女房のホームページ

2001年05月31日 | 家族

といっても、ほとんど私が作りました。
それに女房のホームページではない。
女房が練習しているフラメンコ教室、
「スタジオ・トゥリアーナ」のホームページです。

http://www.ne.jp/asahi/est/triana/

フレームなんてものを使ってみました。
ある写真が送信エラーになってしまい、苦労した。
これはファイルサイズが大きいからかなァ。
サイズを小さくし圧縮しても、
ホームページビルダーでHTMLファイルに挿入すると
ファイルサイズが大きくなる。
よく分からない。

まだまだ試作の域を出ていませんが、
UPしてしまいました。
これからも勉強して
見栄えのするホームページにしていきます。

………………………………………………………………………………………………

5月の九想話

5/1  スキャナーのバカ
5/2  Yahoo! JAPAN
5/3  むかしの九想話
5/4  九想庵の1ヶ月
5/5  「ひだまりの家」の母
5/6  心身脱落
5/7  がんからの生還
5/8  うらやましい
5/9  肩たたき
5/10 のびる
5/11 アリスと女房
5/12 拒絶反応?
5/13 屋台方式
5/14 音と光を失って
5/15 へんな酒飲みの家系
5/16 眠たい
5/17 文學界新人賞
5/18 黒い指
5/19 ああ…49歳
5/20 家族写真
5/21 月曜日の憂鬱
5/22 朝日ネットに召集
5/23 朝日ネット銀座スタジオ
5/24 落ち込む九想
5/25 斬られ役
5/26 母の隣に寝ること
5/27 息子とディベート
5/28 最悪の日
5/29 石に縁がある
5/30 私の病気は?
5/31 女房のホームページ


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私の病気は?

2001年05月30日 | 健康・病気

今日、防衛医大病院に行ってきた。
8時に着いた。
ここには12、3年前、
交通事故で救急車でかつぎ込まれたことがある。
息子が、小5のとき脱腸の手術で入院した。

それ以後来ていない。
20メートルはあるカウンターの前には
たくさんの長椅子があり、
朝早くから来たのだろう、
患者の人たちが大勢いた。
私は、カウンターの
一番端の新患受付のところに書類をおき、
外に出て煙草を吸い本を読んでいた。
ベンチの隣には朝からビーシュ(ビール系発泡酒)
を飲みながら煙草を吸っていた白人がいた。
車は途切れずやってくる。
人もひっきりなしに歩いている。
私は重い気持ちだった。

8時半、受付開始。
係りの人がどんどん番号や、名前を呼んでいく。
私の名前も呼ばれた。
保険証と紹介状を渡す。
2度目に呼ばれて書類を渡され、
2階の泌尿器科に行く。
そのフロアにはいくつもの科があった。
そこにもたくさんの人、人、人。
泌尿器科の隣は精神科だった。
精神科にも30人ちかくの人がいた。
私はこっちにも来たい心境だった。

今日は、考えていたので採尿はうまくいった。
「レントゲン写真持ってきた?」
と訊かれた。持ってきていない。
それで撮ることになった。
病院内には、点滴の台を引きずって病人が大勢歩いていた。

結局診察を受けたのが10時頃になった。
私の下腹部が写った写真が貼りだしてある。
そして、医師がいうには、
「これは結石ではない。あなたの歳では石ができるのも
 膀胱炎になるのも少ない。女性は多いが」
「石ではないんですか、これ」
私はレントゲンに写った石みたいなものを指さした。
「尿に血液は混じっているから、
 腎臓か膀胱、それか前立腺の炎症だろうね。
 ガンの可能性もある。
 来週精密検査をしましょう」
といわれた。
ベットに寝るようにいわれ、
下穿きを脱ぎ、膝を曲げてかかえた。
医師は有無をいわさず、
私の肛門に指を挿入した。
「ここ痛い? ここは?」
どっちも痛かった。
「痛いってことは、前立腺が炎症してますね」
私の診察は終わった。

私は複雑な想いだった。
結石のほうがよかったかも知れない。
ガンの可能性?
ま、来週には結論が出る。
なるようにしかならない。
長い2日間でした。

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石に縁がある

2001年05月29日 | 健康・病気

今日病院に行ってきた。
膀胱炎のその後の経過を、
確認するためです。
私としては、
なんの自覚症状もないので、
すっかり治っていると思っている。
はっきりいって、膀胱炎がなんぼのもんじゃい、
てな強気な気分でした。
病院で受付をすませたら、
紙コップを渡された。
私は正直あせりました。
なにしろ私は、なにかことを始めるとき、
どこかに出かけるときには、
必ずトイレに行ってすっきりして家を出るという
習慣がある。
今日もそうでした。
「今から病院に行くのだから、トイレに行こう」
 てな感じですっきりして病院まで歩いてきたのです。
紙コップを渡されて気がついた。
「おれは、なんの診察にここに来たのか。
 だとしたら、最初に何やるか知ってるだろー」
「ハイ、採尿です」
「やりました。九想さん、最後の問題できましたので
 賞金1千万円です」
「やったー、おれにも運が回ってきた」
なんてバカなこと書いてる場合ではない。
小便なんてすぐ出るよ、
なんて軽い気持ちで突っ立っていたが、
いろいろ想いを込めても、
出てくるものがない。
諦めて腰のマッサージを先にした。
しかし、マッサージをしてくれた人は
初めての人だった。
へただった。手がおずおず動く。じれったかった。
「おれが、教えてやるよ」といいたかった。
マッサージが終わってトイレに行くと、
順調に採尿できた。ほっとした。
しばらく待たされた。
尿の分析が終わったようで診察室に呼ばれた。
「目に見えないが、少し血液は尿に混じっている」
と医師がいう。
「白血球が少なくなっている。
 こりゃ、膀胱炎ではなく、結石かも知れません」
という。
それでそれからレントゲン撮影となった。
しばらく待っていると、
さきほどマッサージをしてくれた若い男性が私を呼んだ。
この人はこんなことまでするのか、と思った。
でも、資格を持ってるのだろう。
まさか、暇な人にレントゲン撮影させないでしょう。

写真の現像が終わり、また診察室に呼ばれた。
素人の私が見ても膀胱あたりに、
5~8ミリぐらいの白い固まりが6個あった。
先生がそれを指して、
「やっぱりそうでした。尿道結石ですね」
と得意そうにいう。先週は、
「結石の可能性もあるが、白血球が多いから
 膀胱炎だと思う」と医師はいっていたのだ。
あげくに「なんかこころあたりは?」
なんていわれた。あるわけないよ。
形の丸くない石が、膀胱の内壁を破損したんですね。

医師は泌尿器科に行くことを勧めてくれた。
紹介書を書いてくれた。
明日、近くの防衛医大付属病院に行きます。
40歳のとき胆石除去手術をして、
こんど尿道結石です。
石に縁があるんですね、私の体。

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最悪な日

2001年05月28日 | テレビ

今日は最悪な精神状態です。
どこかに消えていきたい。
私はなにやってんだろう。

こんな状態で、テレビ朝日9時2分からの
「風雪の聖地アンデス縦断4000キロ」を観た。
西田敏行が米大陸最高峰の
アコンカグアに挑戦した番組だった。
6962メートルの山頂を目前にして、
6830メートルで断念した。
西田の体力を考えて、
登山隊の隊長が判断した。
でも、がんばる西田敏行を見ていて
おれもがんばらなくちゃ、と思った。
アンデスの自然が素晴らしかった。
ケーナの音もよかった。

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息子とディベート

2001年05月27日 | 家族

今朝9時頃、私がテレビを観ていると、
Kが起きてきて朝食を食べた。
テレビでは、映画「パールハーバー」
の紹介をしていた。
これがきっかけになり、
息子と戦争の話になった。
「どこの国も侵略したりされたりだよなぁ。
 でも、正しい歴史は記録していかなきゃだめだ」
そして教科書問題を私がいった。
「中国や韓国が歴史教科書を訂正して欲しい
 といってきている。
 従軍慰安婦のことも、
 なかったかのようになってるらしい」
そう私がいったら、
「あれは、まだあったかどうか正しい記録はないらしい」
とKがむきになっていう。
そしていろいろ話してきた。
「K、小林よしひろの漫画読んだんだろ。
 おれは読んでないが、ひとりのひとの本だけで
 判断してはいけないな。いろんなひとの本を読まないと」
そういうのが、今の私は精一杯だった。
私だって、新聞やテレビの報道番組だけでしか判断していない。
その関係の本を読みたいが時間がない。
立ち読みだけど、
小林よしひろの書き方は刺激的で面白いとは思った。
若いときにあれを最初に読めば、影響されてしまうのかな。
なんか息子が遠い存在に感じられた。
そうだ、時間がないなんていってられない。
そのへんのところ勉強して、
息子とのディベートで勝たなくては。

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母の隣に寝ること

2001年05月26日 | 家族

今夜7時半からのNHKの土曜特集・ドラマ
「定年ゴジラ」重松清原作を観ていたら、
主人公の母親が病気で倒れ、
富山の実家に帰って母親の隣で寝るシーンがあった。

去年の6月、私も母の隣で寝た。
高校のブラスバンド部のOB会で実家に帰ったときです。
まさかそのあと痴呆が進み、
8月に特養老人ホームに入るとは考えもしなかった。
そのとき母は嬉しそうだった。

女房にその話をすると、
「私も歳とって、U くん、K くん両手に花で寝たいな」
という。
「あいつらが40過ぎで“花”かよ」
そうちゃかすと、
「私にとっては、いくつになっても花なの」
きっぱりいい切る。
「で、おれはどこに寝る。
 ああ…、おれ、そのときは死んでるか」

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斬られ役

2001年05月25日 | テレビ

昨日のNHK9時15分からのにんげんドキュメント
「斬られ役・大部屋俳優58歳の心意気」を観た。
福本清三、58歳。
中学を出て親戚にすすめられ、
東映京都撮影所の大部屋俳優になって42年。
2年後、契約切れで定年になる。
東映京都撮影所大部屋俳優の今の仕事は、
テレビの時代劇が多いとか。
なにしろ映画の時代劇が少ない。
月に20万程度の給料と、
出演すれば1日9000円のギャラが出る。
斬られたあとにカメラに顔を向け、
大きなアクションで倒れる福本の斬られ方は、
業界では有名になっているという。
おれはちょっと臭いアクションだなと思うが、
あれぐらいが今のテレビ時代劇ではいいのかな。
その福本清三に大きな役が与えられた。
おそらく彼にとっては、
最後の映画となるだろうとナレーションはいっていた。
「赤影」というのがその映画だ。
これは昔テレビでやっていた。
悪い家老の腕の立つ腹心という役だ。
大部屋俳優から殺陣師になった友人が、
一世一代の斬られ方を考えていた。
福本も派手に斬られようと思っていた。
が、若い監督の考えは、
「ヒーローは人を殺さない」ということだった。
それで映画の最後、
福本は斬られずに殴られて捕らえられる。
ということになった。
しかし、彼はめいっぱいの演技をした。
「赤影」を撮っているあいだ、彼は髭を生やしていた。
そのせいでテレビには出られなかった。
収入が少なくなった。
福本はその映画にかけていた。

福本さんの人生を少し覗いて思った。
1つのこと一所懸命やるってことは素晴らしい。
それに比べておれはなんだ。
会社をいくつもかわって、
これだという仕事をしてこなかった。
いつか小説家になるんだとうそぶいて、
小説のまねごとはしてきたが、
ろくなものを書いてこなかった。
前の会社では課長なんて呼ばれていたが、
お定まりのリストラ。
あげくの果ては底辺労働者。
嗤っちゃうよ。
息子たちに「おれみたいになるなよ」
と喉まで出かかっているが、
そんなこといってどうなる。
いやいや、まだおれは自分を見捨てない。
花咲く50代を希望に、
花咲かせなかった40代最後の1年を
目立つ斬られ方を常に考えてた福本さんを見習って、
へたな文章を少しでもうまく書けるように
書き続けよう。
そんなことをテレビを観ながら思いました。

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落ち込む九想

2001年05月24日 | テレビ

昨日、朝から下腹がおかしい。
私は6トンもの成型機に使われている身ですから、
通常、トイレには休憩時間にしか行けない。
しかし、その時間まで待てない。
上司に断ってトイレに行くと、なんかへん。
おしっこが終わる頃、切ない痛さを感じる。
便器を見ると、尿が赤い。
へんな繊維質のものもある。
私は愕然とした。
(おれの体、どうなっちゃったんだろう)
身に合わない仕事をさせられ、
毎日やるせない精神状態に耐えられるのも
家族と自分は健康だ、感謝しよう、
と思っているからです。
それが、自分の体が普通ではない。
これでは、弱い九想は現在の環境に耐えられそうにない。
そんな情けない気持ちになり、落ち込んだ。

仕事を終え家に帰り、
いつも腰のマッサージをしてもらっている
整形外科に行くことにした。
今日、日曜出勤した代休で休むことになったので、
泌尿器科にでも行こうか、と考えていたが、
そこに内科もあるので、とりあえず行くことにした。
馴染みの受付の女性に、
「今日は、別なことで来ました。
 尿に血が混じってるようなんです」
「それじゃ、これに尿をとって下さい。
 マッサージはどうします?」
そんな気持ちではなかったが、受けることにした。
やっぱり腰も痛い。
いつもは冗談をいいあう関係になっていたが、
そのときはそんなゆとりはなかった。

医師の診断は膀胱炎だった。
「尿に白血球がたくさんあるので、おそらくそうでしょう。
 白血球がでてないときは、尿道結石なんてこともある。
 菌に膀胱の内壁がおかされていて、そうなったんでしょう。
 なにか、こころあたりはありませんか?」
と訝しげに私を見る。
「ありません」と私はいったが、言葉に力がなかった。
いや、ほんとうにないのです。
なにしろ、すべてにおいてここ3年ほど、
そのようなことには縁のない暮らしをしてます。
「来週の火曜日にまた来て下さい。
 そのとき症状が好転してなかったら、
 泌尿器科を紹介します」
そう医師はいってくれた。
マッサージをしてもらい、抗生物質をもらって、
整形外科を出た。
出てから、あっ、酒は飲んでいいのかな、と思った。
今更戻れないし、本屋に行った。
「家庭の医学」などという本を3冊立ち読みした。
膀胱を刺激する酒、コーヒー、香辛料などはいけない、
と書いてあった。
これで、またしても九想は奈落の底に沈んだ。
しばらく酒が飲めないのだ。
しかし、家に帰ってシャワーを浴び、
ビーシュ(ビール系発泡酒 )を飲んだ。
飲まずにおられません。
刺身なんか買ってあるんだもの。
女房はフラメンコの練習日でいない。
膀胱にいけないワサビをつけて刺身を食べ、
膀胱を刺激するアルコールを飲みました。
食事が終わって薬を飲んだ。
驚いたことに30分後排尿したら、
いつもの色のそれだった。痛みもない。
うれしかったが、なんか怖かった。
抗生物質はすごい。
気をよくして、日本酒を少し飲んだ。
深夜、あの長い九想話を書いてるときは、
焼酎なんぞもやっちゃいました。

膀胱炎はおもに大腸菌の感染だそうです。
ふだんは滅多に感染しないが、
体が弱っていて、抵抗力が少ないときになるそうです。
やっぱり睡眠は充分にとらなければいけませんね。

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朝日ネット銀座スタジオ

2001年05月23日 | 暮らし

スタジオは、本社から並木通りを歩き
晴海通りを越えてちょこっと入ったところににあった。

それにしても銀座には人が多いですね。
所沢とは比べものになりません。アタリマエダ
外は快晴で、九想はこころウキウキでした。
日頃汚れた作業服で肉体労働している私が、
土曜日の午後、銀座なんかを歩いている。
Tシャツにジーンズと、着てるものは冴えないが、
朝日ネットの首脳陣や名だたる書き手をしたがえて、
じゃない、くっついて歩いているだけでも、
晴れがましい気分でした。
A沙さんが声をかけてくれた。
「九想さん、この頃いい句をつくってますね。
 あの句は4月の句会の中で最高点でしたね」
「いやあ…、そのまぐれです。
 でも、うれしかったです」
優勝することの多いA沙さんに、
お世辞でも褒められるのは、
わるい気がしませんでした。
前を歩く句会を主催しているG亭さんと話す。
「今もあの落語会は聴きに行きますか?」
「行ってますよ」
スーツを着たG亭さんと私が歩いているのは
不似合いです。
一昨年の夏、私はG亭さんにその落語会に招待された。
涙がでるほどうれしかったことを覚えています。
そうこうしているうちに、スタジオに着いた。

入口にあった腰ほどの高さの看板に、
「朝日ネット銀座スタジオ」と書いてあった。
地下への階段を降り、
クリーム色(だったかな)の鉄の扉を開けると、
まわりの壁はコンクリートの打ちっ放しの
ほぼ正方形の空間があった。
この場所を、
「ASAHIネットの会員はいろんなことに利用して欲しい」
とQ六さん(朝日ネットの会長)がいう。
絵の個展でもいい。1人芝居もいい。オフに使ってもいい。
私は、女房のフラメンコの発表会でもやれたらいいな、
と思った。
確か100坪ほどの広さだと、聞いた。
扉から入った正面の、
白いテーブルクロスを敷いたテーブルには、
ビール(なんとビールです。ビーシュではない。アタリマエダ)、
日本酒、ソフトドリンク類があった。
左の壁際のテーブルには、
ちらし寿司やオードブルにサンドウィッチなどが
ところ狭しと置いてありました。
Q六さんの話では、
「これらの料理は、サンケイグループの会社に頼んだ」
ということです。
朝日に関係する会社からの注文を、ことのほかよろこんでいた、
と楽しそうにおっしゃっていた。
(って、こんなこと書いていいのかな…)
この日も私は、Q六さんとたくさん話しました。
そのうち、「九想、クソー」と呼びつけにされ
Q六親分のほんとうの子分になれたようでうれしかった。
最初はビールをやってましたが、すぐに日本酒にした。
秋田の酒でした。うまかった。
グラスのお猪口でチビリチビリ楽しんでいたら、
「こっちがいいよ」
とQ六親分がコップについでくれた。
ああ…、このときから私は、
自分をコントロールすることを忘れてしまった。
いろんな朝日ネットのスタッフの方と話しました。
なんとなく覚えていますが、
文章にするほどには、はっきりしないのでやめます。
18日の深夜、ASAHIネットにアクセスできなかった話で
盛り上がりましたね。
それをどのように復活させたか、なんていうことも聞いた。
その人たちの日夜の苦労で、
私はバカな九想話をUPできるんだ、
とあらためて感謝しました。

食事をし、酔いもそこそこになった頃、
スタジオの右半分にセットされた机に集まるようにいわれた。
いよいよ、九想のつるし上げか。そんなこたァない。
ASAHIネットが特許を出願している
句会ネットの説明がされた。
大きなディスプレーにその画面が映し出され、
U介さんが説明してくれた。
これだと気があった少人数で、
句会がインターネットで開ける。

しかし、のべつまくなし飲んでいる九想は、
時間の感覚がなくなっていました。
中締めがあり、かなりの人が帰った。
私は帰るはずがありません。
まだまだ残っている酒を未練たらたら飲んでいた。
何時だったのだろう、とうとうお開きになった。
これがつらいんです。
さびしい気持ちでいると、
Q六さんが喫茶店に行こうといってくれた。
U介さん、Tさん、O-ジンさん、
それに九想がついていきました。
楽しい話が聞けました。
しかし、それを今の私はよく覚えていない。
いつもこうなんです。
酒のばか。いや、九想のばか

所沢の家に着いたのは、12時前だった。
12時過ぎると、エレベーターが各階停まりになるんです。
5階まで上がる私は、これイヤなんです。

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朝日ネットに召集

2001年05月22日 | 暮らし

5月19日の土曜日に、
ASAHIネットの「へちま亭」という会議室に
書き込んでいた11人が召集された。
私は、メールをいただいたとき、
なにごとかと思った。
なにか、とんでもない失態をしてしまい、
それで朝日ネット本社に呼び出されて、
お目玉をくらうのかと、覚悟した。
いや待てよ。
私以外の方を見ると、
どう考えても、
いつもきちんとした書き込みをしている方々ばかり。
そういえば、
以前「へちま亭」に会長が書いていました。
「ASAHIネットで
 銀座に借りたスタジオを見せたい」と、
そのことかと思い、
その日が来るのを楽しみにしていた。

当日、私は10時に目が覚めた。
毎夜の九想話を書くことで、睡眠不足でした。
しかし、“専業主婦”の女房が
なんで起きないのだろう。
10時には、家を出る予定だった。
結局家を出たのが10時40分。
銀座には11時50分に着いた。
さあ、それからが焦った。
この前の「かしの木亭」オフで行ったけど、
すぐ朝日ネットが分かるかな、と不安になった。
並木通りがすぐ分かって、12時3分に着いた。
会議室に案内されると、みなさん揃っていました。
私だけが遅刻かと覚悟したら、もう1名いました。
私が席に着くと、
会長が、「九想さん煙草吸うか?」という。
穴があったら入りたいとはこのことです。
なにしろ、朝日ネットの社内はどこも禁煙なんです。
しかし、前回のときは吸ってしまったのです。
「大丈夫です」と私は毅然と断った、のに。
しばらくすると、何人かが吸っていた。
この前のときの灰皿がわりの香炉を、
会長が持ってきたのです。
それでも、私は吸わなかった。
全員そろったところで、
朝日ネットを後にして、スタジオに向かった。

(明日につづくかどうか?)

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