74.7kg

2002年07月27日 | 健康・病気

今、女房がおれの体を見て、
よころんでいる。
おれの肉体を軽蔑した目で見ている。
文句あるのかー。

とおれはいいきれない。
やっぱり痩せてスマートな体になりたい。
煙草をやめて、事務の仕事になって、この体。
真剣に考えなくては…。

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久しぶりの映画

2002年07月26日 | 映画
今日は会社が休みだった。
うちが製品を納めてる車メーカーが、
なぜか毎年7月の後半3連休になる。
それに私の会社も合わせている。

ここのところ観たい映画を、
近くの映画館でやってないので観ていない。
さすがにこの歳では、
東京まで行って映画を観る気がしない。

今日観た映画は、
「スター・ウォーズ エピソード2」だ。
スター・ウォーズのすごいファンではないが、
ジョージ・ルーカスの仕事に興味がある。

近くのパルコの映画館でやってるのは、
日本語吹き替え版だった。
インターネットで調べたら、
所沢駅前の西武デパートの映画館では、
字幕版(こう書かなくてはならないのが悲しい)
をやっている。

この前観た「ハリー・ポッター」がそうだった。
なんで日本語吹き替え版なんて金をかけて作るんだ。
小さな子に分かりやすくするためだろうが、
そんなことは大きなお世話だと思う。
映画が面白かったら、子どもはストーリーを理解する。
このへんが映画配給会社の考えすぎだと思う。

「エピソード2 クローンの攻撃」は、
銀河共和国を守る「ジェダイの騎士」
アナキン・スカイウォーカーが主人公だ。
旧3部作の悪役ダース・ベイダーの若き日の姿だ。

穴金じゃない、アナキン・スカイウォーカーは、
あこがれの女性パドメ・アミダラと再会する。
ジェダイに恋は御法度だが、
銀河共和国分断を図る勢力との闘いの中、
行動を共にする2人は恋に落ちる。
美しい男女のラブシーンはいい。

ジェダイの騎士たちと怪獣やロボットが入り乱れる
大戦闘シーンはすごかった。
CGを使うといっても、
どうやって撮るのか想像もつかない。
ただ息を呑んで観ているだけだ。

それにしても、ジェダイの長老ヨーダが
小さな体で豪快な立ち回りを見せるシーンがよかった。
ルーカスは前からやってみたかったらしい。
ヨーダをCGで作ったので可能になったという。
私は、ヨーダを見ると柳家小さんを思い出す。
小さんの顔によく似てると思いませんか?

今の私の関心は、
どうしてアナキンが悪の道に落ちるかだ。
「エピソード3」でそれがどう描かれるか。
楽しみです。

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負け惜しみ

2002年07月25日 | 小説 エッセイ

11時からの「ETV2002」教育テレビを観た。
川上弘美さんと松山巌氏が、
恋愛とは何か、そして孤独とは何か。
ということを話していた。
「人間と関係することがいやだ」
というようなことを川上弘美さんがいっていた。
「いやだけど、ふっと、恋愛したり、友だちになってしまう」
まったくそのとおりだ。
人間と関わりをもつことが煩わしい。
ひとりで生きていけるのならそうしたい。
でも、おれみたいな淋しがりやはそうもいかない。
孤独に憧れているくせに、ひとりが嫌いだ。

(煙草が吸いたい。でも、ない)

川上弘美さんを久しぶりに観て、
ああ…、変わってないな、と思った。
7、8年前か、ASAHIネットのオフで
池袋の飲み屋で話したことを思い出す。
あの頃彼女は、普通の主婦だった。
それが今では、有名な作家だ。
おれはリストラなどを経験して小さな会社の末端社員。
このことにおれは、こだわっていこう。
この“情けなさ”を心に抱いて生きていくんだ。

番組が終わる5分前ぐらいに、
女房から電話がかかってきた。
「雨降ってるから、迎えに来て」という。
今日は、フラメンコのカンテ(歌)の練習日だった。
テレビに心を残しながらも、家を出た。
フラメンコのスタジオは家から7、8分のパルコにある。
スタジオ前に着くと、
ちょうど女房たちが出てきた。
先生とギターの青年に挨拶した。

女房と家に向かって歩きながら、いった。
「おれは、小説あきらめないよ」
でました、九想の負け惜しみ。
雨は小降りになってしまった。
持っていった傘を、女房はたたもうとした。
「せっかく持って来たんだから、させよ」

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シントコの音楽仲間

2002年07月24日 | テレビ
今夜は、ケーナとウクレレでやる曲の録音があった。
日曜日にとれなかったので今日になった。
会社から帰って家で練習をした。
練習といっても楽譜があるわけではない。
ウクレレマンが家に来て、
パソコンに録音した伴奏に合わせて吹くだけだ。
あるコード進行のパターンを3回繰り返す。

パソコンに録音したWAVファイルを、
htmlのファイルにBGMとして挿入すると
繰り返し再生される。
それでケーナの練習をした。

8時過ぎ、スタジオに行ったら、
日曜日に録音した音源に、
ピアノの人が音入れしていた。
ピアノが入ると、
それまでの曲が“おしゃれ”になったり、
”ゴージャス”になったりする。
ピアノは素敵だ。

それが終わってから、
S原さんの歌のレコーディングになった。
「真白き富士の嶺」
これがいい。
聴いていて涙が出てきそうになる。

終わって、ウクレレマンと私の録音になった。
なんだこの緊張感。
さっきからウーロンハイを飲んでいるのに、
喉が渇いてしょうがない

リハーサルとして演奏し、それを録音したのを聴くと、
ブレスの音がすごい。
笛の音より大きい。

楽譜がない。
ウクレレの音に合わせアドリブで吹く。
楽譜があって吹くことが決まっているのがいいな、
と思った。
11時頃、録音が終わった。
それなりにみんなが褒めてくれる。
でも、おれは納得いかない。
といって、録りなおす元気もない。
今のおれにはこれが限界だ。

みんなで楽家にいった。
今日、ピアノを弾いてくれた人の隣になった。
40ぐらいの素敵な人だった。
プロのミュージシャンだが仕事が少ないらしい。
話していて楽しい。
楽家に流れていたCDのBGMに
ギターで合わせていた。
ギターも弾けるのだ。
ピアノは4歳から弾いていて、
ギターは高校生のときから始めたらしい。
ピアノは仕事で、ギターは趣味だという。
世の中には、すごい人がいる。

今回の“追悼CD”制作に参加して
いろんな人に出会えた。
プロサックスプレーヤーのKIMさん。
ジャンベ(アフリカの太鼓)を叩くムッシュ。
録音したスタジオのオーナーでドラムを叩くナベさん。
エレキギターを弾き、ミキサーなど担当のKさん。
3月にライブをした「おやじバンド」からの付き合いの、
ベースのUさん、
アコーステックギター&ウクレレマンのS谷さん、
ギター、ヴォーカルそれに曲を作るS根さん、
ブルースハープとギター、ヴォーカルのS原さん、
みんな心から音楽を愛している。
こういう人たちと音楽出来ることが幸せだ。

これまでケーナを吹いてきたが、
こういうことが待っているとは想像もしなかった。
ただ、好きでひとりで吹いてきた。
まさかこういう環境で吹くことになるとは
考えてもいなかった。
こうなったら、もっと真剣にケーナを吹こう。
今のままでは、あまりにも恥ずかしい。

※ 昨日、楽家から帰ってきてこの九想話を書いた。
  しかし、酔っぱらっていてUPしないで、
  蒲団のないところで寝てしまった。
  今朝6時に目が覚めて気が付いた。
  少し書き直して、あらためてUPします。
  こんな暮らし50歳になってもしている。
  おれって、バカですね。
  
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カブトムシ

2002年07月23日 | テレビ

義兄の十三回忌の行われた土曜日は暑かった。
梅雨が明けたと気象庁の発表があった。

私が家を出たのが6時50分ぐらいだった。
もっと早くでようと考えていたが、
お腹の調子が悪くて、トイレが長くなってしまった。
長く車に乗ると思うと慎重になってしまう。
喪服を着ていくのがイヤだった。
このクソ暑いのにダブルの黒い服だ。
久しぶりに世の中に出されたので、
喪服のほうでも迷惑がっていた。

車を走らせると土曜日のせいか快調だった。
渋滞はなかった。
こりゃ問題なく法事をやるお寺に着けるかな、
と気楽にハンドルを握っていた。
ところが、下館に出て国道50号に入ったら、
車がまったく動かなくなった。
なんでだろう?と考えていて、思い当たった。
今日から夏休み、この天気、そうだ、
この車の列は、大洗などの海水浴場に向かう車だ。

諦めた、法事の始まる10時に着くことを。
30分ほどじりじり車の中でしていたら、
目の前の車が走り出した。
これが分からない。
なんでそれまでぜんぜん動かないのに、
あるところまで行くと車が走り出すのか。

法事には間に合った。
終わって実家の近くにあるお墓に行った。
山の中にある墓で帰りに林の中を見たら、
篠竹にカブトムシがしがみついていた。
そこまで行くのが大変だったが、
義兄の長女の子どもにあげたくて行った。
林の斜面で滑って喪服のズボンが汚れた。
必死だった。
こんな思いでカブトムシを捕ったのは何年ぶりだろう。
デジカメを向けたが、焦点がカブトムシになってない。
ぼやけた写真になってしまった。

義兄はいい人だった。
バッグを作る職人で、ゴルフバッグを作っていた。
家でミシンに向かう仕事だったので、
健康診断なんてしたことなかった。
胃癌が見つかって3ヶ月で死んでしまった。
娘3人が残った。
姉が1人で育てた。
墓参りのあと町に出てみんなで食事をした。

暑い土曜日だった。

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初体験

2002年07月22日 | 音楽
今日の朝を「今朝」という。
それでは昨日の朝をなんというのだろう。
> さくちょう ―てう 0 【昨朝】
> きのうの朝。昨旦(さくたん)。
asahi.com の大辞林に書いてありました。

昨朝(さくちょう)(ムリして使うこたあない)
8時50分家を出た。
それまで6時半からケーナの練習をしていた。
新所沢駅の東口に、
レコーディングするスタジオ「NEVE」がある。
(名前間違ってないかな、心配だな)
だいたいの場所を訊いて行ったが分からない。
20分もうろうろしていると、
S根さんからケータイに電話があった。
それでたどり着けた。

神奈川から来るやつが来てないが、
それ以外が揃った。
スタジオは地下だ。
6畳が3つぐらいの空間に、
小ぶりのグランドピアノとドラムセットが両端にあり、
その間に、アンプ、イス、スタンドマイクなどが
所狭しと置いてあった。

音だしは9時半ということになり、
それまでみんな煙草を吸ったりだべったりしていた。
休煙中の私は、今日はそれを休むことにして、
キャビンマイルドを1箱買ってきていた。
だめなんです。
こういう雰囲気には合わせてしまう私です。

9時半、メンバーがそれぞれの位置について、
音だしになった。
録音担当のKさんが、各マイクのレベルを調節した。
Kさんはエレキギター担当だが、
昨日は弾かなかった。あとで“音入れ”する。
最初の曲は「最後の昼下がり」だ。
この曲は、亡くなったEさんとの最後の昼下がりのことを
S根さんが書いているいい曲です。
全員参加の曲だ。
最初のイントロはブルースハープで、
2回目がケーナだ。
2回目もイントロがあるというのが面白い。
2、3回リハーサルをして本番。
歌は後入れなので、歌なしで演奏するのが難しかった。
メロディーに合わせてケーナを吹くことが出来ない。
頭の中でメロディーを歌うが、思うようにいかない。
みんな必死な顔して演奏している。
いい顔している。

そのあとの曲はケーナはない。
私は記録係となり、デジカメマンになった。

レコーディングは4時まで続いた。
私はもう1曲、ウクレレの伴奏でケーナを吹くのがある。
午後通路で、それの練習をウクレレマンのS谷さんとした。
これはS谷さんが作った伴奏でケーナが“いいかげん”に
吹くというものだ。
やってるうちにのってきて、
ウクレレマンがamをフォルクローレのリズムで弾く。
そうなると私のフォルクローレの虫がうずき、
それを吹いてしまう。
8弦ウクレレの音がチャランゴに似ていて、
その世界に私は酔った。
ウクレレマンものってきた。
私たちの曲のレコーディングは水曜日になった。
時間がなくなってしまったのだ。

5時前から居酒屋で打ち上げをした。
飲みました。
10時まで飲んでいた。
そこで知ったが、
音楽好きな人間がこうして何かをしていても、
いろいろあるもんですね。
“りがい”なんてものが絡んできて、
いやですね。
詳しいことは、
ある方面に差し障りがあるので書きません。
こういうことは人間の“大きさ”ですね。
度量の大きい人間になりたい。

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最終電車に間に合わない

2002年07月22日 | テレビ
今夜、11時半過ぎ、
私は九想話を書いていた。
そのとき電話がかかってきた。
女房だった。
彼女は今日、
「トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団」
を観てきた。
大宮のソニックシティー大ホールであったそうだ。
2000年の7月2日の九想話に、
夫婦で行ったときのことを書いてます。

「今、川越に向かっているんだけど、
 もう、本川越駅から電車ないよね」
「ないよ。11時半頃で終わりだよ」
「迎えに来てくれる?」
「いいよ」
そう応えたが、おれはかなり焼酎を飲んでいる。
やっぱりよそうと思った。
それで、ケータイでメールを送った。
酒のんでるから、運転したくない。
タクシーで帰ってこい、
というようなことを。
金を持ってないというので、
近くの交番まで来るようにいった。
そこまでおれは金を持って迎えに行った。

タクシーから降りてきた女房は悔しがった。
4,820円。しかたない。安いもんだ。
もし、おれが車で行って事故起こしたら大変だ。
「居酒屋の1日のバイトでも稼げない。くやしいー」
「南浦和まで行って帰ってきたら電車はあったよ」
そういうと女房は、よけい悔しがった。
こういう経験もいい。
おれはなんど経験していることか。

「バレエよかったよ。この前とはまた違っていた。
 でも、タクシー代がくやしいー」
女房は心底くやしがっていた。

 

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レコーディング

2002年07月21日 | 音楽

今日は、33歳で亡くなったEさんの
追悼CDのための録音をやる日だった。
9時から16時までスタジオを借りて、
録音をした。

楽しかった。
疲れました。

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激太ケーナ

2002年07月20日 | 音楽

今日は、義兄の十三回忌のために
茨城に行って来た。
暑かった。

明日は、追悼CDのレコーディングがあるので
帰ってきた。
ホントはきょうだいが久しぶりに会ったので、
泊まってきたかった。
夜9時半に家に着いた。

テーブルの上を見ると、
エアーキャップに包まれたものがある。
(あッ、激太ケーナだ)と思った。
お互いのHPの掲示板に相互乗り入れしている
こらそんさんから送られてきたものだ。

彼の掲示板で激太ケーナの話題になり、
私も昔コンサートに行ったウニャ・ラモスが
吹いていたことを書き込んだ。
そうしたらなんと、
こらそんさんが、激太ケーナをくれるという。
それが届いたのです。

激太ケーナは、音程が低く、
尺八のような音がする。
これからが楽しみだ。

写真の上は、
3月に買ったものです。
下が“激太ケーナ”だ。

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73.5Kg

2002年07月18日 | 健康・病気

体重がこんなになっている。
煙草を吸っていた3月4日は、68.8キロだった。
7月から事務所に戻って、
パソコンに向かって仕事をしている。
私は肉体労働をしていないと、
すぐに太ってしまう。

ダイエットを考えなければならない。
それに運動もしなくては。
製造現場で仕事をするということは、
給料をもらって痩せられるということだったのだ。
ありがたいことだったのかな。

煙草をやめて食べ物がおいしい。
お腹がよくすく。
酒もうまい。

製造現場の労働はキツイ。
ちょっとしたことで怪我をする。
仕事が事務職になって体が楽だ。


でも、太るのが悲しい。

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