Adios,hasta la vista

1999年04月28日 | 会社・仕事関係

 わが連れ合いは4月から、NHK教育テレビの「スペイン会話スタンダード
40」を見るようになった。私が、「スペイン語をやるんだったら見たら」と
勧めたのだ。
 連れ合いは、水曜日が定休日なのでちょうどいい。しかし、月末の水曜日は
休みではない。今日は、ビデオを撮りテレビもつけていた。
 私も、会社にペルーの人がいるのでスペイン語には感心がある。
 毎週、テレビでやった会話を、ペルーの人に試したいけどなかなか話せない。

 Adios
 Hasta luego. (アスタ ルエゴ) また今度。
 Hasta manana. (アスタ マニャーナ) また明日。
 Hasta la vista. (アスタ ラ ビスタ) また会う日まで。

 今朝習った「Adios,hasta la vista」は、今日ぜひいってみたいと思った。明日
から連休になる。会社が終わって別れるとき絶対いおうと決意していた。
 しかし、私が会社を出るとき彼女らに会わなかった。
「だめだったか」
 と、駐車場まで歩いて行く途中、バス停に2人いた。
 私は、なんとなく通り過ぎてしまった。いざ、スペイン語をいおうと思うと
なかなかいえない。その前に、習った言葉を思い出せなくなっている。
 2メートルほど行き過ぎて、「こんなことでは、だめだ」とバス停の彼女た
ちのところに戻った。
「アディオス、アスタラビスタ」
 と、私は、おどおどしていった。
 手前の女性は、不思議そうな顔した。
「ラビスタ」
 私は、勇気をふりしぼっていった。
 隣の女性が、うなづき、スペイン語でなにか笑顔でいった。わかってくれた
ようだ。
 私はうれしかった。
 駐車場に行きながら、そういえば、うちにはブラジルの人もいたことを思い
出した。きっと、手前の人はブラジルの人だったに違いない。だから分かんな
かったんだ。
 ホントのところ、私のスペイン語では、スペイン人も分からないだろう。
 夜、女房が、
「スペイン語いってみた?」
 と私に訊く。
「いったよ。分かってくれたみたいだ」
 というと、
「すごい、スペイン語話したんだ」
 と、うらやましそうにいう。
 どこがスペイン語なんだ、というのが私の想いです。

………………………………………………………………………………………………

4/4  スーツ
4/5  私のギリシャ神話
4/5  新学期の頃
4/7  一生感動一生青春
4/22 逆境なんかぶっ飛ばせ
4/23 ブリッジの歯
4/23 期待はずれのライブ
4/24 朝
4/26 子どもの頃したこと
4/26 ヘラクレス
4/28 Adios,hasta la vista

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ヘラクレス

1999年04月26日 | テレビ

 今日の、阿刀田高の「私のギリシャ神話」はヘラクレスの話だった。
 私にとってみんな初めての話で、とても興味深かった。
 それはそれとして阿刀田は、ギリシャでその日の話に因縁のある場所で毎回
話している。今日は何カ所かで話していたが、番組の最後、「ヘラクレスの血」
というワインを出す食堂にいた。たしか、メネアのライオンと闘ったあたりに
ある食堂だった。その食堂の名前は「タベルナ」という。
 今日の講義で一番面白かったのは、このことでした。

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子どもの頃したこと

1999年04月26日 | 暮らし

 昨日、サザエさんを見ていてふと想い出した。
 タケノコの話だった。
 私の実家には昔、家の脇に孟宗竹がかなりあった。春になると沢山タケノコ
が地面から生えてきた。そのうち何本かを残して、あとは掘って食べた。
 私は子どもの頃、それほどタケノコは好きではなかった。好きだったのは、
タケノコの皮だ。といって皮を食べるのではありません。白く柔らかい水分を
含んだ皮の産毛のような毛をナイフでやさしく取り、水で洗ってからその中に
梅干しを入れ、三角形に折る。それを座蒲団の間に挟んで一晩置いておく。
 次の日、白かったタケノコの皮が真っ赤になっている。それをなめると、し
ょっぱいんだけどなんともいえない深みのある味がしたんです。それを一日中
なめていた。寝るときはまた座蒲団の間に挟んで寝て、次の日も大切になめる
んです。家にお菓子などなかった、貧しい農家の子どもの楽しみでした。
 もう一度なめてみたいな。

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1999年04月24日 | 家族

「たいへん」
「どうした」
「8時になっちゃうよ」
 本日の九想家の朝の始まりだ。
 息子たちが大学に行くようになって、毎日起きる時間が二人とも違う。前日
の寝る頃、「おれは6時」「おれは7時」とか、女房にUとKがいっている。
それを聞いてた私は、策を考えた。
 九想家には、息子たちが小学校5年頃から水性のマーカーペンで書くボード
があった。私が会社であまっていた透明アクリルの板の裏側に白い紙を貼った
自家製ホワイトボードだ。それはあまりマーカーの写りがよくないので、中学
の頃、本物のA3ぐらいのホワイトボードを買った。
 それは、女房、私、息子たち、それに昼間うちに来てくれている女房の母親
の伝言板として大活躍をしていた。現在もその役目は果たしている。
 そこに私は、「明日の起床時間」と書いた。その下にUとKの名前を書いて、
曲がった罫線をマーカーで書いた。
 二人に何もいわなかったが、それを書いた日から、その罫線の中には、時間
が書かれるようになった。
 そして今日、まず女房が焦って起きた。Kは起きていて洗面所で頭の手入れ
をしていた。
「起きてたら、こんどからママのことも起こして」
 と女房がKにいった。
「今日休みじゃなかったの」
 とK。
「ママは土曜日休みじゃないよ。パパも仕事よ」
 たいがい、女房が時間に起きなくても、私が起きる。普通5時半には目が覚
めている私です。
 しかし、昨夜は寝たのが3時近かった。ここんところ、寝るのがまた遅くな
っているので、さすがに今日は起きられなかった。
 私は、仕事といっても休日出勤なので、遅刻にはならない。
 女房は、一昨日、昨日と、フラメンコの練習なので帰りが12時近かった。
今日も彼女は練習で12時前帰ってきた。ここんとこあいつも疲れているんだ
ろう。
 それにしても、今日のUのホワイトボードが面白い。8時と書いてあって、
その下に、「8時前に起こさないで」と下手くそな字で書いてあった。
 あいつも、疲れているのか。

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期待はずれのライブ

1999年04月23日 | 音楽

 私の行ってる歯医者の1階にジャズ喫茶(飲み屋)がある。歯医者は2階だ
(どうして歯科病院を歯医者と呼ぶのだろう。一般にそういってますよね)。
階段を上がるとき、そこのポスターを見たら、4/23「ギターソロ」と書い
てあった。歯の治療をしてるとき、気分転換にジャズでも聴いてみるか、と思
った。
 以前、このジャズ喫茶「スワン」には女房とよく行っていた。
 家に帰るとKがいた。Kと行けたらいいな、と思った。シャワーを浴びビー
ル(発泡酒です)を飲んでから、Kを誘った。振られた。雨の中一人で行った。
 7時50分に着いた。8時からとポスターに書いてあったのに、8時になっ
ても始まらない。
 演奏者だと思われる髪の長い男が、ギターのチューニングをしてからコーヒ
ーを飲んでタバコを吸っている。客は、私の他に4人。そのうちの2人は仲間内
のようで、親しげに話していた。その会話を聞いていて、なんか私は興ざめし
た。へんにこれみよがしの会話をして、他の客に「おれたちは仲間だぞ」と見
せつけているようで感じ悪かった。
 8時半に演奏は始まった。シンセサイザーを鳴らし、ギターもそれにつなげ
ていた。なんか環境音楽のようなとりとめのない音の羅列が始まった。おれは、
「ジャズを聴きにきたんだ」と怒鳴りたかった。それが、20分ほど続いた。
いいかげん私は飽きた。私は、その“音楽”を無視した。終わっても拍手をしな
かった。
 次は、ガットギターに持ち替え、バッハの曲と思われるものを弾いた。
「おれはジャズを聴きたいんだ」とわめきたかった。
 3曲目、やっとジャズらしい曲になった。一所懸命弾いてるのは分かるが、
弦をはずすわ、リズムは流れないわで、私は気が気ではなく乗れなかった。そ
れでも、仲間や店の女の子にはうけていた。
 ああ…、Kを連れてこなくてよかった。
 でも、ひとつよかったこと、ちゃんと楽譜を買って、ギターをまた練習して
みようかな、と思った。

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ブリッジの歯

1999年04月23日 | 健康・病気

 本日、歯の治療の、ひとつの区切りがついた。
 痛かった歯のとなりは子どもの頃抜けていてなかった。それで、痛かった歯
とその2つ隣の歯に金属でブリッジした。
 私は高校生の頃、左の顎の関節が痛くなり、接骨院に通っていた。そのとき
ほっぺたにでかい湿布を1ヶ月ほど貼っていた。かっこ悪かった。
 おそらくあれは、奥歯が1本なかったせいでなったのかなと思っている。そ
のせいで私は、左では食べ物を噛めなかった。そういうことの影響で顎の関節
がおかしくなったんだと思っている。今でもおかしい。知らず知らず左の顎の
関節を鳴らしていて、女房に「やめたほうがいいよ」なんて注意されることが
ある。
 ひょっとしたら、こんなことで私の性格が変わったかもしれない。
 なんか奥歯が揃ったせいか、力を込めて歯を噛みしめることができる。
 左の奥歯も揃ったことで、私の人生変わるかな。

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逆境なんかぶっ飛ばせ

1999年04月22日 | テレビ

 BS2の10時からの、標題の番組を昨日今日と観た。
 昨日は、「リストラは人生のチャンスだ」という題名で、46歳の田村和之
という人のことを紹介していた。
 46歳、ああ…、私と同じ年齢です。
 大学を卒業して旅行代理店に勤めた。そこで認められ課長までなった。そし
て、建設会社からヘッドハンティングされ、人事部の課長に転身。
 初めはやり甲斐があったが、おりからのバブルの崩壊で、社長からリストラ
つまり人員削減の仕事をまかされた。人事課長という立場では避けようもなか
った。気の進まない気持ちでその仕事をしていたら、いつしか自分がリストラ
されてしまった。
 会社を辞めて、組織につくことを拒否した彼。人事課長という経験を生かす
仕事として、就職コンサルタントを始めた。
 現在は、就職コンサルタントだけでは食っていけないので、悩み事相談なん
かも会社の営業範囲に入れている。
 退職したとき1000万円あった貯金が、現在では半分以下に減っている。
建設会社にいたときは、年収900万円ほどあったのが、今は半分にも満たな
い。
 二人の息子と一人の娘がいる。長男が公立の高校に不合格になった。
「いろいろあったが、会社を辞め独立したことを後悔してない」「会社という
組織のむなしさが身にしみた」という。この言葉、私は分かります。
 今日は、機械設計事務所の社長をしていた人が岩手県に土地を買い、現在は、
稲作と花を育てている風間邦敏という人を紹介した。
 初めはオートキャンプ場をやろうとして移住したのですが、田圃をそれ用に
変えることが難しく、近所の人の薦めで米作りをやることになり、それだけで
は食べられないので、園芸も始めた。
 年収は過去の半分以下になったが、今の暮らしは捨てがたい、といっていた。

 この二人の生活を拝見して、私も出来るのなら会社勤めはしたくないな、と
思う。
 私は、子どもの頃、百姓は手伝っていたので、それほどの違和感なくやれる。
 女房に「UとKがいなくなったら、田舎にでも行くか?」というと、「ヒサ
シくんだけ農作業やって、私見てるから」という。そうなんだ、あいつは東京
生まれで、どんな虫を見ても飛び上がって騒ぐ女だ。
 もうすぐ勤めて1年になる今の会社のことで、どうしょうもない気持ちにな
っている。辞めるわけにもいかず、まいりました。落ち込んでしまい、パソコ
ンに向かう気にもなれず、九想話をサボり続けた。
 ああ…、いやだいやだ、いっさいがっさい投げ捨ててしまいたい。
 といって、桂枝雀のまねはできないしな。
 いい歳して、困ったものです。

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一生感動一生青春

1999年04月07日 | テレビ

 月曜日の手話ニュースには、ニュースの後に「手話ポエム」というコーナー
がある。
 これまで、まどみちお、みつはしちかこ、の詩を紹介していた。
 今週から、相田みつをの詩を紹介するという。
 その前にということで、生前の相田みつをを写したビデオを流した。私は、
初めて相田みつをという人を観た。なかなかいい表情をした人だった。この人
は、書家なんですね。そっちのほうが本業だったとは知らなかった。
 私は、6、7年前に彼を知った。田舎の、そう今は薪能の手伝いをボランテ
ィアでしている友人の奥さんが「これいいよ」と相田みつをの詩集を見せてく
れた。それ以来好きになったのです。
 しかし今はすごい人気になっている。相田みつをの本の総売上が650万部
だそうだ。こんなブームになると、へそまがりな私はちょっと避けたくなる気
分なんですが、やっぱり彼の詩を読むと救われるんです。

 その時の出逢いが
 人生を根底から変えることがある
 よき出逢いを

 これが紹介された詩です。
 これはそれほどでもないな。

 TBSラジオの「生島ヒロシのニュース一直線」(AM5:30~6:30)では、毎
朝一つ相田みつをの詩を紹介している。
 毎朝、それを楽しみにしているこの頃です。

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新学期の頃

1999年04月05日 | テレビ

 Uが11時頃帰ってきた。酒を飲んできたという。
 入学式が終わったあと、クラブの勧誘にあい、誘われてただ酒を飲んできた
らしい。いいなァ、うらやましいなァ、というのが親である私の素直な感想で
す。
 私は、大学の新学期を知っている。日本女子大を2回、東大を4回、東洋大
を1回。でも、生協職員としてです。
 日本女子大では、アイスクリームやパンを売っていた。2年目の書籍部のと
きは教科書を売っていて、なかなか教科書の決まらなかった教授の教科書が授
業が始まる頃にも入らず、若かった私は泣いたこともあった。東大駒場では、
家具担当をしていたので、あの薄汚い学生寮に(去年閉鎖になったんだな)、
蒲団やコタツを持っていったものだ。東大本郷の電気担当のときは、買ってく
れたステレオの配線の仕方が分からないという学生のアパートまで行って、ス
テレオをセットしたりした。
 昼休みに眺めた、大学の新学期は眩しかった。
 生協にとっては稼ぎどきで、毎日残業だった。
 私の、20から26までのときです。つくづく大学生がうらやましかった。
 だから、親の立場を忘れて息子たちがうらやましい。

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私のギリシャ神話

1999年04月05日 | テレビ

 今日から始まった「NHK人間講座」は、阿刀田高が「私のギリシャ神話」
というテーマで話した。
 先週までのこの時間は「人間大学」という番組で、藤本義一が井原西鶴につ
いて話していた。あれは創作のことを話してくれて、とても勉強になった。
 今日は、「プロメテウス」のことから始まった。
 プロメテウスは、ゼウスに逆らった低い地位の神で、ゼウスがなにかで怒っ
て、火を人間から隠したとき、プロメテウスは、火を盗んで人間に与えた、と
阿刀田高はいっていた。
 ゼウスが最初につくった人間「パンドラ」のことも話していたが、今はよく
覚えていない。
 プロテウスの「プロ」は前という意味で、「メテウス」は考えるということ
らしい。弟にエピメテウスというのがいて、「エピ」は後ろ、という意味とい
う。プロローグとエピローグはそれが語源という。
 へえ~、という感じです。高卒の無学な私にとって、たいへんな驚きです。
 ちなみに、パンドラの「パン」は「すべての」、「ドラ」は「贈り物」とい
う意味だそうです。
 来週が楽しみです。

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