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志ん生の「粗忽長屋」

2025年02月25日 | 落語

私が毎週日曜日の朝7時から聴いている「志の輔ラジオ 落語DEデート」(文化放送)は、
毎週タレント・歌手・文化人の女性たちが出て、志の輔といろいろ話すラジオ番組です。
私は、歌手などの女性と志の輔の話はあまり聴いてない。
小説家・文筆家・文化人などの女性の話が、面白いときは聴く。
番組の中頃で20分ちょっとやる昭和時代の噺家の落語がいい。
2月23日「志の輔ラジオ 落語DEデート」の落語は、古今亭志ん生の「粗忽長屋」だった。
これがよかった。
志ん生の間がいい。

5代目古今亭志ん生『粗忽長屋』-rakugo-

私は高校を出て3ヶ月でギター作りの夢が破れて、地元の金物屋に勤めていた19歳のときに、
立川談志に「弟子にして下さい」と手紙を書いた。
手紙だけじゃだめで、返事なんか来やしない
今となっては、談志のとこまで押しかけなかったことを悔やんでいる。
でもその頃私は、どうしたら談志の弟子になれるのか分からなかった。
もし弟子になれたとしても、私なんかうまい噺家にはなれなかったでしょう。
なにしろ、今でも茨城訛りがとれないんだから。






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落語「文七元結」

2024年04月17日 | 落語

ラジオ深夜便4/14(日)午前1時台は、
〔話芸100選〕落語「文七元結」春風亭柳好(初回放送2015.12.31)
解説:金原亭馬生(落語家)きき手:中川緑アンカー
でした。
この放送を昨日、花壇の雑草を取っているときに「らじるらじる」の聴き逃しで聴いた。
20数分の噺です。
ぜひ聴いてみて下さい。
心があたたかくなる落語です。
(2024年4月21日(日)午前2:00配信終了)

2015年02月20日の九想話に「文七元結 古今亭志ん朝」を書いた。
このときはYouTubeで古今亭志ん朝の「文七元結」を観ました。

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伊集院光

2023年08月16日 | 落語

伊集院光「ノイローゼで通院」落語家を辞める原因となった人物を告白

> 伊集院光が13日放送の日本テレビ「行列のできる相談所」に出演。
>若いころに自信を喪失して落語家をやめる決定打となった「人生を変え
>た人物」を明かした。

> 落語家になった当時を「器用だったから、自分でうまいと思い込んで
>た」と振り返った。しかし、そんな折に立川談志さんが自分と同じ20
>歳くらいだった時のテープを、師匠の三遊亭円楽さんが貸してくれたと
>いう。

> 「聞いた時の、もう同じものとは思えない。ここが違うとかあそこが
>違うとかじゃない」と、すぱっと落語家を辞めた理由を明かした。

私は20歳のとき、立川談志に「弟子にして下さい」という手紙を書いてだした。
とうぜん返事は来なかった。
茨城にいた私は、どうしたら落語家の弟子になれるかわからなかった。

伊集院光という人間は面白いと私は思っている。
高校を中退して三遊亭円楽(そのときは楽太郎かな?)の弟子になっている。
彼の「100分de名著」(NHK-Eテレ 8月は「覇王の家」司馬遼太郎)という番組が好きです。

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文七元結 古今亭志ん朝

2015年02月20日 | 落語

文七元結 古今亭志ん朝

いい落語です。
歌舞伎にもなっています。
最後には私なんざ涙を流してしまいました。
1時間18分ほどの噺です。
いや、長いなどと思わぬうちにあっという間に終わってしまいます。

本所達磨横町に住む左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類のばくち好き、仕事もせずに借金を抱えている。
年の瀬も押し迫るある日、前夜の負けがこんで、身ぐるみ剥がれて半纏一枚で賭場から帰されると、女房のお兼が泣いている。
聞くと、娘のお久がいなくなったという。
お久は、吉原の佐野槌(さのづち)に行っているという。
長兵衛が佐野槌に行くと、父に改心してもらいたくて身を売って50両作ったと女将がいう。
女将は、返済が来年の大晦日を一日でも過ぎたら女郎として店に出すという。
そんな大切な50両を持って吾妻橋を通りかかると、身投げをしようとしている男にでくわす。
訳を聞くと、白銀町の鼈甲問屋近江屋の奉公人文七で、
さる屋敷へお使いを頼まれて集金した帰りに50両の大金をすられてしまい、死んでお詫びをしようというところだった。
長兵衛は文七を助けようとする。
しかし、どうしても文七は死ぬ感じがするのです。
長兵衛は、娘お久が身を沈めて手に入れた50両をしかたなく文七にやる。
そうしないと文七が死ぬ。
お久は、女郎に身を落とすが死ぬわけではないと自分にいいきかせる。
ところが、その50両が…?

いい噺です。
ぜひこの動画を観て下さい。

 

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志ん生の落語

2003年02月22日 | 落語

今夜のラジオ深夜便の園芸じゃない、演芸特選は、
志ん生の「幾代餅の由来」と「強情灸」だった。

「幾代餅の由来」の枕は、いろんな花魁の紹介だった。
腰巻き高尾とか、六つ指高尾とかのエピソードで笑わし、
そのころの花魁の錦絵のことを説明し、噺に入った。
日本橋の茶屋で幾代太夫の錦絵を見た、
搗米屋(つきごめや)の奉公人清蔵が病気になる。
親方がどうしたんだときくと、幾代太夫に惚れたという。
清蔵は恋わずらいだった。
先日聴いてきた小遊三の「崇徳院」も恋わずらいの噺だった。
恋わずらい、ああ私もしてみたい。

幾代太夫は、大名のお道具といわれるくらいの花魁で、
ふつうの町人なんかでは相手にしてくれない花魁だった。
それで落ち込んでいた清蔵に、
「花魁なんてのはな、売りもん買いもんだ。
 1年間みっちり働けば会いに行けるよ」
と親方ははっぱをかけた。
清蔵は、それじゃ、ってことで一所懸命働く。
1年間働いて清蔵は、十三両二分ためた。
親方が足して十五両にし、それを持って吉原に行った。
病人を診るのは嫌いだが、
遊びは大好きな医者の薮原竹庵に連れられて…。

翌朝、幾代太夫が清蔵に、
「こんどは、いつきてくんなまし」ときく。
このときの、幾代太夫を表現した志ん生の話し方がいい。
「おら、うそをついていた。
 野田の醤油問屋の若旦那というのはうそで、
 搗米屋で働いている。1年間働いて金をためて来た。
 こんど来るのはまた、1年後だろう」という。
それをきいた幾代太夫は感激して、
「来年の三月、年季があけたら夫婦になろう」
といって、そのときのためにと五十両をくれた。

それから清蔵はなにをいわれても「来年の三月」といい。
みんなから「おい、三月」と呼ばれるようになった。
そしてその三月の十五日、幾代太夫が年をあけて来た。
清蔵と夫婦になり、餅屋をひらいた。
そこで売ったのが「幾代餅」といって、
あの幾代太夫が作った餅だ、ってことで大変に繁盛した。
幾代の 美しさを見たいと来た客が、
「銭だけ置いて餅をもらわずに帰っち ゃった」
というのがこの噺の「さげ」だった。

志ん生はいい。
あのとぼけた間、でもしっかりした表現。
緩急自在な噺のもってきかた。
あっというまに引き込まれる。
「強情灸」もよかった。
江戸っ子の負けず嫌いのやせ我慢。
いやなことの多すぎる浮き世を生きている九想にとって、
志ん生の落語はありがたいです。

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東京落語会

2003年02月14日 | 落語

今日は、東京の霞ヶ関のイイノホールで行われた、
第524回公演の東京落語会に行ってきた。
6時きっかりに開演ブザーが鳴り、
前座の「開口一番」が始まった。

若いこの前座の名前を覚えていない。
プログラムにも載ってないので、わからない。
たぬきの恩返しの噺だった。
5円札にたぬきが化けて、
それで恩人の借金を返すという噺だ。
一所懸命演じているのはわかるが、
こちらの心は動かない。
さあ、あの前座はどんな噺家になるか。
思えば私も19のとき、
立川談志に弟子入りさせてくれと手紙を書いた。
前座の噺を聴いていて、冷や汗が出ました。

次が、新真打ち三遊亭金八の「四人癖」。
この噺はなんどか聴いたことがある。
じつにつまらなかった。
仕草がわざとらしくて鼻につく。
おもしろい噺なんだけどな。
あれが真打ちか。

柳亭燕路「締め込み」。
泥棒の噺でおもしろいんだが、
なんの印象も残っていない。

古今亭志ん五「素人義太夫」。
この噺、私は大好きです。
しかし、まったく私に届かなかった。
なんでこんなにおもしろくないんだろう、
ということを考えているうちに、
噺は終わってしまった。

三遊亭小遊三「崇徳院」。
小遊三は袴をはいて登場した。
このひとの落語をこれまでに聴いたことがない。
テレビの「笑点」の大喜利で観るぐらいだ。
よかった。
このひとがこんなにやるとは思わなかった。
この噺も何人かの噺家で聴いている。
10年ぐらい前、大阪の難波グランド花月で
笑福亭仁鶴がやったのを聴いたような…。
いや、あのときはちがう噺だったかな?

大店の若旦那が病気になり寝込んでしまう。
心配した旦那が出入りの熊さんに様子を見てくれと頼む。
熊さんは、若旦那と子どものころからよく遊んでいて、
若旦那がいじめられてるとき「木の陰から見ていた」
ぐらい仲がいい、と自慢する。
しゃべる小遊三の間がいい。
若旦那は恋煩いだと熊さんにいう。
上野の茶店できれいな娘に一目惚れしてしまった。
旦那がその娘を捜してくれと熊さんに頼む。
捜したら、今住んでいる長屋をやるという。
うちに帰って女房に話すと、
「こんないい話はない。あんた絶対捜しなよ」
と熊さんにはっぱをかける。
娘を捜す手がかりは、
「瀬をはやみ 岩にさかるる滝川の
 割れても末に あわんとぞ思う」
という崇徳院のうたしかない。
………。
長くなるのでこの辺でやめます。
小遊三、最高でした。

仲入りのあと、桂竹丸の「石田三成」。
竹丸は、何年か前けっこうテレビに出ていた。
ちゃんとした落語は1回も聴いてない。
小咄は少し聴いたことはある。
そのころからおもしろいと思っていた。
マクラがよかった。
アメ横に時計を買いに行く噺から始まり、
電気製品の“取説”に書いてあることをしゃべった。
コタツから火が出ているときは故障です。
洗濯機は洗いますが、干すのは自分でやりましょう。
扇風機は暑いときに使います。
空を飛ぶことは出来ません。
電子レンジに犬を入れるのはやめましょう。
終わると「チン」になります。

「石田三成」は竹丸の創作か。
石田三成は茶を入れた功績で豊臣秀吉に仕えた。
暑い中を歩いて来た秀吉に、
最初は大きな器にぬるくて濃い茶を入れ、
二番目には、中ぐらいの器に少し熱くて普通のもの、
三番目には小さい器に熱くて薄い茶 を入れたという。
三成はそろばんが上手だったらしい。
「ひとつなり、ふたつなり、みつなり」
ちょっとむりがあるが、おもしろかった。
関ヶ原の戦いは1600年にあった。
お客さん、それでは1601年は何がありました?
「………」
関ヶ原の戦いの1周年記念の年です。
三成が負け、処刑された。
三途の川を渡ったとき秀吉に会った。
「お懐かしい」と三成は秀吉にいい、
「あのとき一番おいしかったお茶は?」と訊くと、
「三番目のお茶だ。三成、器が小さい」
これが「さげ」でした。

とりは、三遊亭圓歌の「坊主の遊び」です。
この噺は、テレビで古今亭志ん朝のを聴いたことがある。
かなしいけど、志ん朝のほうがいい。
私は、圓歌の古典落語を初めて聴いた。
テレビでやるのはほとんど新作です。
今年の正月にもテレビで圓歌の落語を聴いた。
うちには沢山の老人をかかえている。
自分と女房の親と、前の女房の親も面倒みている。
なんて噺でおもしろかったのに…。
言葉もロレっているようで聴きづらかった
歳なのかな?

久しぶりに生の落語を聴き、楽しかった。

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最後の大舞台

2002年08月02日 | 落語

7/30 の深夜、NHKスペシャル
「桂米朝 最後の大舞台」の再放送があった。

正月に、大阪のサンケイホールで
毎年独り会をやっている。
そのときに七番弟子の桂歌之助が死んだ。
枕にそのことを話そうかよそうか迷っていた。
正月のめでたいときに
人が死んだ噺はよくないのでは…。
噺が始まったら、歌之助のことを話していた。
独り会が終わってそのことを訊かれたとき、
「われわれは、自分のことも話すのが芸、
 不自然さを感じさせたら客は離れる」
といった。

前座が15分の噺を
客に受けていたので20分やってしまった。
それを桂ざこばが若い前座に怒っていた。
むかしは、米朝が怒ったらしい。
「師匠は、甘なってきてる」
とざこばは尖っていっていた。

米朝は、歌舞伎座で独演会を最後にするという。
一番弟子の桂枝雀をなくして三年。
自分の体調が悪かったら、
枝雀に代わりをやってもらえると思っていた。
それを亡くし、独り会をやめることにしたらしい。
最近は、めまいがあり、夜ねむれない。
眠るために焼酎の助けを借りるそうだ。
私と同じだ。

「百年目」を演(ヤ)る。
途中、あるところを飛ばしてしまう。
弟子の吉朝がそれに気づく。
客に分からないように米朝は巧みに噺を戻す。
これが“芸”だな、と感じた。

しかし、米朝はすごい。
自分の失敗を取材されて、
それを放送することを許している。
隠そうと思えば隠せる。
なにしろ人間国宝なのだ。
55年も噺家をやっている。
えらいな。

しかし、米朝がヘビースモーカーとは知らなかった。
インタビューを受けていたとき、
ほとんど煙草を吸っていた。
苦しそうに吸っていた。
あれは吸いたくて吸っている感じがしなかった。
やむにやまれず煙を吸っていた。
私も煙草を吸っていたとき、
そういうときがほとんどだった。

あの煙草を吸う姿を見ていて、
米朝がよけい好きになった。
ちょっと見には大学の教授のようで、
近寄りがたかったが、
あの苦しそうに煙草を吸っていた米朝が好きだ。

1ヶ月ほど前かな、
永六輔が土曜ワイドラジオ東京で、
高石友也とナターシャセブンの京都でやった
「よいよいやまコンサート」のことを話していた。
そのとき桂米朝が来ていて、
「歌で、客席と掛け合うのがあるが、
 私もああいうのをやってみたい」
そういって、
「向こうの丘に囲いが出来たってね~」
と米朝が大声でいうと、
「へエー」
と3000人の客が応えてくれたそうだ。
また米朝が、
「向こうの丘に、塀が出来たそうだ~」
というと、
「カッコイイ」
と客席から返ってきた。
それが絶妙なタイミングで永は感動したという。
そういうところに私もいたかった。
米朝の落語、機会があったら聴きたい。

 

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