>赤ちゃん取り違え訴訟、東京都が控訴を断念 生みの親について調査へ
(朝日新聞社)
> 67年前に都立病院で別の新生児と取り違えられた男性が「出自を知る権利」
>があると訴えた訴訟で、生みの親についての調査を都に命じた東京地裁の判決
>を受け、東京都の小池百合子知事は25日、控訴しない意向を表明した。
>都は今後、男性の生みの親に関する調査に乗り出す。
この新聞記事を見て、私はよかった、と思った。
私がもしこの人と同じようなことになったら、絶対自分の本当の親を知りたいと思う。
>赤ちゃん取り違え訴訟、東京都が控訴を断念 生みの親について調査へ
(朝日新聞社)
> 67年前に都立病院で別の新生児と取り違えられた男性が「出自を知る権利」
>があると訴えた訴訟で、生みの親についての調査を都に命じた東京地裁の判決
>を受け、東京都の小池百合子知事は25日、控訴しない意向を表明した。
>都は今後、男性の生みの親に関する調査に乗り出す。
この新聞記事を見て、私はよかった、と思った。
私がもしこの人と同じようなことになったら、絶対自分の本当の親を知りたいと思う。
>中居正広「ジャニーズに残っていればよかった」芸能界引退危機で漏らした“衝撃のボヤき”
(女性自身)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jisin/entertainment/jisin-https_jisin.jp_p_2423620
中居くんは、今どんな気持ちで暮らしているのだろう。
おそらく私が思うには、もう芸能界復帰は無理でしょう。
彼は今52歳のようだ。
私が20年前の52歳のときは、何をしていたのか。
2004年2月1日九想話「仕事のこと」
私は51歳の6月で、そのとき勤めていた会社が閉鎖になった。
旭硝子の子会社で、ホンダ車のウィンドウガラスの加工をしてホンダに納めていた。
そこで生産管理の仕事をしていた。
毎日、ホンダから要求してくるウィンドウガラスを、
決められた時間に決められた枚数をホンダ狭山工場に納めていた。
私は45歳のときに半導体製造機器の業界にいたが、
親会社の三菱商事が売り上げの落ちた私のいた会社を売却し、そして会社は消滅した。
なんとか旭硝子の子会社に転職したのに、51歳のときにまた会社が消えた。
そのあと私は縁があって、知的障害者の成人が働く作業所で仕事をすることになった。
所沢市場の隅にあった作業所で、毎日作業所で働く15人の人たちと野菜の梱包をしていた。
そのようなところなので、給料は安かった。
それまでの会社にいたときのようにはもらえなかった。
私の息子たちは、私が51歳のときに大学を卒業して社会人になったので、なんとか生活はできた。
知的障害者の人たちに、スーパーで販売する野菜の梱包をしてもらうのは難しかった。
朝8時に、所沢駅にワゴン車を停め作業者を乗せて作業所に運ぶ。
それからスーパーの仕様書にそって野菜を梱包した。
じゃがいも、にんじん、キュウリ、だいこん、ごぼう、さつまいも、椎茸、みかん、その他。
スーパーからの注文が多いときには、8時ぐらいまで残業をした(残業代はなし)。
それから作業者を駅まで送って、作業所に戻ってから家に帰った。
毎日肉体労働の連続だった。
それでも彼らと仕事をすることは楽しかった。
そんな暮らしをしていた52歳の私だった。
朝6時に家を出た。
今日は晴れていた。
これはGoogleレンズで検索したら「トキワサンザシ」という名前の植物のようです。
これから寒くなると赤がキレイになります。
先週から私が歩く道をシルバー人材センターの人たちが草を刈ったり、植物を剪定している。
それまではもう草が伸びすぎていて歩きにくかった。
町でシルバー人材センターに依頼してくれたのだろう。
気持ちよくウォーキングを楽しめます。
>「本当に良かった」 袴田巌さんに再審無罪判決、死刑確定から44年…
> 喜び広がるいっぽう 「58年を奪った冤罪が憎い」「司法は責任を」の声
(中日スポーツ)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/chuspo/entertainment/chuspo-963405
> 1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)
>の再審判決公判で、静岡地裁は26日、無罪を言い渡した。これを受け、X(旧ツイッター)
>上には、「本当に良かった」と判決を喜ぶ声の一方で、逮捕から58年という時の長さをお
>もんぱかる書き込みも上がった。
(略)
> 公判では、事件発生から一年以上たって見つかった衣類の血痕が争点となった。弁護側は
>「衣類が1年以上、みそに漬けられると血痕の赤みは消える」として、「証拠は捜査機関に
>捏造(ねつぞう)された」と無罪を主張。検察側は「(捏造は)非現実的で実行不可能な空
>論」として改めて死刑を求刑していた。
今日の午後、静岡地裁で袴田巌さんは再審無罪を勝ち取った。
私はこれまでもこの裁判に注目していた。
検察が控訴しなければいいのですが・・・。
>長野 佐久 イベントで男性刺される 容疑者 “殺そうと思った”
>22日、長野県佐久市で開かれていたアニメソングのイベント会場で、
>男性が刃物で刺されて大けがをした事件で殺人未遂の疑いで逮捕さ
>れた容疑者は調べに対して「この男性を殺そうと思った」と供述し
>ているということが警察への取材でわかりました。警察は、2人の間
>に何らかのトラブルがあった可能性があるとみて詳しいいきさつを
>調べています。
>22日午後1時20分ごろ、佐久市の駒場公園で開かれていたアニメソン
>グの野外イベント「ナガノアニエラフェスタ」の会場で、県外に住む
>30代の男性が刃物で胸などを刺されて大けがをしました。
昨夜、ネットでNHKのニュースを見ていたらこのような事件があった。
佐久市の駒場公園は、私が2016年まで7年半勤めていた佐久創造館があるところです。
8月18日には「佐久の夏」が行われ、私はそこにいた。
現在、詳しいことはまだ分かっていないようです。
刃物で刺した男と、刺された男性にどのようなことがあったのだろう?
ナガノアニエラフェスタ2023 ダイジェストムービー(アニソン野外フェス)
ロンドンで7日午前、
地下鉄や2階建てバスの爆発が起きた。
テレビの画面を観ていて、
哀しくてしょうがなかった。
私はどういう理由、目的があっても、
一般市民の命を奪う行為は許せない。
今朝、私の住んでいる近くで悲しい事件があった。
asahi.com にこういう記事があった。
「24歳女性、刺され死亡 元同僚の女を殺人容疑で逮捕 」
入間市に住む無職の女性(24)を、
以前、同じ飲食店で働いていた所沢市の女性(24)が
「背中などを何度も包丁で刺して殺害し」たという。
2人は以前、同じ飲食店で働いており、容疑者は
「元の交際相手と**さんがつき合っているのが面白くなかった」
と容疑を認めているらしい。
容疑者は午前6時ごろ(なんだこの時間は!)、タクシーで訪れ、
応対した母親に「約束しているから」といって家に入った。
台所にあった包丁を隠し持ち
「2人きりにしてほしい」と寝室に入った。
約1時間後、母親が寝室に行くと、
女性が血だらけでベッドに横たわり、
そのそばで容疑者が泣いていたという。
YOMIURI ON-LINE では、こう書いてある。
女性が訪れた際、母親に「娘は寝ている」と言われたが、
「約束しているから」と無理やり上がり込み、
すきを見て台所にあった包丁を持ち出し、
2階に上がったという。
昨日の夜、この容疑者はどんな気持ちで過ごしたんだろう。
私が麻雀をやり、そのあと集まってきた劇団員たちと
楽しく話していたころ、何を思っていたのだろう。
24歳。私の息子たちと同じ年齢だ。
容疑者が生まれたとき、その両親は喜んだろう。
殺された女性の親だってそうだ。
私も女房もあんなに幸せだったことはない。
24歳の女が同じ歳の女性を殺害した。
恋人をとられたことに嫉妬して。
うちの息子のひとりは家でおそらくテレビを観ていて、
もうひとりは休日出勤で仕事をしていたはずだ。
被害者の女性は何をしていた。
ひっとしたら男と逢っていたかも知れない。
容疑者の女はそれを遠くで見ていたなんてことあったかどうか…。
飲食店と記事にはあるが、どんな店なんだろう。
居酒屋かスナックか、それともキャバクラだったりして。
2人の関係していた男は客か? それとも同じ店の従業員か。
20代の青年か、はたして妻子持ちの中高年かも。
一編の小説が書けるな。
こんなことをうだうだ想像しているより、早く寝なくては。
昨日水戸で、
鉄アレイで両親を殺したという事件のニュースがあった。
今日は土浦で、
両親と長女を包丁と金槌で殺害するというニュースだ。
どちらも24日の出来事だった。
水戸の19歳は専門学校に合格したが行かなかった。
土浦の28歳はコンピューターの専門学校に入学したが、
8月で退学してそれ以来家に引きこもっていたようだ。
どちらの事件も茨城で、
両親が公務員なんていうことでくくってはいけないだろう。
今日逮捕された土浦の青年は、
水戸の事件を知っていたらしいが、
「自分には関係ない」といっていた、
とテレビのニュースが報道していた。
これまでも父親が息子を殺害したとか、
息子が父親を殺してしまったという事件はあった。
そのたびに私は哀しい気持ちになってきた。
今回はどちらも母親までも殺している。
息子が生まれたときはどれだけ嬉しかったろう。
可愛がって一所懸命育ててきたことだろう。
私はそうだった。
あいつらを一人前の男にするために必死だった。
うちの息子たちは社会人としてまだまだだろうが、
それなりにがんばっているようだ。
連日深夜0時過ぎに帰ってくるのに、
先週の土曜日、23日の祝日にも出勤していた。
(これはKで、Uは休んでいた。Uも休日出勤のときはある)
殺された親たちは、息子とどんな接し方をしてきたのだろう。
その辺を私は知りたい。
私は中島らもが好きだった。
中島らもと私は同じ歳です。
20年前、朝日新聞に連載された
「明るい悩み相談室」を読んでから
彼の活躍を私は遠くで眺めていた。
いつか話したいと思っていた。
いつか一緒に酒を飲みたかった。
なのに死んじまった。
酒を飲んだあと、
階段で足をすべらせて落ちて死ぬなんて…。
私も気をつけよう。
2002年3月1日の九想話「おまけの人生」で、
バイク事故を起こしたことを書いた。
あのとき私は死んでいてもおかしくない。
私にはもうひとつ、
命を落としていてもしかたのないことがあった。
それは小学生の低学年のころだったと思う。
夏の暑い日だった。
同じ歳のたーちゃんと私は、
1歳年上のともちゃんに誘われ水浴びに行った。
私の生まれた田舎にプールなんてなかった。
水浴びをするとしたら池などでするしかない。
みんなが行くのは山にある「鷲の巣」という池だった。
しかしそこは何人か溺れて死んでいた。
沢水がたまった池で水が冷たいのだ。
ともちゃんが行こうといったのは、
大泉砕石という砕石を取る会社の山にある
「第2排水」と呼ばれている池だった。
家から歩いて1時間はかかる山の中にその池はあった。
その辺はむかし、石灰を採っていてた。
あまりその「第2排水」という池の様子は覚えていない。
子どもから見てもそれほど大きな池ではなかった。
きれいな水だった。私たちはもちろん、
水泳パンツなどもっていないので“ふりちん”だ。
岸辺の浅いところで遊んでいた私は、足を滑らせた。
そして深いほうに体がいってしまい足が立たなかった。
生まれて初めて水浴びをした私はあわてた。
手足をばたつかせ、顔が水から出たりもぐったりした。
私は溺れながら水の中から見た太陽は、
きれいだな、と思った。
無我夢中で手足を動かしていると、
目の前に丸太があらわれた。
それに必死につかまった。
それで助かった。
丸太は、ともちゃんが差し出してくれたものだった。
私はそれ以来、水が怖くなった。
私は思春期のころ、辛いことがあると、
あのとき死んでたらよかったのに、なんてよく思った。
私が子どものとき、3月ころだったと思うが、
父と母はたばこの乾燥小屋の横に
「たばこっちろ」を作った。
「たばこっちろ」を漢字で書けば「煙草代」になるのかな。
たばこの種をまいて育てる苗代のことです。
両親は、一冬のあいだ山で枯葉を集める。
「たばこっちろ」を作るためです。
父が地面に杭を打ち、それに竹を渡し、
きれいに藁で「たばこっちろ」をこしらえる。
大きさは、え~と、横3mの縦5mぐらいかな。
子どものころのことなのでよく覚えていない。
それを2つ作った。
その中に集めた枯葉を入れて、足で踏みつけた。
それを家族でやった。
子どもの私はそれが好きだった。
枯葉まみれになるたばこっちろのが気持ちよかった。
あるていど枯葉を入れ、水をまき、踏みつける。
枯葉が低くなるとまた投げ入れた。
かなりの量の枯葉を必要とした。
どこの家も冬には山から枯葉を採ってくるので、
山がきれいになった。
今は、誰も枯葉など集めないから、
山が歩けないほど荒れている。
みっしり重なった枯葉の上にたい肥をしいて、
その上にたばこの種をまいた。
それから秋のたばこ売りの日まで、
両親はたばこのことに気を配った。
米や野菜もやっていたが、
やはりたばこのことが一番だったと思う。
なぜか今日は、
「たばこっちろ」を作るために、
枯葉まみれになっている父と母の姿を想った。