ニッコウキスゲ

2013年07月31日 | 健康・病気



これは、霧ヶ峰高原のキッコウキスゲです。

今日、車山山頂、霧ヶ峰高原、七島八島湿原に行ってきた。
140余キロほど車で走ってきました。
東京に帰るときには145キロほど乗るのですが、
高速道路のせいかそれほど疲れないが、今日は疲れました。
いえ、考えたら昨日今日と沢山歩きました。
詳しいことはいずれ書きたいと思います。
今夜は休ませて下さい。
これから句会のための俳句を作って投句して寝ます。

………………………………………………………………………………………………………………………

7月の九想話

7/1    紫匂う
7/2    天ぷら
7/3    息子たちの誕生日
7/5    マンボウ
7/6    良い本に感謝
7/6    赦す人
7/8    赦す人(つづき)
7/10  7月、軽井沢の花
7/11  誕生日休暇
7/12  東京パラダイス
7/13  五木ひろし・夜明けのブルース
7/13  冬の一等星
7/16  期日前投票                期日前投票場の暑さかな
7/18  映画三昧
7/19  落陽 LIVE2012
7/20  湯川ふるさと公園の花
7/21  軽井沢町役場からのメール
7/23  東京にいます
7/26  湯川ふるさと公園の花 2         ウバユリは自分のために咲いている
                                            咲く前にウバユリという名で呼ばれ
                                            ひょうきんなマムシグサでも堅い実に
7/27  トロンボーン
7/28  変哲半生記
7/29  小沢昭一というひと
7/30  塩沢湖へ散歩
7/31  ニッコウキスゲ

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塩沢湖へ散歩

2013年07月30日 | 健康・病気

今日は、塩沢湖まで散歩した。
女房が日曜日に来ている。
いつもは湯川ふるさと公園からツルヤあたりの散歩で終わりですが、今日は、遠出をしてみようとなったのです。
ふるさと公園をいったん出て左のほうへ歩いた。
道路脇にキレイな花やトウモロコシ、キュウリなどが植えられていた。

  

  

この道は、私のウォーキングコースです。
いつもは通り過ぎる離山房で今日はコーヒーを飲んでみよう、ということになった。
650円のブレンドコーヒーを飲みました。
帰るときに店内の写真を見せてもらった。
ジョン・レノンの写真があった。
オーナーとレノンの一緒の写真もあった。
レノンは、離山房が好きだったんだな、と思った。
オーナーのひとは、お客を丁寧に見送ってくれた。

 

 

上の写真の右の店は、鶏味座(とりみくら)という店です。
以前、ここで食べた親子丼が美味しかった。
右の写真は、十日夜(とうかんや)です。
こういうものが道路に展示してあった。
以前、軽井沢から東京に帰るときに行った群馬県の資料館にもありました。
稲の収穫を感謝し翌年の豊穣を祈って、地面をこれで子どもたちが叩く、と書いてあった。
私の生まれた茨城では十五夜の夜に「ぼうじぼ」としてやった。
十五夜のおそなえものの前でこれをやると1円から100円ほどもらえた。
この藁の姿を見て懐かしくなりました。

 

塩沢湖に行った。
しかし、入場料が800円だった。
入場することを断念した。
(なんのためにここまで来たのだ?)

   

  
                            ↑
バイパスから塩沢湖に行くあたりにテニスコートが沢山あった。
むかしは、民宿に泊まって軽井沢でテニスをした若い人が大勢いたんだろうな、と思った。
今日は、ほとんどテニスをやっている人がいなかった。

  

裏道を行くと、小さな神社があった。

  

初めて歩いた道だったが、私の予想したとおり、ホテル「パイプのけむり」があった。
そして、ツルヤに私たちはたどり着いた。
ツルヤで夕食の買い物をして、ふるさと公園の道を歩いた。
先日、写真を撮ったウバユリの沢山咲いているところを女房に見せた。

  

今日は、2時間半散歩した。
途中、コーヒーなど飲んだから、2時間はきっちり歩いている。
疲れました。
ビールを飲み、女房が作ってくれた冷やし中華を食べたあとは昼寝をした。
目が覚めたら夕方だった。



夕食は8時、メインディッシュは職場のひとにいただいたインゲンやカボチャとピーマンの天ぷら、
4oo円ぐらいのびん長マグロの刺身、それとサラダ、お新香という質素な夕食です。
ビールだけは豪華です。
今日は、ニセビールではありません。 

 

  

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小沢昭一というひと

2013年07月29日 | 健康・病気

私は、小沢昭一という人間が好きです。
むかし、小沢昭一が芸能座という劇団を立ち上げたときに、真剣にその劇団に入りたいと思った。
そのときの私は演劇の経験がまったくなかったので、
まず、演劇の経験をしようと思い、ある劇団に入いった。
舞台に何回か立って、私に演劇は合わないと理解して演劇から離れた。
芸能座旗揚げ公演、永六輔作・小沢昭一演出の「清水次郎長伝伝」を私は観に行きました。
紀伊国屋ホールでの公演はよかった。

「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(TBSラジオ)は、放送開始の昭和48年から、聴けるときに聴いていた。
軽井沢で暮らすようになって、ほぼ午後1時からの勤務なので
12時20分から始まるこの番組を通勤の車のラジオで毎日のように聴いていた。

小沢昭一のハーモニカがよかった。
2003年6月18日に「帰ってきた『中年』御三家」コンサートがNHKホールであった。
野坂昭如は病気で出られなかった。
6月19日の九想話「帰ってきた『中年』御三家」にだいたいのことが書いてある。



小沢昭一の話も味がありましたね。
1・2年前、ラジオ深夜便で話をしていた。
歳をとってから夜中にオシッコに行くことが多くなった。
そのうち、トイレに行くことがめんどくさくなったので、シビンを使うようになった。
「あれは楽でいいですよ」としみじみ話していた。
それを聴いていて、私もいつか夜中にオシッコが多くなったらシビンを使おうと思った。
小沢昭一の話は、面白くて味があって、説得力がありましたね。

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変哲半生記

2013年07月28日 | 健康・病気

今日、御代田町立図書館で「俳句で綴る 変哲半生記 小沢昭一」(岩波書店)を借りた。
10日ほど前、この図書館でこの句集を見つけたとき、絶対借りようと思った。

そのときは別な新刊を借りたかったので諦めた。
御代田町立図書館では、新刊は1冊だけしか借りられないのです。
ここでは、毎月新刊を数冊を購入している。
いろんな文学賞を受賞した小説の本が沢山あります。
これが魅力的なのです。
悲しいことに、中軽井沢の図書館の新刊には魅力を感じない。
新しく開館して最近までは中軽井沢の図書館に行っていたけれど、もうこれからは行かないだろう。
中軽井沢の図書館には、私が読みたいと思う本が少ない。
それに比べて、御代田の図書館には魅力的な新刊が沢山あります。
御代田町立図書館の新刊担当者が素晴らしいのでしょうね。
軽井沢図書館の新刊購入の方針が、私にはイマイチ理解できないです。
御代田町に行くことは私としてはとても面倒なんですが、借りたい本があるということは私にとって魅力です。
中軽井沢の図書館には、私が読みたい本が少ない。
私の職場には、目の前に佐久市の図書館があるのですが、そこには行きたくない。
一度行って、これが図書館か?と思ってしまいました。(あくまでも個人の感想です)

「俳句で綴る 変哲半生記 小沢昭一」を、今夜読み始めました。
ザッと読んで、私の心にとまった句をここに記します。

昭和44年
1月
  スナックに煮凝のあるママの過去
4月
  浮く花をこなまいきにも蝌蚪つつき
9月
  二号という噂の人や初さんま
11月
  よくも乗ったり物干竿に枯葉かな
12月
  クリスマス聖し夜に浮けクリトリス
  短日や友の帰郷の残り酒
昭和45年
6月
  原節子の会陰部に咲け黴の華
  しごかれてものになる鵜もならぬ鵜も
昭和46年
3月
  電線を五線譜にして燕哉
昭和47年
1月
  この婆ととにもかくにも姫始め
2月
  わが咳と女の咳や暗き宿
昭和48年
12月
  屏風の句読んで読めずに客間かな
  吸殻のたまるせつなき火鉢かな
昭和49年
2月
  ふと商売替えを想いて春寒く

今夜は、「第一章 俳句を知り始めしころ」の句を読んだ。
昭和52年までに発表された句です。
ほんとうに小沢昭一は、俳句が好きだったのだと思う。
しかし、私にとって面白い句が昭和49年までに多かった。
それからは、心にとまる句が少なかった。
これはどういうことなのだろう。
ま、私の読み方なんていいかげんです。

この句集には、平成24年までの句がある。
全部で4,000句あるという。
しかし、こうして俳句を作り始めてから句の全部ある句集があることが羨ましい。
私は40歳から俳句を作ってきたが、全部の記録がない。
ああ…、全部何かに書いておけばよかった。
ま、私の句なんて…。

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トロンボーン

2013年07月27日 | 健康・病気

無伴奏チェロ組曲[トロンボーンソロ](J.S.バッハ)



今夜は、トロンボーンが聴きたくなった。
私が中学・高校と吹いていた楽器です。
30歳の頃も2年ほど市民吹奏楽団で吹いていた。
それで、YouTubeに「トロンボーン」と入力して探してみた。
この演奏、素晴らしいですね。
トロンボーンでこの曲を吹いてしまうなんて、私には考えられません。
この演奏を聴いて、私はただただ感動だけです。

中学生に入り私は吹奏楽部に入った。
小学生のときに仲の良かった3人で一緒に入った。
それでKがホルン、幼なじみのTがユーフォニューム、私がトロンボーンになった。
2人は1年のときから自分の楽器を与えられたが、私にはなかった。
3年生が練習を終えてから、私は先輩の楽器を借りて練習した。
なので私は、全体練習には参加できず、部の練習が終わるまでの短い時間しか吹けなかった。
なので、私はなかなかトロンボーンがうまく吹けなかった。(言い訳がましい)
他の1年生は、部の練習の最初から楽器を吹けるのに私は、ほんの10分か20分しか吹けなかった。
2年生になって、卒業した先輩のトロンボーンが私のものになった。

私のパートはセカンドトロンボーンです。
このパートはちょっと淋しい。
その頃、だいたい行進曲を練習していた。
トロンボーンは、リズムがほとんどだった。
チューバが前打ちで、トロンボーンとホルンが後打ちだ。
トロンボーンにメロディがあっても、それはファーストトロンボーンです。
セカンドトロンボーンには、まったくといっていいほどメロディがなかった。
正直なところ私は、トロンボーンという楽器を怨んだ。
そして〝セカンド〟というパートを軽蔑していた。
なぜか私の人生は、中学生のときから〝セカンド〟だった。
いつも2番目かそれ以下なんだな。
トップにはなれない暮らしをしてきた。

 

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湯川ふるさと公園の花 2

2013年07月26日 | 健康・病気

 

ウバユリが咲きそうです。

 

200mほど下流のところにあったウバユリは、咲いていた。

 

 

 

 

マムシグサがこんなふうになりました。

 

 

花にくわしくないので何も書けません。


   ウバユリは自分のために咲いている

   咲く前にウバユリという名で呼ばれ

   ひょうきんなマムシグサでも堅い実に      九想

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東京にいます

2013年07月23日 | 健康・病気

昨日、東京に来ました。
今月初めての連休です。
昨日は、新所沢の居酒屋「まる」に飲みに行った。
最初、駄菓子屋居酒屋「まる」として開店したが、
お客さんたちの意見を聞き駄菓子屋はやめたそうだ。
現在は、アルバイトの男の子を使い、なかなか景気よくやっていた。

私は、肥さんと7時に会う約束をしていた。
私が新所沢駅に着いたときにはものすごい雨が降っていた。
しかたなく私は、パルコの100円ショップに行って傘を買った。
7時にまるに入ると、肥さんはいました。
私が肥さんと会うのは約3か月ぶりです。
いつものようにブログを書く苦労話をした。
共通の話題を話すことは楽しい。
最近、私はサボりぎみですが、肥さんは毎日ブログを更新している。
頭が下がります。
肥さんが9時頃帰った。
翌日、顧問をしているバレー部の県大会が始まるという。
教師というものは大変ですね。
夏休みになっても、〝仕事〟がある。
肥さんが帰ってから隣のひとと話した。
最初は、アンチジャイアンツということで盛り上がった。
そのうち私の息子が双子だと話すと、「実は、私は双子で生まれました」という。
生まれて1日半ほどで一緒に生まれた〝兄〟が死んだという。
そしてバッグから、亡くなったお兄さんの戒名を書いた紙を見せてくれた。
「私は、この亡くなった兄がいたから今の自分がいるんです」
そう思っているので、こうして毎日この紙を持っています。
野球のことを話していても、彼のいうことは間違っていないな、と思った。
お兄さんの話も納得できた。
新所沢の夜を楽しみました。

今日は、武蔵野線の北朝霞駅前のガストで旗坊さんと食事をした。
ビールを飲んでいろんな話をした。
主に、俳句のことです。
私は、宗匠には頭が上がりません。
私は、これから俳句を続けて行く自信がなくなりました。
彼と話すと、私はいつもこうなります。
政治のことも、特に日曜日にあった参院選の話を濃く話した。
互いの仕事のことなども話した。
くわしいことはここに書きません。
61歳の男の心は繊細です。
簡単には書けません。
外に出るとものすごい雨だった。
まさしく〝ゲリラ豪雨〟です。
隣のマクドナルドでコーヒーを飲んだ。
雨が上がってから外に出た。
今日も楽しい時間を過ごせた。
昼に食事もいいな、と思った。
池袋の夜もいいですけどね。

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軽井沢町役場からのメール

2013年07月21日 | 健康・病気

> 町内各所でクワやサクラの実が熟しています。
> クワの実など甘い実は、クマやサルなど野生動物にとっては大好物ですので、
> 実が落ちきるまで、クマとの遭遇にご注意ください。
> また、朝晩散歩をするときは、鈴など音の鳴るものを携帯し、
> 見通しの悪いやぶ付近を通行する際には、十分注意してください。

今年も、こんなメールが来てしまった。
これからウォーキングをするときは必ず鈴を持って出かけなくては…。
じつは昨日、鈴を忘れて歩いていました。

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湯川ふるさと公園の花

2013年07月20日 | 健康・病気

 

 

久しぶりに湯川ふるさと公園に行った。
このところとても暑い日が続き、午前11時前後はウォーキングは出来なかった。
今日は、ちょっと涼しかったので歩く気になった。

黒い葉っぱのつぼみは、ウバユリです。
ふるさと公園にかなりありました。
もう少しであっちこっちにウバユリが咲き始める。
はじめの頃はちょっとイヤな花だなと思っていたが、
今は好きになりました。
咲くことを楽しみにしている私です。

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落陽 LIVE2012

2013年07月19日 | 健康・病気

落陽 LIVE2012  Takuro Yoshida



今夜はこの歌がどうしても聴きたかった。
(少し今夜は、疲れていて、酒を飲んでます)
この「落陽」は、以前にも取り上げている。
2011年1月14日「拓郎の落陽」という九想話です。

この歌は、1973年(私が21歳のときです)に発売されている。
私は、よくこの歌を聴いて、ギターを弾いて何度も歌っていた。
そして、なんかこんなじいさんに会いたくて、25歳のとき北海道に行った。
上野駅から夜行列車に乗り、青森駅まで行き、青函連絡船で函館に着いた。
函館の街をうろつき、函館山にもロープウェイで登り、夜は居酒屋で電車の時間まで飲んで、
夜行で小樽まで行って、昼間に小樽を見学してから札幌に行った。
札幌では大学生協で一緒に働いていた友人と会った。
彼は、夏休みで札幌に帰っていた。
札幌を案内してもらい、その夜すすきので飲んだ。
それから稚内、利尻島、網走、知床半島へと旅をした。
カムイワッカの滝の温泉が素晴らしかった。
(2011年8月16日九想話「若かった」)
斜里町のオヤジの家(だったかな?)という民宿がよかった。
(2年後、女房と行ったときにもそこに泊まった)
夜はなるべく電車での移動にしたので、布団にはあまり寝ていない旅だった。

このライブは去年のものなんですね。
私は拓郎のライブには行ったことがない。
拓郎か私が生きているうちに、一度は行きたいなァ。
この「落陽」は、ツインリードギターがいいですね。

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