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清水アキラものまねショー

2023年01月03日 | 演芸



今日13時と15時からピオニーウォークで、
清水アキラ新春初笑いものまねショー」というライブがあった。
ミーハーな私と妻は、12時30分にそのステージ前の立ち見の席にいた。
昨日川越を歩き続けたので、立って30分待つのは辛かった。
それだけで足が棒のようになった。
いい歳しておれは何やってんだ、という忸怩たる思いを感じていた。
スマホでブログやニュースなどを読みながら時間を潰した。
13時近くになると、私たちの後ろにも沢山の人が立っていた。
13時ちょうどにライブは始まった。
清水アキラが出てきて話す。
客のつかみがうまいと思った。
さすが長年の芸歴だと感心した。
最初に村田英雄の歌を歌い、ステージの隅でドレスに着替え研ナオコを歌った。
どちらもそれほど似ていないが、雰囲気で聴かせる。



次が、橋幸夫の「恋のメキシカン・ロック」と谷村新司の「昴」だ。
セロテープで加工した顔が笑える。



そして、清水アキラの事務所の若い歌手美里里美を紹介した。
さきほどネットで見たら、清水アキラの弟子と書いてあった。
歌はうまかった。
清水アキラは、このコの歌の作曲をしていた。
(あまり売れる曲とは思えなかった)



今の時代、テレビに出ていない歌手のものまねをしても、テレビには呼ばれないだろう。
本人も「こんなことをやっていては、テレビには出られない」といっていた。
しかし、清水アキラの話術と間のとり方は素晴らしいと思った。
それだけを見て聴いただけでも、今日は損はなかった。



今日は、撮影がOKというので写真をそこそこ撮りました。


















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三遊亭円楽さん死去

2022年09月30日 | 演芸

>落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…
>がん治療再開した矢先に

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20220930-0234


> 日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとしてお茶
>の間の人気者だった落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・え
>んらく、本名・會泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのた
>め死去した。72歳。東京都出身。所属事務所が同日、公式サイトで
>報告した。22年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座
>復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン。その後肺炎は軽快し肺が
>んの治療を再開した矢先に、帰らぬ人となった。
                  (スポニチアネックス)

円楽さんが亡くなってしまった。
がんと闘っていた円楽さんに、生きていてほしかった。

合掌

………………………………………………………………………………………………………………………

9月の九想話

9/1   マイナポイント
9/2   8ミリフィルム
9/3   トマト仕舞い
9/4   晩夏・初秋句会
9/5   またサボテンが咲きました
9/7   九想話を書き始めた9月7日
9/8   ドングリを拾う
9/9   トイレットペーパー話
9/10  かき氷山田屋
9/11  今日の九想庵
9/12  茨城のコシヒカリ
9/13  猛暑日2位
9/14  孫の誕生日
9/15  最初の膀胱がん手術の日
9/16  ダビングされたDVD
9/17  ダビングされたDVD-その後
9/18  ホウレン草のタネをまく
9/18  山手線で心肺停止!
9/19  太鼓と篠笛ミニライブ 
9/20  「鎌倉殿の13人」と首桶
9/20  老人の日
9/22  篠笛・和太鼓無料体験会
9/23  ビーフシチュー
9/25  この柿は甘い、渋い?
9/26  旧統一教会に「解散命令を」元文科次官の前川氏
9/26  国葬反対
9/26  風呂場の目地
9/27  ウォーキングの話
9/28  森林公園に行く
9/29  赤い木槿が咲いた
9/30  三遊亭円楽さん死去


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柳家小三治さん逝く

2021年10月10日 | 演芸

柳家小三治さん「極楽か地獄か、落語の世界の閻魔さまみたいな人だった」…長井好弘さんが追悼

> 人間国宝の 噺家 、 柳家小三治さんが7日に81歳で亡くなった。
>読売新聞オンラインのコラム「長井好弘’s eye」を連載する演芸
>評論家、長井好弘さんが10日、小三治さんの思い出を語った。

>「俺は今できることをやるしかない。それが俺の高座です」――。

> 悲鳴にも似たその言葉に、人間国宝の大看板といえども、老いの中で
>できることは確実に少なくなっているのだ、と感じさせられた瞬間だった。

私の好きな噺家でした。
世の中に、私の好きな人がだんだん少なくなっていく。
テレビで観る若い人が、分からなくなってきているこの頃です。

合掌


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志の輔ラジオ「茶漬間男」

2020年12月23日 | 演芸

日曜日(12/20)の「志の輔ラジオ 落語DEデート」は、ゲストが小柳ルミ子で、
落語は三代目 桂米朝の「茶漬間男」だった。
私は、いつもの日曜日のようにウォーキングをしながら、ラジコで聴いた。
小柳ルミ子がデビュー50周年を振り返った本
「もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか」を徳間書店から出した。
あのひとは、私と同じ歳です。
小柳ルミ子の話はつまらなかったので、ここには書きません。
 桂米朝の落語「茶漬間男」がよかった。
むかし、誰かの噺で聴いたことがあった。

亭主が茶漬けを食っていると、女房のお芳が隣のお咲さんと風呂へ行ってくるという。
亭主が食べ終わってからにしろととめるが出て行ってしまう。
女房は外で亭主の友達の辰公と待ち合わせ。
辰公はお芳と二人で示し合わせて盆屋(つれこみ宿)へ行って楽しむ計画だ。
それが、辰公は財布を忘れ、女房も風呂銭しか持っていない。
こうなってもあきらめられないのが男と女だ。
辰公はお芳の家の二階を借りようといい出す。
あきれるお芳に、辰さんはいい知恵があるといってお芳を引っ張って行く。
辰公は茶漬けを食っている亭主に、
「近所の嫁さんといい仲になって盆屋へ行くつもりが財布を忘れたのでので二階を貸してくれ」
と堂々と申し込む。
茶漬けを食いながらごちゃごちゃといっている亭主を尻目に辰公は、
「近所の人やさかい、お互いに顔を知ってたら気まずい」
と、勝手に電気を消してお芳と二階へ上がってしまう。
 二階で女房が浮気しているのも知らない亭主はぼやきながらまだ茶漬けを食っている。
さて二階の二人は目的を果たし、辰公は「近所同士、顔が見えたら具合が悪い」と、
また電気を消して何食わぬ顔で降りて来た。
お芳を外に出した辰公はまだだらだらと茶漬けを食っている亭主に、
「えらいすまなんだ。近々必ず入れ合わせさしてもらうよって」
とさっぱりした涼しい顔で帰ってしまった。
そこへお芳が「ただいま」といけしゃあしゃあとして帰って来て、
「あんたいつまで茶漬け食べてんのん」
という。
このあとに落語の“さげ”がある。
面白いです。
ぜひ、この動画を観て下さい。

米朝 『茶漬間男』 (二階借り) rakugo




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M-1大凡戦

2020年12月22日 | 演芸


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/entertainment/dailyshincho-692457

私は今年、初めてテレビでM-1を観た。
他のテレビ番組に、面白そうなものがなかったということがその理由のひとつです。
ただ、去年優勝したミルクボーイの漫才が面白く好きでした。
今年はどんな面白い漫才が観られるのかと思い、M-1を観てみようと思った。
ところが番組を観ていて、こんなのがなぜM-1の決勝の10組に残ったのかと疑問に思った。
どの漫才を観ていても面白くなかった。
今の漫才をやる人はこの程度なのだろうかと、私の頭がへんになった。
しかし、審査員の芸人たちは高評価の点数を出している。
こりゃおかしいぞ、と思った。
優勝したマヂカルラブリーの最後の演技は、あれは漫才ではない。
コントでもない。
じつにつまらなかった。
こんなことでは、漫才の芸は終わってしまう。


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小松政夫さん逝く

2020年12月17日 | 演芸

今夜は最高! 小松政夫編 製材所ほか


コメディアンの小松政夫さん(享年78)が、12月7日肝細胞がんで亡くなってしまった。
私は、このひとが好きでした。
ネットの記事で、伊東四朗やタモリの小松政夫さんへの思いを読み、共感します。
動画がありましたので、九想話に載せて偲びたいと思います。
小松政夫さんのご冥福をお祈りします。




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【芝浜】 立川談志

2020年11月21日 | 演芸

【芝浜】 立川談志(平成13年版)


平成23年11月21日に立川談志は亡くなった。
今日、久しぶりに立川談志を偲んで、この「芝浜」を聴いた。
これまで九想話では「芝浜」を3・4回取り上げている。
あらためて聴いてよかった。
今の私は酒をたっている。
この噺の男も酒を飲まないで仕事を一所懸命やっている。
この女房がいい女だね。
立川談志の演じっぷりがいい。
あ~、酒が飲みてェ~


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マジック

2004年06月12日 | 演芸

〔ビートたけしの!こんなはずでは!!〕
(テレビ朝日20:00~)でマジックのことをやっていた。
ナポレオンズのマジックの種明かしをメインに、
マジックの歴史などを紹介していた。

私はナポレオンズが好きで、「ほぼ日刊イトイ新聞」に
ナポレオンズのパルト小石が書いている
エッセイ「ライフ・イズ・マジック」を愛読している。
このエッセイなかなかいいです。

私が住んでいた駒込の五月荘に1人の男がいた。
私より1つか2つ年上だった。
どうしてメシを食っていたのか、
私がそのアパートにいた3、4年間、彼は無職だった。
何かの拍子に彼と話すようになり、
そのうち私の部屋で酒を飲むようになった。
彼の本名は覚えてないが「シマさん」と呼んでいた。

シマさんはマジックが得意で、
トランプ、たばこ、コイン、リングなどのマジックを
いろいろ見せてくれ、そして種を教えてくれた。
おそらく私の酒をいつも飲んでいたので、
そのお礼のつもりもあったのだろう。

私もマジックには興味があり、
教えてもらったのを一所懸命練習した。
特にたばこのマジックは熱心に訓練した。
紙を丸めてたばこの大きさにしたものをいつも持っていて、
大学生協の仕事中でも客がいないときに、
それを使って練習していた。
スナックなどで飲んだときに、
女の子に見せて“もてよう”という魂胆があった。

そんな下心でマジックをやってたもんですから、
所帯を持ったころから練習しなくなってしまった。
またマジックを練習してみようかな、
“下心”なしで。


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帰ってきた「中年」御三家

2003年06月19日 | 演芸

何年かぶりに降りた原宿駅だった。
21歳の頃、デザイン学校に通うために毎日降りた駅。
きれいになってるが昔と建物は変わっていない。
改札口を出たところの左側にゴミ箱がある。
しゃれたゴミ箱になっていた。
私が29年前、そこから拾った新聞で、
今の暮らしがある。

NHKホールに着いたのが6時半。
自分の席に座って愕然とした。
3階で、ステージは遙か彼方だった。
S席6000円、A席5000円、B席4000円。
私は無理をしてA席にした。
それが3階だ。
いったいS席はどこまでなんだ。
せめて2階ぐらいで観たかった。

オープニングは、司会である中山千夏の
「ムーンライト・セレナーデ」。
久しぶりに聞く彼女の歌声、うまい。
27、8年前、元旦那のバンドをバックに、
ジャズをうたった野外ライブにいったことがあった。
和田誠の訳詞がいい。
前田憲男のピアノがおしゃれだ。
トロンボーンは外人だった。
私はどうしても自分が吹いていた
トロンボーンに注目してしまう。

御三家の最初は、
歳の若い順ということで永六輔だった。
「恋人よ われに帰れ」
英語でうたうのを遠藤泰子が同時通訳した。
これがなかなか面白かった。

2番目は野坂昭如なのだが、
「まだ来ていない」と中山千夏がいう。
私は淡い期待を抱いていたが、
やっぱりむりなのだろう。
野坂は5月末に倒れている。

小沢昭一が出てきた。沢山うたった。
「ハーモニカ・ブルース」がよかった。
♪ ハーモニカが欲しかったんだよ
で始まる哀愁のある歌だ。
途中に小沢のハーモニカの演奏が入る。
「シャボン玉」も泣かせる。
明治の演歌「かねかね節」(ダッタカ)もよかった。
浪曲もやった。
三味線を弾いた若い女性がなかなかだった。
なんといっても小沢のじゃべりがいい。

1部が終わりロビーに出る。
客の90%は、中高年と老人だった。
おば…、いや、女性が圧倒的に多かった。
この方たちは、ステージでうたっているときも、
よほど“大切なお話”があるようで、
あっちこっちで話し声が聞こえた。
「おれは、おめェらのお喋りを聴きにきたんじゃねェ」
と怒鳴りたい気持ちを、“やさしい”心で抑えていた。

建物の中ではいっさい煙草が吸えなかった。
警備員のいるドアを開けて外に出たところが喫煙所。
雨が降っていたら傘をさすのか。
狭い空間にあふれるような愛煙家がいた。
私もそこに混ざる。
ものすご~く惨めな気持ちになる。
それが可笑しかった。
それにしても、そこにも女性が多かった。

2部は小林亜星で始まった。
彼の歌もトークもつまらなかった。
やっと終わって、全員が揃ってうたった。

エンディング、会場に来ていた“有名人”が、
ステージに呼ばれ上がった。
黒柳徹子、吉行和子、富士真奈美、その他沢山。
アンコールとしてうたった「黒の舟歌」を、
私は胸を熱くして聴いていた。

私が日本女子大生協にいた頃、
野坂が日女の講堂でコンサートをやった。
客は当然女子大生ばかり、男はほんの数人だった。
そのときのことを思い出して、
野坂昭如の病状を思って、なんか哀しくなった。

幕が下りて、小沢昭一と永六輔がふたり、
前に出てきて、野坂昭如のことを話した。
さっきまでさんざん悪口をいっていたのだ。
ふたりの野坂に対する想いがつたわってきた。

楽しいコンサートだった。
惜しむらくは、
もっとステージの見えるところで観たかった。
それと、おばさんたちの話し声の聞こえないところで。


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禁酒番屋

2002年06月03日 | 演芸

土曜日の深夜(日曜日のAM1:10頃)、
ラジオ深夜便の演芸の時間は、
柳家小さんを忍ぶ番組だった。
いつかやるだろうと待ち受けていたのが
当たった。

矢野誠一氏が出て、
小さんの思い出をいろいろ話した。

小さんは、
紀伊國屋ホールの寄席が好きだったそうです。
小三治が…。
だめです。
記憶がはっきりしてないので書けないな。
素敵なエピソードなんだけどな。
間違ったことを書いてはいけないのでやめます。

九想話をUPしてる頃だったので、
真剣に聴けなかった。
矢野氏の話が終わり、
小さんの噺をやるという。
それがなんと「禁酒番屋」。
私は、小さんの噺の中で、
これと「試し酒」が好きなんです。
小さんは、若い頃酒が飲めなかったそうです。
30代になって飲むようになったらしい。

私は急いでパソコンをしまい、
トイレに行き、歯を磨いて、蒲団にもぐった。
最後まできちんと聴きました。
久しぶりに心の底から笑いました。


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