のみたや

2001年06月27日 | 暮らし

昨日、晩飯のときKに聞いた。
女房は、パルコのスポーツクラブの
ジャズダンスに行っていない。
Uはまだ帰っていなかった。
「Kは、家では酒飲まないんだな」
「うん。でもUは飲んでるよ」
そうなんだ、
Uは毎晩ビーシュ(ビール系発泡酒)を飲んでいる。

私が二十歳の頃は、毎晩飲んでいた。
飲まずにいられなかった。
九想庵の小説のページにある「一番の先生」
のような暮らしをしていたのです。
その頃冷蔵庫は持ってなかった。
ビールは毎晩自販機で買ってきて飲んだ。
日本酒は一升瓶で買ってあった。
しょっちょう友だちが遊びに来た。
「一番の先生」の友人が冬になり、
山谷の日雇いの仕事がなくなると、
近くのスナックのバイトをはじめた。
そこは「のみたや」というスナックで、
ここが我々のたまり場になった。
24時間営業していたので、
しょっちゅう私は朝まで飲んでいた。
友人が私用の酒を用意していてくれたのです。
それから会社に行った。

いろんな人がいたなァ。
100円玉を入れ、
ルーレットみたいな仕掛けになっていて、
あるとことに回転する光が止まると、
100円玉が沢山でるゲーム機で
毎晩遊んでいたやくざ。
駅前のスナックで働いていたハンサムな男は、
そこの仕事が終わると必ず飲みに来た。
その男を追っかけて来る女子大生。
都立大の学生だった。可愛い女の子でした。
いつも黒いものを来ていたので「かげろう」
と友人が呼んでから、
そのコのことをみな「かげろう」と呼んでいた。
父親が中学校の校長をしているといっていた。
魅力的な女性でした。
電車がなくなり、私のアパートに泊まったこともあった。
何もなかったよ。あるわけないじゃないですか。
だって、あの男のことが好きなんだもの。
建築会社に勤めて、
いつか一級建築士になるんだと
夜学の各種学校の建築科に行っていた友人は、
会社を辞め、「のみたや」に“就職”した。
彼は私と、中学、高校の同級生で、
一級建築士の資格を取り、現在、建築会社の社長をしている。
これまで何度かケンカをしていて、
1年ほど絶縁状態になるが、
そのうちまたつきあってしまう友人だ。
そのとき勤めていた試薬会社で知り合ったやつは、
プロボクサーを目指していてプロテストに合格したが、
プロデビュー戦1週間前に、
「人を殴るのが恐くなった」とボクサーをやめた。
私がギターを教えたらうまくなり、
いつも「のみたや」にギターを持ってきて弾いていた。
ある日突然、焼き物をやるんだといい、萩に行った。
2年ほどして備前に行き、そこで死んだ。23歳だった。
脳にへんなウィルスが入り2ヶ月ちょっとで死んだ。
ボクシングをやっていたことが原因だったのかどうか?

その他、いろんなバカなやつ、魅力的な人、いたなァ。
私は、1週間に7日ほど行っていた。
でも、徹夜の次の日は遠慮した。眠たくてね。
それでも深夜に目覚めると行ったんだな。
そんなメチャクチャな生活をしていた。
でも、とても楽しかった。
あまり過去に戻りたいとは思わない私ですが、
あの「のみたや」時代には戻りたいですね。

コメント
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