◎葛玄、アチョク
屍解の例の続き。
8.葛玄
葛玄は、中国後漢末期から三国時代の呉の道士。
『弟子の張大というものに語ったことには、「私は、天子に無理にひきとめられて、丹薬を作る暇もなかった。これから尸解(しかい)するつもりじゃ。8月13日の日中に発つことに致す」と。
その日になると葛玄は、衣冠を整えて室に入り、横になったまま息が絶えたが、顔の色には変わりがなかった。弟子たちが焼香しながらこれを守ること3日。夜半にわかに大風が吹き起こり、屋根をめくり樹木を折り、雷鳴のような音がして、炬火(たいまつ)も消えた。
しばらくして風は歇(や)んだが、見ると忽然として葛玄の姿は消えており、ただ床の上に衣服が遺され、帯を解いた形跡もなかった。翌朝隣家に訊いてみたが、隣家の人の話では、大風なんかまったく吹かなかったとのこと。風が歇むと、ただ一軒の家だけが、垣根も樹木も悉く吹き折られていた。』
(抱朴子、列仙伝・神仙伝、山海経/平凡社P416から引用)
9.アチョク
1970年頃の話。アチョクというチベット人行者が、
『ある日弟子たちに、「ダライ・ラマ法王の長寿を願う儀式を行いなさい」と命じた。
そして儀式が終わると、「わたしは、逝く」と宣言して、皆を驚かせたのです。
彼は僧衣をまとい、七日のあいだ自分を部屋に閉じ込めておくように言いました。弟子たちが師の言葉を忠実に守り、一週間して、部屋に入って見ると、師の姿は完全に消え、僧衣だけが残っていたそうです。
ダラムサラのわたしのもとに、弟子のひとりと、彼について修行をしていた者が、訪ねて来て、その話をし、残された僧衣の一片を贈ってくれました。』
《ダライ・ラマ死と向き合う智慧/地湧社/ダライ・ラマP179から引用》
※わたし:ダライ・ラマ。