笑う桜

2001年03月28日 | 俳句・短歌

 負組になりし吾にも桜咲く

 今日、会社の休憩室から見える自衛隊通信所の庭に咲く桜を眺めながら、
こんな句をつくりました。
 おれは、どう考えても人生の負組です(イマノトコロ)。
 そんなおれに向かって桜は、「がんばれ、ガンバレ」といってるように花を
咲かせている、とかってに感じた。
 が、ずーっと眺めていると、
「おめェのことなんざ知らねェよ。おれはおれですきに咲いてんだ。悔しかっ
たら、おめぇも咲いてみな」
 と、笑っているようだった。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………

3月の九想話

3/ 1  洗濯機
3/ 2  お雛様登場
3/ 3  女房の退職
3/12 なんなんだ
3/13 光学式マウス
3/20 祝日
3/22 エベレストに登った人
3/25 ガンジーさん
3/26 テレビばか
3/26 ラジオばか
3/28 笑う桜

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジオばか

2001年03月26日 | ラジオ

 昨日(3/26)、2時過ぎに蒲団に入り、ポケットラジオをつけると、懐かしい
愛川欣也のパックイン・ミュージックをやっていた。
 こころの端っぺたを熱いものが駆け抜けた。
 30年ぶりらしい。これをやることは、先日の永六輔の土曜ワイドで知って
いた。でも、この日とは忘れていた。
 キンキンが興奮してしゃべっていた。
 永六輔、チャコ(白石冬美)がゲストで出ていた。
 おれが高校生の頃、毎晩深夜放送を聴いてたっけ。北山修、ナチチャコ、落
合恵子、今仁哲夫、糸井五郎、亀淵…なんだったっけ(現、ニッポン放送の社
長)、こんなのを聴いてたせいで、昼間の授業中は居眠りばかりだった。田舎
のつまんない、文化、教養のない暮らしがいやで、東京に憧れて聴いていた。
 TBSでは、NHKの「ラジオ深夜便」に対抗して、これから中高年向けの深夜放
送を計画しているらしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビばか

2001年03月26日 | テレビ

 昨日も2時過ぎまでパソコンと遊んで眠いのに、こんな時間まで起きている。
 9時から、BS2で「サウンド・オブ・ミュージック」を観た。
 いい曲ばかりで、ちょっとだけ観ようとしたのに、10時過ぎまで観ていた。
 新聞のテレビ番組表を見ると、10時からNHK教育ETV2000アンコール「『広
末涼子とソフィーの世界』生きる意味・哲学って何」という番組だった。
 広末涼子がかわいかった。うちの息子たちと同じ歳なんだな…。
「ソフィーの世界」の作者とおれが同じ歳だったことを知って、いつものこと
ですが、自分が情けなくなった。 
 そのあと、寝りゃァいいのに「視点・論点」を観て、武蔵野美術大学教授の
「もの連鎖」なんていう話を聴いちゃった。そして、ワンポイント英会話をう
つろな目で眺め、そろそろパソコンを立ち上げようかなんて思ったら、NHK人間
講座「女歌の百年」なんてのがはじまってしまった。
 与謝野晶子っていうひとは、すごい女性だったのですね。私は知りませんで
した。
 源氏物語を1回現代語訳して気に入らなくて、2回目の翻訳を始めたら関東
大震災でその草稿を1万枚ほど焼いてしまったらしい。それでも懲りないで、
1938年再々翻訳をしたっていうからすごい。子どもを12人育て、母、妻、歌
人で、評論や詩、小説も書いて68歳で死んだなんて、もうなんていうか…、
なにもいえません。
 この話をしてくれた道浦母都子という歌人も、すてきな女性でした。
 さあ~ここで煙草でも吸って、パソコンに向かおうとしたら、続いて「『日
本史』参勤交代」なんてのをNHK教育はやる。おれの好奇心は、眠気に勝ってし
まううんだな。いろいろ興味深いことを、東大の助教授から教えてもらった。
メモしたけど、もう眠いので書きません。
 それが終わって、おれはやっとテレビを消した。
「テレビばか」から「パソコンばか」に変身です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガンジーさん

2001年03月25日 | 健康・病気

 私は、1ヶ月前ほどから「ほぼ日刊イトイ新聞」を愛読している。
 糸井重里のホームページ( http://www.1101.com )です。
 毎日、糸井重里が自分の想いを書いているのがメインにあり、その他にいろ
んな人の書いたものもある。
 その中に、ガンジーさんという人がいる。
 昨年の5月に、余命2ヶ月を宣告されたという「癌爺」さんという方からメ
ールをもらった糸井が、その人にお願いして「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載し
ている。
 このガンジーさんの文章がいいんだな。
 ガンジーさんは、死亡予定日を過ぎても生きている。
 私は、死亡予定日が分からないのに死んでいる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エベレストに登った人

2001年03月22日 | 会社・仕事関係

 私の会社では、月に1度全体会議というものをやる。
 3勤の人は参加できないが、それ以外の社員を集めて取締役と工場長が“あ
りがたい”話をしてくれる。
 うちの会社に社長はいない。名前だけの社長はいるが、親会社のなんとか部
長をしていて、会社に来たことはない。いや、これまで1度、昨年の8月に来
たことがある。その“社長”がどうしても日曜日にしか来られない、というこ
とで、われわれ従業員は日曜日に半日出勤して、御目通りをした。そのときは
2週間続けて会社に通ったことになった。なにもそんなにしてまで会社に来な
くてもいいと、私は、いや、ほとんどの社員は恨んだものです。取締役と工場
長はうれしそうでしたが…。
 昨年の12月の全体会議で取締役が、「来年の1月から、新しく入社する人
を紹介します」といって、50歳を過ぎた男性を前に呼んで、話しはじめた。
 その人は、親会社に1年前まで勤務していたが、エベレストに登るために退
職したそうだ。優秀な人で、研修期間が過ぎたら次長という役職で働いてもら
う、といった。
(へぇー、エベレストに登ったなんてすごいな。いつかいろいろ話したいな)
 と、私は素直に思った。
 その人と工場長は、むかし一緒に仕事をした間柄だ、といっていた。工場長
も取締役も親会社から来ている人だ。
 1度その人に話しかけられたことがある。仕事が終わって、私が駐車場に行
き車に乗ろうとしたときに、
「***の社員ですか? この駐車場は、どこまでうちの会社で停めていいので
すか?」
 私はすぐ、エベレストに登った人だと分かったので、親切に教えた。やさし
そうでいい人みたいだった。なんか暗いな、とも思った。
 その人が、2週間ぐらいで退職したと、同僚から聞いた。
 ああ…、聞きたかったなエベレスト登頂のこと。
 エベレストに登るより、この会社のほうが、楽だと思うんだけど…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝日

2001年03月20日 | 暮らし

 毎朝、目覚めると電源を入れる枕元のポケットラジオのイヤフォンからアナ
ウンサーが、
「おはようございます。今日は春分の日、祝日です。みなさんはお休みですが、
私たちはこうして仕事をしています」
 なんてことをいってる。
(ふざけんな、おれだって仕事だ)
 おれは、目覚め悪く蒲団から抜け出る。
 台所には、やっぱり祝日なんて関係なく会社に行かなくてはならない女房が、
朝の用意をしている。
「おはようございます。祝日などにはご縁がない零細企業の従業員のみなさま、
元気にやけくそになって会社に行きましょう」
 女房にそういうと、
「そうよね。やんなっちゃう」
 こういうときだけ、おれたち夫婦は意気投合する。
 それからしばし、自分たちの勤める会社の悪口をここぞとばかり発表しあい、
でも、世の中には祝日でも働く人はたくさんいるのよ、となぐさめあい、それ
ぞれの出勤の準備にとりかかる。
 女房は、電車の祭日時間を気にしつつ7時に家をあわただしく出た。おれは、
7時30分、先月も忘れてしまった月に1度の段ボールをかかえてエレベータ
ーに乗った。それをゴミ集積所に置いて、おれは車に乗った。
 道路は、悔しいくらい空いている。信号でなんてめったに停まらない。
(ああ…、多くの勤め人たちが、休日の朝をのんびりしてやがんだろうな)
 おれは、会社を呪い、前の会社の経営者を呪い、森総理を呪い、日銀を呪い、
自分を呪った。
 会社の駐車場に、平日より10分早く着いてしまった。まだ呪うモノはいっ
ぱいあるのに、呪いきれないうちに着いてしまった。
 弁当とコーヒーを入れた魔法瓶の入ってるザックを背負い、おれは車から出
て歩きはじめた。
(しょうがない。仕事でもしてやっか~)
 と、うつむいてた顔を上げると、7、8メートル先にこっちを見ているおば
さんが佇んでいる。
(おれ、なんか悪いことしたかな?)
 怪訝な気持ちで会釈をすると、
「お仕事たいへんですね」
 と、すばらしい笑顔でいってくれた。
「ハァ~、ハイ」
 と、おれは、もう1度会釈をして歩き出した。
 そのときのおれは、呪うモノがすべて消えていた。どこの誰だか知らないが、
ああいうふうにいわれて悪い気はしなかった。とても、うれしかった。
(仕事やっちゃおうー)
 なんて、足取りも軽くなった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光学式マウス

2001年03月13日 | パソコン・スマホ

 去年買ったパソコンについていたマウスが、2、3ヶ月前から動きがおかし
くなった。矢印を上に持っていこうとして、マウスを上に動かしても、矢印が
動かない。マウスパッドからはみ出してもいっこうに矢印が動かない。左右に
はなんなく動くのに。マウスを別な角度にし動かすと、矢印が移動することが
ある。もうじれったいことこの上ない。
 マウスの中が汚れているのかな、と思い、ボールのところの蓋を開けて中を
アルコールで拭いてみた。昨夜の2時頃、九想話をUPしてからだ。しかし、
動きは変わらない。眠たい上に、マウスの動きがよくならないので、気分悪く
寝た。
 でも、ラジオ深夜便を蒲団に入って聴くと、目の見えない女性が、かわいい
素敵な声でパソコンのことを話していた。この女性は苦労してパソコンを自分
の道具にしていることを、なんでこんなに明るく、楽しいことのように話すの
だ。
 目の見えない人にとって、漢字変換は難しいらしい。子どものときから習っ
ている点字は、ひらがなやカタカナのように音だけを表すらしい。だから、パ
ソコンで文章を書くために漢字というものを覚えなくてはならない。眠たい頭
で聴いていたので、おれはうまく説明できない。なにしろたいへんなことをし
て、盲人はパソコンに文章を入力しているようです。それでも、パソコンとい
うものができて、ずいぶん助かっているようだ。
 その女性の話を聴いていて、(ああ…、おれもがんばらなくちゃ)と蒲団の
中でしみじみ考えた。
 今日の昼間はずーと眠たかった。九想話を書くといつもこうです。仕事が片
づき、久しぶりに定時で帰れることになった。5時過ぎ、ロッカー室で着替え
ているときに、無性にマウスを買いたくなった。一緒に着替えていたパソコン
おたくのTに、
「マウスを買おうと思ってる」
 というと、
「今は、光学式のマウスがいいみたいだよ」
 という。
 光学式…か。ボールがなくて、動きが滑らかで、ほこりを気にしなくていい
マウス。おれはこころが動いた。でも高いんだろうな。
 帰りの車の中で、マウスがおれの中でふくらんだ。家の近くのラオックスに
行こうかな、いや、その前に、家から車で10分ほどのところにあるPCバイ
キングに寄ってみようと思った。
 いやー、マウスの売場に行くと、いろいろなメーカーのものがたくさんある。
どれにしていいか分からない。おれの場合、どうしても安いものに目がいく。
まず、買い物かごにゴソっと入ってる500円のとか、1000円のとかだ。
 ありました光学式のマウスが、だいたいどのメーカーでも、4000円前後
だった。先週、楽家で飲んだときは5000円を越えたのに、こういうときは
素直に3980円のマウスが買えない。コードレスのもいいな、とかいろいろ
迷った末にレジに持っていったのは、1180円の従来のボール式で買い物か
ごにゴソッと入っていたやつだった。
 レジの若い男の店員にマウスのことを話しかけると、「光学式のは使いやす
いですよ」という。おれのこころの中で、(せっかく新しくマウスを買うんだ
から、いいのを買ってみたいな)という気持ちがむくむくと立ち上がった。
 その店員とマウス売場まで行き、またいろいろ話す。
「ボール式のよりちょっと高いけど、ほこりを気にしないで使えますから長持
ちするぶん安いいんじゃないでしょうか」
 うまいこというなぁ、とおれは感心した。しかし、飲むことに5000円使
えても、マウスに4000円は使えない。せめて3000円ぐらい、と思って
いると、店員が買い物かごの中から、ただビニール袋に入っただけの光学式の
マウスを探し出した。
「これどうですか。2980円です。高いものがいいとは限らないですから、
これなんかいいんじゃないのかな」
「なんでこれ安いの」
「これは、パソコンに付属させるためにつくったマウスを、こうして売ってい
るんです。だから包装もこんなもんです」
「そうだな。どうせ、パッケージなんて捨てちゃうもんね」
 おれは、そのマウスを買うことにした。
今、そのマウスを使っている。UBSのスクロールマウスです。なかなかい
いです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんなんだ

2001年03月12日 | 会社・仕事関係

 昼休み、おれはカップメンにお湯を入れ、3分間待つあいだ煙草でも吸おう
と作業服の胸ポケットに手を持っていったとき、
「Oさ~ん、ちょっと来てー」
 と、Sさんの大きな声がした。50代後半のおばさんで、おれはこのひとの
お陰でいつも助かっている。
 おれは、あわてて休憩室を出て、2階への階段を登りかけて(休憩室は、中
2階にある)、たしかSさんの声は下からしたな、と気がつき、階段を降りた。
 搬入口から外に出ると、Sさんの前に、Tさんと皮ジャンパーを着た、歳は
50前後の小太りの見るからに目つきのよくない男がいた。
「なんなんだ」
 おれは男を見つめた。男もおれを見て何かいいそうな表情をした。
 そのとき彼女が、
「やめてよ、ここは会社なんだから」
 といって、走って工場の脇のほうに逃げた。男はあとを追った。2人は、工
場の裏の畑のほうに消えていった。
 Sさんが、恐怖に顔を歪めておれにいった。
「Tさんが、男のひとにこうやられて…」
 と、Sさんは自分の襟首をつかんで、そのあと口をパクパクさせていた。
 あの男は、Tさんのなんなんだ。元の亭主か、それとも借金取りか。おれは、
後者だと思った。30歳ちょっと出た感じのTさんの元亭主には見えなかった。
 Tさんは、2月に離婚した。おばさんたちの話では、元の亭主が悪い奴で、
サラ金にたくさん借金し、その借金をTさんが払っているということだった。
「なんで、別れた元亭主の借金をTさんが払わなければならないのか」と訊い
たら、「Tさんが保証人になってるから」ということだった。
 なんかよく分からない。サラ金から金を借りたことのないおれは、夫の保証
人に妻がなる、ということが腑に落ちなかった。
 Tさんは、そのまま早退した。明日、どんな顔して会社に来るのだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女房の退職

2001年03月03日 | 会社・仕事関係

 さっきケータイに送られてきた女房のメールを読む。
19:21発信
「きめました。4/25でやめます。それまで歯医者にいったりとかしなくちゃ。
よくしてくれたのでひきつぎもキチンとした」(携帯電話の文字数を越えたよう
です)
19:25発信
「さあ、またこれからがんばろう。好きにさせてくれてありがとう。それなり
に頑張っていこうと思っています。私だけ楽しんでゴメン」
 とうとう辞めることを決めたのか、と思った。
 複雑な想い、デス。
 正直いって我が家は、女房の収入がないと暮らしが成り立たない。
 でも…。
 あいつが会社を辞めたいといい始めたのはいつごろからだろう。
 女房は、日曜日の夕方からこころが落ち込み、「明日会社に行くのがいやだ、
イヤだ」と呪文のようにいい続ける。それを聞き、おれも、落ち込んだ。ここ
にも何度も書きましたが、彼女は専業主婦に憧れている。しかし、おれが不甲
斐ないので、そうもいかなかった。息子二人、私立大学に行かせるには、おれ
の収入ではとうてい無理です。だから、おれとしてはなんとか我慢して会社に
行ってくれるようないいかたしかできなかった。
 ところが、ここにきて彼女の会社に対する発言が一段とエスカレートしてき
た。
 もうこれは辞めさせるしかない、とおれは判断した。辞めさせないと、あい
つはノイローゼになって、へたしたら自殺するのではないか、と考えても不思
議ではないくらい、女房は会社に行くことを苦痛に感じていた。
 会社から帰ってくるたびにいう会社への不満。月曜日の朝、女房の辛そうな
顔。おれはもう、それらを聞きたくも、見たくもない。明るい、天真爛漫な、
あいつでいて欲しい。 昨日の昼休み、おれは女房にメールを打った。
「会社なんかやめちゃえ。どうにかなるよ。やめちゃえ~」
 今、女房はフラメンコの練習から帰ってきた。
 さっぱりした顔をしています。
 できたら、おれもそうなりたいな。でも、おれはがんばらないと…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お雛様登場

2001年03月01日 | Weblog

 今年も出ました女房のお雛様。
 いつ彼女が出すのかと、興味深く待っていた私です。
 いちおう、毎年女房は出す。そのときに必ずいう。
「私、このお雛様好きなんだ。いい顔してるでしょう。お父さんたちが、お金
がないのに私のために買ってくれたんだ」
 わが女房ながら、このセリフは私を泣かします。彼女の両親は、2Kの都営
住宅で女房と弟を育ててきた。私が最初に女房の育った家に行ったとき、あま
りの小ささに驚いた。貧しいながらお父さんたちは、二人の子どもをこんな狭
い家で育ててきたんだな、と思った。
 彼女の両親とは、これまで私は22年間付き合ってきましたが、すばらしい
人です。
 女房は長女で、かなり両親から愛されて育てられてきた。その証拠が、この
お雛様だと思う。
 女房は、今日も買ってきたのですが、雛あられをお雛様にそえます。息子た
ちが小さい頃、朝、前の晩より雛あられを少なくしていう。
「夜、お雛様が食べたのよう。昨日より少なくなっているでしょう」
 3、4歳ぐらいまで、息子たちはその言葉を信じていたようです。そしても
う少し大きくなると、そういう母親を冷たく見つめたそうです。アタリマエダ…。
 出すのは毎年雛祭りが迫ってからなのに、しまうのは遅い。いつの年だった
か、ゴールデンウィークに引っ込めたことがあった。「どうせうちは男だから、
嫁に行くのが遅れることはない」と女房は、明るくいう。私としては、「2月
の中旬には出して、3月の中旬にはしまったら」というのだが、毎年同じこと
が繰り返されている。
 会社の休憩時間、お雛様の話になった。あるおばさんの家では、「檀飾りの
お雛様を買ったけど、最近出すのは、男雛と女雛だけね」とくったくなく笑う。
その他のものは、買った年だけ出したが、それ以降は、男雛女雛以外の人形は、
ず~と押入の箱の中だそうです。家も狭く、出すのがめんどくさいというのが、
ほんとうのところのようです。だったら、最初から男雛女雛だけのものを買え
ばいいのに、と思ってしまう。
 みなさんの家では、お雛様はどのようになっているのでしょうか?



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする