館。

さて、そんな我が家に最近もう一つ、フランクロイドライトが来ました。



ライトデザインの名作、「タリアセン」ランプです。

 

実は、我が家で使っているカードのポイントが、
溜りに溜まっていたのですが、先日届いたカタログによると
このライトが戴けるということがわかり、珍しく家族全員が
ポイントをこれに使うことに意見が一致したのです。

ヤマギワ電気で扱っているものですが、ちゃんとライトデザインですよ、
という証明書付き。
ライセンス生産、というやつですか。

頼むときTOがわたしに

「メイドインチャイナだけど・・・・・いいの?」

そっ・・・・・・それは・・・・・仕方ない。
背に腹は代えられん。ってちょっと違うかしら。

しかしなんだってフランクロイドライトを中国で作らせるかね。
ポイントの景品だからまあ仕方ない、ということになるけど、
もし自分で買うんだったら、「なーんだ」となってしまいそう。

わたしがときおりのぞくファッション通販サイトですが、
「日本製」「イタリア製」「フランス製」
にまじってなぜかときどき「輸入品」という表示が。

ははあ、これは「中国製」と書けないからなのね、と理解しています。
とくにファッション衣料が「中国製」というのはね・・・
食べ物は「身を守るため」に徹底的に中国産を避けている人も多いと思いますが、
ファッションの場合、理屈ではないの。
中国の工場で作られたってだけでもうなんか、萎えてしまうんですよね。気持ちが。

ファッションって、人によってさまざまな捉え方があると思いますが、
わたしの場合「気持ちを一緒にまとうもの」ですからね。
「仕方ない」
というネガティブな要素が混入してくると、それだけで盛り上がらなくなるというか。

このタリアセンだって、中国の工場で作られていると知ったら、
フランクロイドライトも草葉の陰で苦い顔をするのではないかしら。

その点どんな人だったかは知りませんが。


 

息子に組み立てさせました。
手を伸ばしているのがランプの上部の棚というかシェードの部分。
なんと、釘一本使わず組み立てるものであることが判明しました。
コの字のパーツをスライドさせて差し込んでいきます。

なるほど、これなら掃除も楽。(←主婦感覚)
電球も豆球なので、きっと電気代もあまりかからないでしょう。(←激しく主婦感覚)

 完成後とりあえず玄関先で点灯。

しかしさすがは?中国製。
木のパーツをスライドしてはめていくのですが、
ひとつだけ「どこにもはまらないピースがある」ことが判明。

「なんでこのピースだけこんなに小さいの」
「はまるところが一つだけあるデザインとか」
「いや、それはない。単に作りが雑なだけ」

二人で文句を言いながら、なんとかそのピースを押し込み、完成。

日本製なら絶対にこんなことはありえない。
これだけは断言しておきます。




いままでチェスボードを置いていたG‐プランのテーブルの上に
置くことにしました。
G‐プランはヴィンテージ(60年代)ですが、このタリアセンと全く同系統の色で、
まるでそこにあるのが当たり前のように自然です。

上にある額は、引っ越し記念に買ったフジコ・ヘミングのピアノを弾く女性と猫の版画。
こういうものともぴたりと雰囲気が合ってしまうのがライト作品。




タリアセンは長らく憧れの家具でしたが、それじゃわざわざ買うか
というと、さして切羽詰まった購入理由もないので、
なんとなく遠目に見ていいなと思っているだけだったのです。

こういうカードのポイント景品と言うのはわりとどうでもいいものを選んでしまいがちですが、
今回は使用せずにためておいて本当に欲しいものを手に入れることができ、
有効に活用できたので、それだけでもすごく得した気分。


何と言っても、有名なライトの作品を毎日見て暮らすというのは
日常生活の中でちょっとしたぜいたくな気分を味わえそうです。

・・・・・・中国製であるということにさえ目をつぶれば。









 


ニコンカメラ教室 撮影実習報告

2013-06-16 | つれづれなるままに

先日、いろいろあってニコン1を買いました、という報告をしたのですが、
その後デビュー戦の静浜基地航空祭と自宅のスズメ食堂で腕を磨きつつも、
やはりちゃんとした使い方くらいはせっかくだから勉強してみようと
ニコン主催の有料教室に申し込んでみました。

第一回の「使い方基礎」を終え、二回目は撮影実習です。

場所は新宿御苑。

息子が赤ちゃんの頃はお弁当を作ってよく訪れましたが、
アメリカから帰ってきてからここにくるのは初めてです。



この日も車で行ったエリス中尉、集合場所のここ新宿門まで、
駐車場からたっぷり一キロ近く離れているのを知らず、雨の中
園内側道を小走りに走るはめになりました(-_-)

30分ちょうどになんとか新宿門までたどり着いたのですが、
そのときには5分前精神に則って早くから集合していたらしい教室のメンバーは
すでに最初の撮影場所に移動してしまっていまい、追いかける羽目に。

この日はご覧のように一日しのつく雨で、傘の要らない温室から始まります。
追いついたら、先生を中心にカメラのセッティングをしていました。



昔来たころにはこの温室、なかったような気がするなあ。

 

最初は基本中の基本、流れる滝を撮って
シャッタースピードを変える方法をお勉強。
同じ水の流れでも動きを変えるとこうなりますよ、という実践。



滝ばかり撮っていて退屈したので、水面のハスの花を撮ってみました。



このあとは、植物撮影でフォーカスやISO感度の調整を学びました。
この植物、面白いですよね。



と思ったらもっと面白い植物が!
まるで鳥の羽のような花が屹立しています。

しかし、神様と言うのはときどきとんでもない造形をなさるものだと、
こういう植物や変わった魚などを見るといつも思いますね。

これ、絶対なんか普通の形のものを造るのに飽きてきて
『ちょっとこの辺ですごいウケるやつ作ってみよっかな~」
みたいなノリで創造されたに違いない!みたいな。





これは皆
「気持ち悪いわね」
などと言いながら撮っていました。



アジサイみたいな形ですが、葉が全く違います。
撮影を一生懸命していたので、植物の名前を全く確かめませんでした。



これはでも、「カカオの実」であることだけは確かでしょう。



フォーカスを小さいポイントに合わせる練習。
と言っても、エリス中尉が自分で勝手に「練習」しているだけ。







どのような角度から撮るかもポイント。
上から撮るとまるで紋様のようなサボテン。



ハスの花の右側にできかかっているのがたぶんハスの実?



赤いネコヤナギ状のもの。



エッジがフリル仕様の百合の花。

というわけで、いろいろと実習したわけですが、ここでビフォーアフターを。

実習前



実習後。
スタート地点にあったのでもう一度撮って見ました。



構図はともかく、フォーカスその他、少しだけ進歩している気がします。

ここで温室の撮影は終わり、外に出ました。



赤い傘はこの教室の講師の先生。
若い女性で、オジサンたちは先生なのにタメ口で話しかけています。
参加者の男性は、平日の昼間であるせいかほとんどが定年退職後の趣味として
カメラでも始めてみるか、みたいな雰囲気の方ばかり。
若い男性は一人だけでした。
女性はほぼ全員が主婦層。

この間教わったばかりのことを先生にまた聞いたりしているのは例外なくこの人たち。
まあ、オジサンの中にもたまーにそういう人、いましたけど。



移動中都庁方面を見ると、この「日本のマンハッタン」みたいなこのビルが
実際は上の方が霧で曇って見えない状態でした。(加工済み)



移動中にもせっせとどうでもいい景色を撮りまくる熱心なエリス中尉。



雨の日に撮影実習が重なって、家を出るときは憂鬱だったのですが、
こんな景色は雨の日ならでは。
晴れていたらもっと人が入り込んでしまいますからね。

雨に濡れるベンチ、誰もいない公園・・・。

こんな光景を見ると、

♪木立もブランコも メリーゴーランドも
ベンチもみんなみんな 雨に濡れていた

という、大好きな童謡を思い出します。

奇しくも次の実習ポイントは

「並木道とベンチを奥行きを感じさせて撮る」



どこにフォーカスを合わせるかをいろいろ変化させて撮ってみます。



これを撮っていたら、向こうから人が来たので、
被写体になってもらいました。



もう一組。
わたしはこの写真がこの実習では一番気に入っています。



雨の中実習なので、皆厳重に雨具を着用で来ています。
でも、意外とレインブーツ着用は少なく、わたしと先生、もう一人だけでした。
草むらにも踏み込むので、普通のスニーカーで来てびしょびしょになってしまっている人も。



装備だけは完璧なエリス中尉の足元。
「ダフナ」の、履いてよし、見てよしのスマートなジョッキー型レインブーツです。

先生は「ハンター」のレインブーツ着用。
おじさんに「アンタ長靴だからいいねえ」と言われ、
「この季節はもう必需品でございます」と答えていました。



途中で樹の葉を裏側から撮る表現のいろいろを実習。
そして、また移動し、テーマは「アジサイ」です。



つぼみのうちは蒼、花弁が開くとピンクになる種類。



フォーカスポイントを下に持ってきて撮影。
背景はわざと思いっきりぼかしています。



これも一番下に焦点を絞りました。
「実験」なので、写真としては今一つな気がしますが。



地面に転がっているように咲いている一輪。
雨に濡れた地面が美しい。




アジサイ写真の王道、見たいなショット。
この場合、フォーカスは花の中の小さな小さな「つぼみ」に合わせています。



白い花はどうも色が飛んでしまうので難しいです。



わたしがこれを真剣に撮っているのを先生が横で見ていて

「思わず見つめてしまいました」

といったカット。
もう少しベンチが古びたりしていたら絵になったのかもしれません。




自由に撮る時間だったのですが、ひととおり撮ってしまうとすぐに飽きて
集合場所で佇む参加者多数。
オジサンの中には開始早々退屈してしまったらしい人も。

この後は出口に向かって移動しながらの説明となりました。



雨や、葉っぱに光る水滴などと撮る練習。

 

ホワイトバランスを変更して表現方法を変える練習。



緑の芝の中にぽつんとあった黄色い三角コーン。
物凄く遠くにあり、これを撮っているのはわたしだけでした。

ここ、落とし穴でも掘ってあったんでしょうか。



蜘蛛の巣に光る水滴。

というわけで解散となりました。
次回は、自分がこの日撮った写真の中から三枚を持っていきます。
加工のしかたを勉強するのかもしれません。

うーん、どれにしようかなー。



閉園になってしまったので、帰りは外をあるいて駐車場に戻りました。
この新宿御苑は建物や塀にもなかなか風情があります。
言ってはなんですが、外に一歩出ると「あれ」なのに、この周辺だけは
昔のまま時が止まってしまっているようです。




御苑の向かいの会社(たぶん)の軒で雨宿りしていたカラス。

今まで自分が全く知らないことを学ぶのはとても楽しいものです。
写真の場合その効果がすぐにわかりますしね。




開設1000日記念漫画ギャラリー~中指作品集

2013-06-10 | つれづれなるままに




ブログ開設して早三年。
この三年間に実にいろんな出来事がありました。

毎日のように日記代わりにエントリを制作していますが、
日記と言うより

「わたしの海軍歴史自衛隊関係探求の記録」

という内容で、その濃さや信頼性についてはともかく、
とにかく「毎日信じられないほどの長文をアップ」するブログとして、
ブログ界の片隅にそれなりの位置を占めている、と
自分事ながら呆れつつも自負しているわけでございます。


当ブログの特色として、リサーチ、文責は勿論のこと、掲載する写真、
そして挿絵、BGMの選曲すべて自分でやってしまう、という、まるで
小さいころ作っていた「こども新聞」のようなノリが挙げられます。

しかし、ブログ運営開始当初、「自分で絵を描いて掲載できる」と知ったときには
嬉しかったですねえ。
イラストレーターや漫画家さんのブログならともかく、シロートが自分の絵を
掲載しているタイプのブログというものをあまり見なかったものですから。

あ、こんなことできるんだ。ならやってみよう。
そんな感じで、徐々に今の形になっていくわけですが、
最初はブログ機能に搭載されている「お絵かきツール」という
絵画ソフトで、こういった漫画を制作していたのです。


ただし、このお絵かきツール、何度か説明していますが、ホイールパッドを
中指(なぜかわたしば中指の方が描きやすかったので)でなぞることによって
線を描く、というとんでもないもので、下書きもできませんから不自由な指で、
何度も線を描きなおしながら苦心惨憺して仕上げていました。

書き終わった後は、腱鞘炎のように指が攣ったものです。

絵もさることながらこのソフトは字を書くのが大変でした。
まるで人格を疑われてしまうような、ミミズののたくったような字なのはそのせいで、
いや・・ペンで書くのも絵画ソフトの場合、モニターを見ながらパッドをなぞるので、
かなりこちらも不本意な字ではあるのですが、何しろ、苦労してもこの程度です。

あ、この際ですから言い訳しておきますが、わたくしが紙に書く字は、
マンガの字とは全然違いますからね!
もう少しましですからね!


この漫画は、予備学生13期の土方敏夫氏の回想録から、
氏の「失敗談」を描いてみました。
土方氏はその後逝去されたのですが、その少し前、
エリス中尉はこれをプリントアウトしたものをご本人に手渡したと言われています。








軍事演習で、御召艦を間違えて魚雷攻撃してしまった若い士官搭乗員。
ベテランの先任搭乗員は必死のバンクで止めようとしたのですが、
その努力も虚しく、魚雷は放たれ、運の悪いことにポーポイズ運動を起こして
浮き上がったまま艦に突入してしまったそうです。

ちなみに演習のときの魚雷攻撃は艦の下を通過させるのだそうです。





「パンツ一枚で初撃墜」
というタイトルだったかと思います。
特に戦後、自分が戦争中どんな撃墜をしたかなどということは、
「ゼロ戦ブーム」到来まで決して大きな声では言えなかったようですが、この
小高氏によると、初撃墜とは搭乗員にとってよほどうれしいことだったらしい。

この時の誇らしい気持ちと、コンソリデーデッドを撃墜した興奮は、
その人生の記憶に燦然と輝きを以て小高氏の人生を彩ったようです。

パンツ一枚で機から降り立った時の恥ずかしさとともに。


ちなみに、ある回想記を読んでいて、海軍兵学校67機、笹井中尉と同期の
川添利忠少佐(最終)が、やはり戦地で、こちらは褌だけで出撃し、
見事敵機を撃墜してきて平然としていた、という思い出を語っている人がいました。
川添少佐は写真で見る限りは物静かなタイプで、クラスの間でも
「どちらかというと偵察向きの搭乗員で、戦闘機に決まったときはニヤニヤして
嬉しそうにしていたから意外だった」
などと言われていたようですが、戦地での川添少佐は、このエピソードにも見られるように、
非常に激しい、闘争的な面を持っていたようです。

邀撃のとき搭乗員は身なりなど整えている場合ではないので、
とりあえずそのまま飛行機に飛び乗ってしまいます。
だからこそかれらはいつも飛行服でいたのだと思いますが、
とんでもない恰好で邀撃にあがり、不幸にしてそのまま戦死してしまう人もいました。

わたしが読んだ中で一番悲惨だった例は、邀撃の命令が下ったときに宴会中で、
着物を着てお化粧をし、女装していた搭乗員がそのまま出撃して、
その恰好のまま撃墜されてしまったというものです。

 



「菅野直伝説」はいくつか描きましたが、実はこれにも菅野大尉が出演しています。

この「太りすぎで艦爆に行かされそうになり、菅野大尉に泣いて頼んだら
戦闘機に残してもらえた搭乗員」ですが、この物資不足のご時世に
どうしてこれだけ太っていたのか?というと、やはり搭乗員の食料は
任務がハードなのでかなり一般に比べて潤沢だったようです。

ちなみに、この方はわりと最近実際にお会いしましたが、とてもスマートな方でした。
人生で一時期だけ太っていたのが、よりによってこのころだったんですね。





確かアメリカ滞在中だったと思うのですが、この心温まる
隣国軍のほのぼのニュースにあまりにも感動して、F-15以外は
何の資料も無しで漫画にしてしまいました。

「自分でレバーを引いて射出されてしまった軍幹部学校の校長」のお話です。

この軍は、マンホールの穴に戦闘機がはまったり、
空母の甲板がヘリの重みで凹んだり、データリンクもできないのに
数だけイージス艦をそろえたりしたがるので有名です。







野中五郎の居眠り伝説を「居眠りの達人」というエントリにしてみました。





阿川弘之の「井上成美」からのエピソードです。

従兵のお仕事はハードで、艦長の部屋を掃除していてつい、
ベッドに倒れこんで寝てしまうほどなのですが、
目覚めたら隣に艦長(井上成美)が寝ていた、という実話。

疲れていたんだな、可愛そうに。

そう思った井上艦長、寝ているのをそのままにしておいたわけですが、
寝ていろ、と言われたって従兵にすればそれどころじゃありませんよね。



「DARPA」国際高等研究計画局」

ゴキブリ爆弾とか、敵の兵士の肌質を変えるとか、

敵の兵士達をホモセクシュアルに変え、
互いに激しく惹かれあうようにする催淫型化学兵器


とかを潤沢な費用をもらって研究しているアメリカの秘密(じゃない?)機関。

そんなDARPAのことを熱く語ってみました。


一見不真面目なことを真面目にやる、というのが、結局は人類の
科学の進歩につながっていくこともあるのではないか、
だからこそこのDARPAについては暖かい目で見守りたい。

そんな気にさせられる、軍事開発組織でした。


・・・・・・でも、自分の親とか夫がここに勤めていたら、少し嫌かも。








「ミラーレスと呼ばないで」~ニコン1を買った

2013-05-27 | つれづれなるままに

おそらくコンパクトデジカメの中では結構いい線いっているのではないか、
と思われるソニーのRX100を購入し、それなりに楽しんでいましたが、
特にエリス中尉のように自衛隊関係のイベントにカメラを必要とする場合、
致命的ともいえる欠点があることに気付きました。

つまり、晴天下でモニターが全く見えなくなるという。

かといって、基地祭でバズーカみたいな一眼レフを担いで
人波をかき分けかきのけ、いつの間にか周りの顰蹙を買うような、
そんな「カメラマン」には死んでもなりたくありません。

そこそこいいカメラで、しかもそんなに重くない(気分的にも重量的にも)
ミラーレスカメラはどうかしら、そう思っていたある日、
日経ビジネスの特集「世界に誇るニッポンの商品100」という記事で、
浄水器、ヘルメット、地雷除去機、新幹線からカップヌードル、ハローキティ、
そういったものと並んで、ニコン、キヤノンの一眼レフが紹介されていました。

一眼レフは精緻な光学とメカの技術が必要で、長く他社の追随を許さなかった。
ところが、パナソニックが2008年、反射鏡を取り除いて構造をデジタル化し、
小さくした「ミラーレス」カメラを発売。
一眼レフのシェアを奪うようになってきた。
しかし、カメラの性能を決めるもう一つの要素としてレンズがある。
キヤノン、ニコンが特許とノウハウで大きく先行。
デジタル化しても簡単に二強の牙城は揺るがない。

という記事なのですが、(ちょっと意味不明な気もするけど)これを見て、

「うーん、しょせんミラーレスは『エンポリオ・アルマーニ』なのね」

と意味不明の納得をしてしまい、一眼レフでなければ買い替える意味なし、
と結論付けてしまっていたのです。

しかし反面、こうも思っていました。

「つまり、キヤノンかニコンのミラーレスならいいってことなんじゃ?」




そんなある日、キヤノンから「小さな一眼レフ」“EOS Kiss X7”が出た、
と言うニュースを知り、俄然欲しくなってしまいました(笑)

画質やAF性能などのデジタル一眼レフカメラに求められる基本性能を
高い水準で維持しながら、小型・軽量化を実現したというもの。
これにより、手軽に持ち歩いて本格的な撮影を楽しむことを可能にし、
撮影領域の拡大に貢献する、というのがキヤノンの謳い文句。

とりあえず見に行きましょう、ということで、連休の終わりごろ、
TOと銀座ショウルームに出かけました。

ところが行ってみると、キヤノンさん、お大尽商売というか余裕というか、

日曜祝日はショールームはお休みさせていただきます

というお断りが・・・・・・・・ORZ
あっそ、ならいいです。歩いて3分のところにあるニコンに行くもんね。

何とニコンは基本的に年中無休。お休みは盆暮れ正月のみ。
ちゃんとこの日も営業していました。

ショウルームの方にまず、キヤノンの軽い一眼レフを買おうとしていたこと、
今使っているコンデジから買い替えるだけの意味のあるものなら欲しい
と思っていることなどをお話しして、何か見繕ってください、と頼みました。

我ながら投げやりである。
お任せ刺身じゃないんだからさ。

というわけで詳細は省きますが(おいっ)、ニコン1の新製品V2をお勧めされ、
あっさりとこちらを買ってしまいました。

いい加減すぎ?



一般的にミラーレスはオートフォーカスが遅いのですが、
ニコン1はこれを払しょくしていて、さらに一眼レフ画像より画素が多い、
とお店の人は言っていましたが・・・・・

・・・・・まあ、なんだかんだ言っても要は撮り手の腕ですよね。

そういう向上心が無いからにはある程度すべてお任せ!
みたいな機能がある方がいい。(なんて結論だ)

ところで、このニコン1、ミラーレスなのにミラーレスとは呼ばないのです。
レンズ交換式アドバンストカメラ、これがニコンの呼び方。

「ミラーレスと呼ばないで」ってことですか。

呼ばれたくない、その理由は?
プライド?それとも
「レンズ交換システムでエンポリオアルマーニ臭を払しょくした」(意味不明)
という前向きな姿勢の表明?


わたくし、ニコンすなわち日本光學工業株式會社が、戦時中は
戦艦大和の15メートルある測距儀を作っていた、という話を知ってから、
結構思い入れを持っていたのです。

まあもっとも、

東京光学機械株式会社(現・トプコン)

高千穂光学工業(現・オリンパス)
東京芝浦電気(現・東芝)
富岡光学器械製作所(現・京セラオプテック)
榎本光学精機(現・富士フイルム)

これら皆日本軍の光学兵器を開発・製造していましたが。

しかし、軍需光学機器製造企業としては、陸軍系の東京光学に対して
海軍系の製造をしていたので

「陸のトーコー・海のニッコー」

とも謳われていた、というのがニコンひいきの大きな理由。
さらに、戦後あのマッカーサーが「日本人は12歳児」という暴言を吐いたとき、

「日本人は12歳などではない」

という反論を新聞に載せた企業である、と知ったときから、
特に思い入れを持っているのです。

だから買った、というわけでもありませんが、今回キヤノンを見に行って
(そこで買えないのにもかかわらず)休みだったのでニコンを買ってしまう、
まあ、こういういい加減なその場任せの消費をする人間も世の中にはいるってことです。

ご参考までに。



充電して最初に、ベランダに来たスズメを撮ってみました。
ガラス越しとはいえ、なかなかいいのではないかしら。
ちなみに、わたしは毎朝スズメに「コシヒカリ」を与えて手なずけています。

世界が終わるときにはスズメが助けに来てくれる予定。


前回、アメリカでカメラを買い、英語の説明書を読むのが面倒で、
「カン」だけで使ってきたわけですが、今回せっかく日本で買ったのだから、
と、ショールームで開催している無料の「使い方教室」に行ってみました。
参加者は前部で五、六人。
平日の昼間だったせいか、全員が女性です。

 

前のモニターに説明の女性がカメラをつないで、
ここにカメラ内部が写るようにしながら説明してくれます。
風景写真を撮ったり、前の花かごを撮ったりしながら説明終わり。

しかし、この説明を聞いたあと、今までのRX-100の使い方の疑問も
ほとんど氷解いたしました。

そして、あまりわからずに使ってたらしいということがわかりました。
こちらのカメラも公平に使ってあげることにします。

というわけで、使い方がわかったので次の乗馬のときに
さっそニコン1、持っていきました、

 

モーションピクチャーというのか、スポーツモードに調整してもらって
それで撮ったもの。
小さくてわからん、って?

画像処理のソフトがまだ使いこなせていないんですよ。

 

わたしが乗っているのを今度は先生に撮ってもらいました。
自分の姿勢を映像でチェックすることは大事だそうです。
右は新しく来たドイツ人(ザルツブルグ出身)の先生。

 

右側は前のカメラ(カール・ツァイスレンズ搭載コンデジ)で撮ったもの。
写真を小さくしすぎて、あまり違いが判りませんね。
というか、やっぱりRX100 、悪くないですよね。




最後に、先生の撮影した写真。
馬の表情がシュール・・・・。


というわけで、取り合えず昨日静浜基地でデビュー戦を飾るべくブルーインパルスを撮ってきました。
冒頭写真がそれです。
またこの航空祭のことを明日からお話ししますのでお楽しみに。







開設1000年記念ギャラリー~一コマ漫画集その2

2013-04-20 | つれづれなるままに

先日の一コマ漫画集の続きです。

「一日副官」




http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/3bb0f7cb4be52f4b4c9c4b8f03f4686e

副官という仕事を知っていますか?

ということで海軍副官のお仕事について説明ついでに、
陸軍とカルチャーの違いについても切り込んでみました。

この一コマ漫画は、阿川弘之の「井上成実」を読んで以来、
ずっと引っかかっていた井上大将のオウム、コーキが

「フッカンノバカ」

と言っていた、という記述から推測して書きました。
「フッカンノバカ」
を仕込んだのが、井上大将であることは間違いない事実でしょう。

海軍広しといえども、副官のことを「副官」と呼ぶのは、副官より
上位の軍人だけです。

しかも、副官を従えるのは軍部大臣、司令官、上等の隊長のみ。
井上大将の家にいて、「副官」という呼び方をするのは、
井上大将以外にいないわけですから。

というわけで、犯人?は井上大将本人で決まりみたいなんですが、
それにしても、この副官、何をやらかしたんだろう・・・。


「副官の花道」




http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/4d4d01883068937dacfe7d684ae538e1

一日副官の続編です。
先日、歌舞伎座が改装なってリニューアルしましたが、
それまでの歌舞伎座は、このころからあったものです。

副官の仕事とは、このような

「粋なお姐さんたちの献納した報国号贈呈式に出て、
歌舞伎座の舞台に立つこと」

なども含まれていたのです。

この絵には描き忘れていますが、海軍の場合、
副官は銀色の参謀飾緒を必ず付けました。
軍の副官は黄色いたすきです。

陸海軍共に副官は優秀な人物しかなれなかったのですが、
陸海ではまた随分と待遇も違っていたようです。

勿論、上下の関係が陸軍より緩やかな海軍の方が、
「副官特典」が多かったようです。
副官経験者ならではの役得について、このエントリでは語ってみました。

この「副官シリーズ」も自分では気に入っているエントリです。


「士官候補生東京行状記」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/83cbc538e6515467f3f05fc8a84e5136

東京に行く、というのはこのころ、今とは全く違う
「別の国に行くような興奮と高揚」があったのではないかなあ、
とこのいろんな兵学校学生の「珍道中」を調べながら思いました。

日本全国各地の選ばれた秀才であっても都会にあっては
「おのぼりさん」「山出し」の引け目を感じてしまう若者もいて、
それがゆえのてんやわんやがあった、ということを書きました。

それにしても、さすがは海軍軍人の卵、候補生時代から遊ぶ気満々。
陸軍の士官候補生の空気と比べてみたいところです。




菅野大尉伝説1

後に延々と続く「菅野伝説シリーズ、
記念すべき第一回目はこんなポップな絵柄でした。
勿論、トラックパッドを指でなぞる手法で描いたものです。


これは、マバラカットと間違えてバンバンに着陸した菅野大尉が、
飛行場にいた偉い人に「貴様誰だ」とえらそうに言われて

「見ているうちに顔がぷーっと膨れて」(部下談)

この後、テントに零戦の気流をぶっかけて去っていった、
というエピソードをちょっと魔がさして描いてしまいました。

因みに、かつてこの時の「部下だった方」にお会いしたことがあるのですが、
このエントリで書いている

「ニコルスに行くつもりでマバラカットに着陸してしまった説」

は間違いであることだけは確認しました。
当事者のお話も、巷間伝わっている通りだったので、
この話は脚色なしの実話であることが判明した次第です。



「甲板士官のお仕事」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/06a8ac5bf1ec7b46cdb2b220877a99a0

日露戦争の日本海海戦を描いた映画の中ですら、この
「ズボンまくり上げてはだしで棒きれ持った甲板士官」
がしっかりと描写されているのに驚いたことがあります。
へんですよね。
どうしてほかの者が全員靴はいているのに、甲板士官だけが
はだしなのか。

はだしで歩いても危険ではないくらいまで艦を徹底的に
清浄に保つ、ということと関係しているのかもしれません。

この「日本海軍の異常なまでのきれい好き」というのは、
伝説にまでなっています。
このエントリで、ある甲板士官が先輩から言われる、

「最初に兵員厠に行ったら、便器を指でこすって舐めて見ろ」

という大変な話ですが、あの軍神広瀬中佐も捕獲した敵艦、
「鎮遠」を清掃するというときに指揮官として範を示すため、
便器を爪でこすって掃除したという話があります。

・・・・・・・・・・・・・。

広瀬中佐、それはあまりにも無謀ではないだろうか。
なぜならば、そのフネは少し前まで軍紀だらしないことで
若き日の秋山真之を呆れさせたあの中国海軍が使用していたフネ。
当然その厠も、その中国海軍の兵がさんざん使用した後です。
それだけでもドン引くのに、その爪を、その後どうやって消毒したのか。


・・・・まあ、そんな話に熱くなってもなんなのでこれでやめますが、
「厠をきれいにすると美人になれるんやでとおばあちゃんが言ってた」
という歌もありましたね。うろ覚えですが。
すべてのものに神が宿るのであるから清浄に保つことが肝要。
この日本人特有の精神性と清潔の相関関係が
こういうあたりにも表れていると思うエリス中尉です。


でも、広瀬中佐やこの士官の先輩の方法でないとダメとか言われるくらいなら、
わたし別に美人にならなくてもいいや。




「オペラ歌手の容姿」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/b72e3cd9dc02734fa4eafe44f555bf18

この日、新国立劇場で行われたオペラ、「椿姫」。
主役級だけ外国人を招聘してくる、というタイプのキャスティングで、
なんとこの日の主役は「こんなアルフレード」だった、というお話。

わざわざ大枚はたいて、何が悲しくて小太りの不細工な韓国人が
軽やかに飛び跳ねながら歌い踊るシュールな「椿姫」を観なければならぬのか。

一場の夢を売るオペラで、こんな反応に困るような思いをしたことは
後にも先にも一度もありませんでした。


と言いたいところですが、実はこのようなことは一度ではなかったのです。
さらに話はこの講演の一年くらい前に遡ります。


その日のオペラはそのシーズンの講演の中でも注目度といい、
演奏者のステイタスといい、おそらくもっとも高いと思われた、
バレンボイム指揮、ミラノスカラ座の「ドン・ジョバンニ」。(だったかな)

全てが終了し、カーテンコールのとき、いきなり思いっきりスタイルの悪い
韓国人女性が出てきて、あたかも主役のように挨拶をするので、
「こんな人どこかに出てたっけ」と不審に思いました。
確かに彼女の名はプログラムには載っているのに、その役名が判然としない。
なんかステージの裏で歌う「エコー」みたいな役であるらしかったのですが、
全員がイタリア人(しかも飛び切りの美男美女揃い)のミラノスカラ座の
歌手と一緒に、しかも「わたしを見て!」と言わんばかりにやたら張り切って
カーテンコールしている様子ははっきり言って「浮きまくり」でした。

周りの観客もみな「?」という状態だったのではないでしょうか。

わたしもそんなに頻繁にオペラに行くわけではありませんが、
たまたまこんなことが続いたのと、現在ベルギー在住の知人が、

「ピアノの国際コンクールを聴きに行ったら、コンテスタントが
ほとんど韓国人だったので驚いた。でももっと驚いたのは、
あんなにたくさんいたのに、第一次を受かってきた韓国人は
誰一人としてファイナルには残れなかったこと」

と言っていたことから、あるニュースを思い出したのです。



韓国では映画やテレビドラマの制作、K-POPアーチストの育成、
コンサートの開催にも国費を投入する。

コンテンツに関連する補助金などの政府予算は、
日本が87億円であるのに対して、韓国は217億円。
日本は韓国の3.8倍のコンテンツ市場があるが、
コンテンツ予算では
韓国政府が日本政府の2.5倍を投入している。

韓国は、政府系企業が専門投資組合を組成し、
資金面において直接的な支援を積極的に実施している。
日本は政府主導で資金提供を伴う支援策は少なく、
人材育成や展示会、海外販売支援などが中心である。

2009年以降、韓国政府によるコンテンツ重視の政策は
さらに厚みを増している。
2009年1月に、大統領直属の国家ブランド委員会を設置し、
国家のブランド価値を向上させる対外宣伝戦略を立案している。
この大きな戦略の下で、映画、放送、音楽、ゲームなどの文化について、
韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が
韓国企業のコンテンツ制作と輸出を強力に支援している。
(日経ビジネスオンラインニュース)



先日、「白洲次郎」を演じた俳優の伊勢谷友介が、ツイッターで突然
「ネット右翼批判」を始めたものの、すぐに撤回したという話がありました。
原因は、伊勢谷がオペラ歌手を扱った日韓合作のドラマに出ることを、
噂になった本人のドメスティックバイオレンスとともに非難され、
それに反発したためと見られています。
何か制作側からの指示でもあったのでしょうか。

また、ある評論家が最近言っていたことですが、韓国出身のバイオリニスト、
チョン・キョンファがデビュー当時、少しでも批判をしようものなら、
山のように抗議の電話や手紙が(昔なので)が来て大変だったとか。



わたしが目撃したこの日の悲惨なアルフレードや、謎の女性歌手、
決して優勝できないけど一次予選だけは大量に合格するコンテスタント、
全てにこの「コンテンツへの投資」ということに関係があるのだろうなあ、
と納得するのに十分な「事柄」ではあります。


同じお金をかけるにしても、音楽教育やコンクールや音楽事業を充実させ、
国内での演奏人口のすそ野を広げていくのではなく、いきなりコンクールに
「根回し」したり、誰もが納得しないレベルの歌手をねじ込んで来たり。

「過程を無視していきなり結果を欲しがる」

あの国らしいと言えばあの国らしいなあ、と思いました。
どんな方法でも観客が納得するくらいの実力と歌手であれば容姿で、
本物の感動を味あわせてくれるならば何も文句はないのですが。




「短剣を吊りて来ませよ」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/58e85f23dfe4fc8dda1788323e858799


短剣を 吊りて来ませよ

海のごと 深き夜空に 迎え火を焚く


この、戦後詠われた歌のあまりのせつなさ美しさに衝撃を受け、
その思いから短剣にまつわる話をいくつか語ってみました。


絵は・・・全くの思い付きのこじつけです(笑)










開設1000年記念ギャラリー~一コマ漫画集

2013-04-10 | つれづれなるままに



毒を食らわば皿まで、というのは譬えが少々ヘンですが、ここまでやったので
ついでに開設当初から挿絵として描いてきた一コマ漫画を挙げてみます。

これはまだ最初の頃、お絵かきツールを使って中指で描いた絵。

「空飛ぶ主計大尉」

というタイトルです。
軍事に興味を持ち出していろんな随筆を読んでいたら、
素人を飛行機に乗せてスタント(空中回転とか)
をしたら皆ゲロゲロになってしまった、という話を
結構面白がってしている人が多いのに気づきました。

なかでも、糧食の配分を全て管理する主計課の士官、
この人たちを言葉巧みに騙して連れ出し、

「いかに搭乗員の任務が過酷であるか」

を身を以て知ってもらうために、心を鬼にして()
彼らを無理やり飛行機に乗せ、極限までのGを味あわせ、

「ああ、搭乗員というのは大変な激務だ」

「こんな激務に耐えるには体力がいる」

「彼らへの食事の量を増やしてやろう」

という流れを作ったという話をたまたま3件知りました。
そのうち一つが坂井三郎中尉の話。

あまりにもその手口がやり方が同じなので、
実際はこのようなことが結構多かったのではないかと勘繰って、
このエントリを製作しました。

「ねずみ上陸」



帝国海軍ともあろうものが、とつい口をついてしまいますが、
フネにはびこるネズミ撲滅運動の一環として、
乗員にはネズミを一匹捕まえたらご褒美に一日上陸
(陸に上がる休暇)
というトホホなしきたりがありました。

映画「日本海大戦 海ゆかば」は日露戦争の三笠の話ですが、
水兵が上陸のご褒美欲しさにネズミを追いかけるエピソードがあります。

フネに乗る者にとって上陸は憧れですから、
ネズミを偽装してでもその恩恵に被ろうとしたのです。

画像左は「外から持ち込んだドブネズミ」。
右は「大事に育てた養殖ネズミ」。
いずれもフネのネズミにしては汚すぎ、あるいはきれいすぎて、
「偽装」がばれてしまったというお話。

ところでフネにネズミはどうやって乗り込むのか。
一度目撃した人の話だと、ブイに引っかけた鎖を伝って
ネズミが艦に侵入していたことがあるそうです。

聯合艦隊の軍艦はほとんどが沈んでしまったわけですが、
その直前に「なぜかネズミがいなくなった」
というような話はなかったのでしょうか。

ネズミは船が沈むのを察知するという能力があるらしいですが。




「海軍広報 懲罰言い渡し書」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395

防衛庁の資料室でふと見つけた
「海軍懲罰についての事例報告書」
これが、旧字カタカナの読みにくい文献でありながら
ついついのめりこんで読んでしまうくらい面白かったのです。

海軍内の罪は海軍内で裁かれ、海軍内で罪に服す。
こんな当時の常識が、現代に置き換えてみると

「え、こんなことしてるのに罪が軽すぎない?」
「こんなことくらいでこんな思い罪っていったい・・・」

といぶかしく思うことが非常に多くて。

「海軍的にはOK」
「海軍的にはアウト」

それが世間一般のとは違っている、と言うのが何とも。


「伝説の男」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395

海軍兵学校30期卒、都留雄三大佐。
この「戦史には残らないが海軍の有名人」
の兵学校時代の成績を調べようとして
30期の卒業名簿を調べたのですが、なぜか名前が無い。
187名という小所帯ですから見落とすわけはないのですが。
もしかしたら養子にでも行ったのかと思い、
「雄三」と言う名前で検索しても見当たらず。

この人、本当にちゃんと兵学校を出たんだろうか。


「ドボコン」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/fd760c125406819f17b43f190e23e5a9

音楽家が隠語として使っている省略形名称のうち
傑作と個人的に思うものを列挙してみました。

因みに「ドボコン」はドボルザークのチェロ協奏曲、
「たこはち」はショスタコービッチの交響曲8番、
「だふくろ」はドビュッシーの「ダフニスとクロエ」です(苦笑)


「美しすぎる仲人」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/302de65e1fdd61f064a9eabfb2f26f0b

このエントリを検索するために「美しすぎる仲人」でググったら、
なんと「美しすぎる仲人」を自称する方のブログが出てきました。

いやまあ・・・・この方の写真も大変お綺麗ではありましたが、
なんというか、自称してしまう段階でアウトかな・・・と・・・。

わたしがこの時目撃した「美しすぎる仲人」は、
自分のブログで自称しなくても、おそらく「伝説」になるレベルの、
絶世の佳人でした。

今現在、お歳をめされてもきっと周囲の方には
「美しすぎる老婆」
と言われているに違いありません。



「報道の意味」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/2de7882b2f8c9f6f5f3ce7e95a44f767

マスメディアの現状というのがここ数年で一気に
日本にとって危機的ともいうべきおかしなことになりました。
「まさか社会の木鐸ともあろう報道陣がそんなことはしないだろう」
と国民が性善説で判断していた媒体が、
三年前異常なほどに一致団結して起こした政権交代。

政権を取った民主党が彼らの予想をはるかに上回る
無能揃いだったおかげで、民主党は社会からNOを言い渡され、
今そのマスコミの最後の頑張りも虚しく消えて行こうとしています。

マスコミがアオり、民主に「やらせてみた」おかげで日本がどうなったか。
今、株価や国際関係、すべての惨状を見て、
国民は改めて「マスコミに騙された」との思いを新たにしています。

そして、あまりにも犠牲の多い三年間ではありましたが、要するに
マスメディアとは「そういうものなのだ」「そういうことをするものだ」
とはっきり国民が目覚めるに至ったという点では、
あまりにも高い授業料ではありましたが、日本は一歩進んだのです。

それが証拠に。

「お友達内閣」→「全く反応されませんでした」

「カツカレー」→「朝日新聞社ビルのカレーの方が高いことがばれました」

「慰安婦問題」→「朝日の捏造であることが国会で明らかにされました」

「憲法クイズ」→「首相ではなくクイズを出した議員がバッシングされています」


政権交代前とは、マスゴミの「誘導」「印象操作」「仕込み」が
まったく功を奏していないことがこういった件に表れています。

しかもこのブログでも語った「雛人形倒しゲーム事件」などによって、
報道内部の「特定日本人」「非日本人」たちのあからさまな反日が明るみに出、

「報道の公正さ」

に皆が疑問を持ち出しました。



このエントリは、当時「流行」だった、裁判員制度で死刑判決を出した
裁判員に、この画像のように

「辛かったですか~?人に死刑を言い渡すのは?」

と嬉々としてインタビューしていたマスゴミを批判したものです。
そのときに
「需要と供給があるから、こういう報道はすぐなくなるだろう」
と言っていた身内の法曹関係者の予言は当たりましたね(笑)


「代車に乗りて我が未熟さを知る」



題名と楳図タッチの絵が説明する通り、
修理のために貸し出された車に乗って、
おのれの未熟さ(あらゆる意味で)を知った、という、
単なる反省文でございます。

それにしてもみなさん。

ETCカードを入れずにゲートに突っ込んでしまい、
バーが上がらないのに後ろから大型車が迫ってくる。

この恐怖は楳図先生の漫画どころじゃありませんよ(笑)



車の話が出たついでに。
先日タイヤを全交換することになり、
ディーラーが当たり前のように「橋石」のタイヤを勧めるので

「橋石は不買対象ですから」

と宣言し、ピレリのタイヤにしました。
ディーラーの方も、今までなんとなく橋石を勧めて来たけど、
今回ピレリにしてみたら安いし、「ランク」といっても
街中走行には何の意味もないレベルの違いでしかなく、
しかも、実際には足回りがソフトなのに驚き、

「勉強させていただきました」

と言われました。

え?

なんで橋石が不買対象なんだ、って?
60歳にもなって実の母親から「子ども手当」をもらっていた
元首相がいましたが、このメーカーはその実家だからです。
そこで一句、


”不買運動 できることからこつこつと”
(字余り)



「ある海軍軍人の(笑)回想録」




あまり反響はありませんでしたが、個人的にはこの
ある海軍軍人の(笑)シリーズ二編、自分でも気に入っている
エントリです。

「ある海軍軍人の(笑)回想録」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/0cd1a1220c0480cda789ef1fa119eafd
「ある海軍軍人の(笑)終戦
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/d37aa40955154f56573b04491f402f19


こんな人物とお会いして、海軍のお話を伺ってみたかった。(迫真)


「エリス中尉 v.s 韓流おばさん」



世の中、テレビが「流行っている」といえば、
本当にはやっていると思い込んで自分もまんまと
その誘導に乗って「マイブーム」(笑)にしてしまう、
そんな「釣られ好き」という層はいつの時代も
一定数存在するものです。

ところがインターネットによって「誘導する側」の意図が
最近では瞬時にして暴かれてしまうようになり、メディアは
仕掛けた途端それを糾弾されるという時代になりました。

韓流が所詮「仕掛けられたブーム」であることを知っていたのは、
この画像のエントリを書いた頃はおそらく「サイレントマジョリティ」
であったと思うのですが、その後、マスコミがごり押ししても、
肝心の「あちらさん」が

「大統領の竹島不法上陸」
「オリンピックでの領土主張メッセージ」

で派手に日本人の怒りの導火線に火を点けて、
片っ端からごり押しを逆効果にしてしまったのです。

その後民主党の自爆やカウンターデモの自爆により、
気付かなかった人たちは目をさまし、
気付いていた人たちはあらためて声を大にするようになりました。

先般国会において中山斉彬議員が明らかにした
「朝鮮半島併合の真実」。
今までインターネットとごく一部の言論人の中だけでのみ語られてきた
このことが初めて国会議員の手で開陳されたという意味では、
歴史的な瞬間だったのではないかという気がしています。

マスコミがこの件を全く報じず、肝心の韓国側がこれについて
何の反応もしないのも、これがいかに彼らにとって都合が悪い
真実だったかということにほかなりません。


因みに、この画像を挙げたエントリで、
無名の韓流スターのサイン会をやっていた施設ですが、
この時のファンの狼藉で顰蹙を買ったのかどうか、
最近ではそういうイベントはしていないようです。

あれはどう控えめに言っても、
「韓流おばさん、ことに大阪の韓流おばさんは最低」
とみなされても仕方ないお行儀の集団でしたから・・・。



「笹井中尉に叱られたい」



初めてマンガっぽい絵をブログに揚げようと、
gooブログに備えられている「お絵かきツール」を使って
ポインタを指でなぞって描いたものです。

その後、ときどきこのページのアクセスが、
中国語のウィキぺディアからあることがわかりました。
誰か(おそらく台湾の人)が、ウィキに貼りつけたようです。

台湾の「大空のサムライ」ファンの何人かは、
「坂井三郎の敵中宙返り事件」のあとの
「笹井中尉のお説教シーン」をこの絵でイメージしている、
という可能性もあるということです。

うーむ、誇らし・・・くはない。


開設1000日記念漫画ギャラリー 第二弾

2013-03-20 | つれづれなるままに

「どんがめ下剋上」






潜水艦という特殊な配置に最初に興味を持ったのは、
「特殊潜航艇」でシドニー湾に突入した松尾敬宇(まつおけいう、かずたか)
少佐の話を読んでからです。
このころは、伊33の事故のことや、いくつかの潜水艦映画が出たこともあって、
わたし的には「潜水艦ブーム」でした。

そんなブームの中、描いたのがこの2編。

「とある少尉候補生のブラックアウト」







「とある潜水艦長のブラックアウト」








板倉光馬艦長の4コマはつい最近
「敵機に帽を振れ」というログでアップしました。
こういう人物がいたことを知るのが、「海軍ファン」冥利です。

最近、旧軍に関する情報を集めておられる方のブログに、
これをはじめいくつかの当ブログ記事が掲載されていることを知りました。
まったくありがたいことでございます。

この「板倉艦長のブラックアウトシリーズ」も載せていただいていますが、
それにつけられたコメントが

「『ちーん』があるある過ぎて怖い・・・・・」

あるある過ぎちゃだめでしょー。


「ハンモック・ナンバー」



ハンモックナンバーについてお話しした時に、特別出演した
「ジパング」の草加、滝両中佐。
これは実話です。(迫真)

ここを読んだとき、何を言われても比較的無表情の草加中佐が
むっとした(ような気がした)ので、これを描いてみました。

というか、こんなこと普通は言わないよね~。社会人として。



「『大和です』を漫画化してみた」











「雪風」でこれのパロディをするために描いた
「大和です」編。
なぜか本題の「雪風編」よりこちらの方が人気。


「雪風は死なず」












幸運艦「雪風」を初心者向けにまとめてみました。
本篇では新郎の着ているのが自衛官の制服になっています。
最初、紋付で描いたバージョンがあったので、
こちらをここでは載せてみました。

本当は、間違えて載せてしまったのですがまあいいやってことで。

もし今これを描いていたら、自衛官が結婚式のときに着る
メスジャケットの絵を描いたんだけどな。

最近読んだのですが、自衛官の結婚式って基本なかなかワイルドだそうですね。
同僚が全員全裸になるって、どこの秘境の部族ですか。



「駆逐艦『梨』物語」









駆逐艦「梨」の数奇な運命を描き、また
「この無名の艦で亡くなった方も、大和で亡くなった方も、
皆同じ英霊である」と、
「大和です」の感動的な話にすこしアンチってみました。

最近ですが、海軍で艦隊勤務をしておられたお爺様が乗っていたのが
聴いた状況からどうもこの「梨」ではなかったかとおっしゃる方から
コメントをいただき、大変感激いたしました。

このようなことがあると、ブログをやっていて本当によかったと思います。


「笹井中尉と三輪車」












読者のさとんさんとのコメントやり取りに端を発し、さらに
笹井中尉が三輪車に乗っている小さいときの写真に
想像力を刺激されて描いた漫画。
ありそうな話だと思ってしまう(というかわりと実話)のが笹井中尉らしい。


ここで、一コマ漫画を。

「海の男の洗濯任務」



艦の中で洗濯をするための水が盗難される事件が相次ぎ、
「水泥棒」を割り出すためについに医務課の捜査班が動いた。
彼らがそのためにこっそり水に仕込んだのはなんと
「洗濯すると生地が赤く染まる溶液」。

そして次の朝、艦の一隅には真っ赤に染まった洗濯物が。
動かぬ証拠を突きつけられたかれのこの後の運命やいかに。

・・・・ってなことを海軍の「お洗濯事情」に交えてお話ししてみました。



「嗚呼陸軍潜水艦」



潜水艦未来漫画「青の1号」をパロッてみました。
描いておいて読んだことが無いのもなんなので、
一時この漫画の再販でもいいから読めないかと探していたのですが、
どうやら再発行などはされていないらしく、「幻の漫画」のようです。
そうと分かればますます読みたくなってきました。

この陸軍潜水艦を「海軍と陸軍の齟齬の産んだ私生児」と
位置付けてみたのですが、後から見て大局的にはそうでも、
作った人や乗った人にとっては命令を受け乗務し、
さらに命を賭けるしかない乗り物だったわけで。
現にこの潜水艦で出撃し、亡くなった方々は多数です。

南方での目撃談ですが、このまるゆがある輸送任務に携わったとき、
潜水艦であるのに荷物を満載にし、しかも艦橋にまで荷を積んで、
つまり「潜水できない状態で」出撃していったというのです。
そして、そのままそのまるゆは消息を絶ちました。

制海権の無い海にそんな状態で出て行くしかなかったその切羽詰まった状況と、
成功する可能性など1パーセントもないこんな無謀な作戦に
命を掛けねばならなかった陸軍の潜水艦勤務乗員のことを思い、
これを読んだときには、ただただ涙があふれてしまいました。

「まるゆ」に乗務した陸軍将兵の英霊にに敬礼。


開設記念漫画ギャラリー、もう一遍続きます。