所沢まつり

2002年10月13日 | 暮らし

女房が先日やった
スペインレストランでのライブの反省会を
所沢駅近くの先生の家でやっている。
そのときのビデオを見て、
料理を食べ、ワインを飲んでいるのだろう。

3時半頃終わるというメールが来たので、
その頃まで、所沢駅にウォーキングで行ってる。
と私はケータイのメールを打ち出かけた。
家から所沢駅までは2駅ある。
40分ぐらいで行けるはずだ。

市街地に入ると、車は進入禁止になっていて、
道路中すごい人間が蠢いていた。
山車が何台もあった。
人と人の間で動きずらそうだった。
山車の上には、笛や太鼓の囃子方と
ひょっとこやおかめの面をつけて
踊るひとが乗っている。
お囃子を聴いていて、
なぜか涙が出てきてしまう。
太鼓叩いてるひとも、
笛を吹いてるひとも、
山車を引いてる大勢のひとも、
日頃の暮らしで苦労しているんだ。
そんなことを心の底に沈めて、
今日は祭りに酔っている。

プロペ通りなんて、人ひとヒトで歩けなかった。
所沢駅に着く頃、女房から電話があった。
駅前にはステージがあり、ロックバンドが演奏していた。
本当は、私たちのバンドもあそこでやる予定だった。
ヴォーカルのひとが仕事が忙しくて、
今回は見合わせた。

女房がやってきて、ふたりで歩く。
道ばたの店でビーシュ(発泡酒)を買った。
130円だった。
ビールが200円なのでありがたい。
焼きイカと焼き鳥も買う。
これですっかりお祭り気分になれた。
しばらく歩いてビーシュの次は樽酒にした。
紙コップで300円。升だと500円だった。
私は当然紙コップ。これがうまい。

駅に戻ると、アルトサックスの音が聴こえた。
あ、あれはキムさんの音だ。
ステージ脇に行くと、キムさんが降りできた。
女房を紹介した。
今日は、総合司会もしている。

そこにいるとバンドの仲間が次々来た。
ベースとギターはステージに立ったようだ。
われわれのバンドのリーダーもいた。
息子がバイトしたコンビニのオーナーだ。
女房に紹介すると、
「息子がお世話になりまして」
なんてお礼をいっていた。

ステージの前のイスには、
楽家のマスター、ママ、常連の客がいた。
土日で1泊の旅行をしてきたはずだ。
私はお金がなくて参加しなかった。

女房に話しかけてきた女性がいた。
ふたりは楽しそうに話している。
息子が小6のとき、
同じクラスの子のお母さんらしい。
今日は、ロックバンドのキーボードとして
参加しているという。
「もう孫がいるのよ」なんて話していた。
別れてから女房が、
「あのひとの名前が思い出せない」
と悩んでいた。

私はそこの「いいちこ(焼酎)」をけっこう飲んで、
すっかり出来上がってしまった。
昼間、真っ青だった空が薄墨色になってきた。
白く光る蝶みたいなものが沢山飛んでいる。
あれは蝙蝠だと教えてもらった。
いろいろな照明に反射して白く見えるらしい。
6時ちょうどにその場所を離れた。
思いがけなく楽しい所沢まつりだった。

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ある離婚

2002年10月13日 | 友人

昨日、天気がよかったので、
頭もすっきりさせようと思って、床屋に行った。
12時過ぎ、床屋から帰ってきたら、
行く前には寝ていた女房が起きていた。

「みきちゃんが離婚したんだって!!」
いきなり女房がそういう。
「みきちゃんって、あのみきちゃん」
「そう。午後2時に小手指駅で会うことにしたの」
私の心にただならぬ衝撃波が広がった。

みきちゃんは女房の友人で、
この公団住宅に住んでいた。
息子たちが幼稚園に行ってたとき、
娘さんも同じ幼稚園で、それで友だちになった。
息子たちが小学生に上がった頃、
西武池袋線の所沢から4、5番目の駅の
マンションを買って引っ越した。
みきちゃんの旦那さんが友人と会社を起こし、
収入が増えマンションを買ったことを聞いた。
3DKのマンション。
私たちには夢の世界だった。
新しい家具があり、娘さんの部屋もあった。
その頃、私たちは築40年近いテラスハウスの2DK。

そのマンションの横を入間川が流れていて、
引っ越してから2、3年は、
幼稚園で仲の良かった3家族が集まって、
毎年春に河原でバーベキューをした。

もうひとりの友人の旦那さんは、
国立大学を出て、
誰もが知ってる大きな会社に入っていた。
やはり、子どもが幼稚園を出た頃、
川越の先に建て売りの一軒家を購入していた。
うちは…、今でも公団住まい。

息子たちが中学生の頃か、
みきちゃんの旦那さんの会社が傾いた。
マンションを売ってその金を、
会社の資金繰りに回したとかいう話を聞いた。
初めてバーベキューに行ったとき、
嬉しそうにマンションの部屋を案内してくれた
みきちゃん夫婦の姿を想った。

夕方、女房が帰ってきたとき、私は布団に寝ていた。
(ああ…、怠惰な休日をまた過ごしている)
「みきちゃんの旦那さん、自己破産したんだって。
 ふたりで自己破産しなくてもいいように、
 離婚したんだって」
「それじゃ、へんなことで別れたんじゃないんだね」
何年かしたら元の鞘に収まるかな、
と思ってほっとした。
いや、それは分からないだろう。
娘さんは高校を出て就職しているという。
一度“離婚”という状態になってしまったら、
やはり難しいかな。

うちだってこれまで、
こういうことがなくはなかった。
紙一重の人生を送っている。

………………………………………………………………

昨日は夕方から、
インターネットにアクセス出来なくて困った。
深夜までいろいろやったが復旧しなくて
九想庵を更新出来なかった。
ルーターのせいだとは分かっていた。
息子が朝帰りしてきて、直してくれた。
立場が逆転している。
嬉しいような、哀しいような。

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ネットオークション

2002年10月11日 | 家族

女房は今、
インターネットのオークションにはまっている。
念願だった
Yahoo!オークションのメンバーになれたので、
朝、夜、家にいて家事の合間あいまに見ている。
何をそんなに熱心に見ているのかと訊くと、
「入札したものの、価格の上昇が気になる」
という。

まずはじめに、
フラメンコの衣装の小物を買った。
800円ぐらいで落札した。
これでネットオークションの
流れを勉強できたようです。

ここのところ必死になって見ているのは、
フェンディのバッグです。
中古でいいから、
ブランドのバッグが欲しいという。
それを聞いて私は情けなくなった。
私の収入ではブランドのバッグなど
買ってやれない。

女房は、
コピーでもいいから、
安いものを買いたいという。
1万円以上では買いたくないといいきる。
いたって明るい。

先週、あるフェンディのバッグを追っかけていた。
それが1万円を超えていき、
泣く泣くあきらめた。

今夜、別なものを1万円で落札したと喜んでいた。
あのひとは、次はなにを狙うだろう。

私もさっき
Yahoo!オークションのノートパソコンを見ていた。
ちょっとはまりそうだ。

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秋風吹く

2002年10月10日 | 会社・仕事関係

今夜は九想話に何を書こうかな、
なんて思いながら asahi.com を見たら、
<ホンダが「アコード」をフルモデルチェンジ>
という記事があった。

私が3月まで製造にいたとき、
この車のリアグラスとサイドウィンドウを
成形していた。
今回のモデルチェンジで、
ガラスがうちの親会社から
他のガラスメーカーになった。
それでわが社の仕事ではなくなった。
そして第2工場が閉鎖された。

昨年、CR-Vのモデルチェンジで、
このガラスの仕事もなくなった。
私は以前、ペルーやブラジルの女性を使って
成形したガラスの仕上げをやっていたが、
10月から派遣の女性はゼロになった。
あの頃、第3工場の2階で
20人近くの人間で仕事をしていた。
そこに今日用事があって行ったが、
2人しかいなかった。

私の会社に、冬風の吹くのも近い。

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初めての嘘

2002年10月09日 | 家族

会社の同僚の子どもが、
ボタンを飲んでしまった。
2歳の男の子で、
飲んだボタンが腸をふさぐように
止まっているらしい。

小児科に連れていった奥さんから電話があった。
内視鏡でそのボタンを取るという。
彼は子どもが5人いる。
同僚は半休を取って家に帰った。

うちのKも幼稚園のとき、
パチンコの玉を飲んでしまった。
病院でレントゲンを撮り、
それを見た医者は、
「2、3日で出てくるでしょう」
と女房にいったらしい。
私は家に帰るまで知らなかった。

息子がいうには、
地面にパチンコ玉をぶつけたら、
それが跳ね返ってきて、
口の中に入ってしまった。
ということだった。
そんなことないだろう、と私は疑った。
あとでUがいうには、
Kが口の中に、
パチンコ玉を入れてもぐもぐやっていたら、
それが喉の奥に入ってしまったらしい。
Kの初めてついた嘘だった。
あいつなりに、
考えに考えた言い訳だったのかな。

しかし、あのとき私と女房は心配したっけ。
ウンチと一緒に出てくるといわれても、
ほんとかなと半信半疑だった。
パチンコ玉が出てきたときは嬉しかった。

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濡れて行く女

2002年10月08日 | 暮らし

8時頃、携帯電話が鳴った。
「今日、練習日なんですけど来られますか?」
いつものやさしいSさんの声だ。

テレビの前でゴロゴロしていたおれは、
いそいでケーナをバッグに入れて家を出た。
バンドの練習日だった。

家を出て中央公園の脇を、
傘を差して早足で歩いた。
目の前10メートル先を、若い女性が歩いている。
両手にバッグとレジ袋を持っていて
傘を差していない。
なぜかゆっくり歩いている。

急いで歩いているおれが追い抜いてしまう。
どんどん女の子に近づいていく。
それなりに雨は降っていて、
傘を差していないと濡れてしまう。
傘を差し掛けようか、と思った。
しかし、それはへんだ。
おれはアカの他人だ。
スケベなオヤジと思われるだろう。
でも、彼女は雨の中。
つぶ濡れだ。

おれは、悩んだ末、
道路を横断して反対側の歩道に行った。

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男と女の間には

2002年10月07日 | 映画

テレビで午後9時から、
「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」を観た。
寅とリリーが惚れ合っているのに、
なぜか結ばれない。
互いに、どうせおれなんか、私なんか、
という想いがある。
ああ…、じれったい。

もっと自分に素直になればいいのに、
なんて思いながら観ていた。
しょせん映画なのに、
山田洋次監督は観客をそういう気持ちにさせようと
作ったのは分かっているのだが、
思うつぼにはまってしまう。

私は日刊イトイ新聞のメールマガジン
「ほぼ日デリバリー版」をとってるのですが、
その中に、「28歳の人へ」というものがある。
「28歳だけど、男の人とつきあったことがないんです」
というメールが「ほぼ日」に来て、
それを「ほぼ日デリバリー版」に載せてから
すごい反響のメールが続いている。
それらを読んでいて、
身につまされたり、「自分の人生がんばれよ」と
心で応援している。

♪男と女の間には
 深くて暗い川がある

むかし、日本女子大の講堂で、
野坂昭如がうたった「黒の舟歌」が蘇る。
私がポン女の生協に勤めていた29年前のことです。
黒ずくめの野坂は、一所懸命うたっていた。

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スペイン料理

2002年10月06日 | 家族

今日も早朝から布団の中で、
花村萬月を読んでいた。
いまひとつ、体調がよくない。

珍しく女房が日曜日に朝から起きて、
何かやっている。
プリンターの音がする。
10時頃布団から出る。
「今日は、スペイン料理だよ」
うれしそうに女房がいう。
インターネットからスペイン料理のレシピを
プリントアウトしていた。

食事をして、買い物に行った。
スペイン料理のための食材を買ったのです。
家に帰ってから、おれは調子が悪いので寝た。

5時をつげる鳩時計の音で目が覚めた。
トイレに起きると、
女房が「味見て」という。
「ガスパチョ」というスープだった。
スプーン一杯口に入れただけで、
もういい、と思った。
おれには合わない。

夕ご飯のとき息子のKも
ちょっと食べていらないといった。
ピラフのような「パエリア」は、
それなりに食べていた。
これはおれも食べられた。
Uはまだ帰っていない。
おそらく「ガスパチョ」は敬遠するだろう。

女房はひとり、うまいうまいと食べていた。
フラメンコの先生の家でご馳走になって、
おいしいと思い作ったという。

それにしても体調が悪い。
金曜日に早退してから、
ほとんど家では寝ていた。
風邪なのか?
明日仕事を休むわけにはいかない。

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書けない

2002年10月05日 | 暮らし

今朝は5時半頃から目が覚めて、
ラジオを聴いたり、
本を読んだりしていた。
今日は休日です。
昨日からの頭痛はない。
外は快晴。

朝からいろいろ
九想話に書くことを考えていた。
あれも、あのことも書きたいと思った。
しかし、今、
何も書く気がしない。
すみません。

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八重子のハミング

2002年10月04日 | 家族

今日は朝から頭が痛かった。
しかし、朝、私のしている仕事は私がいかないと
他にする人がいない。
私は他の社員より、1時間早く出勤している。
電話すれば替わってもらえるが、
面倒くさいので出勤した。

どうしても頭痛が治らないので、
早退することにした。
帰り道、車でラジオを聴いていると、
朗読が始まった。
今、NHKのホームページの番組表を見て、
私の本棚 ▼「八重子のハミング」 陽信孝 著
▽津嘉山正種 朗読
ということを知った。

聴いていて涙がじわーっと出てきた。
運転するのに涙が邪魔だった。
本の内容は悲惨な話です。
でも、心はあったかくなった。

おそらく月曜日から始まった朗読だろうと思う。
奥さんがアルツハイマー病にかかり、
それを介護する話だ。
番組が終わってリスナーから来たハガキを紹介した。
「涙なくては聴いてられない」
というようなハガキが多く、同感だった。

その話を、
フラメンコの練習から帰ってきた女房に話した。
「頼むから、アルツハイマーにならないでよ」
「だーい丈夫よ。私はならないよ」
「心配だな」

さっき息子が、
大皿にあるチャーハンを皿に分けるとき、
中からチャーハンの調味料が入っていた袋が出てきた。
女房が練習に行く前に作っておいたものだ。
どうしてこんなものが入っているのだろう?
と息子と2人で驚いた。
メシを炒めているときに、
かき回していれば、銀色の袋に気が付くと思う。
まったくいい加減な女房です。
こうして今から呆けていれば、
これ以上ひどくはならないかな。

私のほうこそ、
アルツハイマー病になってしまうかも…。
「それだけはやめて」
女房にいわれてしまった。

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