◎OSHOバグワンの見方
『隠された神秘/和尚/市民出版社』の全体の三分の一程度は、占星術について占められている。
インドでは、リグ・ヴェーダに9万5千年前の星座の現象のことが述べられており、占星術の起源はインドであり恐ろしく古いとする。
OSHOバグワンは、現代人が占星術で、いつ死ぬかとか、恋愛がうまくいくかとか、いつ儲かるかとか、外面的なことばかり占断しているが、そのようなものにはあまり意味がないとする。
なんとなれば、空間軸で言えば、全宇宙のあらゆる出来事は、相互に影響を与え合っており、そうした中で、自分一人だけが幸運をつかんだり不運に苦しんだりということはあり得ない。幸運も不運も世界全体に少しく影響を与え続けているものだ。
また空間軸では生者の世界ばかりでなく死者の世界、つまり無意識の世界も影響を与えている。
また時間軸で言えば、一般には過去が現在と未来を生成しているように見えるが、実は未来の方も現在に大きく影響を与えている。未来も現在を強力に引っ張っているのだ。
『占星術を自分のプライドを溶かし、エゴを崩壊させるものとして見るなら、占星術は宗教になる。しかし私たちは、凡庸な占星術師のところへ行き、自分のエゴを守るために尋ねる。「私は損をするだろうか? くじに当たるだろうか? 取り掛かっている新しい事業に成功するだろうか?」
こうした質問をするのは、自分のエゴを救うためだ。しかし実のところ、占星術は全面的にエゴと対立する。占星術の意義とは、あなたは存在しないが世界は存在する、あなたは存在しないが宇宙は存在するということだ。非常に強力な力がはたらいており、あなたはまったく取るに足らないものなのだ。
自分がこの大きな世界の不可欠な部分であると考え、感じるなら、あなたはその光の中ではじめて占星術を理解できる。だから私は、太陽系全体がいかに太陽と繋がっているかを話してきたのだ。これに気づくことができたら、私たちの太陽が宇宙のさらに大きな多くの太陽と繋がっていることにも気づくだろう。
(中略)
無限の究極の中心は、知る者たちによってブラフマン、究極の実体と呼ばれた。この究極の中心は自転もしないし、別の何かの周りを公転することもない。自転するものはすべて、必ず別の何かの周りを公転する。しかし自転も公転もしないのは、究極なるものだ。それはまた、至高の沈黙または無として知られている。これは軸であり、中心点であり、全宇宙はその周りで膨張し収縮して いく。』
(隠された神秘/和尚/市民出版社P284-285から引用)
つまり少なくとも神仏なるブラフマンを見る体験があって、初めてエゴのない占星術の見方が可能になることを示している。
自分は、みじめで情けない存在だが、それと同時に宇宙全体の不可欠な一部であるという実感を得て初めて占星術が理解できるとOSHOバグワンは述べている。それはつまり、キリスト教なら神と人と聖霊の三位一体を実感するということであって、仏教なら三身(法身、報身、応身の三種)を体感するということがあって占星術を理解できるということ。
道家は、この究極という回転軸を、道の枢(とぼそ)と呼んだ。
占星術では、我々はとかくみじめで情けない自分ばかり気にしているが、本来それを問題にしないところに占星術は科学として屹立していたのだ。
また現代では、星は物質界だけと思われているが、テトラビブロスでは、エーテルが自明に存在している。七つの身体では、半物質であるエーテル体が存在しており、それは時に霊や気とも呼ばれるが、微細世界あるいは微細身はエーテル体の層ばかりではない。
ホロスコープは12宮12星座で世界全体を示すが、世界全体である神を知って初めて、何が幸運で何が不運なのかをありのままにつかむことができる。まず回転軸である窮極をつかまないと当たるも当たらないもないのだと思う。