44歳になった息子たち

2024年07月03日 | 家族

今日は、息子たちの誕生日です。
44歳になりました。
朝、女房が息子たちに〝誕生日おめでとう〟とLINEを送ったという。

今日の夕方、録画しておいたドラマ「燕は戻ってこない」(最終回)を観た。
主人公リキが双子を産んだ。
その生まれた双子の映像を観て私は1980年7月3日の朝、
東京都新宿の病院で出会った息子たちの姿を思い出した。
息子たちも未熟児だったので、保育器の中にいた。
私はそれから板橋の会社に行き、仕事をしながら息子たちの名前を考えた。
あれから私はいくつ転職したことか?

長男は大学を出てから1回会社をかえた。
次男は1つの会社を続けているようだ。
何回も転職を繰り返してきた私は、そんな息子たちにホッとしている。
息子たちが大学を卒業するときは、就職難のときだった。
なんとか就職して、正社員として働いてきた。
息子たちは20代で結婚して、マイホームを手に入れた。

夜になって女房に聞いた。
「息子たちから返事は来た?」
次男からは「ありがとう」というLINEスタンプが来たそうだ。
長男は既読にもなってないという。
あいつらは、そんなもんだろう。
息子たち家族が、健康で楽しく暮らしていたらそれだけでいい。



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少子化に思う

2024年06月05日 | 家族

2023年の合計特殊出生率は「1.20」で過去最低更新 東京都は「0.99」と全国で初めて「1」を下回る
 (TBS NEWS DIG\)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/nation/tbs-1212632


>1人の女性が生涯で出産する子どもの数を示す「合計特殊出生率」は去年、
>「1.20」となり、過去最低を更新したことが分かりました。都道府県別で
>は初めて東京都で「1」を下回りました。
(略)
>また、去年1年間に生まれた子どもの数は前の年から4万人余り減って72万
>7277人でした。
(略)
>厚労省は少子化の背景について「経済的な不安定さ、仕事と子育ての両立
>の難しさなど様々な要因が考えられる」としています。

>また、婚姻の件数は47万4717組で、戦後初めて50万組を下回りました。

私は、以前から九想話に書いていますが、現在の少子化の大きな原因は、
若い人が結婚できないからだと思う。
非正規雇用では、結婚はむずかしい。
私は、26歳で結婚したが、一応正社員相当の身分だった。
私が51歳の6月に勤めていた会社が消滅した。
労働組合を作ったので、親会社から整理されたと私は考えています。
その年の3月に息子たちは大学を卒業した。
私は高校を出てから20回以上転職をしてきたが、54歳までは正社員だった。
安い給料だったが、賞与は夏と暮れにいただけた。
それからはアルバイトみたいな仕事だったので、賞与はなかった。

私たち夫婦は、子どもは生んでも1人だと考えていた。
私のそのときの収入では、2人は育てられなかった。
ところが、息子たちは双子で生まれてきてしまった。
必死になって女房と私は、2人の息子たちを育ててきました。
なんとか大学まで行かせて卒業してもらった。
何度か転職した私は会社の給料は安かったが、賞与はもらえた。
契約社員やフリーターではそれはない。
私は、非正規雇用というものはなくしたほうがいいと思う。
でも会社としては、非正規雇用者という存在は便利なんだろうな。
しかし、やはり非正規雇用では結婚はむずかしい。
日本の少子化を防ぐには、若い人の雇用を安定する方向にしないとムリだと考えます。
うちの息子たちは大学を卒業してから、正社員で働いている。
結婚してマイホームも手に入れて、子どもたちを育てている。
親として私は、よかったと思っています。

結婚がすべてとは思いませんが、したい人はできる環境であってほしい。
私は、所帯を持って子どもを育ててきて、いい人生だと思っています。

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女房との背比べ

2024年06月04日 | 家族

女房が「私の前に立って」という。
立って女房が私の目を見て笑う。
「ひさしくん、身長いくつだっけ?」
なぜか女房は私のことを「ひさしくん」と呼び、私は「えみさん」と呼んでいる。
私のほうが年上なのにです。
「168センチだよ」
私は、50代までは170センチだった。
60代になって背が縮んで168センチになってしまった。
女房は164センチです。
でも、お互いに立って見ると女房は、私をバカにする。
「ほぼ同じじゃない」
たしかに、女房と同じ目の位置にある。
でも〝4センチ〟は、私の背のほうが高いはずだ。
女房は勝ち誇ったようにいう。
「背は、ひさしくんとほぼ同じだよ」
私は最近、168センチより低くなったかも知れない。
私はこの頃、忸怩たる思いで生きてます。

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今日は母の日

2024年05月12日 | 家族

今日女房は、千葉の施設にいる母親のところに行くために、朝6時半に家を出た。
義母は現在、義弟が住むところの近くの施設で暮らしている。
今日持って行くんだと、昨日スーパーでいろいろなお菓子などを買っていた。
義母は93歳になるのかな?
認知症にはなってないがかなり耳が遠くなり、
女房と電話で話していても、なかなか会話がなりたたないようだ。
それでも母親から毎日何度も電話がかかってきて、女房は丁寧に話している。
義母には、うちでガラケーを買って持ってもらっている。
女房の母親は、電話で娘と話すことがなにより楽しいようです。
その母親に女房は、根気よくつきあっています。
今日は、筆談なんかもして妻は、母親と沢山話してきたようです。



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女房は就活中-その後

2024年03月12日 | 家族

女房が就職を希望して面接した会社から、今日までなんの連絡もなかった。
妻は「もうあそこはいい、別なところを探す」と先週末にいっていた。
そして、スマホでハローワークの求人サイトをのぞいては、いろいろ会社を探していた。
「この学校給食委託会社いいかな? 家から歩いて行ける」
「いつも行くこのスーパーで、清掃人を募集している」
などと私にいってくる。
私としてはなんといったらいいか困っていた。
面接したときに妻は、「1週間ぐらいで返事をします」といわれたという。
なのに、1週間たっても〝なしのつぶて〟です。
「1週間たってもなんの連絡がないのは、まともな会社じゃないな」と私は思った。
私は自慢じゃないが、これまで25回以上は転職している。
就職を求めて面接は100回以上はしてきた。
(1回の転職で、だいたい平均して4回以上は面接をしてきた)
それで1週間以上たって返事がないということは、まずなかった。
(つまらない経験談ですね)

今日妻は、ハローワークに行きたいと私にいう。
「1週間以上たっても面接した会社からなんの返事もないので、次のところを探したい」
と職安の人にいいたい、という。
それで今日の10時頃、ハローワークに行った。
2人で30分ほど職安で待った。
女房が呼ばれて、担当の人と話した。
ハローワークの担当者が、女房が面接した会社に電話をしていた。

ハローワークを出るとき妻が話してくれた。
「私、採用されたみたい、ただ上司の承認がすんでなくて、連絡ができなかったんだって」
いったい上司が何人いる大会社なんだ、と私は思った。
今日の午後、女房に「採用します」という電話があった。
「今日、職安に行ってよかった」と妻は喜んでいた。

女房の仕事は大学の新学期が始まってからです。
なので妻は3月中、どこかに旅行に行きたいという。
それで今やっている北陸応援割りを使って行こうか、となった。
茨城の友人に電話で相談した。
「女房の仕事が決まったから3月中に、北陸応援割りを使って旅行に行くことにした」というと、
「それじゃ、一筆書き切符を使えばいい。旅費が安くなるよ」という。
私はそれからパソコンを立ち上げて、〝北陸応援割り〟〝一筆書き切符〟を調べた。

女房もスマホで〝北陸応援割り〟を調べていた。
その結果、もうあまりの人気で〝北陸応援割り〟の予約がいっぱいになり、
予約受付を終了したというホテルがあるという。
私もパソコンでそれらのことを検索してみたが、かなりのホテル・旅館が受付を終了していた。

私は、大宮ー金沢ー京都ー大宮なんて〝一筆書き切符〟を考えて、パソコンで調べてみた。
だけど、泊まるホテルが決まらなければそれは難しい。
いろいろパソコンを見て考えていると、
「私はそんなに電車に乗りたくない」と女房がいう。
女房が考えていたのは、どこかに1泊したいということだった。
私も〝乗り鉄〟ではないので、そんなに電車に乗りたいとは思わなかった。
〝北陸応援割り〟も受付終了しているホテルがあり予約は難しそうだった。
私はもうめんどくさいから、3月に旅行はやめようという気持ちになった。

女房が「それなら北陸に行かないで、別なところに行こうか」という。
それで、〝北陸も一筆書き旅行〟も関係なく行こう、となった。
今の私たちとしては、ひとつの人生の区切りとしてどこかに旅したかった。
お金のことは考えずに、どこかに妻と旅したいと思った。
寝る前に女房は、奈良のいろいろなお寺に行こうかという。
今1人、酒を飲み九想話を書きながら、奈良のお寺巡りもいいな、と思った。
なんと昨日1ヶ月ぶりに、日本酒(月桂冠の「月」1.8リットル)を買ってしまった。
私は、この程度の日本酒で満足です。
そりゃ、それなりの吟醸酒を飲みたいですが・・・。

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妻が越生梅林梅まつりに行く

2024年03月09日 | 家族

今日は妻が、昨年12月まで勤めていた会社の人たちと越生梅林梅まつりに行ってきた。
2人はすでに会社を退職している人で、1人はまだ会社にいる人だそうです。
女房はあまり友だちを作らない人ですが、
それでもその3人とは、今でもLINEでつながっているようです。
うちの隣の東松山市では、毎年11月にウォークラリーというのがあって、
それにその友人たちと参加していた。
ところがコロナ禍でそれが中止になり、ここ3年ほど友人たちと会っていなかった。
今日は久しぶりに会うということでした。

私は今日、女房にあるお願いをした。
今日会う友だちに、私のYouTubeの「はとやま爺ちゃんねる」のチャンネル登録をしてもらうことを。
今朝のチャンネル登録者数は「11人」です。
1,000人を超えないと収益にならない。
ま、私の「はとやま爺ちゃんねる」でお金をいただけることはないと思っています。
でも少しでも、チャンネル登録者数1,000人に近づきたい。
それがこれから動画を撮る気持ちを持続させるエネルギーになるはずです。
今日の午後2時頃、「はとやま爺ちゃんねる」を見るとチャンネル登録者数が14人になっていた。
女房ががんばって、3人に登録してもらったようです。
そして夕方家に帰ってきた妻がいう。
「Eさんの旦那さんもチャンネル登録してくれたって」
私はただただ感謝です。

現在「はとやま爺ちゃんねる」のチャンネル登録者数は15人です。
「新所沢パルコ閉店」の視聴回数は、818回です。
これも励みになります。
明日からまた、YouTubeへの動画の投稿をしたいと思います。
何を撮るか? 難しいですね。

 

 

 

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女房は就活中

2024年03月06日 | 家族

2週間ほど前に、女房とハローワークに行った。
ハローワークに来てる求人情報を、スマホで見られる手続きをするためだった。
それで探した会社に女房は、履歴書を送った。
先週の金曜日、女房は面接に行った。
うちから車で10分ほどで行ける大学で、私が車で送って行った。
女房が面接を受けた会社は、大学の食堂の運営をしている会社で、
妻の仕事は調理補助だった。
面接の時間は10時からだったが、私たちは9時半に行った。
それで妻は面接する場所、私は大学の食堂で待つようにいわれた。
私は久しぶりに、大学の食堂にはいった。
私は21歳の3月から1年5ヶ月、日本女子大生協、それから5年ほど東大生協で働いていた。
私は大学の建物が好きでした。
久しぶりに大学の食堂に坐っていて、心地よかった。
学生たちを見ていることも楽しかった。
面接を終えた女房は「あそこで働きたいな」という。
「もし採用だったら、今週の水曜日ぐらいに電話が来て、
 不採用だったら今週末までに郵便で履歴書を送ってくると思う」と女房はいう。
今日までに〝採用〟の電話はなかった。
さて女房は、あの会社に不採用なのでしょうか?

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2024年の新年会

2024年01月03日 | 家族

4年ぶりに私の息子たち家族と新年会をした。
前回は2020年1月3日でした。
その年の1月末からコロナが日本中に広がった。
2020年の9月15日に私は、膀胱がんの最初の手術を受けた。
2021年、2022年、2023年は新年会をやめた。
2024年の新年会、長男の息子は小5、娘は小1になっていた。
次男の娘は高校2年生です。
私は、膀胱がんの手術を5回、女房は昨年の9月に膝蓋骨骨折をして手術を受けた。

私たち夫婦と息子たち家族は今日まで生きてきました。
明日からも生きていきます。

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妻の退職

2023年12月15日 | 家族

妻に今朝あらためて確認のために訊いたら、今の職場に2006年9月から勤めているといった。
ということは17年勤めていたことになる。
その前は、私の友人の縁で元NHKのアナウンサーのアシスタントをしていた。
その人はラジオ深夜便のアンカーを今でもしている人で、
あのとき妻は、「にっぽんの歌こころの歌」で流れる曲のエピソードなどを、
毎週調べて原稿を書いていた。
私も日本の歌には興味があったので、妻の仕事に協力していた。
あの頃妻は、ネットで分からないことは東京のあちこちの図書館に行って調べていた。
埼玉の久喜市の図書館に行って調べるなんてこともしていた。

今朝の6:44に「Iさんから、今日の16時から18時に生花が、ヤマトで届くって!」とLINEがあった。
こりゃ夕方、風呂に入らないで待っていなければならないな、と思い「了解」と返信した。
会社から妻はいつも18時過ぎに帰ってくるので、それまでに風呂は入っていたかった。
妻は、朝の6時前には家を出ていた。
今日は午後には雨が降るという天気予報だったので、9時過ぎにウォーキングを始めた。
先週国が、65歳以上の人は1日6,000歩歩くようにと発表したが、私は5,000歩です。
ウォーキングで5,000歩以上歩いていれば、それ以外の暮らしの中で1,000歩ぐらいは歩いている。

16時頃、インターフォンが鳴ったので玄関に行くと、
うちから3軒先の家で外壁塗装をするという業者からのお知らせだった。
そのときに乗用車がうちの前で停まった。
運転していた女性が降りて、後ろの座席に置いていたダンボール箱を持ってきた。
妻の友人が送ってくれた花束だと思った。



大きなダンボール箱で、上から中を見るとキレイな花が沢山あった。
あ~、おれにはこんなものは贈れないな、と思った。
茨城の百姓のせがれにはこんなことはできない。
その友人は昨年の12月に妻の職場を退職した。
退職してもLINEなどで連絡は取っていたようだ。
その人は東京都文京区の生まれだそうだ。
東京都練馬区に生まれた妻も「こんな花束は贈れない」といっていた。



会社の同僚たちから、いろいろな贈り物と寄せ書きをいただいた。
女房は、「私はこんなのはいらないのに」といっていた。
私も45歳のときに200名ほどの会社を退職するときに、寄せ書きの色紙をもらったことがある。

ま、いろいろあったが妻は、今日で会社を退職です。
辞めたときの立場はバイトなので、退職金はない。
私が思うに妻は、そこそこいい会社で仕事ができたと思う。
これからはのんびり生きてほしいと思う。

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夫婦

2023年07月08日 | 家族

6月28日から東北を旅し、7月3日から膀胱がんの手術のために入院した。
東北を旅していたときは妻と意見が合わないことが多く、心がかみあわなかった。
私の足が痛くなり、歩けなくなったこともその原因のひとつだった。
なんとか夫婦間の爆発もなく、7月1日に旅を終えて家に帰ってきた。
そして私は7月2日に仕事に行き、7月3日に大学病院に入院した。
この日が息子たちの誕生日ということが微妙な気持ちだった。
息子たちが生まれて、どのような人間に育てるかということが夫婦の目標になった日です。

入院のときは、女房とは別々な暮らしをしているのでぶつかることはなかった。
必要なことはLINEで連絡をとりあった。
旅しているときは女房と24時間一緒にいる。
入院しているときは、その間離ればなれだ。
夫婦なんてどちらかといえば、離れて暮らすほうがいいのでしょうね。
退院する7月7日、病院に女房に来てもらったときは嬉しかった。

なんだかんだいってもここまで夫婦を続けてきたら、もう〝腐れ縁〟ということですね。
これからもできるだけ女房に感謝して、生きて行こうと思います。

 

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