◎霊感にはまらないことと「愛、ニルヴァーナ、永遠」
ダンテス・ダイジがこの世のテーマについて語る。
※ダン:ダンテス・ダイジのこと。
※渡辺:弟子の一人
『渡辺「この世が無常だということと、神の世界が瞬々刻々移り変わるということとはどう違うの?」
ダン「テーマがあるんだ。この世のテーマというのは何かというと、テーマのないテーマ。この世のテーマというのは欲望のテーマなんだ。一つの天気があるでしょ。そのいい天気が来たら、それを固定しようとするんだ。それがこの世のドラマなんだ。
この世の人類の歴史というのは、全ていい天気だけを固定しようとした努力なんだ。いい天気だけ固定することなんか人間にはできないんだよ。絶対に。
それと同じように悪い天気というのも固定できないんだよ。永遠に雨が降ってる国なんてどこにもないのさ。」
渡辺「例えば、アトランティスに全盛期があって、それがやがて滅び去ろうとした時にダンは再び出ていったわけでしょ? それはいい天気を固定しようとしたんじゃないわけ?」
ダン「うん、固定しようとしたんじゃなくて、本当にいい天気ということは、さっき言ったハッピーということは、天気を越えた空なんだ。それを忘れないでほしい。それが預言者なんだ。君達なんだ。君達の中にいる。
海は荒れたり、ものすごく静かになったりするよ。彼は出ては消え、出ては消え、それを無限に繰り返すよ。でも、海そのもの、それは常に実在している。空そのもの、それは常に君達の頭上にあるんだ。それが君達の中の預言者なんだ。
そしてね、天国の風景というのは、言うなれば、空のテーマというのは愛なんだ。愛というテーマの中で織りなされる 無常なんだ。一つのドラマが演じ終わるでしょ。すると次のドラマができる。そういうのが、霊界、天界の姿なんだ。
そして、天界というものを釈迦があまり語りたくなかったのは、霊感の方に人間が偏ることを嫌ったからなんだ。そして彼が言ったのは、ニルヴァーナなんだけど、ニルヴァーナというのは、言ってみれば、ドラマはいいから抜きにして、とにかく愛がある、空がある、海が永遠にあるということ。
言っておくけど、この地上の空や海というのは永遠じゃないよ。ただ比喩として言ってるだけだからね。この空も、この海も、この大地も必ず終わる時が来るよ。だけど、それをあらしめているもの、それをあらしめている空、それは永遠だ。」』
(十三番目の冥想 雨宮第慈講話録/渡辺郁夫編P73-74から引用)
この会話を文字に落としてくれたので、ダンテス・ダイジは、愛、ニルヴァーナ、永遠を同義で使っていることがわかる。
後に七チャクラあるいは七つの次元に七属性があり、その一つが愛だと説明しているので、ニルヴァーナの属性の一つを愛としているのを見れば、ここで何を言っているかがわかる。
またニルヴァーナは時間のない世界のことなので、永遠とも表現されることがある。
また『天界というものを釈迦があまり語りたくなかったのは、霊感の方に人間が偏ることを嫌ったから』とさらっと説明しているが、霊感にはまると際限がなくなり、なかなかニルヴァーナにたどり着かなくなるから。
禅で頓悟、漸悟などというが、霊感にはまるのは漸悟である広義のクンダリーニ・ヨーガ的行き方であり、冥想修行者は一生を費やしても結局わからなくて終わることになりがちなことがある。
世の中の宗教シーン、スピリチュアル・シーンでは高次元、高次というのが大流行だが、その考え方で進むと玉ねぎの皮むきのようになかなか探求に終わりが見えないまま沼(はま)って一生を終わる懸念がある。
ダンテス・ダイジの人類史観でいえば、既に人類はアトランティスの最盛期に霊能力・霊感万能の時代を経てその文明が滅亡を見ており、再度この時代に繰り返す必要はない。そのことは、釈迦も承知していた。
この回答の冒頭に『この世のテーマというのは何かというと、テーマのないテーマ。』などといきなり出しているが、これもわかりにくい。そしてその説明は、人は欲望実現した場合、その永続を期待するがそうはならないということと、逆に人には欲望実現しなくともいつか実現する時節があるものだという意味をもにおわせている。
そういうあまりにも覚者としての常識と日常感覚を平気でふんだんに盛り込んだ説明を面前で聞いた場合、半分も理解できないだろうという印象は、その会話の文字起こしを今読んでも変わらない。
受験勉強だけメインにやってきた大学生に、そうした求道方面の正しいガイダンスは、今でもほとんどなく、正体を隠したカルトやスピリチュアル詐欺師につけこまれる土壌は今でも変わらないのではないか。
スケベ心あるいは、余計な期待はせず、本物を求める情熱を持って探求し続ける人だけが最後まで行きつくということは、今でも変わらないのではないか。
道教の魏伯陽は自分が死んでみせて、スケベ心のある弟子を排除した故事がある。