飲んだ~

2001年06月30日 | 友人

6月30日は、所沢のパソコン仲間と飲んだ。
このひとたちとは月に一度は飲んでいるのだが、
全員(6人)が集まったのは、
昨年の忘年会以来だ。
その上、女性が1人いた。
シナリオを書いてるひとで、
九想もむかし、
シナリオを勉強してたことがあるので、
そのへんのところ、
ゆっくり話したかったが、
席が離れていてあまり話せなかった。

この連中と飲むと、
いつも九想は舞い上がる。
ふだんこころをぶちまけて、
話すことのない暮らしをしているので、
狂うのです。

まして、ギターのある店に行ったからどうしょうもない。
私がギターを弾き、いいかげんに歌っていると、
マスターがエレキギターで飾ってくれるのです。
私は、久しぶりにバカになりました。

……………………………………………………………………………………………………………………

6月の九想話

6/1  九想の木
6/2  検査がコワイ
6/3  紅テント
6/4  6月4日
6/5  寺山修司
6/6  検査結果
6/7  67キロ
6/8  最低な男
6/9  閉店
6/10 トンカツ
6/11 ハイエナの素顔
6/12 夢
6/13 誤解
6/14 父と卵
6/15 女房からのメール
6/16 働く喜びって何ですか
6/17 リサイクルショップ
6/18 ワイルド・ザッパーズ
6/19 雨の楽家
6/20 うれしかった
6/21 元気な女房
6/22 今夜も楽家
6/23 OB会
6/24 キセル
6/25 A. I .
6/26 キセルの敵
6/27 のみたや
6/28 更新できず
6/29 老いてゆく少女
6/30 飲んだ~

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老いてゆく少女

2001年06月29日 | テレビ

今夜10時からやっていた
「サブリナ・老いてゆく少女」(NHK教育)
は哀しかった。
スイスの小さな町に住む12歳の少女サブリナは、
普通の人の8倍の早さで老いていく早老症という病気だ。
顔つき、体のかっこうは少女なのだが、
表情が老女なのです。
髪の毛はなくカツラをしている。
手足はしわだらけ、でも声は可愛いんです。
こういう早老症という病気を初めて知った。
世界中にかなりいるそうです。
アメリカで早老症の会があり
そのときのビデオが映った。
老いた少年少女が楽しそうに遊んでいた。
サブリナの両親がすばらしかった。
私はああいうふうに一緒に暮らせるか。
その立場になればそうするのかも知れないが、
むずかしい。
サブリナは、今年の5月2日に
肺炎で亡くなった。
13歳でした。

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更新できず

2001年06月28日 | パソコン・スマホ

実は、27日更新しようとしたら、
qsouanのホルダーがなくなっていた。
私はあせった。
なんでそうなったのかわからない。
おそらく酔っていて、
マウス操作で移動してしまったようだ。
私は途方に暮れた。
これで毎日更新が切れる。
哀しかった。
いろいろ探したら、
女房のHPのtrianaのホルダーの中にあった。
それから更新作業をしたが、
酔いと睡眠不足でまともな状態ではなかった。
サイトに転送しようとしたが、
なにかが違っていて受けつけてくれない。
そんなわけで、九想話を更新できなかった。
時間は午前4時を回るし、
会社の仕事を考えると寝なければならない。
今日は、更新できなかったことと、
寝不足で辛い時間を過ごした。

毎日更新するということは、
書くこと以外に、こんなこともあるんだな、
とつくずく後悔した。
しかし、
酒の入ってない私の夜は考えられないし…。
これからはもっと早い時間に更新しなくてはいけない、
と反省です。
でも、テレホーダイの九想は、
どうしても遅い時間になるんです。
すると酒がいいかげん入ってしまう。
酒をやめるか、九想庵をやめるか。
悩みながら、どちらも続けていくでしょう。

旅人が1000人を越えたというのに、
哀しい記録ができてしまいました。

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のみたや

2001年06月27日 | 暮らし

昨日、晩飯のときKに聞いた。
女房は、パルコのスポーツクラブの
ジャズダンスに行っていない。
Uはまだ帰っていなかった。
「Kは、家では酒飲まないんだな」
「うん。でもUは飲んでるよ」
そうなんだ、
Uは毎晩ビーシュ(ビール系発泡酒)を飲んでいる。

私が二十歳の頃は、毎晩飲んでいた。
飲まずにいられなかった。
九想庵の小説のページにある「一番の先生」
のような暮らしをしていたのです。
その頃冷蔵庫は持ってなかった。
ビールは毎晩自販機で買ってきて飲んだ。
日本酒は一升瓶で買ってあった。
しょっちょう友だちが遊びに来た。
「一番の先生」の友人が冬になり、
山谷の日雇いの仕事がなくなると、
近くのスナックのバイトをはじめた。
そこは「のみたや」というスナックで、
ここが我々のたまり場になった。
24時間営業していたので、
しょっちゅう私は朝まで飲んでいた。
友人が私用の酒を用意していてくれたのです。
それから会社に行った。

いろんな人がいたなァ。
100円玉を入れ、
ルーレットみたいな仕掛けになっていて、
あるとことに回転する光が止まると、
100円玉が沢山でるゲーム機で
毎晩遊んでいたやくざ。
駅前のスナックで働いていたハンサムな男は、
そこの仕事が終わると必ず飲みに来た。
その男を追っかけて来る女子大生。
都立大の学生だった。可愛い女の子でした。
いつも黒いものを来ていたので「かげろう」
と友人が呼んでから、
そのコのことをみな「かげろう」と呼んでいた。
父親が中学校の校長をしているといっていた。
魅力的な女性でした。
電車がなくなり、私のアパートに泊まったこともあった。
何もなかったよ。あるわけないじゃないですか。
だって、あの男のことが好きなんだもの。
建築会社に勤めて、
いつか一級建築士になるんだと
夜学の各種学校の建築科に行っていた友人は、
会社を辞め、「のみたや」に“就職”した。
彼は私と、中学、高校の同級生で、
一級建築士の資格を取り、現在、建築会社の社長をしている。
これまで何度かケンカをしていて、
1年ほど絶縁状態になるが、
そのうちまたつきあってしまう友人だ。
そのとき勤めていた試薬会社で知り合ったやつは、
プロボクサーを目指していてプロテストに合格したが、
プロデビュー戦1週間前に、
「人を殴るのが恐くなった」とボクサーをやめた。
私がギターを教えたらうまくなり、
いつも「のみたや」にギターを持ってきて弾いていた。
ある日突然、焼き物をやるんだといい、萩に行った。
2年ほどして備前に行き、そこで死んだ。23歳だった。
脳にへんなウィルスが入り2ヶ月ちょっとで死んだ。
ボクシングをやっていたことが原因だったのかどうか?

その他、いろんなバカなやつ、魅力的な人、いたなァ。
私は、1週間に7日ほど行っていた。
でも、徹夜の次の日は遠慮した。眠たくてね。
それでも深夜に目覚めると行ったんだな。
そんなメチャクチャな生活をしていた。
でも、とても楽しかった。
あまり過去に戻りたいとは思わない私ですが、
あの「のみたや」時代には戻りたいですね。

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キセルの敵

2001年06月26日 | テレビ

ちょっと過激な標題ですみません。
この人たちは、
そんなつもりで開発したわけではないですね。
私は、今夜のNHK総合9時15分からの
「プロジェクトX 通勤ラッシュを退治せよ」を観た。
自動改札機を造った人たちのお話です。

最初、近鉄が駅の通勤混雑解消のために、
多くの大手メーカーに開発を依頼したが、
「技術的に無理、採算がとれない」
とすべての大手電器メーカーから断られた。
しかし、その頃中小の部品メーカーだった
立石電機が引き受けた。
(私が以前の会社の資材部で部品調達をやっていたとき、
 オムロンに社名変更した立石電機は
 大きな会社になっていたな)
社長は、「うちには中央研究所がある」
と豪語したという。
電気的な開発をしたひとはそれまで、
つぼ刺激装置しか造ってなく、
それも1台しか売れてなかった。
機械部分を担当したひとは、
せっかくやりがいのある仕事がありそうな
立石電機の中央研究所に入ったのに、
魅力のない仕事ばかりで、
技術を覚えたら退社し独立しようと考えていた。
しかし、この2人が、自動改札機開発燃えた。
どんなことでも同じですが、最初は手探り状態だった。
途中で、近鉄が自動改札機の開発依頼をやめた。
駅でつながっている国鉄がそんなもんいらない、
といったからだそうだ。
そのあとのこと書くと長くなるのでやめます。
しっかりメモはとってあるのですが…。

自動改札機が日本で生まれたとは知らなかった。
今じゃどこの鉄道会社も採用している。
「そんなものいらない」といった国鉄、
今のJRだって使っている。
そのせいで、庶民の“文化”であったキセルも
絶滅に追いやられている。
いや、私はもうずーーーーーとしていません。
車通勤で定期券はないのです。

こういう話は感動します。
プロジェクトXという番組、
私は大好きです。

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A.I.

2001年06月25日 | 映画

スピルバーグの映画「A.I.」のことを書きたい。
でも、これから観る人のことを考えると、
書かないほうがいいですね。
私は、ほとんどどんな内容か知らずに観た。
ただ、スピルバーグが好き、
ということだけで観た。

うーん、書きたい。
でも、書かない。
いや、ストーリーは書かない。

よくもわるくもスピルバーグの映画だった。
これまでの彼のいろんな映画を
想い出させるシーンがあった。
原作があるようだが、
スピルバーグのお話だな、と思った。
シナリオ スティーブン・スピルバーグ。
イーアン・ワトソンのスクリーンストーリーに基づく。
ブライアン・オールディズの短編に基づく。
とポスターには書いてあった。

前半、少年ロボットデイビットの大冒険が、
これでもか、これでもかと続く。
後半は哲学的になった。
これは制作のスタンリー・キューブリックの
影響かな、なんて思ってしまった。

A.I.は、
ARTIFICIAL INTELLIGENCE
の略なんですね。
「人造の知能」という意味なんですかね。
辞書で調べました。
私は英語も貧しいのです。

 その愛は真実なのに、
 その存在は偽り

これは映画のポスターに書いてあったコピーです。
なるほど、この映画は「A.I.(愛)」のお話でした。

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キセル

2001年06月24日 | Weblog

先日、こんな話を聞いた。
「駅で、定期を使って出ようと思ったら、
 だめだったんだよな。
 『この定期券には入場した形跡がありません』
 という表示が出たんだ。まいったよ」
どうもその人はキセルをしょうとしたらしい。
西武新宿線の定期を持っているが、
その日は、池袋から一区間の切符を買って乗車し、
降りるとき、定期券で出ようとしたらしい。
(西武新宿線と西武池袋線は、所沢駅で交差している)
ちょっと前まではそれができたが、
できなくなったという。
自動改札機もそこまで進化したのか、
とその話を聞いて思った。

私はこの17、8年、
電車通勤をしていないので定期券は持っていない。
でも、持っていた頃は、
しょっちゅうキセルをしていた。
これで犯罪を防止することができるのだから、
いいことなのだろうが、
庶民の小さなよろこびがなくなったことは、
ちょっぴり寂しい。
いや、犯罪はいけない。
でもなァ…。

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OB会

2001年06月23日 | Weblog

今日は、高校のブラスバンド部のOB会だった。
6月のはじめに電話連絡を受けていて、
楽しみにしていた。
しかし、どうしても今日会社を休むことができず、
先日の日曜日に幹事をしてる友人に
不参加の返事をした。
夕方6時前に彼の携帯に電話をすると、
会場に向かう車の中らしかった。
本人は車を運転しているようで、
「先生にかわっから」
という。
「O原どこにいんで?」
「所沢ですよ」
「今日はこれねのが」
「会社休めなかったんですよ。
 みんなに会いたかったな」
「また、すぐやんじゃないのかな」
「そんときは行きますから、飲みましょう」
「そうだな。ちょっと待って、S山にかわっから」
「もしもし、S山です」
懐かしい声が聞こえた。
どうも、水戸方面の先生とS山さんを幹事の友人が
OB会をやるところまで連れていくところのようだ。
S山さんは、中学生のときも今もさわやかな美人だ。
「O原さん、これないの?残念だなぁ」
「行きたかったんだけどね」
「今度やるときは来てね。すぐやるから」
「うん、行くよ。ところでS山さんは
 インターネットやってるの?」
「うちにはパソコンないけど…。見られるよ」
「おれ、ホームページ作ったんだ。見て欲しいな」
「ほんと~、すごいね」
「NがURL知ってるから聞いて。
 それじゃ今夜は楽しんで」

私はくやしかった。
行きたかった。
しょうがない、こういうときもあるさ。
そう思ってもこころはおさまらない。
部長のおれが行かなければダメじゃないか。
去年は、私はケーナを持って参加し吹いた。
現在だれも楽器をやってるものはいないようだった。
いや、盆踊りで太鼓と笛をやってるやつらがいたな。
昔、ブラスバンドをやっていたものたちが、
今音楽的なことといったらカラオケぐらいだ。
たしかに、去年の2次会のカラオケBOXでは、
盛り上がった。みんなうまかった。
それはそれでいいのだが、さみしかった。
高校生の頃、コンクールを目指して
毎日楽器を吹いていた連中なのだ。

私は、女房がいないので、
パルコの映画館に行った。
スピルバーグの「AI」を観た。
観ながら、こころはOB会に参加していた。

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今日も楽家

2001年06月22日 | 友人

女房が今夜もいないので楽家に行った。
行こうかどうか悩んではみたけど、
結局行ってしまった。
Uさんがいた。
5/8の九想話「うらやましい」に書いたひとです。
他に客は2人いた。
私は、通い慣れた場所でも、
なぜかよそよそしく入る。
(ここはおれの馴染みの店だ)
なんていう気持ちでは入れない。
(来るつもりはなかったんですが、来てしまいました)
というこころの状態で店に入る。

カウンターの端に坐ろうとしたところ、
Uさんを見つけ、その隣に坐った。
「Uさん、こんばんは」
私は挨拶をし、坐った。
Uさんは、いつもの姿でいた。
カジュアルなシャツにズボン、
頭にはグリーンのキャップをかぶっていた。
先週の金曜日、なぜUさんは帽子をかぶっているのか、
疑問だった。
そのときわかった。
Uさんは、頭の髪の毛が薄かった。

ああ…、だめだ。
明日も仕事です。
今寝なければ、また血尿が出てしまう。
寝ます。

 Uさん(6/23 昨日のつづき)

Uさんは、昭和22年生まれなので、
私より5歳上です。
顔見ると、60歳ぐらいに見えないこともない。
痩せていて、細い腕を動かし、
顔をいろいろ変化させ話す。
工場で使う大きな機械を設置する仕事をしていて、
これまで全国で仕事をしてきたという。
Uさんはそれを楽しそうに話す。
私はその話を聞くことが好きだ。
先週分かったことですが、
この前「おやじ、おやじ」といって飲んでいた
息子のような若い男性は、
ほんとうの息子ではなかった。
この辺の飲み屋で知り合ったというだけらしい。
Uさんは一人もんだった。
話していてそういう雰囲気が分かってきた。
新所沢あたりではかなり有名な酒飲みらしい。
若い頃はいろいろなことをしてきた。
やくざ屋さんとかともケンカをしてきたらしい。
私は一所懸命Uさんの話を聞く。
だって興味深い話ばかりなんです。
そうやって自分の話を聞いてもらうのがうれしいようで、
Uさんは楽しそうに昔のことから今のことまで話す。
私は聞くばかりではなく、ときどき自分のことも
さっともぐりこませ話す。
最初のときは、日本酒の四合瓶1900円をいただいた。
この前は、全部(3000円ちょっと)
の私の飲み代を払ってくれた。
昨日、私の飲む焼酎はUさんのボトルのものだった。
こんなふうなことをされていては、
これから彼と飲めなくなる。
こんどは私がUさんにご馳走しよう。
でも、それを彼が許してくれるかどうか…。
こうして私は、楽家の飲み仲間が増えていく。



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元気な女房

2001年06月21日 | テレビ

今夜、久しぶりに女房が家にいた。
このところ、夜、家にいることが少ない彼女です。
だいたいがフラメンコにからむことでいない。
それでどこにも行かない日は、
近所のパルコでやってる
スポーツジムみたいなところに行っている。
そこでは、ジャズダンス、エアロビクス、ヨガなど
いろんなものがあり、
行ったときにやってるものをやれるシステムだ。
なんといっても、終わってから入るお風呂がいい、
としみじみという。
こんなわけで、
まず家でのんびりしている女房の姿を見ない。

私といえば、元気なく、
だらだらとビーシュ(発泡酒)、日本酒、焼酎を飲み、
テレビを観たり、新聞読んだり、読書したり…。
10時頃から、
今日の九想話は何を書くかと考える。
毎日書くと決めたので書く。
しかし、この私の狭い生活範囲の1日、
そうそう書くことなどありゃしない。
書くことがあったとしても、
書く気になれない日もある。
それでも書く。
クソ意地です。
逆に、九想話を書くことが、
落ち込んでいる私を上向きにはしてくれている。
正直、死んでしまいたいような気持ちのときもありますが、
そんな雰囲気を九想話に出すわけにいかない。
読んでいただいているみなさまに申し訳ない。
それが自分の救いにもなっている。

女房を見習わなければならない。
あいつのあのエネルギーは、
どこからくるんだろう。

今夜も阪神、勝たせていただきました。
広沢のさよならヒット、よかったなー。
生きていれば、がんばってれば、
ああいうこと人間あるんですよね。

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