九想話という名前で私は、1998年からネットに雑文を書いてきた。
始めの頃は毎日ではなかったが、2001年に九想庵というホームページを立ち上げてから、
できるだけ毎日書くようにした。
私が、九想話を書こうと思ったのは、小説を書くための文章の訓練をしたいと考えたからです。
私は20代のなかばに小説を書き始めた。
仕事から帰り、夜8時頃双子の息子と一緒に布団に入って絵本を読んだり、作り話をして9時頃寝た。
午後11時ぐらいに女房に起こしてもらってから、午前3時ぐらいまで小説を書いていた。
それで文學界新人賞に投稿した小説が、初めて32歳で一次予選を通過した。
その2・3年後にオール讀物新人賞の一次予選に名前が載った。
結局それまででした。
あと、団地新聞に4・5編の短編を投稿したものが載ったぐらいです。
30代後半から仕事が忙しくなり、毎日残業で息子たちと寝ることは少なくなった。
自然、夜中に小説も書かなくなった。
41歳のときにパソコン通信のASAHIネットが、小説をネットで募集すると新聞で発表した。
私はどうしてもその「パスカル短編文学新人賞」に応募したいと思った。
そのために私はまずパソコンを手に入れなくてはならなかった。
あのとき女房に頭を下げて、パソコンとプリンターを買いたいことを話した。
30万円弱かかったが、妻はそれを許してくれた。
私はパソコンを買ってからパソコン通信につなぐのに苦労した。
なにしろMS-DOS(Windowsの前のOSです)から勉強しなければならなかった。
なんとかパソコン通信につなぐことができて、ニフティサーブとASAHIネットにもぐり込んだ。
ASAHIネットのパスカルの会議室に書き込んでいたら、ある人に第7句会という句会に誘われた。
そこには芥川賞を受賞する前の川上弘美さんと長嶋有さんがいた。
オフ句会のあと、楽しくお酒を飲んだ。
ASAHIネットの「かしの木亭談話室」という会議室に私は、
九想話の原型のような文章を気が向くと書きはじめた。
そのうちそれを「九想話」という名前で書くようになった。
2001年4月4日に九想庵というホームページを立ち上げ、
そこに九想話のページとそれまで作った俳句と小説のページを作った。
2005年10月からgooがブログを始めるという。
それで私はホームページに書いていた九想話を、gooブログに書くことにした。
しかし、そのgooブログが今年の11月で終了になるという。
今、いろいろ考える。
今のところ一番に考えていることは、〝九想話をやめる〟ということです。
小説を書くために書き始めた九想話なのに、私は九想話に夢中になり小説を書いてこなかった。
毎日九想話に何を書こうかと考えることが大変だった。
九想話を書き終えるとホッとした。
ある種の充実感を感じて、あとは何もする気がなくて寝るだけの暮らしだった。
そんな暮らしを26・7年してきた。
それなりに楽しかったが、本末転倒ですね。
私は今73歳で先が長くない。
今頃になってしみじみ考えます。
九想話より、小説を書かなくてと思う。
これからの私には、たいした小説は書けないと思う。
でも私はこの世に生まれてきて、やりたいことを一所懸命やってこなかった。
遅ればせながらこれから、書きたかった小説を毎日書いて、九想話はやめようと思う。
なので8月から九想話を書くことはやめます。
私の早朝ウォーキングで出会ったオニユリです