仏としての日々

2001年04月30日 | テレビ

NHK総合9時35分からの番組を観た。
「永平寺で修行に励む若者たちを追う」
という副題がついていた。

早朝、永平寺に入門する若者10余人が、
僧姿で門の前に立つ、
早春でも朝は零下の気温という。
1時間ほどして、
目の前の廊下などを修行中の若い僧が掃除をはじめる。
入門を希望する若者たちなどに目もくれないで、
一心不乱に雑巾掛けをする。
2時間ほどして、1人の僧が来る。
若者たちに声をかける。
「一所懸命修行に励むか」
「はい、やります」
というようなやりとりが、それぞれとかわされる。
これで、入門が許される。

それから、修行僧の1日が紹介された。
4時起床。
4時10分洗顔。
1杯の木製洗面器の水だけで歯を磨き、顔、頭を洗う。
それから座禅40分。
線香1本が燃え尽きる時間だそうだ。
5時半読経。
6時半食事。
応量器(托鉢にも使う、仏の化身)という黒い器で食べる。
朝食は小食(ショウジキ)といい、玄米の粥とたくあん、ごま塩。
食べ終わると、応量器にお湯をもらい、それで洗い片づける。
7時20分掃除。
掃除などを作務といい、作務は動く座禅だそうだ。
21時就寝
蒲団をひもで丸め、寝袋状態にしてその中で寝る。

修行僧は、永平寺のいろいろな仕事をする。
観光客への案内説明。
永平寺の警備。
機関誌の発行、事務。
今だから当然なんだけど、
若い僧がパソコンを操作していた。

修行する若い僧は、永平寺に200人ほどいる。
毎年、100人ぐらいが入門する。
修行を終えた僧がどうなるのか、
途中で逃げ出す者はいないのか、
それと、なぜ若者が、
出家して永平寺で修行しようと思ったのか、
そのへんを知りたかった。

静かな夜、あの歴史的な永平寺で、
何人の若者が自慰をするのだろう。

…………………………………………………………………………………………………………………………

4月の九想話

4/5 らくやの花見
4/6 ネット文章
4/7 公演前夜
4/8   49歳なぜキレる
4/9   援助交際
4/10 リストカット (8/21削除)
4/11 中野の夜は遠かった
4/12 ガンジーさんからのメール
4/13 九想庵の1週間
4/14 大リーグ
4/15 “ママ”の誕生日
4/16 ウリイグアナ?
4/17 河島英五
4/18 液晶・執念の対決
4/19 パラサイト世帯主
4/20 おれと私
4/21 うるさいナビゲーター
4/22 川上弘美さん
4/23 有給休暇
4/24 阪神に乾杯
4/25 女房の未来
4/26 あるフリーターとの会話
4/27 ホームレス
4/28 明日からGW
4/29 展覧会の絵
4/30 仏としての日々



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展覧会の絵

2001年04月29日 | テレビ

日曜、朝9時からテレビ朝日でやっている
「題名のない音楽会」(関東地方だけかな?)
今日は、「ハネケンの目からウロコ」という題で、
羽田健太郎が、
ピアノという楽器のいろいろな話をしてくれた。
「ピアノは小さなオーケストラ」といわれることを、
ムソルグスキーの「展覧会の絵」という曲を使って、
教えてくれた。

原曲はピアノ曲だった「展覧会の絵」。
どちらかというと、オーケストラで演奏されたほうが、
人には知られていると思う。
ラベルの編曲のものが有名だ。
私は今日、はじめて知りましたが、
多くの人が編曲しているという。
ストコフスキーが編曲したものを聴いた。
最初の出だしのところ、
ラベルは管楽器を使っている。
ストコフスキーは弦楽器だった。
ラベルを聴き続けてきた私にとって、
あのトランペットの出だしのメロディは、
「展覧会の絵」そのものです。
しかし、今日聴いた弦楽器によるアレンジも、
なかなか深みがあってよかった。

私がクラシックを聴きはじめたのは、
高校生の頃です。
ブラスバンドで演奏した曲にも、
クラシックをアレンジしたものが沢山あった。
そういうことから、クラシックを聴くようになった。
といっても家にはステレオはなく、ほとんどが、
一緒にブラスバンドをやっている友人の家でだった。
あの頃、1週間に1、2度友人の家に泊まりに行き、
クラシックを聴いた。
当然、ジャズ、ラテン、ポピュラーも聴きましたが…。

「展覧会の絵」を聴いていて、
初めて聴いた高校生の頃を思い出した。
新入生のアルトサックスを吹く女の子に、
「部長好きです。付き合って下さい」
といわれたことを友人たちに話すとき、
流れていたっけ。
その子に振られたことを話したときには、
どうだったかな。
そのときにも「展覧会の絵」のレコードをかけていた、
なんて書くと、九想話は“つくりすぎ”と
思われてしまうな。
まッ、こまかいことはいいとして、(ヨクナイ)
あの頃、よく聴いていたということは間違いない。

番組の最後は、「キエフの大門」を
ピアノヴァージョンとオーケストラヴァージョンを
平行して演奏した。
オーケストラは、東京シティフィル。

15年ほど前、
私が所沢に来る前にいた富士見市の市民吹奏楽団の
指導をしてくれていた人は、
東京シティフィルのチューバ奏者だった。
テレビ画面に映るチューバ奏者を必死に見たが、
その人ではなかったようだ。
今は、どこかのオーケストラに移ってしまったのだろう。
あの頃、ジャズバンドにも参加していて、
市吹の連中とライブを聴きに行ったこともあった。

いろんなことを思い出させてくれた30分でした。

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明日からGW

2001年04月28日 | 暮らし

おれの会社は、4/29から5/6まで休みになります。
ものすごくうれしいのですが、一方で、憂鬱なんです。
ばかですね。
もう、GWが終わったときのこと考えて落ち込んでいる。
しかし、そんなことァ忘れて、
今は、この開放感に身をまかそう。

田舎の老人ホームにいるおふくろに会いに行く、
ということだけはなんとなく予定してるのですが、
それ以外なんの計画もない。
家で、久しぶりに小説書きたいな。
九想庵に、98年からの九想話をUPしたい。
スタジオ・トリアーナのホームページをつくりたい。
こんなことをぼんやり考えてはいますが…。

女房が会社を退職するということを決めた頃、
「GWに、海外でも行こうか」
てなことを話したこともあった。
ハワイ、グアム、香港、台湾、韓国あたりの
パンフレットを旅行会社からもらってきた。
そのうち、
「国内でもいいね。大阪あたりに行きたいね。
 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン行ってみたいな」
なんてことになり、今週は、
「近場の温泉に日帰りでもいいね」
なんていう話になった。
このぶんでいくと、どこにもいかないだろう。

さっき、大宮で演劇をしている友人から電話があり、
明日、稽古場で連休“恒例”の麻雀大会ということになった。
さあ、明日、おれに麻雀の神様は微笑むのか。

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ホームレス

2001年04月27日 | テレビ

夜の7時半から、
「特報首都圏 農業を目指すホームレスの人たち」(NHK)
というテレビ番組を観た。
愛知県の農機具会社の社長だった石川という人が、
息子に会社を譲り、
東京のホームレスの人に農業を教え、
農業で生きていけるようになってもらおう、
ということをはじめた。

研修は2年。住み込み食事付き、給料は出ない。
現在、研修所には、
7人の元ホームレスの人がいるという。

その中の1人、でんさんは、60歳。
去年まで出版関係で働いてた。
リストラで人がいなくなり、
仕事が増え、会社を辞めた。
3ヶ月ほどで貯金を食いつぶし、
それから公園での生活になった。
10年前、妻子と別れた。
捨ててある食べ物を拾って食べたとき、
「自分がこんなことをできるんだ」
と驚いたそうだ。
半年前、石川さんと出会い、
「(人間)らしく生きたい」と考え、
研修所で農業を勉強しているという。

かねちゃんは40歳。
16で義父と仲が悪くなり、家を出て上京。
建設関係の仕事をし、その日暮らしをしてきた。
最初はそれほど農業が好きではなかったが、
今は、好きになったという。
いい顔してました。

私なんかも、へたしたらホームレスになっているだろう。
いや、明日は分からない。
女房と息子たちがいるから、
なんとか踏ん張っているが、
正直、どうなってもいい、なんていう気持ちもある。

石川さんは、将来、研修所を出た人に、
過疎地で農業をやってもらいたい、
と思っているそうだ。
そこまでに元ホームレスの人がたどり着くか。

でも、いいことしているな、と思った。
行政もホームレスに、排除ばかりではなく、
生きて行くなにか対策を考えなければだめだ。
しかし、研修所から逃げていく人もいるという。
農業はたいへんだ。
百姓のせがれに生まれ、
子どもの頃いろいろ百姓を手伝ってきた私としては、
農業はやりたくない。
その前に、やっぱりホームレスにはなりたくない。

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あるフリーターとの会話

2001年04月26日 | 会社・仕事関係

「ここに来てどのぐらいなの?」
「1ヶ月かな」
「前は…」
「正社員でした」
「で…、こんどは派遣社員なんだ」
「この時代、派遣でも正社員でも同じでしょう」
「じゃ、これからはずーと派遣で…」
「気楽ですから」
「………」

彼は、24、5歳。
笑顔のきれいな好青年です。
真面目に仕事はきっちりやる。
なんでかな。
フリーターで将来の不安はないのかな。

おれは何度も転職を繰り返してきたが、
正社員だった。
前の会社には10年勤め、
そこで定年まで勤めようと思っていたのに、
不景気で会社がなくなってしまった。
現在の会社に来て、
今は、彼と同じ単純肉体労働をしている。
「この時代、派遣でも正社員でも同じでしょう」
彼のいったこと、まちがってないな。
でも、なー。

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女房の未来

2001年04月25日 | 家族

今日なんかは、
「小泉内閣あす発足」なんていう標題で書けば、
「おっ、九想も世の中考えてる」
てなことをここを読んでる方々に思われるのでしょうが、
すみません、またまた、内輪のことをせこく書いてしまいます。

何を隠そう、
今日は女房の記念すべき、株式会社**の退職の日です。
「それがどうした」という声が聞こえてきそうですが、
あえておれは、ひるまず書きます。

昨夜、フラメンコの練習から11時過ぎ帰ってきた女房は、
「今日、この前の公演のビデオをもらってきたの」
と帰る早々おれにいった。
シャワーを浴びて、女房はさっそくビデオをセットした。

おれが、明るい気持ちで九想話を書いていると、
彼女は、落ち込んだ声で、
「みんな、今年はうまくなった。といっていたけど、
 へたじゃない。こんなんじゃだめだよ」
とうめいた。
「だめだ、だめだ、これじゃだめだよ」
とビデオを観ながら自分を責めてる。
「よかったよ。おれは今回観ていて、
 うまくなったと、しみじみ思ったよ」
「あ~あ、こんなんじゃだめだ。
ぜ~んぜん、うまくなってない」
むきになって、女房がいった。

今日の夕方、公団の駐車場に着いて、女房にメールをうった。
「長い間、お疲れさま。
 明るい未来とフラメンコに燃えて生きてくれ」
その後、おれは整形外科にいった。
整形外科を出て、ポケットのケータイを見ると、
着信あり、になっていた。
「なんだか、やめたって感じがしないんだなあ。
 明日もいきそう。頑張らなくては」
と書いてあった。
あいつらしい。

今朝、おれが、
「今日で会社最後だね。どんな気持ち?」
と訊くと、
「私、今日会社辞めることより、
 昨日観たビデオでの自分の下手くそさで落ち込んでいて、
 今日で会社終わりなんだ、なんていう気持ちないのよね」
という。
女房の未来は、明るいゾー。

暗い未来の九想

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阪神に乾杯

2001年04月24日 | スポーツ

本日、残業を終え、車に乗ったのが7時23分。
カーラジオをつける。
甲子園での阪神、巨人戦の中継を放送していた。
煙草に火をつけ、車を発進させる。
アナウンサーは、1対1といっていた。

火曜日は、女房がスタジオ・トリアーナで
新人を教える日で、帰りが遅い。
ちょっと寄り道してスーパーで買い物をした。
ポテトコロッケ3コ120円(240円に半額のシール)、
備長まぐろ335円、これが今夜の晩飯だ。
ディスカウントショップに車を走らせ、
焼酎4リットル1730円、
日本酒1.8リットル599円、
焼酎用レモン399円を買う。
安いサケを買って恥ずかしいのですが、
九想はお金がないのです。
まして女房が会社を辞めるので、
出費を抑えなければならない。

家に帰ってテレビをつけると、
阪神が5対1で勝っていた。
シャワーを浴びようと思ってるときに、
ダブルスチールでまた1点はいった。
急いでシャワーを浴び、
コロッケを電子レンジに入れタイマーをセットし、
備長まぐろを切る。
それに、冷蔵庫のキュウリのお新香を加え、
ビーシュ(ビール系発泡酒)で乾杯だ。
ピッチャー井川がいい。素朴な顔がまたいい。
21世紀初めての甲子園で
“伝統”の阪神巨人戦での勝利。
貯金を1とした。

ビーシュから、
焼酎の水割り(もちろん焼酎用レモンを入れる)にする。
しあわせだ。
しばし、わが暮らしを忘れる。

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有給休暇

2001年04月23日 | 暮らし

今日は、車の免許証更新のために会社を休んだ。
ですから、なんと!土日月と三連休でした。
めったにないことなのに、
「なんか世間の人に申し訳ない」
という気持ちです。

せっかくの有給休暇、有効に使おうと思って、
朝早めに警察に行った。
おれは、ゴールドカードなので、
警察署で更新できる。
しかし、警察署というところは、
なにも悪いことしてないのに、気が重いです。
9時に着いた。
心配していた駐車場にも空きがありました。
更新の申請書に必要事項を記入し、提出して金を払って、
視力検査、写真撮影、地下の講習会場に行き、
お決まりの安全教育のビデオを観て、
おばさ…、いや、おネェさんの説明を聴いて、
新しい免許証をもらうまでにかかった時間は、約1時間。
すべて女性の人がやっていた。

10時半に家に戻った。
11時40分から映画を観ようと思っていたので、
それまで読書、文學界4月号の中の
「現代文学 創作心得 第四回 河野多恵子」を読む。
<書きたいもの>と<書きたいこと>について書いてあった。
これから小説を書くときの勉強になった。

映画は、家から5分のパルコに行った。
「ザ・メキシカン」ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツ
組織の命令で「メキシカン」という美しい拳銃を探しに、
メキシコに行く男。
組織からなかなか離れない恋人に愛想を尽かし、
ラスベガスに行く女。
その別れた恋人同士が、組織の思惑で最終的には、
一緒に美しい伝説の拳銃に巻き込まれていく。
面白かった。
それにしても、今日はトイレが近くてまいった。
我慢にがまんしても、いつか行かなければならない。
そのタイミングがむずかしい。
ストーリーにあたりさわりのないところで行きたいが、
そうもいかない。それがつらかった。

ああ…、だらだらと書いてしまった。

帰ってビーシュ(発泡酒)を飲み、
文學界を読んでるうちに炬燵で寝てしまった。
夜7時過ぎ、会社から帰ってきた女房に、
「あっ、ご飯炊いてない。自治会のチラシ配ってない。
 なんにもやってない」
というトゲのある声で目が覚めた。
米は研いでおいたけどスイッチを入れてなかった。
どう考えても、
チラシは配らなければ女房の機嫌は直らないと判断し、
29部折りはじめた。
配って家に帰って来たら、
女房がいつものように明るく話しかけてきた。
(おれは、あいつに飼い慣らされている)
と思った。

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川上弘美さん

2001年04月22日 | テレビ

久しぶりに、川上弘美さんを見た。
見たといっても、テレビ画面上でのことだ。
今日の午前11時からBS2でやっていた、
「列島縦断俳句SP」という番組に、選者として出ていた。
むかしより、いくぶんふくよかに見えた。
素敵な表情で話をし、笑っていた。
彼女の選ぶ句は、あの頃と同じで面白い感じの句だった。
川上さんの小説は、雑誌に掲載されると必ず読んでいる。
あの小説世界、好きなんだな。

川上さんに初めて会ったのは、
ASAHIネット主催「パスカル短篇文学新人賞」の
会議室でのオフのときだった。
それは池袋で行われた。
待ち合わせの時間に、私は少し遅れてそこに着いた。
オフのときの待ち合わせ場所での雰囲気は、
いつでも独特のものがある。
ましてや初めてのオフだと、
なんともいいあらわせないものがある。
それまで会議室では、それなりに会話をかわしているのに、
みんな初対面なのだ。
(この人たちが、オフのメンバーか)
と私は思いながら、はじっこのほうにいた。
そのとき、私に話しかけてくれた女性がいた。
その人が、川上弘美さんだった。
何を話したかは忘れた。
オフの会場でも、何かを話した。
綺麗な女性だな、と思った。

川上弘美さんとは、
ASAHIネットの「第七句会」の仲間だった。
あるとき私が、自分の句への酷評で落ち込んでいたときに、
川上さんからメールをいただいた。
「私は、九想さんの句は好きですよ」
という内容だったと思う。
俳句なんてやめちゃおうか、と思っていたときだった。
救われました。
それで、今でもへたな俳句を続けています。

川上さんは、「パスカル短篇文学新人賞」を受賞した。
その後、芥川賞をとった。
遠い人になってしまいました。

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うるさいナビゲーター

2001年04月21日 | 家族

女房が、25日で退社する。
それで、会社に置いてある自転車を取りに、
車で出かけた。
本社にいたときには、駅と会社との往復に使っていた。
昨年の秋に営業所に移ってからは、
昼休みちょっと出かけるときのために置いていた。
久しぶりに東京まで車で行った。
所沢から東村山を抜けて、新青梅街道に出る。
女房が10時過ぎまで寝ていたので、
家を出るのが遅かった。
おれとしては、もっと早く家を出たかった。

カーラジオでは、永六輔と大橋巨泉が話していた。
大橋巨泉は、目の手術のこといっていた。
彼は、母親が手術すれば治ったのに、
しなかったために死んだことを後悔して、
自分は、手術は進んでするようにしている、
といっていた。
その気持ちおれも同じだ。
おれは、胆石があると40歳のとき人間ドックで知って、
すぐ切った。
まわりの人はびっくりしていた。
「なにも痛くないのに、
 すぐ手術をすることはないんじゃないか」
といわれた。

新青梅街道に出て、
助手席でうつらうつらしていた女房を起こす。
久しぶりに東京に出たので、
ナビゲーターになってもらうためだ。
しかし、このナビゲーターが地図を見ながら小うるさい。
「もうすぐ、目白通りに出るから左に曲がって」
「そこそこ、その先よ。そんな細い道に曲がってどうすんの」
「あれ? この道じゃないみたい。
 大丈夫、道はつながってるんだから」
「ほらッ、気をつけて。前の車停まろうとしてたよ」

石神井公園駅前あたりにきて、
がぜん女房は勢いづく。
「ここからは、毎日バスで通ってるから地図はいらないわ」
「バスに乗ってるときと視線の高さが違うから、
 街の景色がちがうなァ」
「だめだめ、信号が赤だってここで停まったら、
 いつになっても先に行けないよ。その先で待つのよ」

おれは、女房が毎日この道路をバスで行くとき、
どんな想いでいたかな、と思った。
会社を辞めたい、という気持ちでずーっといたのだ。
でも、亭主の収入を考えたら辞められない。
こころを締め付けられる想いがした。。
そんなこと考えると、うるさいナビゲーターに、
何もいわずに従っていた。

女房の会社に着いた。
15、6台の配送トラックが停まっていた。
彼女の会社は、そば屋さんなどに食材を売っている。
雨の中、女房は車から出て、自転車を取りに行った。
傘を差して待っていると、
会社の裏のほうから、自転車を押して女房が来た。
自転車の前カゴには、
フラメンコを昼休みに練習するんだと持っていった
ゴムマットとベニヤ板があった。
昼休み、よくおれの携帯電話に、
「今、ステップの練習している。なかなかうまくいかない」
なんていうメールが来ていた。
もうそれもなくなる。
月火水と行くと、女房の辛かったここでの勤めも終わる。
よかった、よかった。

やっとの思いで、小さい車に自転車を積んだ。
帰りは、ナビゲーターも寝息をたてていた。

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