うれしかった

2001年06月20日 | テレビ

九想庵は、それなりに旅人が増えている。
日々、7~15人ぐらい遊びに来てくれる。
昨夜、915人だったから、
来週あたり1000人を越すでしょう。
私の友人や、女房の知り合いの人たちが見ていると思う。

ところが日曜日に、
知らないひとからメールが来た。
先週私は新聞に載っていた「小江戸ネット」という
川越の情報を発信するHPにアクセスし、
そこの掲示板に自己紹介を書き、
九想庵のURLも書き残してきた。
それを見て九想庵を訪ねてくれたひとだった。
「年齢が近いせいか、何かほっとするHPです」
というようなことが書いてあった。
うれしかった。
しみじみ九想庵をつくってよかったと思った。

今夜、阪神が巨人にさよなら勝ちしたのも
うれしかったな。
ジャイアンツファンのみなさま、
すいません。

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雨の楽家

2001年06月19日 | 暮らし

所沢は夕方から雨になった。
私の会社は川越のはずれにあり、
会社からの帰りには、
ワイパーを使ってきた。
今日は女房が、
「前の会社の人たちと飲んでくる」
といっていたので、晩メシどうしょうと考えた。
スーパーでなんか買ってこよう、
と昨日から思っていたが、楽家に行くことにした。
近所の居酒屋です。
会社での労働のあと、何もする気がしない。
息子たちのメシのことは考えないことにした。
かってに食べるだろう。

傘を差してとぼとぼ行くと、
カウンターにSさんがいた。
九想話「らくやの花見」でギターを弾いたひとだ。
あとお年寄りの“夫婦”がいた。
私は、楽家に行く目的に、
「Sさんに会いたい」という気持ちがある。
感性が合うひとなんです。
ギター、ケーナの話をした。
九想話のことも話題になった。
「この前、マスターが仕事場に来て
 九想庵見せたんですよ」
と、Sさんがいう。
マスターはパソコンをやらないので、
インターネットに無縁のひとです。
そのうち、もう1人客が来た。
ああ…、名前を覚えていない。
そのひとも九想庵の旅人の1人です。
“夫婦”が帰っていった。
かなり飲んでたようだ。

しばらくして、外から緊迫したママの声、
「わるいけど、誰か来て、
 **さんが転んじゃって歩けないの」
私たち3人は、急いで店を出た。
さっきの老人が店の外で倒れていた。
右の額をぶつけたようで、血が出ていた。
“夫婦”と思っていたが、1人暮らしの老人らしい。
“奥さん”と思っていた女のひともいた。
Sさんが背負い、私ともう1人が後ろで支えた。
「申し訳ない、もうしわけない」
と老人はいっていた。
目の前の公団に老人は住んでいた。
1階の家の前に来て、Sさんの背中から降りた老人は、
背丈ほどある植木の中にぶらさがっている鍵を取り、
ドアを開けた。
これじゃ、簡単に泥棒に入られてしまうな、
と私は思った。
「ここが1人暮らしの年寄りの部屋です。
 みなさん、入って下さい」
と老人が血だらけの顔をしていう。
「消毒する薬ありますか?」私が訊く。
「私がしますから、みなさん大丈夫です」
“奥さん”と私が思い違いしていた女性がいってくれた。
「名前をおしえて下さい」と老人がいう。
私たちは、名のらず楽家に帰った。
私は、自分の老後を見た。
いや、私は女房よりさきに死ぬだろうが、分からない、
私が1人残るかもしれない。
寂しくて近所の居酒屋に飲みに行って、
帰り道で転んで血だらけになり、野垂れ死に。
そんなところか私の末路か…。

マスターにいって、
この前持ってきた、
ウニャ・ラモスのCDをかけてもらう。
居酒屋にフォルクローレ、いいな。

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ワイルド・ザッパーズ

2001年06月18日 | テレビ

世の中には、
私を驚愕させる人たちがまだまだいる。
「ワイルド・ザッパーズ」
聴覚障害者のダンスグループです。
今夜のNHK教育7時半からの
にんげんゆうゆう「きこえなくてもヒップポップ」
を観て知った。
私は、耳が聞こえない人は音楽はもちろん、
ダンスもやれないのでは…、
と単純に思っていた。
ところが
ワイルド・ザッパーズのリーダーがいう。
「私たちは、聞くこと以外はなんでもできる」
これを聞いて、私は黙るしかない。
あの若者たちの表情ゆたかさはなんなんだ。
あの笑顔はこころのどこから出てくるんだ。
私よりよっぽど明るく生きている。

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リサイクルショップ

2001年06月17日 | Weblog

うちから歩いて15分ぐらいのところに、
リサイクルショップができた。
先日、会社の帰りに気がついたのです。
女房と散歩がてらに行ってみよう、
ということになった。
道路沿いのその店は、
新しい建物ではないが、
こざっぱりとしてきれいだった。
店に入ると、右側に茶碗、皿、人形などの
小物の陳列された棚があり、
左側には炊飯器、電子レンジなどの置いてある棚や
洗濯機や冷蔵庫、テレビなどが並んでいた。
みなピカピカに磨かれていて、
透明なビニールで包んであった。
みな手頃なプライスだった。
奥には食器棚やタンスがあり、
パソコンも3台あった。

店の中央のレジのあるカウンターには、
グリーンのエプロンをした女性がいた。
そのうちテレビを持って、男が店に入ってきた。
私は商品を眺めながら、横目で二人を見た。
会話の様子から、その男女は夫婦かなと思った。
どこからかテレビを引き取ってきたみたいだった。
私は勝手に想像した。
旦那が脱サラをして、夫婦で夢だった
リサイクルショップを開店した、と。

私たちは、何も買わずに店を出た。
私は歩きながら女房に、
「あの店いつまでもつかな」といった。
「そうね…」女房が言葉をにごす。
駅からちょっと遠いし、駐車場もない。
新品よりは安い価格だが、
しょせんリサイクル品だ。
脱サラか…。
私の予想がはずれればいいと思った。
感じのいい夫婦だった。

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働く喜びって何ですか

2001年06月16日 | テレビ

NHK教育夜8時からの
「にんげん広場21・いのち」を観た。
20代の人のいうことは、
その気持ち分かるな、と聞いていた。
だけどそれだけです。

しかし、
福岡の51歳の男性の生き方には
興味がわいた。
ダイエーの企画部の仕事をしていた人で、
ホークスの立ち上げにも参加していたという。
長女が不登校になり、
自分の生き方に疑問を持ち退社。
現在、介護会社の仕事を手伝いながら、
子どものことやその他のことで悩む
お父さんたちのグループを組織している。
会社勤めの頃は、
「人を○×で見ていた。
 今は、人を幅を持って見たい」
といっていた。

なんといっても
中坊公平さんがよかった。
(私は、朝日新聞の連載も読んでいるのですが)
「人生に不安感が強い。だから慎重になる。
 それで大きな失敗がなかった」
「自分のマイナスな部分が、
 あるときプラスになる」
「私には、仲間がいた。
 仲間とは、価値観と感性の合う人」
「自分の価値判断で生きてれば、
 どんなになっても、どんなところでも
 生きていける」
というようなことをいっていた。
同じく劣等感のかたまりの私にとって、
すくいになる話でした。

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女房からのメール

2001年06月15日 | 家族

今日、携帯電話の受信したメールを、
パソコンに全部移し替えた。
削除してしまうにはもったいないと
思ったのです。
4月18日からのメールだ。
移し替えるといっても、
なんてことない。
全部エディターに手入力したのです。
みんな女房からのだ。
ちょっとした私と女房の歴史の記録です。
2時間ちょっとかかった。
ひとつひとつの文字数は少ないが、数が多い。
約2ヶ月間毎日あり、
多い日は7、8こあるのです。

いろいろなことが女房のメールに書いてある。
女房が会社を辞める頃のこと、
私が会社をいやになっていること、
今晩のおかずなんにする? とか、
過ぎてしまえばなんてことないのだろうが、
あらためて読んでみるとすごいことが書いてある。
構成をうまくして書くと、
ちょっとした小説になると思った。
あらためて、
女房のこころの動きは面白いと思った。

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父と卵

2001年06月14日 | 家族

はっきりいって私の家は貧しかった。
父は百姓がへたで、
作物の品種がわるかったり、
収穫量が少なかった。
仕事が嫌いだったんだな。
音楽が好きで、盆踊りのときなど、
やぐらの上で太鼓たたいたり、唄っていた。
このへん、実に私は親父に似ている。

私が子どもの頃、
食事のおかずが少なかった。
あるにはあるが、
ほどんど野菜でつくったものでした。
家が農家だから当たり前ですね。
野菜嫌いだった私だったので(今は大好きです)、
これが辛かった。
ほとんどご飯は、醤油をかけたり、
ふりかけで食べてました。
(だから子どもの頃は、健康ではなかった)
朝食のとき父には毎日生卵が出る。
うちでは鶏を15、6羽飼っていて、
その鶏たちが毎朝産んだ卵を
鶏小屋に取りに行くのは、私の仕事だった。
父が毎朝1つ食べ、それ以外は近所に売っていた。
面白いことですが、
私の家では、卵とお茶を売っていた。
なんとうちではお茶を作っていたのです。
春に、畑のお茶の若芽を摘んできて作ってました。
私の家の屋号は「伊勢屋」といいます。
明治とか大正の頃、いやもっと前からか、
私の家は商売をしていたらしい。
そのなごりかな、なんて思っています。

今日の朝日新聞に「お父さんを漢字で表すと…」
という記事があった。
「ひととき」は卵の話だった。
私は父を漢字で表すと、「卵」です。
毎朝父が食べる生卵が羨ましかった。
小さい頃はよく殴られた。
「恐」という字もあるな。
酒飲んではよく母を怒っていたから、
「酒」もある。いい酒のときもありましたよ。
でも、歳とってからの親父は、「哀」だな。

さて、うちの息子たちは、
私をどういう漢字で表すのだろう。

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誤解

2001年06月13日 | Weblog

「情けは人のためならず」
ということわざの意味を、
私はちがった意味で覚えていた。

文化庁が今年1月に、
全国の男女3000人を対象に実施した
「国語に関する世論調査」の結果を発表した。
朝日新聞の記事によると、
「人に情けをかけて助けてやることは、
 結局はその人のためにならない」
という誤用が48.7%で、
本来の意味である
「人への情けは結局は自分のためになる」
の47.2%を上回った。

私は誤用のほうで覚えていた。
こういうふうにまちがって覚えてること
私には、たくさんあるんだろうな。

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2001年06月12日 | 家族

 私はこれまで、夢をあまり見ない。
いや、人間は毎日夢を見ていると聞く。
私の場合、見たことを忘れてしまうのでしょう。
それなのに今朝は、はっきり覚えていた。
こんなの初めてといっていいです。

どんな夢かというと、
恥ずかしいから書けません。

おっと、これじゃ、九想話が続かない。
みっともないけど書きます。

息子が応募した何かで、
外国のスポーツ車が当たった。
そう女房が私にいう。
うちには、
1300CCのちゃんとした国産車がある。
それ以外駐車場を借りる余裕もない。
なにより、息子は免許を持ってない。
車のいらない人には、
そのかわりに1億円をくれるという。
そんな高いスポーツ車があるかどうかは、
私は知らない。
しょせん夢の話です。
(これで会社を辞められる)
私の思ったことはこれです。
ああ…、夢でこういうことを考えるということは、
そうとう私は重傷です。
(しかし、これ本当かな?)
なんてことを、自分は蒲団の中にいる、
ということを分かりつつ考えていた。
(でも、息子がその1億円くれるかな?)
なんて心配もしている。
(おれだったら、その1億円持って家を出る)
なんてこと、確信持って考えたりしている。
(まず、車が当たったかどうかを、確認しなけれな…)
6時過ぎには女房は起きる。
そのとき確認しよう。
なんてこと、寝返りを打ちながら真剣に思っていた。
(でも、昨日の夜、彼女はそんなこといってなかったな
 やっぱり夢かな)
と思いながらも、こころのどっかでは、
(いや、当たっている)
なんて確信に近いものを感じていた。

女房は、6時過ぎ、
3つの目覚まし時計の時間差攻撃を受けながらも、
けなげに(ドコガ)熟睡していた。
これも私の夢の中です。
なにしろ私がはっきり目覚めたのは、
6時20分ぐらいだったのです。
夢の中の私は、だんだん不安になっていく。
これは、夢の中で思っているんだから、
当然、、スポーツ車が当たっているわけがない。
それでも、スポーツ車当たってないかな。
と淡い希望を胸に抱きながら、
湿っぽい薄っぺらな蒲団の中で考えた。
夢のことが、本当かどうか、
夢の中の私が真剣に考えている。
ああ…、訳が分からない。

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ハイエナの素顔

2001年06月11日 | テレビ

ハイエナへのイメージが変わりました。
今夜8時からの「地球・ふしぎ大自然」(NHK)の
「ハイエナの素顔」という番組を観たからです。
きれい好きで、挨拶をよくする。
群れの中で、それぞれ階級が決まっていて、
雌が上位だそうです。
ハイエナは、ライオンなどの食べ残しを
食べて生きていると思っていたが、
ハイエナは有能なハンターで、
自分たちが食べる6割を、
自分たちで獲っている。
面白いことに、
ライオンがハイエナの獲物を横取りするという。
強い歯で骨まで食べたり、
母親は、余所の子どもにも乳をやる。
そうやって厳しい東アフリカの自然の中で、
繁殖力を伸ばしてきた。
あの生命力、私も欲しい。

それにしても、
どんな動物でも、赤ちゃんはかわいいですね。

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