新任教師と吹奏楽部

2020年07月31日 | 暮らし

私の高校の吹奏楽部は、私の中学の吹奏楽部の2年先輩の人が高校に入ってつくった。
私が高校2年までは、音大のピアノ科を卒業した先生が顧問でした。
(私が音楽室のピアノを練習に使わさせて下さい、とお願いしたのはこの先生です)
私が3年になったときに、「とうちゃこ 上野沼」の先生が吹奏楽部の顧問になった。
大学の吹奏楽部でフルートを吹いていて、地域のオーケストラにも所属していた。
最初に先生のフルートを聴かせていただいて、私たちは素晴らしい音に感動した。
私は、部員たちに選ばれて部長ということになった。
そのときの岩瀬高校吹奏楽部の水準は、はっきりいってかなり下位のほうだったと思う。
それまでの顧問は、人間的には素晴らしい音楽教師でしたが、
吹奏楽のことは経験がないので、まったく指導はしてくれなかった。
なので生徒が指揮をして、曲の練習をするという吹奏楽部でした。
ところが、新しい顧問は吹奏楽の指導を徹底的にしてくれた。
先生の指導で私たちは、どんどん成長した。
私としては、音楽というものはこうなのか、ハーモニーとはこれか、
というようなことを教えられた。
目から鱗とはこのことか、という感じで吹奏楽というものに目覚めさせられた。
ある日、それまでまったく縁のなかった吹奏楽コンクールに出ようと先生がいった。
先生がコンクールに演奏する曲の楽譜を買いに、東京に行こうという。
それで吹奏楽部の2・3年生3・4人が銀座のヤマハまで先生と行って、
コンクールに演奏する曲の楽譜を選んで買った。
夏の合宿には、先生の大学の吹奏楽部の後輩が5・6人指導に来てくれた。
このことは大きかった。
私たちの演奏技術は、かなり上がった。
それで私たち岩瀬高校吹奏楽部は、吹奏楽コンクールで銅賞をとった。
といってもそのときのコンクールには、AコースとBコースというものがあって、
Aコースは、課題曲と自由曲、Bコースは自由曲だけの演奏だった。
私たちは、Bコースでした。
それでも初参加で銅賞です。
私たちはうれしかたです。
そのとき表彰してくれたのは、茨城県警の元音楽隊長でした。
私が中学生のときに指導に来てくれた人で、その人から、
「おめでとう、続けてきてよかったね」といわれた。
元音楽隊長は私のことを覚えていてくれたのです。
私は、先生にいろんなことを教えていただきました。
その先生が、蛙の声がうるさくて上野沼の喫茶店に逃げていたことを知り笑ってしまった。
大学出たばかりの先生は、どんな気持ちで高校の教師になろうとしていたのか?
私が23歳の頃なんて、渋谷・新宿・池袋で酒飲んでバカやってばかりでした。
それを考えると、先生は素晴らしいと思った。
私は、先生の結婚披露宴で下手くそなケーナを吹いたことがあります。
出来ることなら先生と会って、昔の話を肴に酒でも飲みたいです。
………………………………………………………………………………………………………………

7月の九想話
7/2   なんちゃって休肝日
7/3   なしのつぶて
7/5   山本太郎、無念
7/6   布マスクの「漏れ率」100%
7/6   “Beatles For Sale” sideA
7/7   ギタリストの安田裕美死去
7/7   永六輔を思う
7/8   Tブラウス
7/10  阪神巨人に今季初勝利
7/10  降雨コールド成立阪神が4連勝
7/10  ゴーヤの実
7/11  映画「世界の中心で、愛をさけぶ」
7/13  川越救急クリニック
7/14  若いの頃の日記を読む(1)
7/15  若いの頃の日記を読む(2)
7/16  若いの頃の日記を読む(3)
7/16  藤井聡太七段が棋聖奪取
7/17  再び、下肢静脈瘤の手術
7/18  念願のゴーヤチャンプルー
7/19  芙蓉→ムクゲに訂正します
7/19  空色朝顔
7/20  アンドーナッツ
7/20  ミョウガが美味い
7/22  わが家のゴキブリ
7/22  Go To トラブル
7/23  わが家の贅沢な夕食
7/24  児玉龍彦教授、渾身の訴え
7/24  7月24日はスポーツの日
7/25  スタンド・バイ・ミー~ピアノ演奏~
7/25  銀河鉄道の父
7/26  とんび
7/28  2度目の下肢静脈瘤手術
7/29  Yesterday
7/30  とうちゃこ 上野沼
7/31  新任教師と吹奏楽部

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうちゃこ 上野沼

2020年07月30日 | テレビ

NHKBSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」!の夜版(19時~)は「とうちゃこ」なんですね。
その番組で、高校のときの吹奏楽部の顧問だった先生の手紙が読まれた。
(この番組のことは、今日の10時過ぎに茨城の兄からの電話で知った。)

> 正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、はじめまして。
>いつも番組を楽しく拝見しております。久しぶりに茨城県ですね。
>お待ちしていました。私の心の風景は、旧岩瀬町(桜川市)にある
>『上野沼』です。
> ちょうど50年前の春。大学を卒業し新米の音楽教師として赴任し
>たのが、岩瀬町の県立高校でした。吹奏楽部の顧問にもなり、生徒
>たちとの楽しい活動が始まりましたが、自宅から乗り継いで2時間の
>通勤は、朝に弱い私にはとても大変で・・・。

下宿を探していたときに、吹奏楽部の部員のSから彼の家への下宿を勧められ
そこ住むことにした。
最初は快適な下宿生活をしていたが、夏になると蛙の大合唱がうるさく
近くの喫茶店に行くようになった。
そこはオアシスになったが、毎晩続く蛙の大合唱には耐えきれず、
3ヶ月でそこの下宿生活は終わった。
上野沼は今はどうなっているのでしょうか?
というような手紙だった。
それで火野正平は、桜川市の上野沼に行ったのでした。
番組の最初は、桜川市総合運動公園からだった。
この公園を私は知りません。
私が岩瀬町を出てから造られたと思います。
そこから私が卒業した茨城県立岩瀬高等学校の脇を通り、上野沼に向かった。
私は、久しぶりに高校の体育館を観た。
私たち吹奏楽部は、あの体育館のステージで毎日練習をしてました。
そこからあるお堂で、火野正平たちは昼食を食べ上野沼に向かった。
その途中の林に、サギが沢山いるところがあった。
私が岩瀬町に住んでいた頃には、サギなどいなかった。
そして火野正平は上野沼に着いた。
私がこれまで吹奏楽部のOB会や中学校の同窓会をした湖畔閣というところに、自転車を停めた。
上野沼には紫・黄色・白の綺麗な蓮の花が咲いていた。
なぜか黒鳥が2羽、水面を優雅に泳いでいた。
番組の最後にまた先生の手紙が読まれた。
しかし、こんなことが人生にはあるのですね。
私は、瞼をぬらしてしまいました。
あの頃のことを思い出します。
明日の九想話に、先生と吹奏楽部のことを書きたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Yesterday

2020年07月29日 | 音楽

7月26日(日)放送の「ディスカバー・ビートルズ」(NHK-FM)は、「ビートルズが売れた理由」です。
案内役の和田唱が「ビートルズが売れた理由」を語った。
それを聴いて私は納得したので、この九想話で紹介します。
ビートルズの4人が素晴らしいとか、曲がいいとか、ハーモニーが美しいとか、etc・・・。
和田唱が一番と考えるのは、「Yesterday」という曲があったからではないかという。
(しかし、これはポール1人だけで録音しているんだそうです)
「Yesterday」は、世界で一番多くの人にカバーされている曲らしい。
私もビートルズの曲で好きなものが沢山あるが、この「Yesterday」が一番好きです。
よく尺八で吹いてます。

ディスカバー・ビートルズ」←クリックすると番組が聴けます。
(2020年8月3日(月) 午後0:00配信終了)

Yesterday (With Spoken Word Intro / Live From Studio 50, New York City / 1965)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2度目の下肢静脈瘤手術

2020年07月28日 | 健康・病気

今日12時からの予定でしたが、10分ほど遅れて下肢静脈瘤の手術になった。
5年前のときはとても痛い思いをしたので、私は先週から落ち込んでいた。
あのとき、静脈麻酔か切れても手術は続いていた。
「いてェよ~、いてェよ~」と私が叫んでいても、医師は私の脚の血管を抜いていた。
あれは地獄でした。
その夜も脚が痛かった。
これまで何度も手術はしたが、あんな手術は二度とされたくないと思った。
そのこともあり、土曜日から私はかなり落ち込んでいました。
でも今日手術を受け、ちゃんと痛くないようにやればできるんだな、と思った。
今日の執刀医と看護師に感謝します。
これから脚の静脈が正常になり、血液が逆流しなければ、
夜中に脚がつることがなくなり、安心して夜に眠れると思うと、幸せです。
思い切って手術をしてよかったです。
ただ、再発することはあるようです。
そのときはまた手術をしなければならないのでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんび

2020年07月26日 | テレビ

昨夜午後9時から、「とんび」(原作 重松 清)がNHKのBSPで再放送された。
昭和37年の広島、トラック運転手のヤスは、
妻・美佐子との間に待望の息子が誕生し幸せの絶頂にいた。
息子はアキラと名付けられ、ヤスの幼馴染のたえ子や照雲たちからもかわいがられていた。
しかしアキラが3歳のとき、事故で美佐子が急逝。
ヤスは、幼いアキラを男手1つで育てていく。
男手1つで息子アキラを育てることは、
まわりの人たちの世話にならなくてはとうていできないことだった。
ヤスの幼馴染のたえ子や照雲たちが助けた。
高校3年生になったアキラは、広島を離れ、東京の大学に進学したいと言いだす。
ずっと一緒に暮らしたかったヤスは猛反対する。

面白いストーリー展開です。
これからもまた再放送するかも知れないので、ネタバレはしません。
重松清の小説が私は好きです。
一昨日ブックオフで買った文庫本の中に「ステップ」という小説がある。
明日から読もうと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀河鉄道の父

2020年07月25日 | 小説 エッセイ

今日、「銀河鉄道の父」(門井慶喜 著 講談社刊)を読了した。
この小説は、宮沢賢治の父を主人公として書いたものです。
久しぶりに読みごたえのある小説でした。
私は、20代のときに宮沢賢治の詩・童話はほとんど読んでいると思う。
そして私なりの宮沢賢治像はある。
それが、この小説を読んでことごとく打ち砕かれた。
私は、宮沢賢治という人は、やさしくて真面目で
自分のことより他人(ひと)のことを考えて生きているような人間と考えていた。
「銀河鉄道の父」の宮沢賢治という人は、
あまりまわりの人のことを考えない自分中心のわがままな人という感じです。
ただ妹トシのことは大切に思っていて、頭は優秀な人のようです。
妹トシが結核で死んでいく。
賢治は最後まで介抱する。
世の中を生きることには不器用な人みたいですね。
若い頃はほとんど実業のことを考えていた。
29歳の頃、人造宝石を売る会社をつくろうとした。
病気で寝ている妹トシに、読み聴かせるために童話を書いた。
そしてその作品が地元の新聞に認められて掲載される。
賢治は物書きでは収入は得られないのだけど、学校の先生を辞めてしまう。
そういう息子を父政次郎は、いつも経済的にも精神的にも援助してきた。
ただ宮沢賢治は、父に甘えなかった。
自分の文章で生きていこうとした。
私は、あらためて宮沢賢治の詩・童話を読んでみようと思いました。
あ、忘れてた、この小説は、第158回 直木賞受賞作でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタンド・バイ・ミー~ピアノ演奏~

2020年07月25日 | 音楽

スタンド・バイ・ミー(Stand by me)~ピアノ演奏~


これを聴いておれは、C調で左手と右手で練習した。
右手(メロディ)はそれなりに、左手の伴奏(?)も弾けるようになった。
しかし、いっしょに弾けないんです。
それを女房に愚痴ると、「楽譜にすればいいよ」という。
「楽譜として頭で理解すれば弾けるんじゃない」
それはそうだ、とおれは納得した。
それでおれは、C調で右手と左手で弾くのを楽譜に書いた。
でも、その楽譜のように右手、左手では弾けるのだが、同時にはだめだった。
やはり、バイエルの初歩的な練習からやらないとできないのかな?と思った。
しかし68歳のおじいちゃんは、基礎的練習などやってられない。
かなしくなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月24日はスポーツの日

2020年07月24日 | 暮らし

今日7月24日は、コロナ感染拡大がなかったら東京オリンピックの開会式の日だった。
10月の体育の日を、東京オリンピック開催のため7月に移動し祝日になったのですね。
しかし、今年は、新型コロナ感染拡大が起こり東京オリンピックが延期になった。
はたして来年、東京オリンピックが開かれるのでしょうか?



リビングの前のヘブンリーブルーはこんなに咲いていた。
一緒に撒いたタネなのに、左のプランターのヘブンリーブルーはひとつも咲いてない。
心配です。
今日は、つれあいが所沢の生地屋に行って、
自分の服を縫うための布地を買いたいというので、私もつきあって所沢に行った。
所沢には2009年1月まで住んでいた。
(といっても生活の場は新所沢駅前だった)
女房が生地屋で買い物をしているときに私は、ブックオフに行っていた。
文庫本を5冊買いました。
そのあと所沢駅から帰るために電車に乗り、本川越駅に行った。
川越で昼メシを食べようと思い、その前に川越の街を歩いた。
祝日なのでそれなりに人はいた。
どこで昼食を食べようかと迷った。
歩いているときに、もともと昨日の計画でうなぎを食べようと決めていた店があった。
すごい人が並んでいて長い行列ができていた。
そこで食べなくてよかったと思った。
そして行ったのが餃子の王将だった。
餃子、キャベツの塩だれかけで私は生ビールを飲み、
女房が王将ラーメン私はタンメンを食べた。
お腹いっぱいになった私たちにとって、それから家に帰るまでが長かった。
女房と私の結論は、家で食事をしたらすぐ寝られるね、ということだった。
これからも、私たちの外食は少なくなるでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児玉龍彦教授、渾身の訴え

2020年07月24日 | 災害

【国会ダイジェスト字幕付き】児玉龍彦教授、渾身の訴え「このままでは来月は目を覆うような惨状になる・・・」コロナ対策とGoToについて言及【参議院新型コロナ閉会中審査】


この人の言うこと、説得力ありますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが家の贅沢な夕食

2020年07月23日 | 暮らし



世の中は今日から4連休に入りました。
女房は4連休です。
私は今日、勤務するマンションの可燃ゴミの回収があるので出勤し、明日から3連休になる。
1ヶ月前ほどは、遠くに旅行したいね、などと女房と話していた。
ところが新型コロナの感染者が増えてきて、Go Toトラベルで東京が外された。
もう、どこか旅行に行こうという気持ちは消えました。
それじゃ、川越にでも行って美味しいものを食べようか、などと2・3日前は話していた。
私が今日午前中仕事だから、12時半ぐらいに川越駅で待ち合わせよう、などと決めていた。
しかし、それさえもどうでもよくなりやめにした。
今日は私が仕事が終わって、家に帰ってから車で近くのスーパーに行き、
うなぎやマグロや美味しいお酒を買おうということになった。
うなぎはやはり国産だな、などと話していたのに、
いざ、うなぎを買うときになると、中国産にしてしまった。
1人前が国産では2,500円以上する。
中国産は800円だった。
私たちは哀しいことに中国産に即決です。
もともとは、川越のうなぎ屋で食べようと計画していたのです。
ネットで見るとどこも4,000円ぐらいだった。
2人で8,000円もお金を使うことは、私たちにとっては“犯罪”です。
私たちは、そのスーパーでうなぎ、マグロとイカの刺身などを買った。
別なスーパーでビール(プレ・モル)と日本酒(社長の酒)を買った。
私がいつも飲んでいるビールごときものは、1缶85円の第3のビールです。
それに比べると、プレミアム・モルツは美味い。
埼玉の小川町の吟醸酒「社長の酒」もなかなかおいしかった。
今夜は私たち夫婦にとっては、ちょっとした贅沢な夕食になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする