冬休み

1999年12月29日 | テレビ

 今日から冬休みです。来年の5日までなんですが、4日から出社です。
 女房は今日まで出社です。彼女の会社は、蕎麦屋が相手の商売なので、今日
は大変忙しいそうです。帰りが遅くなると、ぷんぷん怒っていった。
 朝から私は、洗濯をし、包丁を研ぎ、台所の小さい網戸を洗った。洗濯は女
房に頼まれ、あと二つは前からやろうと思っていたことだ。
 午後は、車を掃除し、タイヤをスタッドレスに換えた。これで5時になって
しまった。
 これから年賀状を書きます。

 今、隣の台所では、息子たちの友人が鍋の準備をしている。忘年会をやるら
しい。
 がやがやわいわい楽しそうです。私は、自分の食べるものをこれから買って
こよう。

………………………………………………………………………………………………………………………………………

12月の九想話

12/9  うちが映画館だった頃
12/10 ロウカ
12/21 さら地に舞う酔っぱらい
12/24 浮き沈み
12/24 Kのクリスマスイブ
12/25 Uのクリスマス
12/29 冬休み

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Uのクリスマス

1999年12月25日 | 家族

 Uが9時半頃帰ってきた。
 Uは今日、ホテルオークラで歌ってきた。大学のグリークラブの一員として
だ。毎年、そこのロビーでグリークラブは歌っているということだ。なにしろ
Uは、“おれに話しかけないで”バリアをいつも張っているので、細かいこと
を私は訊けない。いつも女房からUのことを知る。まるで同居しているおじさ
んのような私だ。それでも昨日、Kの姿を見て家に帰ってパソコンに向かって
いたら、Uがネクタイのしめ方を教えてくれと、ネクタイを持ってやってきた。
11月の定期演奏会の前日にも教えたのにもう忘れているのか、と思いながら
も、私はなんとなく嬉しくて、Uに教えた。
「今日はどんな曲を歌ったの」
 テレビを見ながら食事をしているUに私が訊く。
「………」
「賛美歌なんかか」
「うん」
 今夜は、バリアが少ないようだ。
「きよしこの夜」
「…うん」
「英語で歌ったのか」
「日本語…」
「あとは…、赤鼻のトナカイは?」
「歌わない」
「もろびとこぞりて」
「歌った」
「その曲いいわよね」
 台所の女房が突っ込む。
「ホワイトクリスマスは?」
 しつこい私。
「歌った」
「英語でか」
「うん」
「お、かっこいいな。ア~イムドリーミィーオバーホワ~イトクリスマ~ス。
あと分かんない」
 だんだんUの“おれに話しかけないで”バリアがでかくなってきつつあった。
それ以上、私は話しかけるのをやめた。Uは、「ごちそうさま」と自分の部屋
に戻った。
 私と女房は、ホテルのロビーで歌うUの姿を想像しながら、いろいろ話した。
来年のクリスマス、ホテルオークラの宿泊客になりたいが、高いんだろうな。

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Kのクリスマスイブ

1999年12月24日 | 家族

 12時20分、シントコ(新所沢)の駅を出る。
 いつものようにラーメンを食べに行こうかと思いながら、家に続く道を歩く。
 100メートルほど行ったとき、(そうだ、Kを見てみよう)と思った。
 今夜は、所沢のパソコン通信の仲間の忘年会だった。飲みました。私は、酔
っぱらっている。
 駅のほうに戻った。11月に駅の横っちょにできたコンビニで、Kはアルバ
イトをしている。夜の9時とか10時から夜明けまで働いている。毎日ではな
い。あるローテーションで勤務している。
「クリスマスイブに、バイトになっちゃった」
 と、以前いっていたのを思い出したのだ。
 コンビニから10メートルぐらい離れたところに立つ。カウンターのところ
にKはいた。なんか自信なさそうに、いる。おでんの入った容器のふたを開け
たり、肉まんあんまんの入っている温蔵庫を覗いたりしている。客がカウンタ
ーにくれば、なんかいっちょうまえに挨拶して、レジを打っている。
 Kがバイトを始めた11月に女房が見てきて、「Kが、ちっちゃい頃の真面
目な顔してバイトしてたよ。ああいう顔見ると、たまんないな」といっていた。
 私も“たまんない”気持ちになった。緑のエプロンを身につけ、最近私には
見せたことのない顔して働いている。
 10メートル離れて、ガラス越しに私は、Kに向かって「がんばれ」と心の
中でいう。
 私が19歳のとき、田舎の金物屋で働いてた。あんな表情してやってたのか
な。
 なんかもう、私はラーメンを食う気になれなかった。煙草に火をつけて、家
のほうに足を向けた。

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浮き沈み

1999年12月24日 | 会社・仕事関係

 昨日は、月に一度の全体会議があった。
 私は、派遣社員(ペルーの女性たち)が仕事をしているので、いつも行けな
いのですが、参加した者に聞くと、工場長と次長が12月で退任するという。
噂では聞いてたので知ってたのですが、とうとうそうなったか、という気持ち
です。
 ほんとうにあの二人は仕事の出来ない人たちだった。どうしょうもない奴ら
だった。
 私が、生産管理の頃なんど喧嘩したことか。そして私は生産管理課から外さ
れ出荷担当にさせられた。
 1月から新しい工場長たちが、親会社からやってくる。私としては、どんな
連中が来ても、私の仕事をきちんとやっていくだけですが…。
 先週の金曜日に、次長と飲んだ。私は、いいたいこといいました。バカなも
んですから、飲むとワタシ恐いんです。
 しかし、なんといっても、私を現在の会社に入れてくれたのはあの二人なん
です。40歳までという募集規定なのに、パソコンが出来るということで45
歳の私を入れてくれた(でも、今は、パソコンなんて触ってない。頼りのツ
ールは、フォークリフトですが…)。それだけは、感謝してます。息子たちが、
大学生やってられるのもの、今の会社のおかげです。
 しかし、あの二人のこれからの人生は、ミジメでしょう。

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さら地に舞う酔っぱらい

1999年12月21日 | 会社・仕事関係

 先週の土曜日、前の会社の有志の忘年会があった。
 ほんとうはこの日、への6番さんのお誘いで大阪オフに行くつもりだったが、
どうしても仕事を休めなかったので、大阪に行くのを諦めた。
 大阪に行こうと思っていたのが行けなくなって、落ち込んでいたら、木曜日
に忘年会をやるという電話が来た。これは不幸中の幸いだった。
 土曜日、会社の駐車場を出たのが5時半だった。家に着いたのが6時20分。
忘年会の始まる時刻だ。着替えて家を出たのが6時半。気持ちは焦る。

 ああ…だめだ。こんなに詳しく書いてたらいつ書き上がるか。この時期睡眠
が一番なのに。

 一橋学園の忘年会の場所に着いたのが7時10分。みんなは、すっかり盛り
上がっていた。14、5人が来ていた。秋田から来た奴もいる。7時半頃長野
の上田から来た奴で参加予定者がすべて揃った。
 みんなの顔を見ていて、さっきまで“あの”会社で一緒に仕事をしていて、
その帰りにこの店に来た、という錯覚に襲われた。以前の会社にいた頃、仕事
が終わるとよくこの居酒屋に来たものだった。

 ああ…、だめだ。もっと簡潔に書かなくては、時間がない。

 11時過ぎ、その居酒屋を出て、その上のスナックに行った。そこで2時間
ほど歌い語り合って、店を出た。
 その次、電車もないので、カラオケボックスに行くことになった。すると誰
ともなく、「会社に行ってみようか」ということになった。その中の一人のメ
ールで、会社の建物はなくなっていてさら地になっているとは知っていた。で
も、なんかそれを見てみたかった。みんなもそんな気持ちだったのだろう。疲
れた2人がカラオケボックスに残り、6人で行った。なんだかんだ話しながら、
約30分の道を歩いた。前の会社は、小平の陸の孤島のようなところで西武線
小平駅、一橋学園駅、JR国立駅にも遠かった。
 それまでがやがや賑やかな酔っぱらいたちは、先に元の会社に着いた一人が
いった言葉で静かになった。
「ああ…、やっぱり、ない」
 それを聞いて走り出した奴がいた。
 全員が門を閉じていた柵の前に並び、
「なんにもねェ」
 と、口々に呟いた。
 何もなかった。みごとに平らな地面が広がっていた。
 誰かが、門の柵を開けようとしたがなかなか開かなかった。しばらくして開
いた。
 狭く開いたそこから、全員中に入った。私も入った。
 以前、手前には会社の玄関があり、その横には、私がいた資材部があった。
 なんにもない。
 みんなめいめいに平らな地面を走った。
「おれの机はこの辺だったかな」
「ここでよく煙草を吸ってたな」
「あのあたりが、第2工場だったな。よく徹夜したな」
 静かに瞑想して歩く者あり、飛び跳ねてわめき回る奴あり、元の存在を丁寧
に確認する人もいた。
 私は、なんともいえない哀しみに包まれた。あの頃の私の仕事はどこに行っ
たんだろう。昼休み、屋上で私はトロンボーンを吹いたり、ケーナを吹いたり
していた。なんか、自分の大切な時間を奪われたような気持ちになった。
 カラオケボックスに戻った我々は、誰も歌わず静かに朝まで語り合った。

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ロウカ

1999年12月10日 | 暮らし

 廊下ではありません、老化です。
 でも、漢字にするといかにも歳をとるという感じがするので「ロウカ」にし
ました。
 最近、新聞や本の活字を読むとき眼鏡をはずして読んでいる。近視の眼鏡を
つけているとぼやけて見えないのです。
 私は、日曜日など時間に余裕があるときには、トイレに本を持って入る。そ
のときはずした眼鏡の置き場所に困る。炬燵で読むときも、眼鏡をはずすが、
そのあとよく眼鏡を探すのに苦労する。それでメガネチェーンなるものを購入
した。
 昔、あんなものを首の後ろにぶらさげていた人を見ると、キザな人だ、なん
て思っていた。そもそもなんのためにあんなものをメガネにつけているのか分
からなかった。
 そんな私が、メガネチェーンを買った。活字を読むときに眼鏡を胸にぶらさ
げておけるので探す心配がない。しかし普通のとき、あれは邪魔くさい。あん
なものをつけていては仕事にならない。特に私のような肉体労働には向かない。
ですから私は、日曜日家にいるときだけメガネチェーンをつけてます。
 もう一つ、ロウカを発見。
 下の毛に、白いものが1本あるのを見つけてしまった。
 昔、ある小説かエッセイで読んだことがあるんですが、「男があそこに白い
毛を見たとき愕然とする」というようなことが書いてあった。私もいつかそん
な気持ちになるのかな、と思っていた。
 私は、それほどのショックはなかったが、「おれも歳をとったんだな」とし
みじみ思いました。息子が、来年二十歳になるんだからしょうがないですね。

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うちが映画館だった頃

1999年12月09日 | 映画

    なにをかくそう私の家は映画館でした。
 映画館とはいっても、映画の興行屋がうちの庭を借りて年に1度か2度映画
を上映する“映画館”でしたが…。
 スクリーンは、農機具や作物を入れてる納屋の前に張り、映写機は家の縁側
に設置し、米や大豆を乾燥させるときに使う筵を庭一面に敷き詰めた青空じゃ
ない、夜空映画館だった。
 家の回りに幕を張り、どこからも入れないようにして一ヶ所に木戸を作り入
場料をとった。私の親は、近所の人を勝手口のほうからただで入れていたのを
覚えている。
 かかっていた映画は、東映の時代劇が多かった。
 この頃から私は、映画が好きになった。
 午後3時頃から、子どもたちが座布団を持って場所取りに来る。暗くなるま
で鬼ごっこなどをして暇をつぶしていると、夕方映画の始まる頃、大人たちが
やってくる。柿、梨、林檎や煎餅などのお菓子にいなり寿司や海苔巻きを持っ
てくる。
 私が小学校に入る前から小学の低学年の頃ですから、昭和30年の初めぐら
いかと思う。まだ近所のどこにも、テレビなどなかった時代です。

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