◎君が愛人と出会う時そこにはどのような意味での必然も偶然もない
2.水平に生きるとは、誰にも騙されず、ただ素直に、あるがままに生きられること。
以下ダンテス・ダイジ講話から。
『弟子「『イリュージョン』の中でね、飛行機乗り、リチャード・バック、あれはどうなの、最後は。ドンが認めるじゃない。リチャード・バックを。救世主卒業。あれはどういうこと?」
ダンテス・ダイジ「よきナワールになったな。水平の悟りができたな。お前は誰にも騙されず、どんな人にも引っかからず、媚を使わず、ただ素直に、あるがままの内発性を生きられるようになったな。
救世主だ、まさに!
禅的だな。全体は非常に神秘的だね。
で、あそこの卒業式、よくぞ言ったと。自己に忠実に話す、それのみが真実の在り方である。救世主卒業。いいじゃないか、自己に忠実に話す。人が何て言おうと。
そして初めて他人を他人と見る、そのあるがままに。』
リチャード・バックのイリュージョンという小説で、元祖救世主のドナルド・シモダが観客の一人にショットガンで撃たれ急逝する。死後ドナルド・シモダは肉体としてリチャード・バックの前に再生し、そこでリチャード・バックのことを、もう救世主として合格だと認める。
ここでは、垂直の悟りと水平の悟りとの比較は出てこない。
ただそれは、禅では通例神秘的などとは言わないが、禅的にして、全体は非常に神秘的、さらに誰にも騙されず自己に忠実に話すが、あるがままに初めて他人を他人として見る、と水平の悟り時の日常感覚を明かしている。
イリュージョンの中に「救世主入門」の断片が掲載されている。救世主入門は、かつてのベストセラーであるリチャード・バックのイリュージョンの中にその断片がいくつか出てくることで知られる。
後にダンテス・ダイジは、何期かあったアトランティス時代の末期に、“愛”を忘れた当時のアトランティス人のために出版した本が「救世主入門」であるとする。そしてリチャード・バックは、当時ダンテス・ダイジと会ってさえもいるという。
原典救世主入門から一部をご紹介
『救世主は
ただ一つの生き物しか
救うことはできない
その一つの生き物とは
君自身である
君は自分の中に
救世主が住んでいるのを知っている
救世主を閉じ込めてはいけない
それは絶対に避けるべきである
友人は君について
君の知人が
千年かかって知るより
はるかに多くのことを
出会いの一刹那で知るだろう
君が愛人と出会う時
そこには
どのような意味での
必然も偶然もない
時を忘れた時の中で
君は思い出すだろう
愛人との
いくたびもの戯れのすべてを
君達すべての者に告げる
君達が遭遇する事件はすべて
君達自らが招き寄せたものである
その事件の発展の方向を決めるのは
もちろん君達であって
神ではない
君が
生きたり死んだりするのは
君が選んだ
無数の見方のうちの一つにすぎない
君がその見方を
気に入っているのなら
生きたり死んだりすればいいし
気に入らないのなら
捨てればいい
世界の遊戯に寄与する
君達の使命が
終了したかどうかを判断する
簡単な基準がある
もし 君達が生きていれば
瀕死の重傷で
かすかに息がある場合でも生きていれば
まだ使命は終わっていない』
(十三番目の冥想 雨宮第慈講和録 渡辺郁夫編P111-113から引用)
生の側から窮めるのは、遊戯のようである。