今年もあとひと月

2009年11月30日 | 健康・病気
早いですね。
今年もあとひと月で終わりです。
最後の1ヶ月を気を引き締めて生きていこうと思います。

----------------------------------------------------------------

11/1 奇跡のりんごと夢
11/2 フラメンコ教室発表会   秋なのに軽井沢には雪が降る
11/3 初雪
11/4 女房来軽
11/5 白糸の滝
11/5 松井 秀喜
11/6 旧軽井沢の紅葉      旧軽の紅葉の中妻とゆく
11/7 11月のパンカーラ
11/7 立冬              さっきまで寝ていた冬が立ち上がる
11/8 11月8日           一人暮らし黙ってもぐる蒲団かな
11/9 ミシシッピ・ジョン・ハート 冬だけど好きなことしてれば暖かい
11/10 ぐんけ           暮はやし釘刺し遊び子らの声
11/11 龍彦助けてくれ      陽水の歌知りりゃしない神無月
11/12 ハラハラドキドキ、ロト6
11/13 八ッ場視察
11/14 陣取り            弾きすぎ三度で戻れぬ石寒し
11/15 能
11/15 化粧             薄皮をぬるだけでいい生きられる
11/16 夫婦            
11/16 さよならマクベス     十一月なぜか多いないい夫婦
11/17 スタッドレスタイヤ
11/18 スタッドレスタイヤ2
11/18 初冬のトンボの湯
11/18 軽井沢の気温       九度からマイナス四度冬はじめ
11/19 舞踏熱中人
11/20 リバーサイドホテル
11/23 立花隆がんの謎に挑む
11/24 川原湯温泉
11/25 川原湯の写真       冬ざれて芭蕉の句碑が読めません
11/25 女房東京に帰る
11/26 茨城訛り           囲炉裏端ふるさと訛り訥々と
11/27 謡曲「桜川」
11/28 茨城県民の歌        朝礼の県民の歌息白し
11/29 茨城県民体操        好きなコも県民体操冬の朝
11/29 坂の上の雲
11/30 若き寿司職人
11/30 今年もあとひと月
         
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若き寿司職人

2009年11月30日 | 健康・病気
昨夜、「ワンステップ」(TBS 23:30~)を観た。
3人の若い寿司職人が、京都の山村に行って、
そこに住むお年寄りたちに寿司を握って食べさせる。
先週は、京都府綾部市の市志集落の13人に寿司を握った。
そこにはまわりに商店や飲食店などはなく、
週に一回の移動販売車が唯一来るだけというところ。
昨日放送したのは、この集落から車で30分ほどの
7人だけが暮らすところだった。

みんな70過ぎのお年寄りしかいなかった。
涙流して若者の握った寿司を食べていた。
今日のことを子どもたちに話すと、みんないっていた。

もう観ていて私は涙が止まらなかった。
この若者たちはいいことしているな、としみじみ思った。
このテレビ番組の企画だとは分かっているけどそう思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂の上の雲

2009年11月29日 | 健康・病気
第1回「少年の国」(NHK総合20:00 ~ 21:30)観ました。
テレビドラマはあまり観ないようにしているのですが、
なかなかよかった。
この原作はいつか読みたいと思っていた。
これからが楽しみです。

私はこれから夜勤が春までありません。
夜のテレビが観られる。
いや、だめです。
これからは小説を書くんです。
書くんです。
ゼッタイ書くんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県民体操

2009年11月29日 | 健康・病気

こうなったら私もヤケクソです。
茨城県民体操」についても書いてしまいます。
茨城県にはなんと、県民体操があるのです。
私が中学生のときの朝礼、体育祭には、
必ず茨城県民体操をしました。
ラジオ体操なんてものはしませんでした。
茨城のモノは、茨城県民体操です。

> ※残念ながら伴奏音楽については著作権の関係上
> お届けできませんのでご了承ください。

ああ…、残念です。
この体操の伴奏の音楽も素晴らしかったのに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県民の歌

2009年11月28日 | 健康・病気

こうなったら今夜も“茨城攻め”で行ぐど。
長野県にはァ、「信濃の国」という県歌があんだどャ。
長野県民だったらァ、だ~れでも歌えンダド。
それ、聞いデ、
オレの茨城県だって「茨城県民の歌」があっぺナと言いデ。

オレが中学生のとぎ、学校の行事があっと必ず生徒だちはうだわされダ。
オラ、吹奏楽部だったがら伴奏ばっかししでたっペナ。
「茨城県民の歌」オラ好きだったどや。
メロディーがいがったな。

これがら我が茨城でもォー、
小学校がらいろんな行事のとぎにうだったらいがっぺな。
「信濃の国」に負けねェ、「茨城県民の歌」にしなっくっちゃなヤー。

(こうやって茨城弁で書きましたが、まったく自信がありません。
 茨城を離れて38年。どなたか添削お願いいたします)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謡曲「桜川」

2009年11月27日 | 健康・病気

昨夜、ふるさとのことを書いたので、ついでにもう1つふるさとの話を書いてしまいます。
私の生まれた岩瀬町(現、桜川市)は、能楽で有名な謡曲「桜川」の舞台です。
私は昔、「薪能」という九想話に書いてました。

22日、私の担当していたイベント「演劇祭」に、
私の施設の能楽講座で教えている先生が来てくれた。
休憩時間に時間をもてあましている先生と話した。
しかし、話題がすぐ切れてしまう。
そうだ、いつか先生と話そうと思っていたことがあったことを思い出した。
謡曲「桜川」のことです。

「私の生まれた茨城の岩瀬町というところは、
 謡曲『桜川』の舞台です」と先生に話した。
「へぇ、そうなんですか」と先生はいった。
「あの能はいいです。いつか『桜川』をやるときは招待しますよ」
と先生がいってくれた。
うれしかった。私はこれまで能を観たことがない。
先日、施設でシテ方宝生流能楽師・重要無形文化財保持者の方が踊った。
(能を踊るといっていいのかどうか私はわからない)
その日私は、事務所の留守番担当でそれを観られなかった。
いつか能を観てみたい。

私の生まれた岩瀬町が合併して桜川市になると最初に聞いたときは、
なんかつまんない名前だな、と思った。
しかし、今はいい名前だと思っている。
私の街に桜川が流れている。
中学校・高校の校歌にも桜川が出てくる。
(だいたい筑波山と桜川はあのへんの校歌に必ず出てくる)

今の私にとっては、ふるさとはかけがえのない存在だ。
ふるさとのいろんなことを大切にしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城訛り

2009年11月26日 | 健康・病気

「ケンミンショー秋の友愛スペシャル」(日本テレビ 21:00 ~ 22:48)
なんていうものを観てしまった。
田舎モノの私は、こういう番組が好きだ。
茨城県代表として(?)磯山さやか が出ていた。
私の生まれた岩瀬町(現在は桜川市)は、
栃木県との県境にあり、どっちかというと、
栃木県代表の漫才のU字工事の話し方に近いと思う。

テレビの中でそれぞれが田舎訛りの自慢をしているのを聞いていて、
「あァ…、おれも話してぇなー」と思った。
若い頃、茨城訛りがイヤだった。
恥ずかしくてしょうがなかった。
おれが21歳のとき、劇団に入って最初にやった役が、
テネシー・ウィリアムズの「最後の金時計」という
ほぼ2人芝居の若い靴のセールスマンだった。
演出家に「茨城訛りのアメリカのセールスマンがいるわけねぇだろう」と
しょっちゅう怒られてつくづく芝居がイヤになり、
その公演が終わったとき劇団をやめた。
そのときは、茨城訛りを憎んでいた。
しかし、テネシー・ウィリアムズという名前は本名ではなく、
愛称の「テネシー」はその南部訛りからセントルイスでの学友に付けられた、らしい。
今思えば、茨城訛りの靴のセールスマンもよかったんではないか。
演出家の了見が狭かったな、と思う。

今はおもいっきり茨城訛りで喋りたい。
おれの心の中身を自然に出せるのが茨城弁だろう。
でも、19歳で東京に出てから埼玉、そして長野へと流れ着いたおれ、
うまく話せるかな?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女房東京に帰る

2009年11月25日 | 健康・病気
今日、女房が東京に帰った。
11時頃、女房とツルヤまで湯川ふるさと公園を散歩した。
湯川のほとりを歩いた。
湯川の水がきれいだった。
カモが2羽いた。
私はリスを見つけた。
その方向にカメラを向けて写真を撮ったが、
この写真のどこにいるかわからない。
女房は、野生のリスを初めてみて感激していた。



ツルヤで買い物をし、カモのえさとしてかっぱえびせんも買った。
佐渡に行くとき、フェリーでカモメにこれをあげたからだ。
ところが、このカモくんたちにはあまり喜ばれなかった。
お腹が一杯だったのだろうか?
かっぱえびせんなんて好みじゃないのかな?



家に戻って、こんどは車で出かけた。
昼飯を食べにパンカーラに行った。
今日、フラメンコの練習日なので
4時過ぎの高速バスに乗って女房は東京に帰らなければならない。
それでこれまでのように夜パンカーラに行けない。

マスターから「パンつの会、入会おめでとうございます」といわれた。
「理事に」といわれたが、「私は平の会員でお願いします」といった。
ここで訂正があります。女房から注意されたんですが、
「パンつの会」の、「つ」は平仮名ということです。
私は、「パンツの会」と以前書いてしまいました。
「パンカーラをつぶさない会」が正式な名称です。
ここにお詫びして訂正いたします。

おいしいランチを食べて私たちは2時前にパンカーラを後にした。
帰りにトンボの湯にでも寄ろうかなと考えていたがやめて、
家に帰り昼寝をしました。
そして、女房は16時22分の高速バスで東京に帰った。
池袋に着くまでに、女房から15通のメールが来た。
バスにはお客が彼女だけだったそうだ。
道路も空いていて、18時15分に池袋に着いたと電話があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川原湯の写真

2009年11月25日 | 健康・病気
今日、写真のことが疑問だったので、
ブログに載せることをやってみたらアップできた。
どうゆうことなんだろう?
よく分かりませんが、せっかくなので写真載せます。



この写真の右側が王湯です。
古い、素朴な建物です。
道の左が駐車場で4、5台停められます。
前を向いているのが私のFitです。
この先に川原湯神社があり、
新源泉のとなりの足湯に入りました。



これは何にもないのが人気の聖天様露天風呂です。
私は近くまで行くのがイヤだったが、
女房は見てきた。男が何人か入っていたようです。
混浴と書いてあるが、ここに入る女性はいないでしょうね。
いつか私は入ってみたいと思った。



八ッ場ダムができたあとの、
移転地での未来の川原湯温泉街のイラストがあった。



芭蕉の句碑があるけど、石が削れていて何が書いてあるかわからない。
説明の看板のようなものが欲しいが、
沈んでしまうからやる気がないのかな?もったいないな。



「やんば館」から見た橋の工事現場です。
やっぱり迫力あります。
八ッ場ダムはこれからどうなるんだろう?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川原湯温泉

2009年11月24日 | 健康・病気

今日は、女房と群馬県の川原湯温泉に行ってきました。
先日、仕事で東吾妻町に行ったときに、
こんど女房が軽井沢に来たら行こうと決めていた。

家にあるかなりのゴミを、
軽井沢町のじん芥処理場に運んでから行った。
私は、いつもゴミなどがたまったらここに持って行く。
時間を気にせずゴミを持って行けるのでいい。

浅間山を越えてパンカーラの脇を通り過ぎで行く。
川原湯温泉に行く途中にある浅間酒造観光センターに寄った。
ここは、所沢で暮らしているときにTBSラジオのCMで聴いて知っていた。
そのころは、自分でいつかそこにいくなんて考えもしないで聴いていた。
人生なんて分からないものだなと、しみじみ思います。
いろんなお土産があった。
浅間酒造のお酒もあった。
ちょっと高いので酒は買わなかった。
ちょうど昼だったので、食堂でラーメンを食べた。
酒蔵ラーメンというのが550円であった。
これを女房と食べた。なかなかおいしかった。
2階のレストランではだいたい1000円以上でしか食べられないのが、
1階のここでは500円前後で食べられた。
ここの酒蔵ラーメンはおすすめです。

川原湯温泉は、ひなびた温泉街でした。
温泉街ともいえないたたずまいだった。
山道にへばりつくようにあった。
八ッ場ダムができたら湖底に沈むという運命にしたがい、
建物や設備の補修はしてこなかった、と温泉旅館の経営者が、
話していたことを以前テレビで観たことがあった。

私たちは、王湯という共同浴場に入った。入浴料300円。
内風呂と露天風呂を裸では移動できないので、露天風呂に入った。
男湯は私だけだった。
蛇口から流れる温泉は79度ほどあり、そのわきに水道も出ていた。
入るところに、ときどき水道を止める人がいるので、
湯船の温度を確かめて入ってくれ、と書いてあった。
水道が出ていなかったら、火傷してしまう。
女湯には何人かいるようで話し声が聞こえる。
私はひとりで紅葉の終わった山の景色を見ながらいろんなことを考えていた。

そのうちひとりの男が入ってきた。
私は話しかけた。
その人は、1年に1度ぐらいはこの20年ほど川原湯に来ているという。
あとで女房に訊くと、その男の奥さんが入っていていろいろ話したという。
上福岡に住んでいる人のようだった。
私は先に出た。
駐車場に、うちと同じ所沢ナンバーのFitが停まっていた。
小さな駐車場に、所沢ナンバーの同じ車が停まっているのが可笑しかった。
楽しかった。

川原湯温泉“街”を女房と散策した。
ほんどにわびしい温泉街だ。
しかし、今どきありえない“化石”のようなひなびた温泉に入りたい人には、
川原湯温泉をすすめたい。
まるで3、40年前にタイムスリップしたようです。

帰りに、八ッ場ダム広報センターが作った「やんば館」に行った。
複雑な気持ちで私は、そこに書いてあることを読みました。
その建物の前から、あの橋の工事現場が見える。

しかし、なんでだか分からないが、
今日は写真がこのブログにアップできない。
どうしてなのだろう?残念です。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする