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甲板士官のお仕事

2012-04-09 | 海軍

       

全く画像とは雰囲気の異なる話からお付き合いください。
芥川龍之介が「ショート・ショート」とでもいう一口小話のような三篇の短編小説を、
海軍の艦船に乗りこむ若い中尉を主人公に書いているのをご存知でしょうか。

「三つの窓」という題です。

その一つの話に、甲板士官が下士官に懲罰を与える際、
「善行章を取り上げてもいいから、部下の手前ここに立たせるのはやめてほしい」
と懇願するのを無視して(そちらの方が合理的な罰だと信じて)いたところ、
下士官はそれを恥じて煙突に垂れる鎖で頸を吊ってしまったいうものがあります。

下士官の死にショックを受けたらしい甲板士官は何度も繰り返すのでした。

「俺はただ立っていろと言っただけなんだ。それを何も死ななくったって・・・・・」

(「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房)

このように、甲板で起こる様々なことを仕切り、ねじを巻き、逸脱するものに罰を与え・・。
それが甲板士官の仕事です。

海軍では「尉官は勤勉、佐官は判断、将官は人格」と言われました。
どの世界でも同じですが、経験のない若いモンは、脚を使って身体で仕事を覚え、
ベテランとしてアブラが乗ってくると現場の的確な判断によって部下を動かし、そして、
それで結果を出して偉くなり、皆がへーこらしてくれるようになると、物事を俯瞰で見、そして
時には情も汲みつつ戦略的政治的判断をする「将器」、大きくは人格が必要、というわけです。

現場を知らない少尉中尉、つまり「初級士官」は、何より身体をまめに動かしてナンボ、
というのが、特にフネの上の海軍的常識となっていました。
甲板士官は、それこそガンルームの席を温める暇もなく甲板を朝から晩まで飛び回り、
「ニワトリ」とあだ名されるが如く、甲板のあっちこっちをつついてまわるのがお仕事。

兵67期、第三〇二空の零夜戦隊長であった荒木俊士大尉について書いたことがありますが、
荒木大尉が甲板士官であったとき、「髭の荒木」と怖れられた、という話をしました。
猛烈果敢に下士官兵をシゴいたことからついたあだ名です。
勿論のこと問答無用で鉄拳制裁も行ったのでしょう。

余談ですが、戦後下士官であった人の手によって書かれた海軍ものは、
士官のそれとは違った「下から目線」が、非常に面白い読み物が多いのですが、
必ずと言っていいほど「問答無用で殴る士官」への恨み、
ひいては海軍組織そのものに対する繰り言がどこかに入ってきます。

逆は決してあり得ないわけですから、
上意下達、階級絶対の「下」に行くほど、感情的不満が渦巻くのは当然のこと。
どんな理由があっても殴られて、
「ありがてえありがてえ」と無条件で思えるほど悟りきった人はめったにいないでしょうし、
「鍛えるのが仕事、恨まれて上等」の初級士官たちも辛い立場には違いありません。
・・・が、その話はまた別の日に。


こちらは元士官さん。
戦後、温かみのある闊達な文章で作家として成功した松永市郎氏(兵68期)は、甲板士官でした。
その海軍生活記「思い出のネイビーブルー」では、甲板士官としてしなければいけないことが、
これを読めばすぐわかる、といった具合に、そのお仕事ぶりが描かれています。

松永氏いわく、甲板士官とはいわば「事務長」でありかつ、港湾荷役業務と清掃業の作業管理者。
フネの中で何か・・・例えば食糧品買付のための人選が必要だとか、何処かの排水が詰まったとか、
そういったことが起これば、必ず誰かが呼びに来るので、すぐさま飛んでいきます。
フネの外でも、下士官兵が問題を起こせば、たとえ女郎屋でも頭を下げに行かなければなりません。

甲板掃除の監督は勿論のこと、
散々話題にした「ネズミ上陸」ですが、この際ネズミの再利用防止のためネズミのひげを切ったり、
まじまじとネズミの鼠相風体を観察して「輸入」(持ち込んだ)ネズミではないかの判断を下すのも、
実は甲板士官の重要な役目だったのです。
(先の『三つの窓』の第一話はネズミ上陸のこの輸入が話題になっています。
芥川は『軍艦金剛乗艦記』なども書いており、この経験から彼の中で『海軍ブーム』があったのかも)

時には兵たちの心をぐっと掴む「ご褒美」を与えたり、大岡裁きによって不満をなだめたり、
つまり、部下を鍛え上げながら、自分自身も否が応でも鍛え上げられる職場と言えましょう。

松永氏は練習艦隊で、ある甲板士官から「甲板士官は五感を働かせろ」と講義されたそうです。
眼で見て耳で聞き鼻で嗅ぎ、裸足で歩いて(画像)甲板の掃除の出来を判断する。
ここまではわかる。
「では、味覚はどんな場合に使いますか?」
この甲板士官は、あまり深く考えずに五感という言葉を使ってしまったと見え、
(おそらく苦しまぎれに)こんなことを言ったそうです。


「最初に兵員厠に行ったら、便器の中を指でこすりつけ、その指を舌で味わってみろ。
この後、放っておいても艦はいつもきれいになる」


・・・・松永中尉は、その後あくまでも四感で甲板士官の任務を乗り切りました。

しかし、前述の如く、いざ厠の汚水管が詰まってしまったら。
管を取り外して頭から色々なものをかぶることを覚悟の「特別作業隊」を編成の際には、
「わたしにやらせて下さい」と言う(しかない)のも、また甲板士官(これは候補生)の役目。
そして一人がこう言えば「わたしも行きます」と言う(しかない)のも残りの候補生甲板士官。

中甲板士官であった松永中尉は、彼ら一人一人を挙手の礼でマンホールに見送ります。
かくして作戦成功のあかつきに、頭からいろいろな汚水管の内容物を被った決死隊の
二目とは見られぬ、しかし神々しい姿を、涙のうちに迎えたそうです。

(この本、本当に面白いので、ぜひ一読をお奨めします)

さて、戦争末期にそれどころではなくなるまで、フネは、一般人も見学することができました。
どういう手続きを踏むのかは分かりませんが、
「その辺で遊んでいる子供を連れてきて案内した」林谷中尉のような例もありますし、
Sをガンルームに連れ込んでこっそり合コン?ということもあったそうですから、
比較的簡単にそれはできたのかもしれません。

松永甲板士官が候補生のとき、退役した老大佐が美人の孫娘を伴って見学に訪れました。
相手が元海軍軍人と言うので、あまりふざけたことも言えず、調子の出ないままに案内していたら、
「候補生、艦長のお名前は」
「はい、艦長は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いつも艦長、艦長と呼んでいるので直ぐに出てきません。
仕方が無いので何か言おうとして
「これは残飯捨て口です。スカッパーと言います」
老大佐「・・・・・・・」
孫娘「・・・・・・・・・」
松永候補生「・・・・・・・・・・」

老大佐、今度は
「ところで候補生、副長は何とおっしゃるか」
いつも副長、副長と呼んでいるので(以下略)

その後すぐ、そそくさと「用事を思い出して」帰って行った二人を見て
「もしかしたら、あの孫娘(繰り返しますが美人)のお婿さん探しだったのか・・・・」
と純真な胸を痛めた松永候補生でした。


松永候補生が応対した老人のように、海軍軍人とお見合いさせるため、
お相手を抜き打ちでいきなりフネに連れてくる人がいました。

海軍軍人であれば、フネの上が一番輝いて、普段の数倍男前に見えるに違いない!
そういう判断のもとになされたゲリラ型お見合いでありましょう。
余談ですが、エリス中尉の卒業大学では、学内コンサートにお見合いの相手を招待し、
そのステージ上で光り輝く己が演奏姿を相手に見せつけ、その結果、
「卒業したら結婚するのー」
と指輪を見せびらかしていた級友(ピアノ科と声楽科)が何人かいましたが、
まあ、そういった計略、じゃなくて趣向ですね。

ところが。

もうお分かりでしょうが、甲板士官は散々述べてきたように、便利屋さんの親玉みたいなものですから、
一日中、如何なる事態にも迅速に対応するべく、フネの中ではそれなりのスタイルで職務に当たります。
ズボンの裾は膝までまくり上げ、裸足が基本。肩には懐中電灯、手には甲板棒。

白やネイビーブルーの軍服に短刀吊った粋な海軍士官を夢見ていそいそ乗艦してきたのに、
相手は棒きれ持った小汚い作業服の男だったので
おぜうさんは、すっかり幻滅してこの話を断ってしまいました。
馬子にも衣装の逆ですね。

そんな恰好に身をやつしていても
「この姿でこんな素敵な方なら、士官の姿になればさぞかし・・・・・」
と思ってもらえるほど「実力のある」士官さんではなかったということでございましょうか。








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