NY

2000年08月31日 | 旅行

 友人から、変形のハガキがきた。ニューヨークからだしたもので、消印が
「AUG 10 2000」となっているので、三週間まえに出されたよう
だ。
 ハガキには、「Les Miserables」「CATS」「BEAUTY AND THE BEAST」
「Miss Saigon」などのポスターがあり、「BROADWAY NEWYORK」と書いてあ
る。
 文面を読むと、友人は、精力的にニューヨークをあっちこっち見て回って
いるようです。
 いいな。私が一番行きたいところが、ニューヨークです。
 ぐ・や・じ・い

 友人から、変形のハガキがきた。ニューヨークからだしたもので、消印が
「AUG 10 2000」となっているので、三週間まえに出されたよう
だ。
 ハガキには、「Les Miserables」「CATS」「BEAUTY AND THE BEAST」
「Miss Saigon」などのポスターがあり、「BROADWAY NEWYORK」と書いてあ
る。
 文面を読むと、友人は、精力的にニューヨークをあっちこっち見て回って
いるようです。
 いいな。私が一番行きたいところが、ニューヨークです。
 ぐ・や・じ・い

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8月の九想話

8/1  結婚式の司会
8/2  ラジオ体操
8/3  母
8/6  2つの顔の母
8/8  たった1日で
8/20 夏休み
8/25 今昔文字鏡
8/27 朝顔
8/31 NY

 

 

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朝顔

2000年08月27日 | 植物・花

 朝、私がテレビをみていると、女房が、
「あッ…」
 と大声をだした。
 何ごとかと私はおもい、
「どうした!」
 と女房にいうと、
「朝顔が…、咲いてる」
 うれしそうにいった。
「きてきて」
 というので、重い腰を上げて私も出窓のところに行くと、けなげにこの朝顔
が咲いていました。
 こういうのをみると、なんか心が救われますね。
 この朝顔は、新聞料金の領収書といつもいっしょにもらう花の種でした。私
は、庭のない家にはようがない、もらってもしょうがないな、といつもおもっ
ていたものです。
 それを彼女は、あいてる植木鉢に“ばらまいて”いたようです。いろんな花
の苗が乱雑に育っている。
 自分に関係ない、と考えていたものに、こんなに救われるなんて、人間どん
なことでも好奇心を持ってやってみなけりゃいけないな、と女房と朝顔に教わ
りました。

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今昔文字鏡

2000年08月25日 | パソコン・スマホ

 夏休みに、図書館から借りてきてあった「オール讀物5月号」を読んでいた
ら、花村萬月の「文虐者読書術」というエッセイに興味をひかれた。
 それは、「パソコン悠悠漢字術」というもので、パソコンで小説を書いてい
る花村が、それまでパソコンで表現できる漢字の制約に悩んでいたが、「今昔
文字鏡」というものをインストールしてその制限に悩まなくてよくなった、と
書いてあった。
 大字源の漢字収録数が、12,300字。大漢和辞典が、約5万字。パソコンは、
記号含めて6,900字弱。今昔文字鏡は、なんと9万字もあるという。
 そして驚くことに、「今昔文字鏡」はフリーソフトなのです(製品版もあり
ます)。

 http://www.mojikyo.gr.jp

 このホームページからダウンロードできると書いてあった。
 しかし、ファイルも大きいし、使い方などを知るにもCD付きのこの本を買
ったほうがいいと花村は書いていた。
 それは、「パソコン悠悠漢字術」文字鏡研究会編/紀伊國屋書店 1,900円 
という本です。
 それではと、私は早速近くの2、3の本屋に行ったが、どこにもなかった。
それじゃ、いつか新宿にでも行ったときに探そうかなとおもった。ところがな
んと、所沢の図書館に行ったらありました。へぇーという感じです。
 今、私のパソコンに「今昔文字鏡」が入ってます。入ってますが、今のとこ
ろ使うことがないのが哀しいです。
 でも、これからどんな漢字があってもパソコンで表現できるということは、
ちょっと豊かな気持ちです。でも、エディターで使えない字があるという。と
いうことはパソコン通信では使えないのか? ワード、一太郎ではすべて使え
るという。それじゃ、それでテキストで保存すればいいのかな。そのへんのと
ころまだやってないので分かりません。
 中国、台湾、韓国の漢字も使えるそうです(約2万字)。

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夏休み

2000年08月20日 | 暮らし

 12日から今日まで夏休みでした。12、13日は母を見舞うために女房と
茨城に行っていた。帰りの車の中で、私は女房に誓った。「明日からは、小説
を書くぞー」と、真面目に私は、この夏休みは小説を書くんだ、と決めていた。
やりたいことはいろいろあるが、この夏休みは小説を書くんだ、それ以外は何
もしない、このことが夏休み前の会社でのいやなことを乗り切る私のエネルギ
ーにしていました。
 今ふりかえってみれば、だめですね。あんなに時間はあったのに…。
 新聞をよみ、小説をよみ、過去に録画していた映画(ブリキの太鼓)をみて、
ビールをのみ、昼寝をし、パソコンをいじり、おととい所沢のパソコン仲間と
のみ、きのうは川越のジャズ飲み屋でライブをきき(以前書いた会社の同僚が
参加したので)、今夜は女房と新宿のいつものエルフラメンコに行ってきまし
た。
 小説を書いてたのは、合計10時間ほどです。原稿用紙にして10枚ぐらい
しか書いてない。
 ああ…、あいかわらずの自己嫌悪。
 8月末締め切りのある文学賞に応募しょうと思っているのですが、ちょっと
難しくなってなってきたなァ。

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たった1日で

2000年08月08日 | 会社・仕事関係

 まいってます。
 昨日から夜勤です。
 日曜日の夜は、昼間に寝ようと思って、午前3時まで起きてた。しかし、月
曜日の昼間は2、3時間しか寝られなかった。
 夜勤の間、緊張していたのでなんとかもったが、仕事が終わる頃、目の奥が
睡魔で痛かった。
 家に帰って、シャワーを浴び、6時に女房を起こした。
 彼女が出勤してから、どうにも眠たくて8時15分頃寝た。12時までは起
きていようと考えていたのに、それまで起きている気力がなかった。2時か3
時まで寝られればいいな、と思っていた。
 ところが、10時に目覚めてしまった。入間基地に向かう自衛隊の飛行機、
車の騒音、子供たちの声。眠れないままに布団に横になっていてもしょうがな
いと思い、煙草と女房に頼まれていた牛乳、ウーロン茶のティーバックなどを
買いに行った。街は平日の昼間だ。赤ちゃん連れの若いママが多かった。
 家に帰って、かしの木亭へのRESを書いてるとき、インターフォンがなっ
た。
「**と申します」
「なんですか?」
「今、所沢ではダイオキシンの問題が…」
「けっこうです」
 私は、受話器を置いた。
 寝てるとき、インターフォンが鳴ったら腹が立つだろうな、と思った。玄関
のインターフォンのとこに「夜勤で帰って寝ている。起こすな」という張り紙
をパソコンで作ろうと思った。
 今から寝られるかどうか、寝たとしても、仕事中寝不足は避けられないだろ
う。

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二つの顔の母

2000年08月06日 | 家族

 あの日、私は、9時に家を出ました。
 大宮まではいつもの状態で行けたのですが、17号に入ったらすごい車の量
で渋滞してた。前後をトラックに挟まれて私は、(ああ…、今日は平日なんだ。
みんな働いているんだな)と思った。まわりを見れば、レジャーに行くという
感じの車はない。社名を書いたバン、建設機材を積んだ2トントラック、宅配
便。みんな仕事してんだ。
 私は、少し進んですぐブレーキを踏むという動作を繰り返しながら、母のこ
とを考えました。(おれのこと、分かんなかったらどうしよう。「どなたです
か?」なんていわれたら、哀しくなるな)そんなこと、うじうじ思いながら車
を走らせました。
 兄が毎日会社の昼休みに、家に戻って母に昼食を食べさせている。今日は私
が行くから家に戻らなくていいよ、ということを伝えたくて、下館というとこ
ろの手前あたりのコンビニの駐車場に車を停めて、携帯電話をかけた。兄は、
「会社の弁当とってないから家に戻る」といった。私は、兄の分も何か買って
いくことにした。
 町のスーパーで買い物をして実家に着くと、兄の車があった。私が、手入れ
のしていない、雑草が伸び放題の庭に車を停めると、兄が出てきた。
 母は、奥の座敷に寝ていた。ムワァっとする熱気が漂よっていた。一段と手
足が細くなったなと思った。
 母は、私の顔を見て「来たのが…」と呟いた。
「母ちゃん、誰だが、分がっか?」
 と、兄がいう。
「分がっぺな」
 と、母は嬉しそうにニコニコしてた。
 私は、ほんとうに私のことだと分かったのかどうか不安だった。
 兄が会社に戻ってからも、しばらく私は母の側に坐っていた。一通り私のこ
と家族のことを訊くと、母は話すことがなくなり、私をじっと見ているだけだ
った。団扇であおぎながら母を見ていると、なんかたまらない気持ちになった。
「母ちゃん、おれ、もごうの部屋にいっから、何かあったら呼んで」
 といって、私は居間に行った。
 缶ビールを1本飲むと、疲れていた私は、座布団を二つに折って枕にして寝
た。
 どのぐらいたった頃だろう、母の呼ぶ声がする。時計を見ると5時前だった。
 急いで母のところに行くと、
「なんで、はやぐ来ねえんで。母ちゃん寒くてさむくて、しょうがあんめな」
 きつい顔つきで怒っている。部屋の空気は、昼とあまり変わらない温度だっ
た。
「そこのとぼ閉めろ」
 私は、母の見つめる先にある雨戸を閉めた。
「これも…、あれも閉めろ」
 母の指さす障子、襖も閉めた。
「母ちゃん、これでいいのが…」
 私は、居間に戻った。まだ外は明るい。母は、真っ暗な部屋で何を思って寝
ているのか。正直なところ、私は、こんな母の世話をし続けることはできない
な、と思った。

 現在母は、介護認定の結果を待っている。役場の人が来ていろいろ母の状態
を調査に来たという。しかし、かかりつけの医者のほうからの書類が届かない
ので、まだ、結果が出ていない。なにやってんだ、という思いです。早く書類
を出してくれればいいのに。
 この町でも、老人を預かる施設は少なく、空きがないという。町会議員に頼
めば、早く入れると兄はいわれたという。こういう話を聞くと、いやになりま
す。
 兄が会社に行っている間、母が一人で寝ている。こういう状態がいつまで続
くのか。

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2000年08月03日 | 家族

 7月ぐらいから普通でなくなり、一緒に暮らしている兄のことが分からなく
なってしまったようです。3人の姉が行っても、娘だと理解できないらしい。
 昨日、兄から、母が入院したと電話があった。食欲がなく水分もとってない
のでかなり体が衰弱してきたので病院に入院したという。
 それを聞いた私は、金曜日に会社を休んで田舎に行こうと思った。
 さっき兄から電話があって、母は退院したという。病院でおとなしくしてい
ないから、退院させられたということらしい。点滴の針は抜いちゃうし、看護
婦を見ると「どこの嫁さんですか?」といったり、ベットに立ち上がり、兄、
姉の悪口を大声で叫んだらしい。
 一人ものの兄なので、会社に行ってしまうと、母の世話をする人がいない。
昼休みに会社から家に戻って昼飯の用意をし、一緒に食べてまた会社に行く暮
らしを毎日している。
 町の福祉課に相談しているが、どうにもならないらしい。
 やっぱり明日、私は実家に行きます。
 おふくろが私のこと分からなかったらツライだろうな。6月のOB会に行く
ために実家に行ったときは、ちょっとおかしかったが、私のことは分かってい
た。私のことが分かんなかったら寂しいだろうな。
 とにかく、私が実家に行ったって何にもできないことは分かっているんです
が、明日行きます。

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ラジオ体操

2000年08月02日 | ラジオ

 ここんとこ毎日暑いですね。天気予報によると、これからも続くそうですね。
 女房が、今年度は団地の自治会の役員をさせられている。1年ごとの持ち回
りなので、しかたなくやっている。しかしよく考えれば、私が役員になってる
のかな。どこも奥さん連中がやってるので、なんとなく女房が活動している。
いえ、私もチラシ配りなどはやってます。
 その中で、体育委員というのになっている。その体育委員の今年の最初の活
動が「ラジオ体操」です。場所は団地の隣の中央公園。うちから5分で行けま
す。7月29日から8月2日までと8月の後半にある。
 私も31日と1日に行った。来てる人は、ほとんど中高年以上の人たちだ。
子供を連れた若い家族も何組かいる。
 前半の最終日なので今日は必ず行こうと思っていたのだが、朝目覚めたのが
6時35分だった。女房は、立場上あわてて行った。私はパスした。
 ラジオ体操、一所懸命やると、かなりの運動になりますね。
 後半のは「毎日行こう」と、今は思っています。

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結婚式の司会

2000年08月01日 | 友人

 私も20年ほど前に、1回だけ結婚式の司会をしたことがあります。
 私が結婚して1年ぐらいのときですから、27歳の頃だったかな。
 ここに何回か書いた(よくケンカする茨城の)友人に頼まれ、仕方なくやり
ました。司会のやり方を知りたく、本屋で何冊も結婚式の司会の本を立ち読み
し、1冊だけ買い、勉強した記憶があります。
 友人と、どうゆう結婚式にしたいか電話で何度もやりとりし、その結婚式の
シナリオを書き、式にのぞんだ。
 でも、田舎の結婚式ですから、シナリオ通りにはいかなかったです。酔っぱ
らっちゃう親戚がいたり、「おれにも祝いの言葉をいわせろ」と司会を脅迫す
る彼の近所のおじさんがいたり、披露宴の後半は、なんだか訳が分からない宴
会のようになってしまいました。
 すべて私の、未熟な司会のせいだと反省してます。
 今でも思い出すと笑ってしまうのは、結婚式のとき、指輪を交換しますよね。
そのとき新婦が新郎にはめた指輪は、私の指輪なのです。「指輪なんて、おれ
はしない」という友人は、奥さんになる人の指輪しか買わなかった。自分のは
買わずに、私のを代用した。
 私と女房は結婚式は挙げてませんが、女房がどうしてもというので、新宿の
デパートで安い指輪を買って、近くの喫茶店で指輪の交換をした。あの指輪は
どこにあるんだろう。二人とも現在はしていない。
 今だったら、もうちょっとうまく司会をやれる気持ちがありますが、誰もい
ってこないなァ。

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